王家陰謀編3 疑惑
マドイはラーニャの姿が見えなくなった辺りでやっと我に返った。
今更になって苛立ちが腹の底の方からふつふつとわき起こってくる。
あの少年、王族に啖呵を切って、目の前の金貨もこれから手に入るはずの金貨も惜しむことなく捨てて行った。
今日の食事代にもこと欠くような生活をしているはずなのに。
(生意気なクソガキめ)
どん底の貧乏暮らしをする小童が王族にたてつくとは、神をも恐れぬ所業である。
今すぐ鞭打ちにした後で、魔法の実験台として使い倒してやりたいが、現王妃の息子であるミカエルの友人だからそうするわけにもいかない。
マドイの怒りがエスカレートするに連れて、彼の周りの気温がみるみる下降していった。
手にしているカップの中の紅茶が、独りでにぴしぴしと凍りついていく。
あわやティーカップが破裂するというところで、後ろから来たマドイの婚約者――ローズマリーが彼に声をかけた。
「殿下、そんなに怖い顔をなさっていかがなされましたか?」
彼女の柔らかな声音にマドイの怒りも和らぐ。
「なんでもありませんよ。ただ小汚い子猫を見かけただけで」
「あら、一体どこから入り込んだのでしょう」
マドイの言葉を信じたのか、これ以上深く追求することはせず、ローズマリーがゆっくりと微笑む。
真紅の紅をさした豊かな唇と、長い睫毛に覆われた大きな目。
豊満な胸と細い腰が艶めかしい彼女は、まるで大輪のバラのようだと社交界でも評判の美姫あった。
「ところで、私に何か用でしょうか」
「父が殿下にどうしてもお話したいことがあると」
ローズマリーの父、ローレはマドイが母を亡くした頃から世話になっている東方の有力貴族である。
ローレはマドイにとって大恩人だと言ってもよく、彼が力になってくれなければ、今頃マドイは魔導大臣になるどころか王宮を追われていたかもしれなかった。
そんな彼がどうしても話したいとは何事か。
マドイはローズマリーに尋ねてみたが、彼女は首を横に振るばかりであった。
「大切な話だからと、父は何も私にお話してくださらないのです。とにかく殿下をお連れするようにと」
「分かりました。彼が私を呼び付けるとは、よほど大事なのでしょう」
マドイはローズマリーと一緒に、ローレが待っているという自室に向かった。
二人が王宮を並んで歩いていると、人は身分の上下を問わず必ず振り返る。
恐ろしいほど顔立ちの整った王子に寄りそう、香り立つような色気を纏った華やかな美女。
王宮の人間のみならず、国中の人間がマドイにふさわしいのはローズマリーだと思っていたし、またマドイ自身もそう思っていた。
部屋に着くと、ローレが待ちかねていた様子でマドイを出迎えた。
マドイは彼に椅子を勧めると、話しをするように促す。
「実は、話しと言うのは王妃様――現王妃、ヘンリエッタ様のことでして……」
ヘンリエッタの名を聞き、マドイはにわかに不機嫌になった。
「あの女がどうかしましたか?」
いくら王子とはいえ、王妃をあの女呼ばわりすることは本来なら許されることではない。
しかしローレはマドイをたしなめることはしなかった。
「これはまだ誰にも申し上げていないことでございます。できれば人払いをしてくださいませんか」
「わかりました。――ローズは?」
「これは私たちの今後の運命に関わることでございます。娘もここにいることをお許しください」
ローレは元々猫背気味の背中をさらにかがめながら脂汗をかいている。
マドイが言うとおりにしてやると、彼はようやく本題に入り始めた。
「現王妃様が先の王妃様、つまり殿下の母上様が亡くなる前から国王陛下と関係を結んでいたのはご存知ですね?」
「ええ。とっくに知っていますとも」
国王である父は、心臓の病に冒され死の床に着いた母にほとんど顔を見せることもなく、公務を言い訳にして現王妃のヘンリエッタに溺れていた。
父の母への裏切りを始めてローレに知らされたときの衝撃は、未だに夢に見るほどである。
「もう長くないと言われていたのに、父上はあの女にうつつを抜かしてろくに見舞うこともせず――。母上はどれだけ寂しかったことでしょう」
「あの方が亡くなるときも、陛下はそばにおられなかったそうですね」
「ええ。看取ったのは私と兄上だけでした」
マドイは彼女が死の直前に、庭にふる雪を床から眺めていたことを思い出した。
そのとき彼女は病気のせいか、外に振る雪よりも白い肌をしていた気がする。
文化も風土もまるで違う遠い島国から嫁いできた彼女は、夫に見放されてどんな思いで病床に伏していたのだろうか。
「その前王妃様のご病気の件ですが、ある侍女の証言から不審な点が浮かびまして……。どうも毒殺の可能性が出てきたのでございます」
「――なんですって!?」
「前王妃様は心の臓が弱るご病気でございました。しかし心臓を弱らせる毒などいくらでもございます」
もったいぶったローレの言い方に、マドイは痺れを切らして彼に詰め寄った。
「そんなことはどうでもいい。早くその毒殺の首謀者の名を言いなさい!!」
「……それが、現王妃ヘンリエッタ様なのでございます」
「……!」
これが本当なら王宮が天地動転する事態だ。
当然王妃は処刑されるだろう。
疑いたくなるような話だが、マドイはあの女ならやりかねないと思った。
死ぬ間際の母を孤独の縁に追いやり、死に目にも夫である国王に会わせなかった女。
王妃である母親を一番目障りに思っていたのは彼女だろうから、動機は充分過ぎるくらいだ。
「分かりました。もっと詳しく話を聞かせてください」
マドイは座っていたソファーに深く腰をかけなおした。