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激烈出稼ぎ娘  作者: 種子島やつき
番外編という名の続き
124/125

【番外編】マリッジブルー(後編)

 ラーニャに似合いそうな白い布地を手にしながら、マドイは彼女を迎えに行く時間が来るのを待っていた。

今日はこれから、ラーニャが舞踏会に着ていくためのドレスを作る予定である。

もともと他人を飾り立てるのが好きなマドイは、ここぞとばかりに張り切り、自室にありとあらゆる布地を用意させていた。

もちろん普段自分の服を任せている仕立て屋も、ラーニャのために呼び寄せている。


 透ける布地を使って大胆にいくか、それとも逆に思い切って襟元を詰めてしまうか。

本人も来ていないうちに、どんなドレスを着せるかマドイが悩んでいると、いつの間にか約束の時間がやって来ていた。

マドイは慌てて迎えに行こうとしたが、その前に部屋の扉をノックされる。

ひょっとしたら待ちきれなくて、ラーニャから来てくれたのかもしれない。

マドイはにやつきながら、召使に扉を開けさせた。


 だが開いた扉から覗いたのは、愛らしい白い猫耳ではなく、つるんと光るハゲ頭だった。


「……なんだ。貴方でしたか」


 勝手な期待を裏切られ、マドイは勝手に不機嫌になる。

部屋を訪ねてきたのは、可愛い婚約者ではなく、こないだ着任したばかりの副大臣であった。

訪ねるなりマドイに睨まれて、新しい副大臣はその禿げ上がった頭を掻いてみせる。


「申し訳ありません、マドイ殿下。何か悪いときに顔を出したようで」

「別に何でもありませんよ。で、何か用ですか?」


 相変わらず機嫌の悪いマドイに、副大臣は俯きながら言った。


「じつはその、私、ラーニャ様から伝言を頼まれまして」

「ラーニャから?」

「はい。『今日は行けないから、勘弁してくれ』と……」


 マドイは無言のまま手にしていた布地を眺めると、それからその白い額に皺を寄せた。

せっかく仕立て屋を呼んで、それ用の布地も数日かけて集めたというのに、こんなあっさりと約束を反故にするなんて。

マドイはラーニャの無責任ぶりに、一言、いやもっと文句を言いたくなった。

しかも直接自分から言いに来ないところが、余計に癇に触る。


 マドイは目の前にいるハゲオヤジに向けて、意味もなくきつい口調になった。


「一体どんな理由があって、私との約束を破るというんですか」

「それが、どうも体の調子が悪いらしくて……」


 にわかに涌きあがったマドイのイラ立ちは、副大臣の次の一言によって、すぐに収まった。

具合が悪いなら仕方ない。

むやみやたらと丈夫なラーニャだが、たまには体調が優れないときもあるのだろう。


「そうですか。なら、今日は諦めましょう」


 急に穏やかになったマドイに、副大臣はホッと安堵のため息を吐いていた。

とはいえ長居は無用だと思ったのか、彼は「良くなったら、ラーニャ様からご連絡するそうです」と告げると、足早に部屋を去っていった。

マドイはもっとラーニャの具合について聞いておけばよかったと思ったが、彼女のことだからきっと大丈夫だろうと考え直す。


 それからマドイは副大臣から伝えられた通り、ラーニャから連絡が来るのを待った。

一週間もすれば手紙でも届くだろうと呑気にかまえていたが、待てど暮らせど、彼女からは手紙どころか伝言のひとつすら来ない。

ひょっとしたら連絡を忘れているのかもしれないとマドイは思ったが、そのうちに「ラーニャがマドイとの結婚を迷っている」という噂が耳に入った。


「ラーニャが私との結婚を迷っている? そんなはずないでしょう」


 副大臣からその噂を聞いたマドイは、怒るというよりも呆れかえった。

ラーニャは今更結婚するかしないか迷うような、優柔不断な性格ではない。

きっと彼女のことを良く知らない人間が、面白半分にデマを流したのだろう。


(そもそもラーニャは私のことを愛しているはず。結婚を嫌がるはずがありません)


 自信満々なマドイは噂を鼻で笑ったが、数日後、事態は一変した。

ラーニャから「しばらく連絡を控えて欲しい」という手紙が送られてきたからである。

内容をよく読んでみるに、彼女は自分と結婚するせいで、マドイに迷惑をかけていると思いこんでいるようだった。

迷惑なんて、これっぽっちもかかっていないのに、どうしてそんなふうに勘違いしたのだろうか。

ショックを受けたマドイは、近くにいた副大臣に尋ねた。


「どうして彼女は、私に迷惑をかけていると思っているのでしょう。全然そんなことはないのに」


 この時、マドイはまるでこの世の終わりのような顔になっていたが、副大臣はのんびりとした口調で答えた。


「きっと結婚前で、些細なことが気にかかるのでしょう」


 世間一般の女性が、結婚前に心配性になることは知っていたが、まさかラーニャがそれに当てはまるとは思えなかった。


「ラーニャは、そんな柔な女性ではありません。きっと他に何か理由が――」

「いやいや、殿下。ラーニャ様と言えども、女の子なんですから。一生に一度の大事の前には、不安にもなりますよ」

「そんなものでしょうか」

「すぐに良くなりますから、ここは辛抱です。下手に慌てて迫ると、逆に引かれてしまいます。しばらく距離を置いた方がよろしいかと」


 マドイとしては、一刻も早くラーニャの元へ行きたかった。

だが副大臣の言うとおり、焦って詰め寄りすぎ、逆に嫌われる可能性もある。

マドイは理性と本能の間で激しく揺れ動いたが、苦悩の末、ラーニャとはしばらく会わないことに決めた。

副大臣は既婚者なので、ここは経験者の言う事を聞くのが得策だと思ったからである。

とはいえ、会わない間にラーニャが結婚を止める決心をしてしまうのではないかという不安は、常にマドイに付きまとった。

あんなにあった彼女への自信は、今や干し柿のごとくである。


 考えてみれば、マドイとラーニャの結婚には、不安要素がたくさんあった。

年齢だって八歳も違うし、本や服装の趣味も違う。

いや、そんな違いは身分の差の前では些細なものだ。

貧民の出稼ぎ娘と王子という身分の違いは、あまりに深くて大きすぎる。


 マドイはよくラーニャが求婚を呑んでくれたと思うと同時に、彼女に捨てられてしまうのではないかと、とても怖くなった。

これからラーニャは、マドイと一緒にいる限り、王家の一員として生きていくことになる。

それは今まで平民として生きてきた彼女にとって、非常に息苦しくて辛いものだろう。

いくらラーニャといえども、その苦しみを目の前にして怖気づいてしまうのも無理はない。

そう、怖気づいてそのまま逃げ出してしまうのも。


 ラーニャに捨てられる恐怖に苛まれたマドイは、食事も喉を通らなくなり、見る見るうちにやつれてしまった。

舞踏会用に新しく衣装を仕立てていたのだが、いざ当日袖を通すとぶかぶかになっている始末である。

だが今のマドイには、装束のサイズが合わないことよりも、久しぶりに会うラーニャの方が大事だった。

マドイはラーニャの姿を見つけるなり、他の参加者への挨拶もそこここに彼女の元へ駆け寄ったが、しばらくぶりに会う彼女は、いつもの元気さもどこへやら、挨拶しても悲しげに目を伏せるだけだった。

結婚への不安は、まだラーニャの中で消化しきれていないらしい。


(会が始まったら、少しでも多くラーニャと話しましょう)


 マドイは決意したが、舞踏会が始まるなり、あまりいい印象のない知り合いの男がこちらに向かってやって来た。

男はわざとらしく、ラーニャを無視し、マドイだけに挨拶をする。

彼の娘も同じように、ラーニャをいないものだとみなしているようだった。


(こういう輩がいるから、ラーニャが余計に不安に……)


 腹が立ったマドイは露骨に男を睨んだが、彼は気付いたのか、それをいなすように笑い声を上げた。


「しかし驚きましたなぁ。殿下にこのような趣味がおありでしたとは」

「このような趣味とは?」

「私はてっきり、殿下はもっと上品で洗練された女性を好まれるものと思っておりましたが、まさかこんな土臭い女性がお好きとは」


 男と娘は、ラーニャにはっきりと侮蔑の視線を送っていた。

一体彼らは、どういうつもりでラーニャにこんなあからさまな嫌がらせをしているのだろう。

マドイは疑問に思ったが、昔この男から、娘との縁談を持ちかけられたことを思い出した。


「殿下、もしまた文明が恋しくなりましたら、ぜひ私の娘にお声を」


 男はラーニャに八つ当たりをして気が済んだのか、踵を返そうとした。

だがマドイは、彼と娘を呼び止める。

大事な婚約者がやられて大人しくしているほど、マドイはできた人間ではなかった。


「ちょっと貴方がた。忘れ物があるのではありませんか?」


 一見和やかなマドイの口調に、男は戸惑ったように見えた。


「忘れ物?」

「ええ。ラーニャに挨拶を忘れています。犬猫でさえ挨拶するというのに、それを忘れるなんて。文明人失格じゃございません?」


 マドイはしっかりと男と娘を睨み付けた。

会場の空気が悪くなっているのが分かるが、この際構わない。

ただでさえ今不安定なラーニャを傷つけた責任は、きちんと取ってもらわなければならなかった。


「おいマドイ。やめろよ」


 会場の雰囲気を察したラーニャがマドイの袖を引っ張る。

だがマドイは引くつもりはなかった。


「向こうが悪いのに、なぜ引かねばならないのですか?」

「だって、みんな見てるし……」


 結局向こうが謝って事は収まったが、会場の空気も、ラーニャとの空気も悪くなったままだった。

自分のせいで揉め事が起きたと思っているのか、ますます彼女の顔から元気が抜けていく。

それを見て初めて、マドイはやりすぎたかと後悔した。

いくらラーニャが侮辱されたとはいえ、感情に走りすぎたのかもしれない。


 マドイは謝ろうかと思ったが、ラーニャはその前に気分が悪いと壁際へ行ってしまった。

これは大失敗だった。

せっかく彼女との仲を修復する機会だったのに、仲直りどころか、ますます不安にさせてしまうとは。

このままでは、本当に彼女が破談を言い出しかねない。


 結局マドイとラーニャは、それから一言も話さないまま舞踏会を終えた。

にっちもさっちも行かなくなったマドイは、副大臣の助言を無視し、ラーニャに会いに行こうと決意する。

だが物事と言うのは上手く行かない物で、行こうと決めた途端に立て続けに仕事が入り、マドイはなかなか彼女の元を訪れる時間が取れなかった。


(早く、ラーニャの所へ行かなければ――!)


 マドイは何とか根性で仕事を終わらせたものの、無理が祟ったのか、今度は酷い腹の風邪にかかってしまった。

医者によると、最近王城の中でこの手の風邪がはやっており、ミカエルもつい最近この病に倒れたという。

腹は下すし、吐き気はするし、何より酷い胃の痛みで、元々憔悴していたマドイはすっかり参ってしまった。

完全に弱気になり、召使相手にべそべそ泣き言をこぼす始末である。

「私はもうダメです」と繰り返すマドイに、召使たちは必死に笑いを堪えていた。


「せめて、最後にラーニャに会いたい……」


 どうしてもラーニャに会いたくなったマドイは、吐き気諸々を堪えて、彼女に手紙をしたためた。

何も知らない人が読んだら、遺言状かと思うようなその手紙は、副大臣によってラーニャの元へ送り届けられた。

いくら雲行きの怪しい仲になっているとはいえ、病気の見舞いに位来るだろう。

マドイはそう思っていたが、一日経っても、三日経ってもラーニャは訪れず、とうとうマドイが全快するまで彼女は来なかった。


「もうラーニャとは、ダメかもしれません……」


 せっかく元気になったのに、マドイはしょげ返ったままだった。

病気の見舞いにすら来ないとなれば、もはや彼女との中は絶望的かもしれない。

「もうダメだ」「おしまいだ」と、散々彼の愚痴を聞かされていた副大臣は、俯いたまま言った。


「実は私、ラーニャ様にもご相談されてまして」

「ラーニャが? 一体何と? 彼女は今どんな風なんです?」

「それが……」


 副大臣は口ごもっていたが、やがて答えた。


「ラーニャ様は今『王族に嫁ぐのが怖い』『マドイ殿下に迷惑をかけたくない』と言って、日がな一日中泣いているのです」

「ラーニャが?」

「はい。泣き暮らしているおかげで、だいぶおやつれになっておりました。あんなお姿、普段のラーニャ様からは想像できません。よっぽど気に病んでおられるのでしょう」


 あのラーニャがやつれるほど思い悩むなんて、マドイは想像できなかった。

彼女は一人で王都に出てきたときよりも、マドイとの結婚が不安らしい。

やはり身分の違いというのは、大きすぎる壁だったのだ。


「あのままでは、ラーニャ様がご病気になってしまいます」

「……」

「それにマドイ殿下も……」


 確かに最近目に見えて憔悴していることは、自覚していた。

だが今は自分のことよりラーニャのことである。

あの元気な猫耳少女が、自分のせいで病気になってしまうなんて、マドイには耐えられないことだった。


「……一体、どうすればよいのでしょう」


 マドイの呟きを最後に、沈黙が広がった。

そのうち、副大臣が恐る恐る言う。


「畏れながら申し上げますが、この際、一旦婚約をおやめになっては……」

「婚約をやめる? それは婚約破棄しろということですか!?」


 マドイが叫ぶと、副大臣は頭を下げる。

だが彼はなおも続けた。


「婚約など、またいくらでも結びなおせます。今はなりより、お二人の心身のご健康が大切です」

「……しかし」

「きっとお優しいラーニャ様のことです。どんなに辛くとも、自分から結婚を取りやめるなど、言い出せないことでしょう。ここは一つ、殿下から切り出すのも優しさという物では――」


 こちらから婚約破棄を申し出るのも、一つの優しさ。

その言葉を聞いて、マドイはぐっと唾を飲み込んだ。

もしラーニャが気に病むばかり、病気になってしまうのなら、マドイから婚約破棄を言い出すのも或いは優しさかもしれない。

マドイにとって、それは難しすぎる提案だったが、ラーニャに対して一番良いことをしてやりたいと思う気持ちも、また事実であった。


 ともあれ、婚約破棄など簡単に出せる結論ではない。

マドイはミカエルに相談することを決めた。

癪だったが、ラーニャの友人であり、かつ彼女に恩がある彼である。

王宮の中で一番良い相談相手に違いなかった。


 マドイがミカエルの元を訪ね、婚約破棄を考えていることを告げると、彼はその青い瞳をまん丸にして叫んだ。


「婚約破棄ぃ!? 兄上一体どうしちゃったの?」


 驚くミカエルをなだめ、事情を話す。

すると彼は渋い顔になって、しばらく考え込んでいた。


「ラーニャが結婚を不安がってるってねぇ……」

「そうなんです。どうやら王族に嫁ぐのと、私に迷惑をかけるのが怖いらしくて」

「ふうん。それ、本人から直接聞いたの?」


 意外なミカエルの答えに、マドイは戸惑った。


「なぜそんなことを聞くんです?」

「だって兄上の話、他人からの伝聞ばかりだから。ラーニャから直接聞いたのか気になってっ」


 マドイが首を横に振ると、ミカエルは呆れたようにため息を吐いた。


「じゃあ兄上は、ラーニャに直接会いもせず不安になってるってワケ? 馬鹿じゃん!」

「馬鹿とは何ですか! こっちは本気で悩んでいるんですよ!」

「ラーニャが悩んでるかなんて、直接見なけりゃ分からないのにっ。聞いてグダグダ悩むなんて、やっぱり馬鹿だよっ。百聞は一見にしかずって言うしね!」


 ミカエルは自分で言いながらうんうん頷くと、にやりと笑って「その百聞が真っ赤な嘘かもしれないし」と呟いた。

弟のどす黒い笑顔に多少ビビりながら、マドイは聞く。


「それは、副大臣が嘘を吐いていると?」

「さぁね。でも、兄上が言う「ラーニャの話」は、全て副大臣から聞いてるじゃない。だから丸きり嘘の話を吹き込むのも可能かなって」

「――しかし」

「それに兄上、ドレスを作る最初の日、仕事が忙しくて自分から取りやめたんじゃなかった?」


 確かあの日は、ラーニャから約束を反故にされたはずである。

マドイが否定すると、ミカエルは勝ち誇ったような、そしてどこか嗜虐的な笑顔を浮かべた。

無邪気で無垢だったはずの弟は、一体いつのまにこのような裏のある人間に変貌してしまったのだろう。

それとも、無邪気で無垢なそぶりも、全て嘘だったか。


「ふーん。ボクが風邪ひいてる間に、随分色々やってくれちゃたみたいだね。そいつは」

「そいつって、副大臣のことですか?」

「そうだよ。全く、これだから貴族社会って気が抜けないんだよねっ。まぁその方が楽しいし、最後に笑うのはボクだけどっ」


 椅子に座っていたミカエルは、ゆらりと立ち上がった。

ラーニャより背が低かった彼も、今はマドイとほとんど変わらない身長である。


「見てなよ兄上。これから全部明るみに出してあげるからさっ」


 ミカエルは一週間猶予をくれといい、部屋を出て行った。

彼が国王直々に、この国の諜報活動をまかされていることは知っている。

きっと表立っては言えないような手段を使って、副大臣のことを洗いざらい調べるのだろう。


 一週間後、ミカエルは約束どおり、調査結果を引っさげてマドイの部屋にやって来た。


「やっぱり思った通りだったね。兄上はまんまと副大臣に騙されてたよっ」


 調査結果によると、驚いたことに、ラーニャはマドイとの結婚を不安に思っていなかった。

つまり副大臣は、マドイに真っ赤な嘘を吹き込んでいたのである。

しかもお互い話が合わないなんてことがないよう、マドイとラーニャを引き離し、手紙を捨てたりしながら。

ラーニャにも似たような嘘を吐き、彼女を不安のどん底に陥れたと知った時は、マドイは憤死しそうになった。


「今すぐ奴をとっつかまえてやりましょう!」


 マドイは真っ赤になって拳を握り締めたが、ミカエルは涼しい顔をして言った。


「どうせなら、ラーニャに嘘を吹き込んでる現場を押さえた方がいいんじゃないっ? その方が面白――じゃなくて、相手にもダメージ与えられるでしょ?」


 副大臣をコテンパンにしてやりたかったマドイは、ミカエルの真意に気付くことなく、彼の提案に同意した。

ミカエルの情報網を使って、副大臣がラーニャの部屋に訪ねる予定を抑える。

当日、あらかじめ内密に公爵家に待機していた二人は、副大臣がラーニャの部屋に入ると、扉の外から聞き耳を立てた。

ミカエルが用意していた盗聴用聴診機のおかげで、小さな声も何とか聞き取ることができる。


 副大臣はあろうことか、ラーニャのせいでマドイが魔導大臣をクビになると彼女に吹き込んでいた。

それどころか、クビにしないために婚約を解消しろと、言葉巧みに彼女に迫っている。

調べによれば、副大臣には結婚適齢期の娘がいるらしい。

自分の娘とマドイを結婚させるために、ラーニャを排除しようとしているのだろうというのが、ミカエルの見解だった。


「ミカエル! 今すぐ奴をぶん殴りましょう」

「待って。もう少し様子を見ようよっ」


 今すぐ飛び出したかったが、ここは一役買ってくれた弟の顔を立てた。

副大臣に婚約破棄しろと迫られたラーニャは、扉の向こうで黙りこくっている。

だがやがて、彼女は声を絞り出した。


「……それでも、オレはアイツと結婚するのをやめないよ」


 マドイははっと息を呑む。

マドイはてっきりラーニャが、自ら身を引くとばかり思っていた。

意外だったのは副大臣も同じだったようで、彼は油っぽい声を張り上げる。


「やめないって、それじゃあマドイ殿下が職を追われてもいいというんですか!」

「……もちろん良くないよ。だけど、オレは結婚をやめない」


 表情はもちろん分からないが、ラーニャの声は力強かった。

彼女はさらに続ける。


「だって、マドイは貴族社会の事だって良く知ってるから、こんなことになるのも予想してたと思うんだ。いや、絶対そうだな。アイツだって馬鹿じゃない。――マドイはこうなることも覚悟して、オレに結婚してくれと言ったんだ」


 マドイは思わず「その通りだ」と、呟きそうになった。

実際はそうでもなかったが、ラーニャに求婚しようと思ったとき、ひょっとしたら自分の立場が危うくなるのではないかと予期していた。

しかし立場を損なう不利益より、マドイにとってラーニャを得る事の方がずっと大事だったのだ。


 ラーニャはその自分の覚悟を分かってくれていた。

その事実だけで、マドイは目頭が熱くなるのを感じる。


 まだ食い下がる副大臣に、ラーニャは断固として言った。


「そりゃオレだって、マドイが辞めさせられるのは、申し訳なくて仕方ないし悔しいさ。自分が引き下がればいいんじゃないかとも思う。だけどここでオレが身を引いたら、それはマドイの『覚悟』を裏切ることになるんだ。そんなこと、オレにはできねぇ。……だってアイツを愛してるからな」









「……だってアイツを愛してるからな」


 「愛」なんて口に出すのは恥ずかしかったが、それでもラーニャは言った。

顔と手足が、どんどん熱くなっているのを感じる。

副大臣は何が気に触ったのか、顔を真っ赤にしてブルブル震えていた。


「どうした? そんなに震えて」


 ラーニャが首をかしげると同時に、ばんと部屋の扉が開いて、マドイとミカエルが現れた。

噂をすれば影と言うが、ずっと向こうからこちらに来なかったのに、どういう風の吹き回しだろうか。

驚く彼女に、マドイは涙目になりながら声を張り上げた。


「ラーニャ! 私もラーニャを愛しています!!」

「ばっ、な、何だよ急に!」

「ラーニャは私のことをこんなに信じてくれたというのに――私は貴方を――!!」


 マドイは混乱するラーニャに駆け寄り、思い切り抱きついた。

いきなりの事と、あまりの気恥ずかしさに、ラーニャは大きな目を白黒させる。

何が起こったのか、さっぱり訳が分からなかった。

マドイはこちらが固まっているのをいいことに、猫耳に口付けたり、尻尾をにぎにぎしたりする。


「バカ! 何すんだ! 変な所触るな!!」

「ラーニャ愛してますうぅ!!」

「バカヤロウ殴るぞ! ミカエル助けれ! 何なのか説明しろ!!」


 助けを求めるラーニャを見て、ミカエルはにこにこしていた。

だが屈託のないその笑顔は、気のせいかどこか薄気味悪い。


「いやー、熱いね。こんなバカップル引き裂こうなんて、バカなこと考える奴もいるもんだねっ」


 笑ったまま、ミカエルは呆然とする副大臣の方を向いた。

視線が合った副大臣は、真っ青になって後ずさるが、ミカエルはそれを逃がそうとしない。


「ボク全部分かってるんだよっ? 君が二人にそれぞれデタラメ吹き込んで、仲違いさせようとしたこと。どーいうつもりか説明してくれるっ?」

「ひぃっ」

「説明しなくても、全部知ってるけどね。兄上とラーニャを婚約破棄させて、兄上が落ち込んでる所を、自分の娘に慰めさせて取り入ろうとしたんでしょっ? あわよくば自分の娘と結婚とか? 失恋の後は人恋しいからねー」


 ミカエルの話を聞いたラーニャは、抱きついてくるマドイをかわしながら目を見張った。

ひょっとして最近二人の仲が拗れたのは、副大臣のせいなのだろうか。

確かに仲が悪くなったのは、副大臣が赴任してからであるが。


「ミカエル、ひょっとして全部コイツの仕業なのかよ?」

「そうだよ。兄上が大臣クビになるなんて真っ赤な嘘。お互いを分断させて、それぞれ相手の悪口を吹き込む……。初歩的な手だけど、効果は高いよねっ」

「じゃぁ、マドイが嫌がらせにあってるっていうのも……」

「ぜーんぶウソっ」


 ラーニャは怒るよりも、この壮大な陰謀を計画した副大臣にただ呆れ返った。

もしマドイたちがことの全貌に気が付かなかったら、いったいどうなっていたことか。

下手したら今頃、ラーニャは故郷に帰っていたかもしれない。


「ミカエルたちが気付かなかったら、オレらやばかったんじゃねーか」

「それは大丈夫だよっ。だってさっき、ラーニャは絶対兄上と結婚するって言ったでしょ?」


 ミカエルが二ヤリ笑いをしながらウインクという、実に器用な真似をする。

彼の言葉で、ラーニャは先程の会話を全て聞かれていたことを悟った。

思わず走り出しそうになったが、マドイに後ろから抱き抱えられたせいで思考が中断する。


「ラーニャ! ミカエルじゃなくて私を見なさい」

「ちょっマドイ!」

「今日こそ猫耳を、チュッチュはむはむです!」


 ラーニャはミカエルに助けを求めたが、彼は「二重おめでた婚もいいよねっ!」と叫ぶと、青ざめた副大臣を連れて部屋から逃げていった。

普段は散々「でき婚」を非難しているくせに、一体どういう心境の変化だろう。

ひょっとして、マドイから金でももらったのか。


 マドイはラーニャの抵抗がゆるいのをいいことに、猫耳と尻尾を重点的に触ってくる。

もしかすると、マニアなのかもしれない。


「いい加減にしろって、言ってんだろ!」


 尻尾の付け根を掴まれて、ついにラーニャの堪忍袋の緒が切れた。

振り払おうとした肘が、偶然にもマドイの鳩尾に決まる。

ぐふっと言ったっきり、マドイはしばらく動かなくなった。







 結局、例の副大臣は首になったと、ラーニャはしばらくしてマドイから聞かされた。

彼が二人の仲を引き裂こうとしたのは、ミカエルの推測どおり、自分の娘をラーニャの後釜にすえようと企んでのことらしい。

そのために手紙を握り潰したり、侍女を買収したり、果ては週刊誌にマドイが大臣を首になると吹き込んだり、結構手間隙かけていたようだ。

副大臣の妨害のおかげで、二人の中は一時的に危うくなったわけだが、ラーニャは彼に対して怒りを覚えることはなかった。

マドイが何ともなくて良かったと、安心する気持ちが先にたち、副大臣なんて小物はもはやどうでもよかったからである。


 一難去ってより絆を深めた二人は、現在間近に迫ってきた結婚式の準備に大忙しであった。

ただでさえ立て込んでいた予定が、ゴタゴタのおかげでさらに過密を極めたのである。

とはいえ、マドイも仕事があるので常に準備に携わっているわけではなく、ラーニャが彼を待って時間を潰すことは多々あった。

普段ならしきたりを覚えたり、昼寝をしたりするのだが、今日はミカエルが暇な日なので、彼の部屋に行く。

そこで週刊誌を借りたラーニャは、思わずそれを放り出して叫んだ。

雑誌の見出しに「明るみに出たマドイ殿下の性癖!『猫耳チュッチュはむはむ』発言の真相とは!?」と、でかでかと書かれていたからである。

マドイの「猫耳チュッチュはむはむ」発言を知っている人物は、ラーニャを除いて、彼しかいない。


「ミカエル!! お前ちょっとこっち来い!!」

「ボク何もしてないよ? 濡れ衣だよっ!?」

「心当たりバリバリじゃねーか!」


 ラーニャがミカエルをシメようとしていると、ちょうどマドイがやって来た。

ラーニャは慌てて、例の週刊誌を隠す。


「二人とも、一体何をしているんですか」

「何もしてないって。お前の秘密はちゃんと守られてるよ」

「……? まあ、いいでしょう。今日はドレスの採寸を取る日ですからね。どんなドレスがいいか考えてきましたか?」


 ラーニャは頷く。

ラーニャはこれから、マドイと一緒に結婚式で着るドレスを作りに行くのだった。

舞踏会のドレスは作れなかったが、今回は上手くことが運びそうである。


「金に糸目はつけませんからね。最低五着は作りましょう」

「多すぎだろ」

「私はそれだけ着替えるつもりですよ? ラーニャも数を合わせないと」


 このお洒落王子は、相変わらずである。

きっと着るつもりの衣装も、眩しいくらいに派手なものばかりだろう。


「お前はホントしょーがねーなぁ」


 ラーニャはぼやきつつも、マドイの手を引いて、婚礼衣装を作りに向かった。

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