英雄退治編8 団長昇格試験
大闘技場の客席は、観客たちでいっぱいであった。
ある意味騎士の頂点を決める今日の試験は、一般市民にも公開されているのである。
近衛騎士団の団員たちは、特別に用意された関係者席で試験が始まるのを待っていた。
ラーニャの横では、シンがバケツサイズの籠に入ったドーナツをむさぼっている。
「お前さぁ、見世物じゃないんだからやめろよ」
「ぼ、僕、緊張すると、何か食べないと落ち着かないんだ」
良く見ればドーナツを握る手が震えている。
彼もギルバートのことを心から応援しているのだ。
試合開始のファンファーレが鳴ると、左右にある入り口からギルバートとグスタフがそれぞれ出てきた。
ギルバートの表情は硬いが、今日の試合は文字通りの「真剣」勝負だから仕方がない。
一方のグスタフは、戦争を経験しているからか自信ありげな様子である。
「別に殺しあうわけじゃないんだよな?」
「あ、当たり前だよ」
審判が開始の合図を叫ぶと、いよいよ試験が始まった。
グスタフはいきなり雄叫びを上げると、ギルバートに太刀を振り下ろす。
だが彼はひらりと身をかわし、攻撃をかわされて隙が出来たグスタフに切りかかった。
会場から、若い女性たちの黄色い悲鳴が上がる。
しかしグスタフも負けてはいなかった。
ギルバートの剣を太刀で受け止め、大声を上げながら押し返す。
しばらくそのまま膠着状態が続いたが、ギルバートは押された剣をずらすと、グスタフの剣をはじき返した。
何回か鍔迫り合いを繰り返すうちに、試合の状況は、少しずつギルバートの方へ傾いていった。
年齢と日頃の研さんが物を言ったのだろうか、確実にグスタフを押してきている。
しかしあと少しというところになって、急にギルバートの動きが悪くなり始めた。
剣の振りに切れがなく、身のこなしも反応が鈍い。
足の運び方も遅れが目立ってきた。
(副団長……どうしたんだ?)
スタミナ切れとも違うような不自然な様子に、ラーニャは首をかしげる。
動きから察するに、体が思うように動かないらしい。
ギルバート自身も戸惑っているようで、彼の顔には焦りの色が浮かぶ。
ギルバートの動作は時間が経つに連れてさらに鈍くなり、とうとうグスタフの攻撃を防ぐので精一杯になってきた。
力も余り出せないのか、剣を受けても後ろによろめく始末だ。
「ガンバレー! 副団長ー!」
騎士団の声援を受け、ギルバートはふらつきながらも懸命に試合を続けた。
だが限界が来たのだろう、ついに剣を降ろして降参しようとする。
「参りました――」
しかしグスタフは彼が言い終らないうちに、すばやく剣を振り上げた。
(あっ――!)
異変に気付いた審判が二人の間に入ろうとする。
だがそれよりも早く、グスタフの剣は無情にもギルバートに向かって振り下ろされた。
*
王城にある医務室の前で、ラーニャたち見習い三人組は体育座りをして待っていた。
全員一言も口にしないまま、膝に顔をうずめている。
医務室の中から先輩である正騎士が出てくると、三人は一斉に立ち上がって彼に詰め寄った。
「副団長は――副団長は大丈夫なんですか!?」
騎士の青年は疲れきった様子で小さくうなずく。
「ああ。命に別状はないそうだ。ただ――」
騎士はしばらく沈黙してから、声を絞るようにして言った。
「切られた右腕が酷くてな……。もう右腕は使えないらしい。くっついているだけマシなんだそうだ」
「そんな――!」
ラーニャたちは絶句した。
しばらくの沈黙の後、リッキーが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「どうしてだ! 副団長はあの時降参したんだぞ! なのにどうして英雄は副団長を切ったんだ!!」
全く同じことをラーニャも思っていた。
あの時、ギルバートは確かに剣を捨てて降参しようとした。
それをグスタフは無視して、無抵抗の彼に剣を振り下ろしたのである。
「向こう側の言い分では、まだ副団長が降参すると思っていなくて、剣を振り下ろしたそうだ。副団長の声は聞こえなかったと」
「そんな! 客席の俺たちにも聞こえたのに!?」
「向こうはそう言っているんだ」
グスタフの言い分に、普段は大人しいシンも溜まらず声を荒げる。
「お、お、おかしいよそんなの! 英雄は罰を受けるべきだ!」
「確かに非難は周りからも出ている。だが処罰にまでは至らないだろう。なんせ奴は英雄だからな」
「で、でも……」
「しかもエリザベス様の父上が味方についているそうだ。これでは抗議できる人間はいないよ」
(エリザベス様の父親が!?)
娘の結婚相手となるはずの男を傷つけたグスタフに、一体なぜ娘の父親が味方するのか。
和解したのだから、むしろ率先して抗議してもいいはずである。
そのラーニャの疑問は、翌日思わぬ形で解決された。
なんと、エリザベスの父親が、エリザベスとグスタフの婚約を発表したのである。
(一体どういうことだ――?)
貴族の婚約は、庶民と違って一日二日でできる物ではない。
長いときは発表までに数週間を要することもある。
試合前に急にエリザベスの父親が訪ねてきたこと。
ギルバートの試合中での不自然な様子。
その時ラーニャの中で、一本の線がつながったような気がした。