打倒!町のチンピラ編1 帰りの楽しみ
「王妃冤罪事件」の結末は城下でも話題になっていた。
婚約者に騙され続けていた悲劇の貴公子と、彼を庇うために王に直談判した一人の少年。
ドラマチックな一連の出来事は王都に住む人々の心を鷲掴みにし、この話題を口にしない者はいないくらいだった。
マドイを庇うために立ち上がった少年は何者だったのか。
最初は「マオ族」だったという極めて真実に近い噂が流れたが、じきにそれは「デマ」として片付けられ、彼は生粋のロキシエル人だったという結論に落ち着いた。
それは大部分の王都の人間にとって、マオ族が英雄になるということが受け入れられなかったからだろう。
ラーニャは自分の活躍を称えられたいとは全く思っていなかったが、ただ王都の人間に潜む無意識のうちの差別が悲しかった。
ともあれ事件は落ち着き、ラーニャももとの工場生活に戻った。
朝から汗と油まみれになって働き、夜はくたくたに疲れて眠る。
相変わらず過酷な労働を毎日繰り返していたが、ただ一つだけ生活に変化があった。
それは仕事の後、帰り道の途中にあるパン屋に寄ることである。
以前は節約のためパン屋など滅多に行かなかったのだが、最近そこが閉店間際に売れ残ったパンを大安売りするようになったのだ。
おまけに最近入ったバイトの青年が感じがよく、マオ族のラーニャにも偏見を持たずに接してくれる。
今日も仕事が終わった後、ラーニャはいつものように例のパン屋に入った。
店に入るなり、小麦の香ばしい匂いがラーニャの鼻をくすぐる。
「エドー、いつもの安いやつある?」
「お、ラーニャ今日も来てくれたの?」
ラーニャがバイトの青年エドに声をかけると、彼はあらかじめ用意してくれてたのだろう、袋に入ったパンを手渡してくれた。
「小銅貨三枚だよな。お釣りある?」
ラーニャがポケットから銅貨を取り出そうとすると、急に店の扉が乱暴に開け放たれた。
派手な身なりをした体の細い青年を筆頭に、ガラの悪そうな男たちが三人ほど入ってくる。
肩で風を切るその歩き方は、彼らがギャングのような「本物の悪」ではなく、ただのチンピラだということを表していた。
「オヤジ、いるんだろ?さっさとパン出してくれ」
リーダーらしき青年が、威張り腐った態度で店の奥に声をかけた。
この青年、着ている物から察するにどこぞの小金持ちのボンボンだろう。
いつも酒をたらふく呑んでいるのか、はたまた怪しい薬でもやっているのか、やせ細っていて顔色も悪い。
青年に声をかけられてしばらくすると、店の奥から店主のオヤジが大慌てで出てきた。
彼の顔を見るなり、機嫌を伺うような笑みを浮かべる。
「これはこれはロセスの坊ちゃん。何かご用でしょうか?」
「早くパン出せって言ってんだよ」
ロセスと呼ばれた青年はカウンターを平手で叩くと、ラーニャが横にいることに気付いた。
途端に不快感を露わにし、店の床に唾を吐き捨てる。
「おい、オヤジ。どういうことだ?こんな所にマオ公がいるぞ」
「はっ、はぁ。すみません」
「とっとと追い出してくれ」
何を思ったか店主はラーニャに向かって、「しっし」とまるで猫の子を追い出すような仕草をした。
「スマンが出て行ってくれないかね。お前がいると営業妨害なんだ」
「んだと!?」
「それからもうこの店には来ないでくれ。客が寄り付かなくなると困る」
「上等だ。言われなくてももう来ねぇ」そうラーニャは言い返すと、店を飛び出した。
彼女の後をエドが慌てて追いかけてくる。
彼は青ざめた顔で、「申し訳ない」と何度も頭を下げた。
「別にお前が謝ることねーよ。悪いのはあのボンボンとオヤジだ」
「でも……」
「お前、あの店クビになったら困るんだろ?しょうがねーよ」
店で何度か話すうちに分かったことだが、エドは今一人で寝たきりの祖母の面倒を見ているという。
以前は大きな商会に勤めていたが、祖母の世話をするために辞めたそうだ。
「……本当にすまない」
「そう言ってくれるだけでありがたいさ。でもあのロセスってヤツは何なんだ?散々威張り腐りやがってよう」
「アイツはここの地区長の息子なんだ。それを笠に着てやりたい放題。みんな我慢してるんだ」
王都は王宮を除き、全体として五つの町に分けられ、さらに町は地区によって細分化されている。
その地区を治めるのが地区長だが、大体はその地域の有力者がなる場合が多い。
一般庶民が普段の生活で接する中では、地区長が一番地位の高い人間と言っても間違いではなかった。
「アイツの父親は地区の警備隊にも顔が効く。警備兵もあてにならないってわけさ」
「そりゃあ最悪だなぁ」
警備兵までチンピラの味方とは、考えようによってはラーニャの住んでる地区よりおっかないかもしれない。
今までこの地区は通り過ぎるだけだったので気付かなかったが、難儀な事情を抱えているようだ。
「ラーニャも目をつけられないようにしろよ」
「大丈夫だよ」
もうパン屋にも寄れないのだから、この地区にも関わりようがない。
ラーニャはそう思っていたが、次の日そうも行かなくなった。
工場の帰り道、例の地区を通りかかると、ロセスとその仲間たちが一人の少女を無理やり馬車に押し込もうとしていたのである。
少女のそばには母親がいたが、彼女は「おやめください」と涙ぐむばかりで何もしない。
(しょーがねーなぁ)
気に食わないことがあると、国王にまで直談判してしまうラーニャである。
目の前で少女が拉致されそうなのを見て、何もしないで見ているはずがなかった。