泥かぶり編5 かーちゃんの大馬鹿野郎
大変な勘違いをされたとラーニャは思った。
確かに十四歳と十二歳が婚約することは、マオ族の中では珍しくない。
しかし本人に確かめもせず、いきなり婚約したのだと思うことはいかがなものか。
「しかも周りに言って回るって、どういうことだよ」
「だって、お母さん悔しかったんだもの」
両手で涙を拭いながら、ラニーニャがこちらを上目遣いで見やる。
昔から思っていたことだが、彼女は年齢のわりに少女っぽい所があった。
「悔しかったって、何が?」
「だって兄さんたら、ナータが村長の息子と婚約したって自慢するから。これで鼻が明かせると思って」
ラーニャは呆れてため息をついた。
自慢されたのが悔しかったからと仕返しに自慢するなんて、つくづく子供のような母親である。
うんと年上の父と結婚して、甘やかされていたせいもあるかも知れない。
(だからってなぁ……)
困ったラーニャが頭を掻いていると、今まで面白くない顔をしていたナータがけらけらと笑い出した。
「やっぱりね。ラーニャなんかが金持ちに見初められるなんて、そんなわけないじゃない。心配して損した」
ナータが大げさに肩をすくめると、それに釣られて親族の男たちも笑い出した。
いい気になったのか、彼女は口をゆがめてさらに舌鋒を鋭くする。
「勘違いするなんて、叔母さんも間抜けよねぇ。こんな小汚いブスじゃ、金持ちどころか結婚すら無理なんじゃないの」
「そうだそうだ」と、ナータの悪口を男共が囃し立てた。
ラーニャが小さい頃から、親戚の男たちは可愛いナータの味方である。
何かにつけて彼女をひいきし、代わりにラーニャを貶めるのだ。
「きつい目つきしてよぉ。愛矯の欠片もありゃしねぇ」
「もう大人の癖して色気もへったくれもない。ナータを少しは見習ったらどうだ」
心無い野次を飛ばしながら、男たちは楽しそうに笑っていた。
王都に出稼ぎに出て、種族を理由に様々な罵倒を受けてきたラーニャだったが、これには少々胸が痛む。
じっと佇んでいると、伯父が酒臭い息を撒き散らしながら嬉しそうに言った。
「友達連れてくるなんて、恋人の一人もいないんだろ? え?」
彼のいやらしい笑顔を見て、ラーニャは思わず顔をそらした。
「行き遅れ決定だな。独身ババァになっても、ナータに迷惑かけないでくれよ」
杯をあおりながら、伯父は「魔法使いの来ない泥かぶりが」と呟いた。
似たような台詞を、同じく彼から聞いたことがある。
あの時は悲しくて一人で外に飛び出したが、いまは追いかけてきてくれる父親はいない。
(とーちゃん……)
身寄りの無い、天涯孤独のラーガだったが、ラーニャにとっては誰よりも頼れる存在だった。
今も生きていたら、心無い親族たちを叱り飛ばしてくれただろうか。
「ラーニャになんてこと言うんだ!」
ふと父の声が聞こえた気がして、ラーニャは顔を上げた。
そこには、もちろんラーガの姿は無い。
伯父を殴り飛ばすミカエルの姿があるだけだ。
(――って、え?)
驚いて二度見すると、確かにミカエルは伯父をムチャクチャに殴っていた。
ミカエルだけではなく、アーサーまでもが親戚に飛びかかっている。
「おい! お前ら何やってんだ!」
「このバカなオジさんたちをやっつけてるだけだよっ!」
ミカエルは顔を真っ赤にしながら、伯父に殴りかかっていた。
体格差はあるが、そこは本物の修行を受けている一国の王子である。
みるみる伯父を部屋の隅に追い詰めていた。
「早くラーニャに謝ってよっ。ラーニャはオジさんみたいなハゲ猫と違って、とっても偉いんだから!」
「何しやがる。よそ者が!」
「よそ者だろうと関係ないよ! ボクはラーニャの友達なんだっ。友達がバカにされてるのを黙って見てらんないんだよっ」
(ミカエル……アーサー……)
ラーニャは言葉に詰まって、何も言えなくなってしまった。
だがすぐに意を決すると、二人と親戚の間に割って入る。
「やいコラ親戚のクソジジィ共! お前ら今すぐオレの家から出てけ」
親戚たちは不平そうな顔をしたが、ラーニャは一歩も引かなかった。
「ここはオレの家だ。とーちゃんが死んで、オレが稼いでるからオレが主人だ。だから出て行きやがれ‼」
ラーニャの鋭い眼光に何も言えなくなったのだろう、親戚たちはしぶしぶ家から出て行った。
ナータは最後まで憎まれ口を叩いていたが、この際聞き流すことにする。
親戚たちが全員いなくなると、ラーニャはミカエルとアーサーに向き直った。
「二人ともありがとう。迷惑かけちまった」
「いいよっ。ボクも兄上に詰めよられたとき、ラーニャに助けてもらったし」
「私は主人の恩人に、当然のことをしたまでです」
三人の間に爽やかな笑いが広がる。
しかし傍にいたラーニーニャは眉間に皺を寄せると、ラーニャに向かって大声で怒鳴った。
「アンタ、オジさんたちになんてことしてくれたのよ!」
母の言っていることが分からず、ラーニャは思わずミカエルたちと顔を見合わせた。
「なんてことって、オレぁ当然のことしたまでだよ」
「何が当然のことなの。あんなことして。アンタはまた出稼ぎに行くからいいだろうけど、アタシはずっとここに住むのよ?」
黒い瞳で睨んでくるラニーニャを見て、ラーニャは尻尾を左右に動かした。
彼女はどうやら本気でラーニャのことを咎めているらしい。
「じゃあ、どうすりゃ良かったっていうんだ」
「我慢してれば良かったじゃない。そうすりゃ丸く収まったのに」
これにはさすがにラーニャも唖然としてしまった。
まさか実の母親に殴られ役になれと言われる日が来るとは、悲しさを通り越して空しさを覚えてしまう。
「じゃあカーチャンは、オレがボロクソに言われてるの見てても平気なのかよ!」
「だって、兄さんたちが言うことにも一理あるじゃない。アンタはいつも薄汚いし、可愛げもない。結婚考えてる相手もいないんでしょ。このままじゃ行かず後家決定じゃない。恥ずかしい」
「――母さん。アンタ……」
「いくら魔導庁に勤めているといってもね、一生そこにいるわけにもいかないんだから。ああ、アンタももう少し可愛く生まれてれば――」
彼女の暴言に対して、ラーニャは何も言わなかった。
その代わりに無言のままラーニャは家を飛び出す。
(かーちゃんの大バカヤロウ!!)
もはや家に戻る気はしなかった。
家族のために頑張って働いて、一年ぶりに帰ってきたというのになんて仕打ちだろう。
後から妹が呼び止める声が聞こえたが、ラーニャは走るのをやめなかった。