愛の力編4 旧友の変貌
公爵家の後取りであるオンベルト・ロキシールは、実に一年ぶりにマドイの元を尋ねた。
学生時代は少ない飛び級仲間として毎日のように顔を合わせていたが、互いに公務に励むようになってからは半年に一回会えればいい方であった。
気安い仲だったとはいえ、相手は王子である。
部屋に通されるとオンベルトは深く腰を折った。
「堅苦しい挨拶はいりませんよ。一緒に勉学に励んだ仲ではありませんか」
久しぶりに会ったマドイには、相変わらず艶めいた美しさがあった。
学生の頃から彼は女性だけでなく、一部の男性からも熱い支持を受けている。
「そうおっしゃっていただけると、私としても気が楽になりますよ」
「今日は私に頼みごとがあるとのことですが、どうかしましたか?」
マドイに尋ねられて、オンベルトは唇をかんだ。
いくら古い友人相手でも、身内の恥をさらすとなるとやはりためらわれる。
だがオンベルトは覚悟を決めると、低い声で言った。
「実は、私の祖父アルベルトのことで頼みがあるのです」
「アルベルト公? あの鉄の男と呼ばれた?」
オンベルトは無言で頷いた。
オンベルトの祖父、アルベルトは、傾きつつあった公爵家を一代で復興させた人物である。
一度決めたことは絶対に曲げず、目的のためなら手段を問わない冷酷さから「鉄の男」と呼ばれ畏怖されていた。
オンベルトはアルベルトを心の底から尊敬していたが、そんな祖父に異変が起こったのが約半年前。
「祖父は今、若い頃の恋人だった、元メイドに入れあげています。大量の贈り物を持たせた召使を引き連れ、女の家の前まで押しかけ、一日中女を待っているのです」
「おやまぁ」
「いくら一線を退いたとはいえ、祖父は公爵家の人間。しかも『鉄の男』と呼ばれた男が、平民の老女に入れあげるなどいい恥さらしです」
オンベルトは言い終わると同時に、先程よりも深く頭を下げた。
「お願いです殿下! 私と一緒に祖父にみっともない真似はやめるよう、一緒に説得していただけませんか」
今日までオンベルトは何度もアルベルトを説得しようとしたが、一度決めた彼が孫の言う事など聞くはずがなかった。
現公爵の父はアルベルトを恐れているため何も言えず、家中に彼を諌められる者は誰もいない。
しかしいくらアルベルトとはいえ、王子かつ魔導大臣のマドイに説得されたら行動を控えざるを得ないだろう。
オンベルトは血統と身分を重んじるマドイなら、必ず協力してくれるだろうと踏んでいた。
だが頭を下げたまま様子を伺うと、彼はきょとんとした顔で首をかしげている。
「別にいいじゃありませんか。止めなくても」
ありえないマドイの答えに、オンベルトは信じられない思いで頭を上げた。
「とっ、止めなくていいとは一体なぜ……」
「だって別にいいじゃありませんか。アルベルト公はもう隠居の身。今まで家に尽くした彼の好きにさせて何がいけないのです」
「しかし――! 相手は平民女ですよ! 」
「平民だろうが貴族だろうが、恋とは身分差も年齢差も関係無いものなのですよ」
すがりつくようなオンベルトに、マドイはあやすような微笑を向けた。
今までのマドイからは見たことがない笑い方である。
以前はもっと含んだような笑みを浮かべていたのに。
「今回の件は、残念ながら力を貸すことは出来ません。私はアルベルト公の恋を応援します」
「殿下! 貴方は平民に入れあげる祖父の味方をするのですか? 以前の貴方からは考えられません」
「たしかに、以前の私からは考えられませんね」
以前のマドイは、町や村でのんべんだらりと暮らす平民を愚かだと軽蔑していた。
日々の生活しか考えられない平民は取るに足らないものだと、よくオンベルトと意気投合していた。
それなのにだ。
非難がましくオンベルトがマドイを見ると、彼は苦笑する。
「しかし私は平民に――それも貧しい出稼ぎ娘に救われましたからね」
マドイは照れるように銀糸の髪を指先に巻きつけていた。
彼がローレに騙され窮地に陥ったところを、乱入した小娘に救われた事はオンベルトも良く知っている。
「その出稼ぎ娘が、貴方をたぶらかしたのですか」
「たぶらかしたとは随分人聞きの悪い。彼女は何もしていませんよ。ただ、私に生き方を見せただけで」
マドイはオンベルトから視線を外すと、窓の外に目をやった。
「私は彼女を見ていると、身分や血統など取るに足らないものだと思えてくる。私は彼女に出会えて本当に幸せです」
「彼女」を語るマドイの顔は、元恋人のことを語る祖父の顔と酷似していた。
穏やかで幸せそうで満足そうな顔。
「ある感情」に囚われた者だけが浮かべる表情だ。
発する言葉には必ず裏があり、常に他人の隙をうかがっていた頃のマドイの鋭い面影は、最早どこにもなかった。
オンベルトの目の前にいるのは第二王子ではなく、そこらへんを歩いている平民と同じ、ただの腑抜けた人間だった。
人の裏をかいて生きる王侯貴族の見本ような友人は、一体どこに行ってしまったのだろうか。
「マドイ殿下――貴方はお変わりになられた」
「そうですね。でも、私は今の自分の方が好きです」
にっこりと笑うマドイから目をそらし、オンベルトは彼の部屋を後にした。
尊敬すべき冷徹な祖父。
価値観の合った誇り高き友人。
彼らは平民によって、取るに足りない平民女によって、堕落してしまった。
やがて祖父と公爵家は貴族社会から後ろ指を指され、マドイは友人としての利益をオンベルトにもたらさなくなるだろう。
(早く手を打たなければならない)
元凶は祖父の場合もマドイの場合も、たった一人の平民女である。
どっぷり冷酷な貴族社会に染まったオンベルトにとって、邪魔者は消すという発想は極自然に出てきた。