精霊隠し編8 愛しのエリィ
エリィの家は子供がいるとは思えないほど整理整頓され、綺麗に掃除されていた。
居間の中央にあるディナーテーブルには、やつれきったのエリィの母親と、憔悴しきっている父親が座っている。
母親の方はラーニャを見るなり、獣のように歯と歯茎をむき出して飛びかかってきた。
「アンタ!? アンタね!? 私のエリィをどこにやったのおおぉぉ!!」
彼女のやせ細った体はすぐに兵士に取り押さえられ、椅子の上へと戻される。
行動的な母親とは違って、父親の方は相変わらず机を見つめたまま微動だにしなかった。
エリィと同じ髪の色をした、優しい雰囲気のある男である。
普段は妻の尻に敷かれていそうな感じだった。
「やめないか、母さん。せっかく来ていただいたお役人様に」
「お父さんにも言ったでしょう? コイツが私のエリィにちょっかいだしたマオ公なのよ!?」
「そういう言葉を使うな!!」
驚いたことに、同じ夫婦でありながら、彼にマオ族の差別意識は少ないらしい。
取り繕っているだけかも分からないが、他人の前でも平気で差別用語を口にする母親とはえらい違いである。
「申し訳ありません。妻は何と言うかその、そういうところにこだわるところがございまして」
「何よ! こだわって何がいけないのよ !マオ公と関わるとロクなことがないのよ?」
「いい加減にしろ!! ――申し訳ありません、本当に申し訳ありません」
心底恥ずかしそうにわびる彼の姿は、気の毒になってくるくらいだった。
娘がいなくなって精神的にひどく辛いだろうに、ヒステリックな妻の面倒まで見なければならないのだ。
「お父さんなんで謝るの? コイツのせいでエリィはいなくなったのに!!」
「すみません、妻は被害妄想に取り付かれてるみたいで……」
「妄想なんかじゃない! この野良猫がエリィをたぶらかしたのよ!」
いつまでもエリィの母親が喚いているので、ラーニャはいい加減うんざりして叫んだ。
「確かにオレとエリィは知り合いだったよ! でもそれはオレがたぶらかしたんじゃねぇ。エリィが母親から逃げ出してきたんだ!」
「……母親? 妻から逃げ出してきたんですか、エリィは」
「ああそうだよ。どっかの名門校に入れたいからって、ピアノが上手くできないエリィを殴ってたんだ」
エリィの父親がはじかれたように自分の妻を見る。
彼女は髪の毛を振り乱しながらさらに甲高い声を上げた。
「ちがう! ちがうわ!! そのマオ公がウソついてるのよ!」
「嘘じゃねぇ。アイツの両腕は叩かれて傷だらけだったんだ。アンタ父親なら知ってるだろ?エリィのホッペに痣が出来てたの。アレはこの母親にやられたんだよ!」
ラーニャがすべて言い終わる前に、エリィの父親が勢いよくテーブルから立ち上がった。
そして自分の妻の胸倉を掴んで無理やり立ち上がらせる。
大人しそうな彼の突然の行動に、その場に会していた一同は驚いた。
「やっぱりそうだったのか! 最近エリィの様子がずっとおかしいと思ってたんだ。突然一緒に風呂に入るのを嫌がって――親離れかと思ってたら――それだけじゃなくて、朝俺が仕事に行くのを妙に引き止めたり――そういうことだったのか!!」
「違うわお父さん! 私よりマオ族を信じるの?」
「俺は見たんだよ! エリィが夜一人で泣いてるのを――!」
ラーニャたちの目の前では、今修羅場が展開されていた。
エリィの父親はずっと娘の様子を不審に思っていて、ラーニャの言葉ですべてを悟ったのだろう。
収集がつきそうにないが、止めるのもためらわれる。
それは他の精霊局のメンバーや護衛の兵士も同じようで、一同固唾を呑んで行方を見守っていた。
「もう嘘は通用しない! 正直に話せ!!」
「だってしょうがなかったのよ! もう受験には時間がないし、あの子ったらなかなか上手くならなくて……。落ちたらルーマのところの奥さんになんて嫌味言われるか」
「嫌味なんて言わせておけばいいだろう」
「イヤよ! あそこの奥さんに負けるなんて。あそこの娘が受かってうちの子が落ちるわけにはいかないの!」
エリィの母親はその後も落ちてはいけない理由をまくし立て、続いてどうしてエリィをその学校に入れたいか叫んだ。
名門校に入れば箔がついて、良い家から縁談が来る。
貴族と一緒に学校生活を送り、人脈を作っておけばもっと将来良い家に嫁げるかもしれない。
できることなら在学中に貴族に見初められて欲しい。
そうやってエリィが良い所の嫁になれば、近所の人間たちは頭が上がらないし、自分たちも援助で裕福な生活が出来る――。
彼女の話を聞いているうちにラーニャは腹が立ち、またげんなりした。
ミカエルは目を輝かせ、レンは冷笑を浮かべ、サリーは「ほえ~」と呟いて首をかしげている。
「あの子にはどうしてもあの学校に入ってもらいたいのに――誘拐されるなんて。こういう醜聞って、印象最悪じゃない。ばれたらきっと入れてもらえなくなるわ」
「――このバカ女!」
エリィの父親が彼女を平手で殴った。
ラーニャだったら拳で殴るとことだが、それが彼の精一杯の優しさだろう。
娘のことは散々殴ってきたというのに、エリィの母親は赤くなっただけの頬を押さえてその場に泣き崩れた。
泣き伏せる彼女の横には、見覚えのある土人形が置いてある。
(またこの人形だ……)
腹の突き出た、ユーモラスな女性型の土人形。
その空洞で出来た目が、まるでエリィの母親をとがめているように見える。
(なんかコレ。気味ワリィな)
こんな人形を置く王都の人間のセンスが知れない。
ラーニャはまだ泣いているエリィの母親と、物言わぬ土人形から目をそらした。