王宮殴りこみ編5 美形だろうが容赦しねぇ
柱の影から出てきた長身の男は、まるで名工が作り上げた彫刻のように整った顔立ちをしていた。
高い鼻筋と、控えめだが形のいい唇。
だが何より印象的なのは切れ長の目に宿る紫色の瞳だった。
ラーニャは生まれてこのかた、紫色の瞳など見たことがない。
「貴方がイルクの仲間ですか」
男の癖に、声に妙な艶がある。
彼は腰まで真っ直ぐ伸ばした銀髪を揺らめかせながら、ラーニャに一歩近付いた。
この男、顔立ちが怖いぐらいに整っているせいか、妙な威圧感と妖艶さが漂っている。
今まで見たこともないタイプの登場に、ラーニャはらしくもなく後ずさった。
「テメェ伯爵の手下か?」
至るとことにレースやら刺繍やらが施された彼の服装を見るに、ひょっとしたら手下ではなく仲間の貴族かも知れない。
厄介な相手に出会ってしまったと、ラーニャは後悔した。
「まぁなんて汚らしいこと。こんなボロきれまとって王宮内を汚さないないで下さいません?」
「悪いがオレはどーしても行かなきゃならんもんでね。次からは気をつけんよ」
ラーニャが男の横を通り過ぎようとすると、彼は持っていた黒い鞭をびしりと鳴らした。
「すみませんが、貴方にはここで死んでもらいます」
「やっぱそう来んのか」
「どうしても王の下に行きたいなら、私を倒してから行きなさい」
「陳腐なセリフだな。もっと工夫し――」
ラーニャが言い終わる前に、男はこちらにめがけて鞭を振り上げた。
間一髪の所でよけるが、この男の鞭裁きはかなり素早い。
普段から鞭を得物にして人を痛めつけているのだろう。
(こーゆーキャラはサディストって相場が決まってるんだよなー)
ラーニャはますますこの男に出会った自分の不運さを呪った。
その間にも男の鞭は執拗にラーニャを狙ってくる。
よけるだけなら何とかなるが、先に進むためには彼を倒さなければならない。
相手が消耗するまで逃げ切るのも一つの手だが、その前に兵士にでも見つかったら一巻の終わりだ。
覚悟をきめたラーニャは絨毯の上で踏み込むと、飛び上がって彼の頭部に蹴りを食らわせようとした。
だがその前に男の鞭がラーニャの足をなぎ払う。
「飛び蹴りですか。跳躍力に優れたマオ族が良く使う技ですね」
「詳しいなテメェ」
「マオ族の身体能力の高さには興味深いものがありますからねぇ。一度じっくり研究したいものです」
(サディストの上にマッドサイエンティストもプラスされてんのかよ――!)
猫耳を見つめながら妖しい笑みを浮かべる男に、ラーニャは戦慄した。
こんな野郎に捕まったら、どうなるか分かったものではない。
ラーニャは内心おののきつつも、なぎ払うようにして繰り出された鞭をかがんで回避する。
次に同じ体勢のまま男のスネに向かって回し蹴りを放った。
「甘いっ」
男のスネにあたる前にラーニャの足に鞭が絡みつく。
男はそのまま鞭を振るい、ラーニャを思い切り壁に叩きつけた。
鈍い衝撃と痺れがラーニャの全身を襲い、一瞬動けなくなる。
男がその隙を逃すはずもなく、ラーニャの小さな体に太い鞭が何度も食い込んだ。
(ヤベェ……)
早く進まなければならないのに、まだ男に一撃も当てられていない。
攻撃したくとも鞭の攻撃範囲が広すぎて、得物を持たないラーニャでは届かないのだ。
策を考えている間にも、鞭の執拗な攻撃は止むことがない。
そのうちに右肩へもろに鞭が入り、関節が外れて右腕が使い物にならなくなってしまった。
このままでは一方的になぶられて終わりだ。
ラーニャは軋む体を叱咤して起き上がると、壁を背にして構えをとった。
「もういいかげん降参したらどうです?とりあえず殺しはしませんよ。可愛がってあげます。実験体として」
「お断りだコノヤロウ」
ラーニャは血の混じった唾を吐き捨てると、なりふり構わず男に突進した。
最初の一撃をしゃがんで回避し、そのまま踏み込んで跳躍する。
「届け!!」
ラーニャは左腕を振り上げたが、幾重にもそれに絡みついた。
「学習能力のないガキですねぇ。私バカは嫌いですよ」
「そりゃどーもっ」
ラーニャはなぜか鋭い犬歯を見せてニヤリと笑う。
そして絡みついた鞭を渾身の力で引っ張り上げた。
ラーニャの予想外の行動と予想外の筋力に、男は引かれた鞭ごと体勢を崩す。
まずいと思ったのだろう慌てて体を起こそうとするが、それよりもラーニャの行動の方が早かった。
自分の方に倒れこむ形となった男の頭部に向けて、思い切り頭突きを食らわしたのである。
「カコーン」という小気味いい音が、王宮の廊下に響いた。
男はうめいてその場に転がり込む。
気は失わずにすんだようだが、起き上がれるようになるには相当時間がかかるだろう。
よっぽど痛かったのか、男はその美しい顔を両手で覆って悶絶していた。
「やったぜバカめ。ざまぁみろ。バーヤバーヤ!」
「ぐ……なんて下品な……」
「つーことでオレはいくぜ。じゃーな長髪野郎」
鼻で笑って男の横を通り過ぎようとしたが、彼は足首を掴んでラーニャを引きとめた。
「……んだよ。まだなんかあんのか?」
ラーニャがメンチを切ろうとしたそのとき、どこから高らかな拍手が聞こえてきた。
音のする方向を見ると、派手な服を着た頭頂部の寂しい中年男性が涙を流しながら拍手をしている。
「感動した!わしは感動したぞ!」
「……。誰でぇこのはげ散らかしたオッサンは」
誰にともなく呟くと、そばに会った部屋の扉から制服を着た兵士がわらわらと飛び出して来た。
その中で一際立派な衣装を着た兵士――おそらく騎士だろう――がラーニャの前に立つ。
「国王陛下の御前である。頭を下げなさい」
ラーニャは彼の言っている意味が分からずにしばらくぽかんとしていた。
「このお方こそが我らがロキシエル王国の国王であらせられるドランド陛下だ。控えおろう」
兵士は痺れを切らしたのか、声を荒げる。
ラーニャは漸く、目の前にいる派手な親父がロキシエル国王なのだと気付いた。