英雄退治編15 広がる波紋
英雄グスタフが結婚式に突如乱入してきたマオ族の少女に破れ、花嫁を連れ去られた。
大勢の市民の目の前で起きた衝撃的な事件は、瞬く間に王都中に広まり大きな騒ぎとなった。
なぜマオ族の少女が花嫁を連れ去ったのか。
様々な推測と憶測が飛び交ったが、王室が今回のことについて正式に声明を出したため、事情は新聞を通じて明らかになった。
攫われた花嫁、エリザベスには将来を誓った恋人――近衛騎士団副団長、ギルバートがいたこと。
彼女は彼と汚い手段で引き裂かれ、グスタフと無理やり結婚させられそうになっていたこと。
そしてそれをマオ族の少女を筆頭とする近衛騎士団見習いたちが、身を呈して阻止しようとしたこと。
さらにグスタフとエリザベスの父親が、団長昇格試験前のギルバートに毒を盛り、彼を故意に傷つけたことも明らかにされた。
ロキシエル最後の英雄とされたグスタフの、下劣な画策と情けなさすぎる敗北。
南方の蛮族と呼ばれるマオ族の少女の、正義感と信念に基づく行動。
全てを知った王都の人間たちは、驚くよりも先に戸惑っていた。
我らが英雄が卑劣な行為をし、それを蔑まれているマオ族が正した。
グスタフを敬い、マオ族を卑下している王都の民にとって、それは根本の価値観を揺るがす大事件であった。
*
ギルバートの近衛騎士団団長昇格が正式に決まったらしい。
ラーニャは病室に見舞いに来たミカエルにそう聞かされた。
彼の右腕はほとんど使い物にならないはずだったが、近衛騎士団の団長というのは、剣術の腕よりもまず統率力と人徳が問われるらしい。
たしかに騎士団の長といえど平たく言えば管理職だし、直接国王と接するのだから、人となりが物をいうのは当たり前のことだった。
「命がけで助けたいと思ってくれる部下が二人もいるんだから、人徳は保障されたようなものだよねっ」と、ミカエルは笑っていた。
切られた右腕も、リハビリに耐えればまた動くようになるとのことだし、なにより彼は近いうちにエリザベスと結婚するらしい。
(オレたちの行動も報われたってことか)
リッキーとシンも今回の行動が王家や貴族だけではなく、王都中から賞賛され、近く「準騎士」に昇格するという。
めでたしめでたしといったところだった。
王都は今回の「花嫁強奪事件」のことで大騒ぎになっているらしいが、あいにく王城内の病院にいるラーニャには詳しく聞こえてこない。
自分が事件の当事者だというのに、奇妙な感じであった。
少しは町の様子を見聞きしたいのだが、ラーニャは今、医者の指示で絶対安静を言い渡され、一日中病院のベットに縛り付けられていた。
傷は大したことないのだが、血を失っているため、大人しくしていなければならないのである。
暇つぶしをしたいが、手元にはミカエルが差し入れで持ってきた婦人用漫画雑誌――「嫁姑紛争リターンズ~お前に孫は抱かせない~」しかない。
ラーニャが退屈で気が狂いそうになった頃、彼女の病室をマドイが尋ねて来た。
差し入れのつもりなのか、腕には「蚤でも分かる魔術入門」という教科書を抱えている。
「お元気そうで何よりです、ラーニャ」
「おかげさまで。あんときゃ助かったよ」
横にある椅子に腰掛けたマドイに笑いかけても、彼は整った顔を伏せたままだった。
何を気に病むことがあるのだろうか。
「どうしたんだよ。元気ねーぞ」
「私、今回のことで自分が情けなくなりました」
いきなりの発言に、ラーニャは目を丸くした。
「貴方は理不尽に目をつぶらず立ち上がったというのに、私といえば自分の保身ばかり。私は自分が情けなくて仕方ありません」
「おい、ちょっと待てよ」
「私はできるなら、貴方のような人間になりたいです。自分の身を捨ててでも、目の前の理不尽に全力で立ち向かって行けるような――」
マドイは泣いているような、笑っているような顔をしていた。
艶やかな紫色の瞳は、清潔な床を見つめている。
ラーニャは眉根を寄せてため息をつくと、呆れた口調で言った。
「こりゃ随分と過大評価してくれたもんだね。別にオメーは今のままでいいと思うんだけどな」
「では私に、情けないままでいろと?」
「そういうことじゃねーよ」
彼の強い視線に居心地の悪さを感じながら、ラーニャは短い白髪を乱暴にかきむしった。
しばらく言葉を捜すと、大きな目で彼を見返す。
「あのな、オレがためらい無く突っ走れんのは、オレには何もぶら下がってないからだ。でもマドイは違うだろ? お前には魔導庁の役人とか魔導師とか、もっと言えばロキシエルの国民がぶら下がってんだ」
マドイは王家の人間だ。
彼の背中にはロキシエルの国民という、何に変えても守らなければならない存在がおぶさっている。
「だからさ、考えなしに突っ走るのはオレみたいな下っ端の仕事なんだよ。そりゃ確かに保身に走るのは困るけどさ。お前の仕事は、まずぶら下がっている奴を守ること。だから気にすんな」
ラーニャがにかっと笑いかけると、マドイはいきなりこちらに向かって頭を下げた。
きらめく銀髪が、床に着きそうになる。
「お願いです。私のために魔導庁に戻ってきてください!」
「ちょっ、何言ってんだ! 頭上げろ! お前王子だろ」
「貴方がうんと言うまで上げません!」
本当は病院を出たら、すぐに荷物をまとめて故郷に帰るつもりだった。
だが一国の王子に頭を下げてまで引きとめられたら、留まるざるを得ない。
「分かった。分かったから、頭上げてくれ」
「本当に、戻ってきてくれますか」
「あぁ戻るよ。だからとっとと頭上げろってば」
しつこいほど頼んで、やっとマドイは頭を上げる。
一体何がそこまで彼を動かすのか、ラーニャにはさっぱり分からなかった。
だがここまで自分を必要としてくれる上司の元にいるのは、悪くないかも知れない。
ラーニャはこれから再び始まる魔導庁での生活を考えて、苦笑いしたのだった。
長かった英雄退治編、これで終了です。
ついでに第二部もこれで終わりになります。
皆様ここまで六十六話、付き合っていただいて本当にありがとうございました。
次回からは第三部「泥かぶり編」が始まります。
「英雄退治編」とは逆に、ちょっと女の子らしいラーニャの話です。
真に勝手ですが、引き続きお付き合いの程をお願いいたします。