精霊隠し編3 控えおろう
休日の後、なんとか魔法の基礎の基礎を理解したラーニャは、今度は精霊の守護について勉強することになった。
教師及び教科書曰く、ロキシエルの王家を除き、精霊の守護を受ける人間は百万人に一人いればいい方なのだという。
なぜ彼らが精霊の守護を受けて生まれてくるのかははっきり分かっておらず、おそらく血筋と精霊に好まれる人格が一番考えられる原因だと言われている。
そう考えられる理由は、人種・種族によって守護を受ける精霊の属性に偏りがあること。
精霊の守護を受けていることを理由に暴君となったかつてのロキシエル王が、精霊に見放されて死んだこと、などである。
ちなみにロキシエル人は風と水の精霊に守護を受けることが多く、またマオ族は火と大地の精霊から守られる傾向にあるという。
身近な話題ゆえか本能ゆえか、精霊の守護についてすぐ理解したラーニャは、今度は自分を守護する大地の精霊について勉強を始めた。
大地の精霊はその名の通り地に関することを司り、また豊穣とたくましさを象徴するという。
ラーニャが馬鹿力なのも、大地の精霊がたくましさを象徴するゆえだ。
精霊の守護を受ける者は、その属性の精霊が司るものと象徴に応じた能力を持つ――つい先ほど習ったばかりだった。
つまらなかった魔法の基礎に比べ、精霊についての授業は面白く、教師も驚くほどラーニャの勉強は進んだ。
やはり人間得意不得意な分野があるらしい。
ラーニャはいい気分のまま次の休日を向かえた。
今回は特に予定もないので町をぶらつくことにする。
いくつか店を回り、両手に紙袋を抱えてラーニャがこの前の広場を通りがかると、エリィがベンチの影に隠れているのを見つけた。
また恐ろしい母親から逃げ出してきたのだろうか。
「おいエリィ! どうしたこんなところで」
ラーニャはエリィに駆け寄ったところで始めて気付いた。
何と彼女の滑らかな頬に、赤黒い痣ができているのである。
「ちょっ、どうしたんだこの痣!」
「ワタシが悪い子だから、お母さんが」
エリィの母親の彼女に対する振舞いは、ここ一週間でさらに酷くなっているらしい。
「大丈夫か? 痛いだろ」
「でも……。でも……」
とうとうエリィは泣き出してしまった。
頬に痣があったら、こうして喋っているだけでも痛いだろう。
ラーニャはエリィの母親に明確な怒りを抱きながら、彼女の頭を撫でた。
「もう許せねぇ。オレがお前の母親にハッキリ言ってやる!」
噂をすれば影と言うのか、ラーニャが叫んでからすぐエリィの母親が広場に姿を現した。
彼女はラーニャと一緒にいるエリィを見つけると、物凄い勢いで駆け寄ってくる。
「エリィ! アンタどこ行ってたの!?」
エリィの母親はラーニャの影に隠れようとしていたエリィを引きずり出すと、ラーニャが止める間もなく彼女を引っぱたいた。
しかも拳でだ。
当然小さなエリィははじき倒されて地面に倒れる。
「てめっババア! 娘になんてことするんだ!」
「どうしてこんな所にマオ族がいるのよ!? エリィ、アンタまさかこの猫と知り合いなの!?」
ヒステリックに喚き続ける彼女の目は、鬼のように吊り上がっていた。
とてもじゃないが実の娘に母が向けるものとは思えない。
「マオ族が娘に触らないでよ! マオ族はスラムから出てこないで!」
「んだとテメェ! 娘殴り飛ばしてるヤツこそ引っ込みやがれ!!」
ラーニャがエリィを背中に庇うと、母親は広場にこだますような悲鳴を上げた。
「誰か! 誰か助けて!! マオ族に娘が攫われるっ!!」
悲鳴を聞きつけて、近くにいた警備兵がこちらに向かって飛んできた。
治安がいいのは大変結構だが、今回の場合はありがた迷惑である。
警備兵はエリィの赤い痣を見てさらに事態を重く見たのか、ラーニャに向かって警棒を突きつけた。
「貴様、その娘を離せ! でないと痛い目見るぞ」
「だけどオレが離すとエリィ――この娘が痛い目見るのよ」
「わけの分からないことを言うな!」
「だーかーらー、この子の痣は母親に殴られた痕なんだよ! それを善良な市民のオレが庇ってるの!!」
もちろん警備兵がそんな話を信じるはずがなかった。
「でたらめを言うな。最近多発している誘拐事件もお前らマオ公の仕業なんだろ」
「あ、そんな物騒なの今。オレ最近勉強漬けで知らなかったわー」
「とにかく詰め所まで来い。」
このままではまた詰め所まで連行されてしまう。
そう思ったラーニャはズボンのポケットからある物を取り出すと、それを天にかざして叫んだ。
「この魔導庁通行パスが目に入らぬかー!」
通行パスを見て、警備兵は目玉が飛び出るのではないかと言うほど目を見開いていた。
このパスには魔導庁でのラーニャの所属、つまり魔導大臣直属の者であることがしっかり書いてある。
権力に頼る事は極力避けたかったのだが、向こうが権力を振りかざしてくる以上仕方なかった。
「こっ、これは精霊の守護を受けるお方でしたか! 大変失礼いたしました!!」
警備兵が九十度の角度で頭を下げる。
ラーニャは彼の態度の変わりぶりに、逆に嫌な気分になった。
「つーことで、オレはこの鬼母からこの子をかばってたの。お前からも注意しておいてくれよ。この子の腕、叩かれて痣だらけなんだぜ」
「かしこまりましたっ!」
あの警備兵に頼るのはイヤだが、エリィの母親も公権力に注意されれば少しは目が覚めるだろう。
そう思うとこの最悪な気分も少しは冷める気がした。
だが翌朝、ラーニャの気分は最悪を通り越してもっと悪くなった。
ラーニャが魔導庁に出勤しようとして下宿を出ると、そこには警備兵たちが待ち構えていたのである。
「お前がラーニャか」
「そうだけど、何か?」
「エリィ・マクルベス失踪について話を聞きたい。警備庁まで来い」
エリィ・マクルベスとはおそらくあの可哀想なエリィのフルネームだろう。
(エリィが失踪――!?)
しかし驚いている間もなく、ラーニャは護送用の馬車の中に押し込まれた。