英雄退治編14 他ならぬ私自身のために
馬で一歩駆け出すたびに、ラーニャの脇腹を激痛が襲った。
かすっただけだと思っていたが、案外傷は深いのかもしれない。
痛みに負けそうな自分を叱咤しながら、ラーニャはリッキーたちの後を追う。
しばらく走っていると、黒い馬二頭に追いかけられているリッキーとシンの姿が見えた。
二人の後ろには、それぞれギルバートとエリザベスが同乗している。
黒い馬はには無骨そうな男たちが、剣を振りかざしながらまたがっていた。
おそらくエリザベスの父親とグスタフによって、あらかじめ用意されていた用心棒だろう。
男二人は馬上のリッキーたちに容赦なく襲いかかっている。
「リッキー、シン。遅くなったな!」
ラーニャの存在に気付いた二人の顔が明るくなる。
「ラーニャ、無事だったのか!?」
「少々手間取ったが、グスタフはもうこねぇよ」
「……まさか、お前英雄を――」
「おしゃべりは後だ。まずはコイツらを撒く」
馬の速さを上げて、ラーニャは追っ手とリッキーたちの間に割り込んだ。
二人には守るべき人間が乗っている。
無茶できるのはラーニャだけだ。
「ここはオレが食い止める! お前らは先に行け!」
男の剣を打ち払いながらラーニャは叫んだ。
この追っ手たち、急所を狙ってくるところから、こちらを殺すことにためらいはないらしい。
きっとエリザベスを取り戻すためなら、手段を選ばないよう命令されているのだろう。
だがむちゃくちゃすぎるラーニャの申し出に、シンが異を唱える。
「で、でもラーニャ! いくら何でも二対一は無理だよ!」
「うるせぇ! 捕まったら副団長ごと殺されるぞ! それでもいいのか!?」
「でも……」
「テメェは副団長に恩返ししたいんだろ? だったらオレにかまってるんじゃねぇ」
ラーニャは叫びながら、すぐ横にいたシンの馬の脇腹を蹴った。
馬はいなないて、シンの意思とは関係なしに前へ突っ走って行く。
「リッキーもグズグズしてないで行け!」
リッキーは何か言いたそうにしていたが、決意を固めたのだろう、先に行った友の後を追った。
計画では、王都から三つ先の町でしばらく潜伏することになっている。
これでいい、とラーニャは思った。
「さぁ、テメーらの相手はこのオレだ!!」
ラーニャは脇腹の痛みに気付かぬふりをして、好戦的な笑みを浮かべる。
早いうちに決着をつけないと、血が足りなくなりそうだ。
追っ手の一人はリッキーたちを追い駆け、一人は残ってラーニャと対峙した。
二人で相手をすることはないと踏んだのだろう。
手傷を負っている上に、慣れていない馬上での戦い。
不利な状況だったが、彼女はかまわず敵に向かって打ち込んだ。
白い刃が、馬の上で火花を散らす。
おそらく実力はラーニャの方が上だったが、戦っている間にも傷口からは血が溢れていた。
(少々ムチャがすぎたかな……)
ラーニャは次第にめまいを覚え、際どい場面も増え始めた。
相手はいけると踏んだのだろう、攻撃の手をますます強めてくる。
――このままではまずい。
そうラーニャが思ったときだった。
いきなり寒風が吹きすさんだかと思うと、相手めがけて巨大な氷の柱が降り注いできた。
おそらく何者かが放った水系の魔法だろう。
敵とラーニャの間には氷の楔が打ち込まれ、打ち合いはしばし中断される。
(誰だ――この魔法を使ったのは!?)
辺りを見回せば、見覚えのある男が馬の上で得意げに笑っていた。
寒空にたなびく銀色の髪と、妖しげな光を灯す紫色の瞳。
「ロキシエルの第二王子が直々に助けに来てやったのですよ。 さぁ、ひれ伏しなさい!」
馬上で笑っているのは、会場にいるはずのマドイだった。
よっぽど急いでいたのか、彼は息を切らしながら笑っている。
ひとしきり高笑いしたあと、マドイは追っ手に向かって指差した。
「そこのむさくるしい男。彼女の代わりに、わたしが相手になります。かかってらっしゃい」
「バカな……。どうして一国の王子がここに」
「――他でもない、私自身のために!」
マドイは鞭ではなく、両脇に差していた剣を抜いた。
すらりと長い、美しい細身の剣。
知らなかったが、彼は二刀流の使い手らしい。
自国の王子に剣を向ける勇気はなかったのだろう。
男はまだ信じられない様子で、その場から逃げ出して行った。
ラーニャはマドイに助けられた感謝よりも、まず驚きの方が先に立って叫ぶ。
「どーして、テメェがここにいんだよ!? 関係ないだろ?」
「このおバカ! 何を考えてこんなムチャクチャするんです! 死んだらどうするつもりですか!」
彼の答えは答えになっていなかった。
マドイは駆け寄ると、無理やりラーニャを馬上から引き摺り下ろす。
そして何を思ったか、血まみれのラーニャを自らの背に負ぶってみせた。
「――ばっ、何すんだよ! 服が汚れるだろ!?」
「怪我人はお黙りなさい。服なんてまた洗濯すればよろしい。馬では傷に響くでしょう? 近くに迎えの馬車がいますから、そこまで我慢しなさい」
「でも……。リッキーとシンが――」
「そちらも既に手が回してあります。安心おし」
彼の思いも寄らぬ行動の連続に、ラーニャは傷の痛みも忘れて絶句した。
面倒ごとを嫌がって、見て見ぬ振りを強要しようとした先日とは、別人のような変わりぶりである。
「お前……。何があったんだよ」
ラーニャの問いに、マドイはゆっくりと、噛み締めるように答えた。
「やっと、探し物が見つかったんですよ」
「――何?」
「いや、本当は無くしてなんかいなかったのかもしれませんがね。ただ、忘れてしまっていただけで」
マドイの背中で、ラーニャは首をかしげた。
本人は今の答えで納得しているのだろう、一人で小さく笑っている。
「私は大臣の座を手に入れるために、汚いことをして、理不尽にもたくさん目を瞑って――。貴方に出会わなかったら、無くしたことすら気付かなかったかもしれない」
「……スマン。何言ってるかさっぱりだ」
「かまいません。聞き流してください」
顔は見えなかったが、ラーニャには彼が嬉しそうに微笑んでいるのが分かった。