居候編6 とある女性の母心
侍女から話を聞いてからというもの、ラーニャは何となくマドイを避けるようになってしまっていた。
それはひょっとしたら、自分が彼に何もしてやれないという罪悪感からの行動だったのかもしれない。
マドイもラーニャの異変を感じ取ったのか、前のように積極的に話しかけてくることはなくなり、いつの間にか二人の間にははっきりと溝が出来上がっていた。
居候が始まってから二度目の休日、ラーニャは銀行で金を下ろすために町へ降りた。
たとえ宿での生活になってもいいから、一刻も早く居候生活から抜け出したい。
ラーニャはある程度まとまった金を引き出すと、長期滞在できそうな下宿の下見に繰り出した。
大国ロキシエルの王都には、もちろん無数の下宿がある。
だがマオ族でしかも子供という条件のラーニャを置いてくれそうな宿は、なかなか見つからなかった。
こうなると可能性のある場所は、人の来たがらない治安の悪い所に限られてくる。
(まぁ、貧民街に住んでたから別にいいけど……)
ラーニャは久しぶりに、貧民やチンピラが集う地域に足を踏み入れた。
淀んだ空気を懐かしく感じてしまうのが少々悲しい。
しばらく歩いていると、チンピラたちの怒鳴り声と女性の悲鳴が聞こえてきた。
この地域には良くある事だが、やはり見て見ぬふりを出来ないのがラーニャの性分である。
「オイコラ、テメェら。何やってんだ」
真ん中の女性を囲むように立っているチンピラたちに向かって、ラーニャはメンチを切った。
てっきり喧嘩になると思ったが、チンピラたちは彼女を見て途端に青ざめる。
「げぇっ。コイツ、英雄を倒した奴だ」
「スゲェ。ホンモノだ……」
「おいバカ、早く逃げんぞ!」
結局チンピラたちはラーニャを見ただけで一目散に逃げて行った。
何だかんだで暴れていたら、自分でも知らないうちに有名人になっていたようである。
ラーニャは軽く鼻を鳴らすと、まだ怯えている女性を見、そして驚いた。
「――! ……マドイ?」
チンピラに襲われへたり込んでいる女性は、マドイと同じ色の髪を、マドイと同じように真っ直ぐ伸ばしていた。
白い肌の色や切れ長の目元も、どことなくマドイに似ている。
(こんなことってあるんだ……)
ラーニャはある意味感慨深く、座りこんでいる女性を眺めた。
年の頃も彼と一緒で、もちろんそれなりの美女である。
身なりは貧しかったが、着飾ったらさぞかし光り輝くこと間違いなかった。
しばらく彼女を眺めていたラーニャは、ハっとなって彼女に手を差し伸べる。
「……スマン。ちょっと知り合いにそっくりだったからさ」
「……ありがとうございます」
さすがに声までは似ていなかったが、それでも彼女はマドイと似通っていた。
瞳の色は灰色だが、切れ長の目が特に良く似ている。
(まぁ、アイツ女顔だからな)
ラーニャは動揺を押さえ込むと、まだ呆然としている彼女に向かって苦言を呈した。
「ここは危ない所なんだ。アンタみたいな美人がこんな所来たらダメだよ」
尤もなラーニャの言葉に、彼女は頷く。
「ごめんなさい。息子に心辺りがあると言われてつい」
「息子?」
「……はい。なんというかその……いなくなってしまって」
彼女の整った顔に悲しみが滲む。
これは只事ではないとラーニャは直感した。
「もし、オレで良かったら話聞くけど?」
「……すみません」
俯きながらも彼女は話し出す。
彼女はまず、自分の名前はマドレーヌだと名乗った。
十九歳の彼女は約三ヶ月前、元気な男の子を出産したという。
子供が生まれ、忙しいながらも幸せな日々。
だがそんな生活も長くは続かなかった。
「息子を――ショーンを――売られてしまったのです」
「売られたぁ?」
「はい」
マドレーヌの結婚した相手は大変貧しく、彼女は毎日朝市で野菜を売っていたという。
それは出産した直後も変わることなく、その日もマドレーヌは野菜を売りに市へ出かけていた。
だがその日の帰り道、彼女は自宅の方角から来た怪しげな女とすれ違ったという。
妙な取り巻きを連れた彼女に何故だか嫌な予感がしたマドレーヌは、急いで家に帰ったが、着いた時にはもう赤ん坊は家にいなかった。
「それってつまり――」
「夫と姑が、私がいないときを狙ってショーンを売ってしまったのです。子供はまた作ればいい。今は金が必要だからと……」
マドレーヌの夫曰く、彼が赤ん坊を連れて市に出かけたとき、一人の女からその子を売らないかと持ちかけられたという。
そして金に目がくらんだ夫は、姑の後押しもあり、マドレーヌに黙って子供を売ってしまった。
「なんて野郎だ。許せねぇ」
それはマドレーヌも一緒だったようだ。
彼女は夫に失望し、売られた子供の手掛りを求め、なけなしの金を持って王都までやって来た。
そこを先ほどのチンピラに付け込まれたらしい。
「……アンタ、一体どこから来たのよ」
「トレース地方です」
「トレース地方って、最低でも一週間はかかるじゃねーか!」
そんな長距離を出産後間もない女性が一人で、しかもろくに金も持っていない状態で旅して来たとは。
ラーニャは子を思う母の気持ちに絶句した。
「アンタ……子供のためにそこまで無茶を」
「……私は、ショーンのためなら死んでもかまいません」
悲壮な決意を固めたマドレーヌを見て、ラーニャが何もしないでいられるわけがなかった。
拳を作ると、晒しを巻いた胸をドンと叩く。
「よし分かった。アンタの赤ん坊、俺も探してやろうじゃねーか!」
マドレーヌはその切れ長の目を驚きで見開く。
お互いどことなく似た、マドイとマドレーヌ。
マドイは思わぬ息子の登場に悩み、マドレーヌは息子を失って苦しんでいる。
姿かたちは似通っているが、正反対の二人の苦悩。
ラーニャはマドイに似た女性に手を貸すことによって、彼への罪悪感を打ち消そうとしているのかもしれなかった。