王宮殴りこみ編3 直訴ならオレがする
ラーニャたちが助けた若者の名はイルクといった。
高すぎる税金を不審に思った彼はひそかに仲間を集い、伯爵の屋敷で下働きをしながら横領の証拠を探していたという。
だが数年による張りこみのかいあって、横領の証拠となる帳簿を見つけたのはいいが、すぐに伯爵にばれ、追っ手がかかってしまった。
「一緒にいた仲間は、全て途中で殺されてしまったんだ」
やはり彼を追っていたのは暴力のプロ――殺し屋だったようだ。
ラーニャたちが助けに入らなかったら、確実に殺されていただろう。
「それでアンタ、証拠の帳簿を持ってこれからどうすんだ?」
「俺はこの帳簿を持って国王陛下に直訴するつもりだ」
「直訴だって!?」
直訴をすれば命の保証はないことくらい、ラーニャも知っている。
下手すれば訴えを国王に伝える前に兵士に斬り殺されてしまうこともあるのだ。
「オメー死ぬ気かよ!」
「あぁ、もともとそのつもりだったからな。それにこうでもしなけりゃ、死んで行った仲間たちに申し訳が立たん」
イルクの黒い瞳には、強い意思が宿っていた。
だがそれにミハイルの言葉が水をさす。
「でもその足だと、とても直訴なんて無理だと思うよー」
「なんだと」
「さっきは興奮して痛みが麻痺してたみたいだけど、君のスネ、バッチリ折れてるもん」
彼の言うとおり、イルクの足はズボン越しでも分かるほどおかしな方向に曲がっていた。
この怪我では王に直訴するどころか、外を歩くこともままならない。
「治るまで待てんのか?」
「いや、伯爵の雇った追っ手だ。じきにここを突き止めるだろう」
ラーニャはイルクの折れた足をまじまじと眺めると、その猫そっくりの耳を二三度上下された。
「その証拠、直訴したらどうなると思う?」
「現国王陛下は不正には厳しいお方だ。少なくとも伯爵は罷免されるだろう」
「アーサーはどう思う?」
「彼の言うとおり、当然罷免されるでしょうね。内容によっては爵位を剥奪される可能性もあります」
「……そうか」
ラーニャは金色の目を閉じると、ゆっくり息をついた。
「ならその証拠、俺が持って行く」
ラーニャの突然の宣言に、他の三人はそれぞれ身を乗り出した。
「何考えてるんだ。死ぬかもしれないんだぞ!」
「それ本気で言ってるんですか!?」
「ラーニャやめてよ。君が行くことないよ!」
イルクは何とか体を起こすと、痣だらけになった腕でラーニャの細い腕を掴んだ。
「お前はまだ若い。みすみす死ぬことはないんだ。考え直せ!」
「若いって……イルクだってまだ若者じゃねーか。大してかわんねーよ」
「だが……っ」
「ガキとはいえオレだってマオ族の端くれだぜ?一族のためになんかさせてくれや」
イルクが押し黙ると、今度はミハイルがラーニャに背後から抱きついた。
背中に顔をうずめて、いやいやと首を振る。
「ダメだよ。ボク絶対ラーニャを行かせたりしないからっ」
「……ミハイル」
「せっかくお友達になったのに、いなくなっちゃうなんて嫌だよっ」
抱きついた格好のままミハイルがすすり泣く。
ラーニャは振り返ると、自分よりも一段低い彼の頭を優しく撫でた。
「ゴメンな、ミハイル。オレ行かなきゃなんねーから」
「どうして君が行かなきゃイケないの?」
「……オレの親父、出稼ぎに行って死んだんだ」
唐突に始まった話にミハイルは泣くのをやめ、薄く笑うラーニャの顔を仰ぎ見た。
「税が重たくて酪農だけじゃ食っていけなくてな。でも出稼ぎに出てもマオ族だから雇ってくれる所なんてほとんどなくて――働けるのは労働条件の悪すぎる鉱山ぐらいだったんだ」
「……」
「向こうは辞めれないの分かってるから危険なことも平気でさせてよぉ。結局親父は落盤で死んだ。一緒に働いてたってやつが骨を届けるついでに教えてくれたよ」
悲しい話をしているのにも関わらず、ラーニャは明るく笑い声を立てると、ミハイルの頭を豪快にはたいた。
「だからよ、オレ、こんな酷い目に会うマオ族の親父や娘がこれ以上出て欲しくないんだ。オレの命一つでそれが出来るなら安いってモンよ」
「ラーニャ、君そこまで……」
「もしオレが死んだら、オレのおふくろに伝えてくんねぇか。テメェのガキはマオ族の英雄だってな!」
ラーニャは「ガッハッハ」と豪快に笑うと、目を見開いたままのイルクに右手を突き出した。
「さぁっ、さっさとその帳簿をよこしな!オレがバッチリ国王陛下に届けてやる」
「しかし……」
「早くしねーと追っ手が来るんだろぉ?とっととしやがれこの野郎!」
「……分かった」
イルクが自分のシャツをめくると、そこには彼の腹に巻き付けられた証拠の帳簿があった。
何重もの油紙に包まれ、たとえ水に落ちても平気なよう工夫されている。
彼とその仲間たちはマオ族のために命をかけてこの帳簿を手に入れ、守ってきたのだ。
ラーニャは彼から証拠の帳簿を受け取ると、同じように腹にしっかりと布で巻きつけた。
これなら命を落とさない限り帳簿を奪われることはないだろう。
「じゃぁ行ってくる」
「待ってラーニャ!」
ミハイルはラーニャを呼び止めると、信じられないことを叫んだ。
「ボクもラーニャと一緒に行く!!」
「は?バッ、な、何言ってんだお前!?」
「ボク王宮の近くに住んでるから、簡単に忍び込める所知ってるんだ。だから連れて行ってよ」
「バカ言ってんじゃねーよ。お前本気か?」
「マジだよ、大マジ」
「どうしてオレのためにそこまで……」
ミハイルは珍しく真剣な顔をすると、今日の青空のような瞳でラーニャの目を見つめた。
「ボクの母上は後妻でね、血が半分しかつながってない兄上が二人いるんだ。でも二番目の兄上がボクのコト大嫌いで――その兄上は父上ほどじゃないけど偉い人だから、巻き添えを食うのをイヤがってボクには誰も寄ってこないんだ」
「なんでぇそのバカ兄貴は」
「寄ってくるのはいても母上の機嫌取りに利用されるばかりでさ。ラーニャみたいに損得関係なく助けてくれる友達なんて今までいなかったんだ」
「……」
「だからボク、君に何かしてあげたいんだよ。君がボクにしてくれたみたいに」
そこまで言って、やっとミハイルはいつものように笑ってみせた。
天真爛漫にみえる彼も、幼いながらに辛い思いをして生きてきたらしい。
そんな彼が抱いた、友達のために何かしてあげたいという気持ち。
たとえラーニャが申し出を断ったとしても彼は決して折れないだろう。
顔こそ笑ってはいるが、ミハイルの目がそう言っていた。
「……分かったよ。でもアーサーがいいって言うのかい?」
「私はミハイル様にどこまでもついて行くだけです」
「……そうか」
ミハイルは友達には恵まれなかったが、侍従には恵まれたらしい。
(コイツらは絶対死なせられねーな)
ラーニャは帳簿を服の上からさすりながら、心の中で呟いた。