愛の力編5 熱血爺さんと不穏な影
今日もラーニャは魔導庁の庭で延々と岩を砂に変え続けていた。
呪文を詠唱すれば簡単にできるのだが、全く無詠唱となるとやはり難しい。
こんな面白みのない魔法、さっさと終わらせてしまいたいのだが、完全に無詠唱で魔法を成功させないと次の段階に進むことは許されなかった。
「マドイのヤロー。いいじゃねーか詠唱ありでも」
早く派手な魔法を覚えたい。
ラーニャの苛立ちは独り言となって外に吐き出された。
「だいたいアイツ、いちいちぶつぶつ言いやがって。口答えすると切れるし。男のクセにヒステリーってなんなんだよ」
「貴女が素直なら、私もいちいち怒らないですむんですがね」
背後から聞こえてきた艶のある美声に、ラーニャは文字通り飛びあがった。
心臓が大暴れし、頭に血が上って顔が熱くなる。
尻尾は垂直に上がったまま三倍に膨れ上がっていた。
「なっななな。マドイ! い、いつからそこにいたんだよ!?」
「『マドイのヤロー』からずっと」
「急に出てくんじゃねーよ! 心臓に悪いだろ!!」
ラーニャは逆切れで独り言をごまかそうとしたが、そうは問屋が卸さなかった。
マドイは指先でラーニャの猫耳の先端を掴むと、軽く引っ張り上げる。
「で、貴女。私のどこがヒステリーだと言うんです」
「そ、それは……」
「早く言いなさい!」
「ほらそういうとこだよ。ちょっとは落ち着けよ」
「……!」
そのあとラーニャは猫耳が痛くなるほど説教を食らわされた。
あれだけ怒られると、よくこんなに怒ることがあるもんだと逆に感心してしまうくらいである。
(オレに怒る暇あるなら仕事しろよ。あの野郎)
ブツクサ文句を言いながら、ラーニャは魔導庁を後にする。
下宿に向かってしばらく歩くと、マロンの家の前に差し掛かった。
あれからアルベルトは、毎日朝から晩までマロンの家の前で待っている。
六十過ぎだろうに腰掛けもせず、家の前に立ち続けているのだ。
だが相変わらずマロンは彼を受け入れてはくれないようで、今日もアルベルトは家の前で贈り物の山と一緒にいた。
「おい爺さん、今日でもう一週間だろ。まだやってんのか」
「ああ。私は彼女が会ってくれるまでここにいるぞ」
ラーニャは彼の根性と体力に拍手を送りたくなった。
「よくやるねぇ、アンタも」
ラーニャはマロンの家の方を見やる。
だが彼女の家の影に怪しげな男が数名いるのが見え、首をかしげた。
男たちはラーニャの視線に気付くと、音もなく散らばって人ごみにまぎれる。
「アイツら、爺さんの知り合いか?」
「……いや」
「気をつけた方がいいぞ。ただでさえ爺さん金持ちなんだからな」
しかしその次の日も、アルベルトは懲りることなくマロンの自宅前にいた。
何があっても、彼女の家に通うことはやめないらしい。
「爺さんいい加減にしろよ。誘拐されても知らないぞ」
怪しげな男たちは、今日もマロンの自宅近くで張っていた。
できるなら捕まえたいが、昨日の様子からすると、捕まえる前に巧みに逃げてしまうだろう。
「アイツら、オレの勘だと多分プロだぜ」
「大丈夫だ。私の召使は護衛もかねている。とても腕の立つ男だよ」
アルベルトは得意げに笑ったが、次の瞬間よろめいて地面に崩れ落ちた。
「大丈夫か、爺さん!?」
「何……ちょっとした立ち眩みだ」
「ちょっ、顔色悪いぞ。早く休まないと」
アルベルトはここ一週間、外で一日中立ちっぱなしだったのだ。
年齢を差し引いて考えても、具合が悪くなるのは無理もない。
おそらく大事無いだろうが、何せ年寄りだから、早く休ませて医者を呼ばないと後が怖かった。
「オレ、ちょっと行ってくるよ!」
ラーニャはマロンの家の前まで行くと、乱暴に扉を叩いた。
「マロンさん、開けてください! 爺さ、アルベルトさんが倒れたんです! 休ませて早く医者を呼ばないと。家を貸して下さい!!」
ラーニャが何度か同じ文句を繰り返すと、マロンが血相を変えて飛び出して来た。
外で倒れているアルベルトを見て、さらに顔色を青くする。
「大変! 公爵様が!!」
「こーしゃく?」
「いいわ! 早く家へ運んで」
アルベルトは連れてきていた護衛兼召使の男によって、念願のマロンの自宅へ運び込まれた。
石造りの小さな家だったが、綺麗に片付けられているせいで窮屈さは感じられない。
ところどころにある落書きは、彼女の孫が書いたものか。
寝室は二階なので、アルベルトはとりあえず居間のソファーの上に寝かされる。
彼はぐったりと横たわりながらも、薄目を開けてマロンに熱い視線を送っていた。
「マロンよ……。変わってないな」
「何をおっしゃるんですか。 四十年ぶりだと言うのに」
「家の者は?」
「息子と嫁は二人とも仕事。孫は友達の家です」
アルベルトはまだ何か言おうとしていたが、ラーニャがそれに待ったをかける。
「話したい気持ちも分かるけど、今は医者が先だろ。オレが呼んでくるから」
ラーニャは居間を出ようと立ち上がった。
だが廊下への扉を開けようとしたところで、後ろから小さな悲鳴が上がった。
怪訝に思って振り返ると、何と召使がマロンの首にナイフを突きつけている。
「この女を死なせたくないなら、二人とも大人しくしろ」
召使の豹変に、アルベルトは今倒れたにもかかわらず、勢いよく体を起こした。
「これは一体どういうことだ!」
「アルベルト公。申し訳ありませんが、これはオンベルト様の命令です」
「オンベルトが――?」
アルベルトはオンベルトという名に、聞き覚えがあるらしい。
ラーニャには誰だかさっぱりだが、まずい状況なのは確かだ。
「二人とも、そこの椅子に座れ。逆らったらこの女を殺すぞ」
護衛をかねているだけあって、召使にはつけいる隙がない。
人質を取られている以上、ラーニャは彼の言う事を聞くしかなかった。
本当は倒れた人をむやみに動かすのはいけないそうです。
救急車を呼びましょう。
ラーニャの世界にはそんなもの無いので仕方ないですが。