泥かぶり編6 思考がおブスちゃん
結局ラーニャは王都に戻るまで宿屋に泊まり、再び実家に立ち寄ることは無かった。
もちろん母親ともあれから会っていない。
村から出るときも妹と弟は見送りに来たが、ラニーニャは来なかった。
本当はこちらが折れるべきだったのかもしれないが、自分をひどく傷つけた母親に謝れるほど、ラーニャはまだ大人ではなかった。
母も父が生きていた頃は、あんな風に親族の男たちと迎合することは無かったのだ。
気が弱い彼女なりに、ラーニャのことを庇ってくれた気がする。
だが強かったラーガが死に、ラーニャが出稼ぎに行き、ラニーニャも段々と彼らの色に染まってしまったのだろう。
――あんたももう少し可愛く生まれていれば。
母の言葉が気にかかり、ラーニャは帰ってから今までほとんど見なかった鏡を見ることが増えた。
目をそむけたくなるような酷い顔立ちではないが、大きな目は釣り上がり気味で、鼻はつんと尖っている。
眉も女の子にしては太めで意思が強そうな感じだし、なるほど確かに可愛げのない顔だった。
肌も乾燥してがさがさしていて、女の子らしい柔らかさなど欠片も感じられない。
(こりゃ、たしかに魔法使いが来ない泥かぶりかもな)
今は魔導庁にいられるからいいが、王都で結婚でもしない限り、いつかは故郷に帰ることになる。
そうしたら近所には「男勝り」と罵られ、母親には「行き遅れ」と泣かれるのだろう。
考えるだけでもうんざりだった。
(オレ、本当はどうしようもない女なのかも)
故郷に帰ってからというもの、ラーニャは実に憂鬱な気分で毎日を過ごしていた。
自分への自信が揺らぎ、いつものはちゃめちゃな元気さもなくなってくる。
ミカエルはもちろん、精霊局のみんなにも心配されたが、この悩みを解決する糸口はなかなか見つからなかった。
そんなある日、ラーニャは久しぶりにマドイに呼び出された。
大臣室を訪ねると、まず彼は嫌味たっぷりな笑顔をこちらに向ける。
「こんにちはラーニャ。私が寝る間もなく仕事に追われてんてこ舞いしているときに、堂々と休暇を取って行ってきた故郷はいかがでしたか?」
「……別になんとも」
「おやまぁ。私が不眠不休で頑張っている間に帰った故郷は、そんなに安らげなかったんですか?」
「……何が言いたいんだよ」
故郷に帰ってから元気が無いのを知っていてこの言い草である。
だが嫌味な笑顔でも妖艶で美しいのが悔しい。
「まぁ、何があったのかは大体知ってますけどね。ミカエルに聞きましたから」
「ミカエルから?」
「ええ。詳しく」
マドイが色気のあるゆったりとした動作で奥の部屋を見やると、なんとそこからミカエルが出てきた。
いくら関係が改善されたとはいえ、仕事中の兄の部屋に一体何の用だろうか。
「おいっ。どうしてミカエルがこんなとこにいんだよ」
「あのね、ボク、これから兄上にラーニャを綺麗にしてもらうつもりで来たの」
ラーニャが眉を八の字にして首をかしげると、ミカエルは焦ったように続けた。
「だってブスだの何だの言われたままなんて悔しいでしょ? だからボク、兄上に頼んだんだ。ラーニャを綺麗にしてあげてって」
「ちょ、なんでそこでマドイが出てくるんだよ」
「兄上は男なのにやたら綺麗だから、そういうの得意だと思って」
ミカエルに言われて、マドイは得意げに鼻を鳴らした。
確かに彼の顔立ちは怖いくらいに整っていて、男の癖に婀娜っぽくて大層美しい。
肌は白く、陶器のように滑らかで、髪は常に銀糸のように煌いている。
元が良いのはもちろんだろうが、日頃何も手入れしていないとは考えられなかった。
「なるほど。それでマドイに……」
「うん。兄上に手伝ってもらえば、ラーニャもきっと綺麗になるよ」
ミカエルはニコニコ顔だったが、ラーニャはつい顔をそらした。
好意は有難いが、それが逆に心に痛い。
「気持ちは有難いけど、オレは別に何もしてもらわなくていいよ」
「え? どうして?」
「勉強とか運動ならまだしもさ、顔って生まれ付きが大きいだろ。オレなんかにどうにかしたって、たかが知れてるよ」
いくら努力したって、顔立ちまでは変えられないのだ。
どんなに頑張ったってラーニャの目は釣り目のままだし、男顔なのも変わらない。
「ちょっとお洒落したって、どうせ大して変わんないよ。金と時間の無駄さ。気ぃ使ってくれてありがとな」
ラーニャがその場を立ち去ろうとすると、マドイがぼそりと呟いた。
「このおブス」
ラーニャが振り返ると、マドイは柳眉を眉間に寄せてこちらを睨んでいた。
「このおブス。そんなんだからいつまでもおブスのままなんですよ」
「え? なんだよいきなり」
「一切努力もしないうちから諦めるなんて、美容をナメてるんじゃありません? 貴女、見た目より何より思考がおブスちゃんじゃなくて?」
ラーニャとミカエルは、思わず顔を見合わせた。
何がきっかけか知らないが、ラーニャはマドイの得体の知れないスイッチを押してしまったらしい。
「思考がおブスちゃんって、何なんだそのセリフ」
「何なんだも何も、そのままの意味です。大体貴女悔しくないんですか? 親戚どころか母親にまで馬鹿にされて」
「そりゃ悔しいけど……」
「けど何です? どうせ無駄だから諦めるとでも? 根性無いのもいい加減におし!」
マドイは勢いよく立ち上がると、つかつかとラーニャに歩み寄った。
目の前まで来ると、その手入れされた指先で彼女の頬を思い切り掴む。
彼は頬の感触を確かめながら、苦い顔をした。
「何ですかこのお肌。十四歳とは思えません。どうせ保湿も何もして無いんでしょう? 嗚呼嘆かわしい」
次にマドイはラーニャの髪を鷲掴みにする。
彼のあまりの迫力に、ラーニャは抵抗するのを忘れ、されるがままにされていた。
「それからこの髪! 何で洗っているんですか? 艶もコシも全然無いじゃありませんか。 貴女、こんなんで女十四年もやってきたんですか」
「いや、そう言われましても」
「いいですか、髪というのは水分と油分のバランスと――ホント貴女有り得ませんね」
マドイはこれでもかと言うほど、紫の瞳でラーニャの全身を舐めまわした。
そして何かを思い立ったかのように立ち上がると、一つ手を叩く。
「よろしい。私この腕にかけて、貴女を一から磨き上げてみせます」
「えっ。いいよそんなことしなくて」
「お黙りなさい。貴女に拒否権などありません。これは命令です!」
曲がりなりにも、マドイは上司でしかも王子である。
(おいおい、どーなるんだよオレ……)
とんでもないことになってしまったと、ラーニャは鼻息を荒くするマドイの横で肩を落とした。