精霊隠し編7 上手くいってない家庭博物館
ラーニャが魔導庁に入ってまず驚いたのは、この国は身分が高い人間ほどマオ族への差別が少ないことだった。
サリー曰く、マオ族の領土を併合するときに、友好の意味でマオ族と婚姻関係を結んだ貴族が多かったことがその理由だという。
確かに自分のルーツである種族をけなす人間は少ないだろう。
さらに騎士の家系の者は、マオ族には勇猛果敢な戦士が多いので、差別どころか一目置いているそうだった。
しばらくの間周りから分け隔てなく接しられていたために、ラーニャは今日に入って二度も強烈な差別にさらされたことに少なからずダメージを受けていた。
やわになったものだと心の中で舌打ちをする。
「泥棒猫め!早く出て行け!!」
屋敷の主人は乱暴にもいきなりラーニャに殴りかかろうとした。
それを妻が止めに入ろうとするが、男の丸太のような腕に振り払われ、床にへたり込む。
「奥さんに何しやがる!」
ラーニャが男に掴みかかろうとすると、突然風のようなものを感じた。
次の瞬間、そばの棚の上にあった素焼きの土人形が、ごすっと鈍い音を立てて主人の頭に命中する。
腹の出た女の形をした、けったいな土人形の下敷きになっている男の姿は、惨めでもあり滑稽でもあった。
きっと見かねたサリーが、得意の風魔法をさりげなく使って彼を懲らしめてくれたのだろう。
屋敷の主人は行動不能になっている所を兵士に取り押さえられ、ラーニャたちはその間に調査を終わらせた。
誰も精霊の気配を感じられなかったが、一番最初に起こった事件だから気配自体が消えてしまったのかもしれない。
「次は何か分かるだろう」そんな楽観的なことを考えながら、ラーニャは次の現場へ向かった。
二件目の被害者はシェリーという八歳の女の子だった。
彼女は父親と死別し、母親と暮らしていたが、その母が働きに出ている間にいなくなっていたという。
ラーニャは彼女らの住むアパートに入る前に、近くにいた兵士に声をかけた。
「悪いんだけど、バンダナかなんか持ってない? もし無かったらタオルでもいいけど」
「すみませんが……。そういった物はあいにくと……」
ラーニャが困っていると、意外なことにレンがタオルを差し出してくれた。
「これを使え。……しかし何に必要なんだ?」
「ああ、頭に巻くんだよ。そうすればマオ族ってばれないだろ? 行く先々でさっきみたいに追い出されちゃ、仕事が進みにくいじゃねーか」
尻尾はズボンの中に隠してしまえばいい。
褐色の肌はごまかせないが、この国は外から来た人間が多いから褐色の肌をした人もいることはいる。
ラーニャは名案だと思ったのだが、レンは舌打ちをするとタオルを引っ込めた。
「そんな理由ならオレは貸せん。他をあたるんだな」
「なんでだよー。いちいち絡まれてもいいのか?」
「だから他種族のふりをするのか? そんなの何の解決にもならん」
「でも……」
「俺の先祖は蛇族だった。鱗が邪悪だと迫害されたが、隠したりしなかった。結果、今では誰も鱗を気に留めん」
シー族は東に住む種族で蛇を先祖とし、体の一部に鱗があることが特徴である。
だがロキシエルではそれについてとやかく言う人間はいない。
「……お前いいヤツだな」
「……フン」
ラーニャが笑うと、彼はそっぽを向きながら鋭い瞳を少しだけ緩ませた。
クールに気取っているが、なかなか好感の持てる男のようだ。
ラーニャたちがシェリーの母親の部屋を訪ねると、そこには目を真っ赤に腫らした女性がいた。
彼女の横には、恋人らしき男性が寄り添っている。
女性はしゃくりあげながら、今にも消えてしまいそうな声で自分が消えたシェリーの母親であることを告げた。
「偉い方々にここまでしていただいて申し訳ありません。私の……私の自業自得だというのに……」
女性はその場に泣き崩れ、横にいた男性がその背中をさする。
彼女の姿は見ていて気の毒だったが、ラーニャは先ほどの「自業自得」という単語が気にかかっていた。
「あの、オバサン……。自業自得って言ってたけど何か心当たりあるの?」
「私が……再婚するのに邪魔だってシェリーに――お前のせいで彼と結婚できないとシェリーに……」
(おいおい。娘に言っちゃダメだろ、そーゆーこと)
自分がどんなことを言ったのかは女性もよく分かっているらしく、両手で顔を覆って絶え間なく嗚咽を漏らし始めた。
「これは私への罰なんです。あんなに欲しかった子供なのにいらないなんて……神様が罰を下されたので
す」
狭い部屋を彼女の泣き声が覆い尽くす。
ラーニャはうずくまる女性の姿を直視できなくなって、部屋の壁に視線をそらした。
そこでふと、見覚えのある置き物があることに気付く。
素焼きで出来た、腹が丸くつき出している女性の人形。
一軒目の家で屋敷の主人に激突したアレだ。
よく見ると人形の女性はなかなかグラマラスで、穴で目と口を表現してある顔は味があるとも言える。
(あの人形、流行ってるのかな?)
ラーニャたちは少女の母親が落ち着くのを待ってから調査をし、何の手掛りもないままアパートを後にした。
それから事件の起こった順に失踪した子供たちの自宅を回ったのだが、最後の一軒まで来ても、やはり誰も精霊の気配を感じることはなかった。
ラーニャは子供がいなくなった親の相手で疲労困憊だったが、ミカエルはなぜかニコニコ顔である。
「なーんか、疲れちゃったねっ。でもすっごい楽しかったよ!」
「な~にが楽しいんだ」
「だって一軒目は暴力夫、二軒目は再婚話で娘を捨てようとした母。それから三軒目はお母さんが姑に酷い嫁イビリされててー。四件目は両親ダブル不倫!五件目は兄弟差別!それからそれから――」
「もういいって!分かったから!」
ラーニャが親の相手に疲れたのにはもう一つ理由がある。
それは事件が起こった家が、どれもお世辞にも円満家庭とは言えないことだった。
部外者のラーニャが見てもうんざりするくらいなのだから、当の子供は非常に辛い思いをしていただろう。
「あ、そうそう。最後にエリィの家が残ってたよねっ。あそこは言うまでもない、受験戦争に疲れて母親ノイローゼ。ボク今日『上手く行ってない家庭博物館』に来たみたいだよっ」
最後の締めにラーニャも知っているエリィの自宅が残っていた。
彼女の家を訪ねたら、母親に一体どんな対応をされるだろう。
ラーニャは憂鬱ではあったが、一刻も早くエリィを連れ戻す方が大事だ。
王都が晩秋の夕焼けに包まれる頃、精霊局の一行は最後に失踪したエリィの家に到着した。