愛の力編7 大切な人?
オンベルトたちはまるで立ち泳ぎしているかのように、砂地獄の中で頭を上下させていた。
このままもがくのを見ているのも悪くないが、一発やられているため何かしてやらなければ気がすまない。
「よーし。お前ら、歯ァ食いしばれ」
ラーニャはまずオンベルトに向かって拳を振り上げる。
だがその拳が振り下ろされることはなかった。
殴る前に、けたたましい足音がこちらに向かってくるのが聞こえたからである。
「テメェらまだ手下がいたのか!」
ラーニャは台所にあったすりこぎ棒を持って身構える。
しかし居間に飛び込んできたのは、王家の紋章が入った鎧に身を包んだ騎士たちであった。
騎士たちは瞬く間にオンベルトたちを砂から引き上げると、身柄を拘束する。
団長らしき人物は、放心状態のマロンに寄りそうアルベルトに跪いた。
「アルベルト公! ご無事でしたか!?」
「ああ……。お前たちは――」
「我々はマドイ殿下直属の護衛騎士団にございます。殿下のご命令により、公爵様をお助けに参りました」
「マドイ殿下が私を?」
アルベルトは戸惑っていたが、それはラーニャも同じだった。
ラーニャはアルベルトのことを単なる大富豪だと思いこんでいたが、周囲の会話から察するに、彼はこの国の公爵であるらしい。
「マドイ殿下はオンベルト様がマロン様に危害を加えることを予感し、マロン様のご自宅に見張りを置かれていたのでございます。その見張りから知らせを受け、こうして我々が馳せ参じた次第であります」
よく分からないが、マドイはオンベルトがマロンに暴挙に出る事を何らかの方法で予想していたらしい。
きっとラーニャが無茶をしなくても、じきに助けは来たのであろう。
昨日今日とマロンの家の周囲をうろついていた男たちは、マドイの置いた見張りだったのだ。
「……オレ、何か無駄なことしたかもなぁ」
「いいや坊主――いや、娘さんか。お前さんのしたことは無駄じゃなかったと思うぞ。少なくともマロンが怯える時間が減ったではないか」
「爺さん、ほんとゾッコンだな」
「うむ。しかし初級魔法を応用して敵を捕らえるとは、なかなかの機転じゃないか」
アルベルトはどさくさにまぎれてマロンの肩を抱きながら、感心したように頷いた。
「最初金を私に返したことも立派だし、マロンから情報を聞き出した手段も見事だ。そして今の勇気と機転、お前さん、なかなかの器だな」
「いやぁ。それほどでも」
「そうだ。お前さん、私の養子にならんか?」
突然の申し出にラーニャは目玉をひん剥いて驚いた。
だがアルベルトは平然とした様子である。
そもそも孫に酷い目に遭わされたというのに取り乱したそぶり一つないのだから、彼こそ並みの器ではないだろう。
「な、何言ってんだよ爺さん。アンタ公爵様だろ?」
「私の正体を知っても媚びない所も評価が高いぞ」
「いや、でも……」
「公爵家の後取りがこの様だ。コイツに後を継がせるぐらいなら、見込んだ人物を養子にする方がマシだ」
アルベルトは騎士団に捕らえられたオンベルトを見下ろす。
まさかマドイの手の者に捕まると思ってはいなかったのだろう、オンベルトの顔色は紙のように真っ白であった。
震えるオンベルトに向かって、アルベルトは怒りを滲ませた声で言う。
「確かに私は今まで目的のためには手段を選ばなかったが……人の命を粗末にしたことなど一つもないぞ」
「しかし貴族というのは謀略をめぐらしてこそ――」
「大馬鹿者! 貴様のしたことは謀略ではなくただの行き当たりばったりだ」
いくらアルベルトでも実の孫の愚かさが堪えたのだろう。
彼は口を真一文字に惹き結んで、いつまでもオンベルトを眺めていた。
*
ラーニャが騎士団と共に外へ出ると、家の前ではマドイが自分の馬車を連れて立っていた。
彼はラーニャの顔を見るなり大げさに驚く。
「ラーニャ! なぜ貴女がこんな所に!?」
「なりゆきでよぉ。成り金爺さんが実は公爵で、その公爵の片思いの相手を公爵の孫が殺そうとして、公爵の孫は実はオレのことも狙ってて……何だかもうよく分からねぇ」
「その顔は――?」
「オンベルトにやられた。マドイを呼び捨てにするなって」
マドイはそれを聞くなり真顔になって、連行途中のオンベルトに歩み寄った。
オンベルトは表情を無くしたマドイを見て、顔を引きつらせる。
「マドイ殿下……どうしてここに……」
「貴族社会の考え方こそ至上とする貴方のことです。邪魔な相手に手を出すことくらい簡単に予想できる。しかし、まさかラーニャまで狙っていたとはね」
「それは殿下! 私は貴方のためを思って……」
「私のためを?」
「はい。貴方はあの売女に騙されているんです。早く平民女のことなんて忘れて目をお覚ましに――」
だがオンベルトの言葉は最後まで続かなかった。
マドイが彼の頬を思い切り殴り飛ばしたからである。
かなり勢いをつけて殴ったらしく、オンベルトはうめき声と共に地面の上に転がった。
「なっ、何してんだよマドイ! 何もオメーが殴ることないだろ!?」
「私だって大切な人を侮辱されたら怒りますよ」
「大切な人……?」
ラーニャが首をかしげると、マドイはびくりと震えて顔を引きつらせた。
「た、大切な人とは――大切な人材。つまり大切な部下ということです!」
「何怒鳴ってんだよ」
「部下をけなされるということは、その部下を選んだ私をけなされるということですからね。怒りますよ」
「ふーん」
納得したようなしないような、ラーニャは曖昧な返事を返す。
きっとプライドの高いマドイのことだから、自分の部下をけなされることは許せないのだろう。
もう今の会話を忘れかけたラーニャをよそに、マドイはなぜかゴーレムのようにぎこちない動きでこちらに寄ってくると、彼女の肩をむんずと掴んだ。
「けっ、怪我をしてますね。城で手当てしましょう」
「平気だよこんなもん。冷やしときゃ治る」
「お黙り! 大人しく馬車に乗りなさい!」
(あーあ。またヒスってんよ)
こうなったマドイには逆らわないに限る。
しかし最近、彼は少々情緒的に不安定な気がする。
更年期障害だろうか。
(若年性もあるし……って、コイツ男か)
なら他に精神的な問題があるのではなかろうか。
ただでさえ責任が大きい大臣職にいる上に、彼は王族の一員なのだ。
きっと計り知れない精神的負担を抱えているのだろう。
(……もう少し優しくしといてやるか)
ラーニャはぐいぐいと押しやってくるマドイを見ながら、大人しく馬車に乗り込んだ。