愛の力編3 ラーニャのスパイ作戦
翌日ラーニャの考えた作戦は実行された。
用意したのは、ハンチング帽と牛乳瓶一本。
ラーニャは目深に帽子をかぶると、牛乳瓶片手にマロンの家の戸を叩いた。
「はいどちら様?」
静かな声と共に、白髪を団子がたに結わえた女性が顔を出した。
少しふくよかだが色の白い、上品そうな女性だ。
彼女がマロンで間違いないだろう。
ラーニャは彼女の姿を確認すると、淀むことなく言った。
「すみません。今日オレ、朝お宅に牛乳届けるの忘れちゃったみたいで」
堂々と牛乳瓶をマロンに向かって差し出す。
彼女は「おかしいわねぇ」と言いながら首をかしげた。
「私の家は牛乳なんて取っていないわよ」
「あっれ~? ここじゃなかったかなぁ。すいません、オレ新入りなんで」
ラーニャはわざとらしく頭を掻いた。
そしていかにも今気付いたかのように、今日も贈り物を抱えて家の前に佇むアルベルトを見やる。
ラーニャは大げさに眉をしかめると、ひそひそ声でマロンに言った。
「そういえばおばさん、あそこにずっと変な人が立ってるんだけど。――確か朝の配達の時にもいたし、変質者じゃないかな?」
「……どうかしら」
「あっアイツ、おばさんのこと見てる。ヤバイよ、ストーカーだ。オレ、警備隊の人呼んで来るね」
ラーニャが駆け出そうとすると、マロンが「待って」と声を荒げた。
内心しめたと思いながらラーニャは振り返る。
「どうしたのおばさん。警備隊呼ばなくていいの?」
「ごめんなさい。実はね、あの方は知り合いなのよ」
「ええっ? 知り合いだってぇ!?」
わざとらしいくらいに驚くと、ラーニャは彼女に矢継ぎ早に質問した。
考える時間を与えない方が、真意に近い答えを引き出すことが出来る。
「知り合いなら、なんで家に入れてあげないんスか。あの人、なんかおばさんのこと待ってるみたいだよ?」
「それは分かっているのだけど、なかなか会う勇気が出なくて」
「勇気?」
「あの方は雲の上のお方なの。それに私は昔彼を信じなかったことがあって――」
途中まで言いかけて、マロンは口を閉ざした。
苦笑いしながら開け放っていた扉を半分閉める。
「ごめんなさい。何を言ってるのかしらね、私。とにかくあそこにいる方のことは大丈夫だから。心配してくれてありがとう」
にこやかに笑いながら、彼女は完全に扉を閉ざした。
今ラーニャが聞ける事はこれで全部だろう。
完全ではないが、思ったより彼女の気持ちを知ることが出来た。
ラーニャは打ち合わせどおり、マロンの家から離れた所でアルベルトと落ちあうと、彼女から聞いた事を告げた。
「マロンさん、爺さんが待ってることは分かってるけど、会う勇気がないって言ってた。あと爺さんは雲の上の人で、それから自分は昔爺さんを信じなかったことがあったって」
「……そうか」
「多分マロンさん、爺さんに捨てられたことがウソだったって、どっかで知ったんだろうな。あとやっぱり身分違いを気にしてるみたいだ」
「そうか……」
アルベルトは街角のベンチに腰をかけ、がっくりうなだれていた。
あまり良かったとはいえない彼女の答えに、落ち込んでしまったのだろう。
いくらかつて愛し合った仲とはいえ、四十年余りの月日は長すぎる。
「勇気が出ないというのか……」
しんみりアルベルトは呟いたが、次の瞬間何を思ったのか勢いよく立ち上がった。
手にしていた黒い杖を振り回し、勇みながら叫ぶ。
「そうかっ! 勇気が出ないなら、彼女が勇気を出さなくてもいいほど私の想いを伝えればいいのだ!!」
「なっ……。爺さんアンタ何を」
「勇気を出さなければならんのは、マロンが不安だからなのだ。私のこの熱い想いを知れば、彼女の不安などかなたに吹き飛ぶはず――!」
ラーニャはあっけに取られ、口を開けたまま停止した。
この爺さん、彼女の気持ちを聞いて諦めるどころかさらに燃え上がるなんて、前向きすぎる。
「よし、決めたぞ坊主。私は明日から朝から晩まで彼女の家の前に行く。そして愛を伝え続けるのだ」
「ちょっ、爺さんそれは……」
「彼女は私を拒んだわけではないのだろう? なら大丈夫だ」
(大丈夫なのか……?)
この一旦火が付いたら止まらない性格。
だからこそ社会的に成功したのかもしれないが、一緒にいると迷惑をこうむることも多そうである。
「くれぐれも警備隊に通報されるなよ」
「大丈夫だ。なんせ私は――」
アルベルトははっとして口を噤む。
怪訝に思ったが、彼は話題を変えるようにラーニャの肩を勢いよく叩いた。
ラーニャはむせながら彼を睨んだが、ご機嫌な彼はそんなことお構いなしである。
「しかし坊主。お前もやるじゃないか。牛乳配達のふりをして情報を聞き出すとは、密偵顔負けだな」
「いやぁ……」
「ほら、これを取っておけ」
アルベルトはいつか突き返した金貨入りの小袋を手渡す。
「だーかーらっ、いらないってばっ」
再びラーニャが突き返しても、彼は笑ってごまかすばかりだった。