英雄退治編3 副団長の恋人
今日は大闘技場での演習に、英雄グスタフが顔を出す日であった。
大闘技場は広い王城の中でも一番西側にある。
ラーニャが急ぎ足で西の城の渡り廊下を歩いていると、数人の役人たちが向こうからやってくるのが見えた。
水色の服を着ているから、彼らは下級役人だろう。
ラーニャがすれ違おうとすると、役人たちは廊下に広がってこちらの邪魔をしてきた。
「何すんだよ。こっちは急いでるんだ」
「どうしてこんな所にマオ族がいるんだ? とっとと失せろ」
下級役人は庶民出の者がほとんどである。
彼らもきっとそうであり、マオ族に対して根っからの偏見を抱いているに違いなかった。
「オレは近衛騎士仮見習いだ。理由があって城にいる。邪魔すんじゃねぇ」
「マオ族が近衛騎士ぃ? 冗談も耳と尻尾だけにしろよ」
役人たちがラーニャの猫耳を指差して笑う。
彼らの中で一番ガタイのいい若い男が、ずいと前に出てきた。
「騎士見習いなら、腕が立つんだろ? 俺と勝負してみろ」
「どーぞ。後悔すんなよ?」
ラーニャは好戦的な笑みを浮かべると、男に向かって構えを取る。
男は体こそ大きいが、筋肉の付き方を見みると、大した格闘の経験はなさそうだ。
一体どうやってのしてやろうか。
ラーニャが考えていると、後ろから女性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「貴方たち! 何をやっているのですか!!」
ラーニャが振り返ると、そこには今までに見たこともないような美しい女性が立っていた。
澄んだ水色の瞳と、サクラの花びらのような唇がまず一番に目を引き、それからそれらのパーツが絶妙なバランスで卵形の輪郭に収められていることに気付く。
光を浴びて艶やかに輝く髪は、白い肌にあつらえたかのようなプラチナブランドだった。
手足は驚くほど細いが、女性として出るべき所はしっかりと出ている。
ラーニャは彼女のあまりの美しさに、思わず状況を忘れて見とれてしまった。
後ろの役人たちも、口を開けて陶然と彼女に見入っている。
ラーニャの従姉妹も村一番の器量良しとして有名だったが、彼女の美貌は比べるのもおこがましいと感じるほど卓越していた。
「ボーっとしていないで答えなさい。そこの四人、マオ族の子供をいじめようとしていたでしょう?」
彼女の言葉に、その場にいた一同はやっと我に返った。
しかしその声もまた透明感があって、耳に心地よい。
「立派な大人が弱いものイジメなんて、実に情けない。貴方たちはそれでもこの国の役人ですか」
彼女の白い額に皺が寄るのを見て、役人たちは縮こまっていた。
「す、すみません。エリザベス様……」
「たとえ下級役人と言えども、この国を動かす一人であることには変わりないのですよ。その自覚を持ってください」
この絶世の美女は、華奢な容姿に似合わずなかなか気が強い方らしい。
うら若い美女に叱責された役人たちは、恐縮しながら来た道を引き返して行った。
向こうに用事があったと思うのだが、彼女の横を通り過ぎる勇気がなかったのだろう。
マドイもそうだが、美しすぎる人間には往々にして近寄りがたいものなのだ。
「ボク、もう安心よ。悪い人はいなくなったわ」
「あ、ありがとうございます」
失礼だと思いながらも、ラーニャはつい彼女の顔を見てしまう。
同じ女でありながらここまで容姿が違うとは、人間とは不思議な生き物だ。
「ボク、近衛騎士見習いだと言っていたけど本当かしら?」
「はい。先週から入りました」
ラーニャは答えながら、副団長ギルバートの恋人もエリザベスという名前だと思い出した。
リッキー曰く物凄い美人だということだし、同一人物である可能性は高い。
ラーニャはなるべく彼女を見ないようにしながら、恐る恐る聞いた。
「あの、ひょっとして、副団長のお知り合いというか、その……」
「あら、もう知ってるの。耳が早い子ねぇ」
「す、すみません」
だがエリザベスは気を悪くした様子はなく、同性でもとろかしてしまいそうな微笑を浮かべていた。
「西の城にいるってことは、今日は大闘技場で訓練なのかしら」
「はい。だけどなかなか見当たらなくて」
「あら、大闘技場は始めてなのね。あそこは分かりにくい場所にあるの。一緒について行ってあげるわ」
「そんな、申し訳ないです」
「いいのよ。ギルバート様に最近会ってないから、会う口実にさせてくれないかしら」
こんな絶世の美女に逢瀬を望まれるなんて、ギルバートはとんでもない幸せ者である。
爽やかな美青年と華奢な美女の二人が並んだら、さぞかし絵になるだろう。
エリザベスに案内されて、ラーニャは無事大闘技場に辿り着いた。
石造りのそこは、大闘技場と名づけられているだけあって、人が千人入ってもまだ余裕がありそうである。
騎士団の騎士たちのほとんどはもう揃っており、もちろん副団長のギルバートもそこにいた。
しかしギルバートはいとしい恋人の姿を見ると、なぜか眉間に皺を寄せる。
「エリザベス、どうしてここに?」
「この見習い少年を案内してあげたのですわ」
「そうか。なら今すぐここから立ち去れ」
冷たいギルバートの言葉に、エリザベスは俯いた。
せっかく恋人と会えたのにすぐに追い出すなんて、この二人は上手くいってないのだろうか。
「副団長。お言葉ですが、エリザベス様が可哀想です」
「そうじゃないんだラーニャ。ここにはもうすぐ――」
ギルバートが言いかけたところで、闘技場の入り口に巨大な人影が覗く。
「――遅かったか」
彼は小声だったが、確かにその入ってきた人影に向かってそう言った。