英雄退治編7 英雄の脅迫
結局ラーニャの中で答えが出ないまま一週間が過ぎ、今日はギルバートの団長昇格試験の当日だった。
試験は大闘技場で行われるため、今日は非番の騎士団団員は全てそこにいる。
もちろんラーニャもその一人だったが、彼女はギルバートと団員のいる控え室から一人抜け出した。
(一体どっちで働けば良いのかなぁ)
おそらく性に合っているのは騎士団だろうが、マドイの台詞が気にかかる。
言っている意味はよく分からなかったが、引き止められているのは間違いない。
ラーニャが肌寒い廊下で悩んでいると、向こうからエリザベスが侍女を連れてやってくるのが見えた。
きっとギルバートに会いに来たのだろう。
ラーニャは挨拶しようとしたが、その前グスタフが脇からやって来て、エリザベスの前に立ちはだかった。
彼女の眉間にハッキリと皺が寄る。
待ち伏せしていたのであろうグスタフは、エリザベスの拒絶と影にいるラーニャに気付かず、饒舌に話し始めた。
「気分はいかかがな?可愛いエリザベス、会えて嬉しいよ」
グスタフの猫なで声にラーニャは思わず吐きそうになった。
エリザベスは彼の挨拶に冷ややかな声で応じる。
「これはグスタフ様。何かご用ですか?」
「何、今日の団長試験について少しね」
グスタフは部一歩彼女に近付くと、相変わらずのにやついた顔で、エリザベスの全身を舐めまわすように眺めた。
「団長試験についてとは、一体どのようなことでしょうか」
「明日の試験、評価を下すのは私の友人たちでね」
グスタフはわざともったいつけたように言った。
「それが、いかかがなさいましたか」
「分からん奴だな。君の対応次第で、口を利いてやると言ってるんだ」
(何言ってやがるコイツ……)
唖然としているのはエリザベスも同じようだった。
この男、ロキシエル最後の英雄だといって周りからは持ち上げられているが、中身はただの野蛮で傲慢な中年だ。
三十年前は確かに勇ましかったのかもしれないが、長い月日の間にその性根がすっかり腐ってしまっている。
「エリザベス、お前はあの男を好いているのだろう? だったらそれなりのことをしたいと思わないのか?」
「それなりのこととは、一体どんなことでしょう。私にはさっぱりですわ」
「やれやれ、そこまで言わせる気か」
グスタフは首を横に振ると、いきなりエリザベスの手首を掴んで自分の方へ引き寄せた。
悲鳴のような吐息が、彼女の口から小さく漏れる。
「何をなさるのですか! お放しください!」
「お前は私に嫁ぐべきだ。その方がお前とお前の家のためになる」
ラーニャはとっさに間に入ろうと身構えた。
だがその間にもグスタフは言葉を続ける。
「エリザベスが私の妻になるのなら、ギルバートを団長にしてやろう。そうすれば奴の望みはかなうし、お前の家も安泰だ」
「貴方様は、自分が何をしているかお分かりにならないのですか!?」
「分かっているに決まっているだろう。欲しい物のためならなんでもする。そうやって俺は生きてきたんだ!」
次の瞬間、何とグスタフは強引にエリザベスに口付けしようとした。
ラーニャは「あっ」と叫んだが、果敢にもエリザベスはグスタフの頬を平手打ちにする。
途端に、彼の顔が茹蛸のように真っ赤になった。
「――このアマ! 優しくしていればつけ上がりおって! 体しか取り柄のない人形の癖に!!」
「貴方様こそ、英雄とは名ばかりの野蛮人ではありませんか!」
グスタフはエリザベスが動かないことを悟ったのか、そばにあった壁を殴ると、足音を立てながらもと来た道を戻って行った。
気が抜けてその場にしゃがみこんだエリザベスに、ラーニャは慌てて駆け寄る。
「エリザベス様、大丈夫ですか!」
「ええ。少し緊張してしまっただけよ」
エリザベスは無理をして笑っていたが、その顔色は青白い。
ロキシエルの英雄と呼ばれる男に脅迫まがいのことをされた上に、強引に迫られ、さぞかし恐ろしかったことだろう。
小刻みに震えるエリザベスを心配したラーニャは、彼女をギルバートのいる控え室まで送った。
だが扉を開けると、中に見覚えのない初老の男性がいることに気付く。
華美な服装からして騎士団の関係者ではないようだし、一体何者だろうか。
「お父様!」
ラーニャが首をかしげていると、エリザベスはその男性に向かって叫んだ。
ラーニャは驚いて彼女と男性の姿を見比べる。
(全然似てねぇ)
男はお世辞にも美男とは言えない顔立ちと輝く頭頂部を持っていたが、エリザベスは言うまでもなく絶世の美女である。
おそらく彼女は母親似なのだろう。
「お父様、なぜこのような所へ」
「何、わしはギルバートを励ましに来ただけだ」
父親の言葉に、騎士団の面々は顔を見合わせた。
たしかエリザベスの両親はギルバートに否定的で、ギルバートは二人に認めてもらうために近衛騎士団の団長を目指していたはずである。
一体どう言う風の吹き回しだろうか。
一同がいぶかしんでいると、エリザベスの父は照れたように禿げ上がった頭を掻く。
「わしはギルバートを誤解していたようだ。まさかここまで努力家とは思っていなくてね。失礼な態度を取ったことをここで詫びたいと思うんだ」
「まぁ父上……」
「お詫びの品と言っては何だが、茶を差し入れに持ってきたんだ。受け取ってもらえないかね」
ギルバートは丁重に礼を言うと、茶をいただいていた。
エリザベスの父との和解により、緊張していた彼の表情も和らいだようである。
勝負は体力面だけではなく、精神面も重要だ。
エリザベスの父親に認められ、プレッシャーが軽くなった今なら十分に実力を発揮できるだろう。
ラーニャがそう思ったところで、ちょうど試合の時間がやってきた。