王家陰謀編8 亡き母の思い
国王は突然立ち上がったマドイを驚いた目で見ていたが、やがて静かにうなずいた。
「良かろう。申してみなさい」
「なら遠慮なく申させていただきます。父上、なぜ貴方はそこにいらっしゃるヘンリエッタ様と不倫されていたのですか?」
マドイの一言で、貴族たちが小波のようにざわめいた。
皆それぞれに驚き、中には近くの者と何か囁きあっている者もいる。
中でも一番驚いていたのは、他でもないローレだった。
「何をおっしゃっているんですか殿下!何もこんな所で――!」
「言わせてくださいローレ殿。私は貴方から聞いた時からずっと心のうちに抱えてきたのです。なぜ父上が母上を捨てたのか。なぜ母上は父上に看取られず死ななければならなかったのか。――父上。どうか答えを教えてくださいませ」
マドイは半ばすがるような目つきで国王を仰いだ。
しかし聞かれたはずの国王は口をポカンと開け、目を皿のように丸くしている。
「一体何を申すのかお主は」
「父上?」
「わし、ヘンリエッタと不倫なんかしてないよ」
国王の顔は嘘をついているようには見えなかった。
彼の顔は何か突拍子もないことを言われたときの、例えるなら「お前ホントは宇宙人だろ」とでも言われたような時の表情をしていた。
国王の隣に座っていた皇太子オールも似たような顔をしている。
「しっしかし父上、父上は母上が亡くなるときもいらっしゃらなかったではありませんか」
その問いに国王が何か言おうとするより早く、オールが口を挟んだ。
「マドイ、お前は忘れたのか?その時北の国境で、パルレ王国の国民と我国の民が小競り合いを起こして、父上は日夜その対応に追われていたのだぞ。……お前は七歳のときだから覚えていないのか」
「ですが、それはヘンリエッタ様に会う口実だと……」
「そんな暇などない。その時父上の執務を勉強のために見学していた私が保証する。なにせ父上は一週間近く不眠不休だったのだ」
「何をバカなことを」と言わんばかりにオールはマドイを睨み付けた。
黒い髪を短く刈り、精悍な印象のある彼の睨みは、関係のないラーニャさえも肝が冷えそうになる。
何だか思っていたより雲行きが怪しくなって来た。
不倫をしたはずの国王が否定するならまだしも、同じ母から生まれた兄がそう言っているだ。
しかしマドイはたじろぎながらもまだ引かなかった。
「では百歩譲って母上の死に目に会えなかったのは紛争が理由だとしましょう。しかし不倫してないと言うならなぜ、母上が亡くなって一年足らずでヘンリエッタ様とご再婚なされたのです」
マドイは責めるように国王を睨み付ける。
ラーニャには、光の加減か、その瞳がどこか潤んでいるような気がしてならなかった。
彼の続けざまの問いに、国王が断固とした面持ちで答える。
「マドイよ、わしは誓ってヘンリエッタと不倫などしておらん。サクラの死に目より公務を優先させたのは、彼女がそう願ったからだ。『私の身より国民のことを案じてください』と。そもそもその前にヘンリエッタと結婚したきっかけは――」
意外なことに、国王の言葉を継いだのはヘンリエッタだった。
「サクラ様は、亡くなられるとき畏れ多くも私宛に遺言を残して行かれました。その遺言には一人になった国王陛下を私に支えて欲しいと書かれてありました。家柄も人柄も次の王妃にふさわしいのは私しかいないと……」
ヘンリエッタの侍従が、マドイにサクラの遺言書であるという薄汚れた書簡を手渡した。
それを見た途端、マドイが紫色の目を見開いて愕然とする、
「これは……紛れもない母上の字だ……。なんてことだ……。どうして……」
サクラは夫に見捨てられ、その夫は彼女の死後間もなく不倫相手だったヘンリエッタと結婚した――という話のはずだった。
しかし三人の話を総合してみると、サクラは自分の意思で夫に公務を優先させ、友人であったヘンリエッタを夫に嫁がせようとしたことになる。
表面的に起こった事だけ見れば両者に全く齟齬はないが、サクラの気持ちを中心にして考えると、その二つには天と地ほどの差が生じる。
一体どちらが真実か。
それはサクラの遺言書がすべてを語っていた。
ラーニャは両者の多少の行き違いを想像してはいたが、予想を上回る事態に呆然とするばかりだった。
彼の長きに渡る苦労は一体なんだったのだろう。
漸く明らかになった『真実』に打ちのめされたマドイは、呆然とローレの方を眺めていた。
「ローレ殿……貴方はずっと昔から、私に父上とヘンリエッタ様が不倫をされていたと言ってましたね。そのせいで、父上が母上の死ぬ間際に来れなかったと。これはどういうことです」
「それはマドイ殿下……」
「貴方は、私にずっと嘘をついていたのですか?ミカエルが生まれたその時から。今回のこともヘンリエッタ様が私の母を殺した証拠があると貴方が言ったのです。それも嘘なのですか?」
ローレの顔色が分かりやすく青くなる。
しかし彼はまだ終わってはいないと大声を張り上げた。
「しかし国王陛下!それとこれとは別問題です。公平なご決断を……」
「ローレ、お前はなぜ庭師がパレパレの花を勝手に刈ったのか理由を聞いていたな?わしがそれに答えてやろう」
驚くべき国王の発言に、広間中の注目が一斉に彼へ集まった。