精霊隠し編9 精霊の気配
結局最後のエリィの家でも精霊の気配は感じられず、一同疲労感と絶望感を漂わせながら魔導庁へ帰った。
待っていたマドイに、第二班の班長であるサリーが結果を報告する。
結果自体はマドイも期待していなかったのだろう、あまり反応を見せなかったが、各家庭の話を聞くうちに苦虫を噛み潰す顔をし出した。
「嫌な話ですねぇ。私の家庭もつい最近まで揉めていたから特に」
彼の家庭、つまり王家のことはラーニャもとてもよく知っている。
家族不和の不幸さを一番知っているマドイだからこそ、嫌な気分になったのだろう。
「しっかしあれじゃぁ、誘拐されなくてもいなくなりたくなるわ。最初の一軒なんか、オレマオ族って理由だけで暴力オヤジに殴られそうになったんだから」
妻も平気で張り飛ばしていたし、そこの一人息子はどれだけ殴られていたのやら。
「先生が助けてくれなかったら危なかったよ。ありがとうサリー先生」
「あの……。私何もしてませんけど……」
「え? あの土人形落としたことですよ」
「アレはてっきり、勝手に落ちたものかと思ってました」
しかしラーニャはあの時確かに風のようなものを感じたし、その風であの土人形は落ちてきたのだ。
(オレの気のせいか……?)
ラーニャが納得行かない気持ちでいると、サリーがいきなりにこやかに微笑んだ。
「ありがとうラーニャ」
「は? 何ですかいきなり!?」
彼女の行動はいつも唐突である。
他のものは「またか」と首を横に振っていた。
「貴方のおかげで、大切なことを思い出したのです」
「はぁ……」
「私、グルゲゲ様を取りに行かなければならないのでした」
(グルゲゲさまぁ?)
しかし不可解な顔をしているのはラーニャだけである。
ラーニャが取り残された気分になって辺りをきょろきょろと見回していると、隣にいたミカエルと目が合った。
「ひょっとしてラーニャ、グルゲゲ様を知らないのっ?」
「知らねーよ、そんな気味悪そうなもん」
「棚から落ちたあの人形、グルゲゲ様っていうんだっ。グルゲゲ様はねぇ、子宝のお守りなんだよ。結婚して子供が欲しい人は聖地からもらってくるの。」
ラーニャが頭の上にはてなマークをいっぱい浮かべて首をかしげていると、進まない話に痺れを切らしたマドイがしぶしぶ説明してくれた。
「王都の東の外れの方に聖地グルゲゲという所があってですね、そこは子宝祈願や安産など、出産に関するご利益があることで有名な場所なんです。グルゲゲ様はそこの土で出来た土人形で、子宝に恵まれるというお守りでして――それを取りに聖地へ出向く夫婦が多いんです。ほら、人形も妊婦の形をしていたでしょう?」
思い出してみれば、あの土人形の形は確かに妊婦そのものだった。
突き出た腹と、グラマラスな肉体。
どうりで今日行った家にあの土人形があったわけだと、ラーニャは一人で合点した。
「それ今日行った家全部にあったけど、そんなに利くのか?」
「聖地グルゲゲは、大地の精霊が集まってくる場所。大地の精霊は豊穣の象徴ですからね。ご利益は当然
――」
そこまで言って、マドイはふと気付いたように顔を上げる。
「貴方、いまグルゲゲ様が今日行った家全てにあると言いましたね?」
「それがどうかした?」
「あの土人形の中には、大地の精霊が宿ることが多いんです。だからこそ効き目があるんですが――」
ラーニャはなぜか全身に鳥肌が立っていくのを感じた。
一軒目の家で感じた風のようなもの。
エリィの家で感じた人形の視線。
(あれが、精霊の気配ってヤツか!?)
ラーニャはいても立ってもいられなくなって、つい前のめりになった。
「マドイ! オレ、感じたんだ! 一軒目の家でグルゲゲ様が落ちてくるときに。あとエリィの家で人形が見てた!」
「言ってる意味がよく分からないのですが……。精霊の気配を感じたと?」
「ああ。絶対そうだ。今思えば人の家の中でグルゲゲ様ばっかり目についたし」
目立った場所に置いてある人形だけでなく、ゴミため同然の場所に打ち捨ててある物や、ほとんど他の家具の影に隠れてしまっている物も、なぜかやたらとラーニャの目を引いてきた。
ひょっとしたらあれは精霊なりの、ラーニャに対するアピールだったのかもしれない。
「……今回の精霊隠し。犯人は大地の精霊でしたか」
マドイがニヤリと妖しい笑みを浮かべる。
「でも兄上、どーして大地の精霊はこんなことしたんだろ」
「精霊は子供好きのいたずら好きと相場が決まっていますからね。ちょっかいをかけてみたかったんでしょう」
皆はマドイの意見に納得しかけていたが、ラーニャはそれに待ったをかけた。
「……オレは違うと思うなー」
「じゃあなんだと?」
「今回いなくなった子供たちは、みんなグルゲゲ様に、つまり大地の精霊に頼んで生まれてきたんだろ?」
マドイは何が言いたいんだとばかりに首をかしげる。
「なんていうかさー。難しいんだけど……。例えば大臣が誰かに頼まれて何か作ってやったとするだろ? それでもしその相手が、作ってやった物を粗末にしてたらどうする?」
「腹が立ちますね。出来るなら取り返しますが」
「それだよそれ。精霊も同じ気分だったんじゃないかなー?」
人間たちに頼まれて、子供が授かるように力を貸してやった大地の精霊。
しかし頼んだ人間たちは、せっかく生まれさせてやった子供を大切にしなかった。
暴力を振るったり、存在を否定したり、道具のように扱ったり――。
「だから攫ったんだよ。今回攫われた子供って、言っちゃ悪いが親に酷い目に遭わされてたヤツばっかりだ。大地の精霊はそりゃぁ腹が立ったと思うぜ。それで『取り返した』んだ」
きっと子供たちの身の安全は確保されているだろう。
しかし五十年前のように、精霊は彼らを再び親の元に返してくれるだろうか。
「仮にそうだとしても、子供の身柄をいつまでも精霊の下に置いておくわけにはいきません。彼らはあくまでも『人間』ですから」
「……分かってんよ……。」
ラーニャの頭の中に醜い痣を作ったエリィの顔が浮かぶ。
ようやく解決の糸口が見つかったというのに、部屋の空気は重苦しいままだった。