英雄退治編10 さよなら魔導庁
ラーニャはミカエルの使者と称して、エリザベスのいる部屋を尋ねた。
彼の力を借りるのは申し訳なかったが、半分軟禁されているエリザベスと接触するにはこうする他なかったのだ。
エリザベスはやつれ切った顔をして、窓際にある椅子に腰掛けていた。
俯いたその姿ははかなげな美しさがあるが、それがかえって同情の念を涌き起こす。
彼女はラーニャの顔を見ると、少し驚いたようだった。
「貴方は……確か見習いの――」
「静かに。オレはミカエルからお祝いを届けに来たことになってるんです」
ラーニャはエリザベスの傍に寄り、彼女に耳打ちした。
「単刀直入に聞きます。あなたは、たとえ無一文になっても、副団長と暮らしたいですか?」
「何をいきなり――」
「時間がないんです。答えてください」
エリザベスは若干戸惑いながらも答えた。
「当たり前です。たとえどん底のような貧しい暮らしになっても、彼がいるならかまいません」
「そうですか。なら安心です」
ラーニャはにやりと笑うと、彼女に作戦の全貌を手短に話した。
結婚式にラーニャとリッキーが乗り込んでエリザベスを攫い、シンがギルバートを病院から連れ出す。
約束の場所で合流した二組は、そのまま王都から三つ先の町にある宿屋で一泊し、そのまま遠くへ逃げる。
計画は計画と呼べないほど単純で、なおかつ危険度の高いものだった。
エリザベスはそれを聞いて、驚きに目を見開く。
「貴方は――どうしてそこまでして下さるのです。ほとんど見ず知らずの相手の私に――」
「大した理由はありません。ただ同じ女として、見てられないんスよ。親子ほど年が離れたオヤジに恋人を傷つけられて、ソイツと無理やり結婚なんて」
「しかし、下手をすれば貴方の命も……」
「心配してくれるのは有難いけど、――そう言ってるアンタの命の方が危ないんじゃないですか」
ラーニャは青ざめるエリザベスを見据えた。
そして何を思ったか、彼女のドレスの隙間から胸の谷間に手を突っ込む。
すぐに引き抜かれた手には、小ぶりのナイフが握られていた。
「こんな所に物騒なモノ隠しちゃってまぁ。アンタ、これで死ぬ気だったんでしょ?」
「……どうしてそれを……」
「様子見てれば分かりますよ。女の勘ってヤツかな?」
ラーニャは場違いなほど明るい笑顔を投げかけると、エリザベスはハラハラと涙をこぼし始めた。
自殺を考えるほど追い詰められていた心が、ラーニャに気遣われて不意に緩んだのだろう。
「そんなに泣かないで下さい。せっかくの美人が台無しっスよ」
本当は涙を流す姿も美しいのだが、あえてそう言った。
いくら美しいといえど、やはり人間元気な姿が一番だ。
「心配しないで下さいよ。オレたちがちゃんと逃がしてあげますから」
ラーニャの言葉にエリザベスは一瞬泣き止むと、顔を覆ってますます泣き崩れた。
*
呼び出されたラーニャが、久々に大臣室の中に入ると、マドイが難しい顔をして椅子に座っていた。
ラーニャの顔を見るなり、彼は開口一番に言う。
「貴方、ギルバート副団長のことで、何か企んでいるんでしょう?」
いきなりまずい事を聞かれたにも関わらず、ラーニャは平然と答えた。
「そうだよ。よく分かったな」
「貴方の性格からして、今回のことを黙って見ているとは思いませんから」
「で、それがどうかしたか?」
開き直ったような態度を取る彼女に、マドイは断固とした面持ちで言った。
「何をするのかは分かりませんが、今すぐ辞めなさい」
「どうしてだよ」
「ラーニャは今魔導庁の所属です。貴方が何か事を起こしたら、こちらに火の粉が降りかかります」
マドイは表情筋一つ動かさず、こちらを見つめていた。
顔が恐ろしいほど整っているせいもあり、普通の人間なら引いてしまうような威圧感がある。
だがラーニャは少しムスッとした顔をしただけだった。
「お前さぁ、オレが動くって思ったってことは、副団長のことそれなりに理不尽に感じてるんじゃねーのか? どうして止めるわけ?」
「弱い立場の者が理不尽な目に遭うことは、悲しいですが良くあることです。しかしこちらにはこちらの立場があるんですよ。いちいち反応していたら、身が持ちません」
「……。そうか。それなら仕方ないな」
僅かに残念そうな顔をしたラーニャは、懐から手紙のような物を取り出すと、彼の机に叩きつけた。
少し皺の寄ったそれには、大きく目立つ字で「辞表」と書いてある。
「オレは今日限りで魔導庁を辞める。そうすりゃお前に迷惑かかんねーだろ」
マドイは突然の彼女の行動に驚き、椅子の上で仰け反っていた。
何か言おうとしているが、ほとんど言葉になっていない。
彼がちゃんと言葉を話せるようになるまで、数秒の時間を要した。
「あ、貴方――正気ですか」
「ああ。正気だよ」
「どうして……どうしてそこまでするんですか!? 出会って間もない人間に対して!」
「確かに、副団長とエリザベス様のために行動するってのもあるさ。でも、これは半分はオレのためだ」
要領を得ない返事に、マドイは首をかしげる。
曲がりなりにも王子として生まれ、魔導大臣の椅子に座る彼には決して分からない感情だろう。
だがそれでもラーニャは彼に言う。
「オレぁなぁ、自分は何もしないくせに、『世の中理不尽なもんだ』って嘆く大人にゃぁ、絶対なりたくないのよ。だからオレは、見ちゃいられねぇことがあったら行動する。他でもないオレ自身の為にな」
「しかし――魔導庁を辞めた後どうするんです。仕事は? 住む所はどうするんですか」
マドイの返事に、ラーニャは思わず笑ってしまいそうになった。
一旦こうと決めたらなりふり構わないラーニャの性格を、彼も知っているはずなのだが。
「なーに言ってんだよ。そしたらまた工場で働くか、実家に帰るとするさ。オレはお前と違って、良くも悪くも身一つだからな」
ラーニャはあっけらかんと笑う。
だが急に真剣な顔になると、金色の双眸で彼の紫の瞳を見つめた。
「だからさ、今回の件は何も口出ししないで、誰にも言わないでくれねーか? ただ黙ってる、それだけでいいんだ」
「それは……」
「あんまり言いたくないけど、オレお前を助けたことあるだろ? その借りを返すと思って、沈黙しててくれよ」
ラーニャの勢いに押されたのか、はたまた彼女の熱意に何を言っても無駄だと思ったのか。
マドイは絶句しつつも、こくりと頷いた。
「ありがとな。助かるよ」
地位も報酬も破格の仕事を辞めたというのに、彼女の目に後悔の色はみじんも見えない。
ラーニャは最後に彼に向かって頭を下げると、足早に大臣室を後にした。