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激烈出稼ぎ娘  作者: 種子島やつき
番外編という名の続き
121/125

【番外編】初恋は妄想・暴走(前編)

今回は少し趣向を変えてみました。

前編は、とある少年が主人公です。



 植木屋の後取り息子、ネックにとって、今日は幼い頃からずっと待ち望んでいた日であった。

毎日どやされたり小突かれたり、時には怪我をしながら、父の元で鍛えられること十年余り。

辛い修行だったが、この日を夢見ていたからこそ、今日まで耐えることができた。


 ネックは最近渡された自分専用の道具たちを、何度も不備が無いかどうか確認する。


「こらネック。早くしないと置いてくぞ!」


 既に作業着に着替え、道具の支度も整えた父親が怒鳴った。


「悪い親父! 急に心配になっちゃって」

「そういう仕度は、前の日に終わらせとくもんだと散々言ったろーが」


 もちろん、前の日にもきちんと手入れと確認はしておいてある。

だがどうしても気になって、確認しないと落ち着かなかったのだ。


 今日ネックは父親に連れられ、初めて王宮へ仕事に行く。

緊張するなと言う方が無理だった。


 ネックの家は、王都に昔からある植木屋である。

昔からあるといっても別に大きな店ではなく、ただ王都の庶民の庭木を切ることを生業としていた。

だがそんな彼の家に大きな変化があったのが十年前。

この国の第二王子マドイ・ロキシエルが、ネックの父親メルツの腕を見込んで、仕事を頼むようになったのだ。

人一倍敏感な美意識を持つマドイ・ロキシエルは、王宮お抱えの庭師では満足できず、ずっと自分の感性に合う職人を探していたらしい。

そんな時偶然彼の目に付いたのが、メルツが作ったある小さな庭だった。

以来ネックの家は、春と秋の年二回、王宮にあるマドイ殿下の庭の木を整えに行くことになっている。


 商売道具を一式台車の上に乗せると、ネックと父親はそれを引きながら、王宮へ向かった。

王宮からは毎年馬車の手配があるのだが、それを断って徒歩で仕事場に向かう所が、昔かたぎの父親らしい。

えっちらおっちらと台車を引くこと数十分。

やっと城門の前に辿り着いたネックは、その壮大さに圧倒された。

白い石造りの城壁はどこまでも続き、ところどころにへばりついた蔦が、この城門の歴史、いやこの国の歴史そのものを否応なしに感じさせてくれる。

世界でも有数の勢力を誇るロキシエル。

その王と一族たちの住む王宮に、今ネックは足を踏み入れようとしているのだ。


 十五年間生きてきた中で、一番の緊張と期待が彼を襲った。

だが情緒もへったくれも無いメルツが、突っ立ったままの彼をどやす。


「おいコラ。何ボーっとしてんだ。もう門は開いたぞ!」


 頭を小突かれ、再びネックは台車を引っ張った。

王城の中に入っても、少しでも景色に現を抜かそう物なら、すぐさま親父の怒鳴り声が飛ぶ。

おかげでネックは、せっかく王城に来たと言うのに、ろくに周りを見ることすらできなかった。


 歴史ある城の中を、案内されるがままぼろい台車を引きずっていく。

時折城の誰かとすれ違うたびに、ネックは自分が惨めに感じられてならなかった。

いくら昔かたぎとはいえ、もう少し格好に気を配っても良さそうなものなのに。

そんな恨み言が出そうにもなったが、その前に、ネックと父親は目的地であるマドイ殿下の庭園に着いた。

バラが溢れ、一面に青々とした芝が広がるその庭は、ネックが今まで見たどの庭よりも美しかったが、

例のごとく父親は、彼に見惚れる暇を与えない。


「俺たちの仕事は、あそこに植えてあるプリットの木を整えることだ。他のには一切手を出すなよ」


 そう言ってメルツは、王宮沿いに何本か生えているプリットの木を指差した。

プリットは、だいたい建物二三階の高さまで育つ広葉樹である。

春には美しい若葉色に、秋には綺麗な紅色に染まるので、王都では街路樹などにも使用されている、ごく一般的な品種だ。


「最終的に整えるのは俺がやる。ネックは枝の間をすいて風通しをよくしろ。夏の間に伸びやがるからな」

「ひょっとしてオレたちの仕事は、プリットの木を整えるだけ?」

「当たり前ぇだろうが。王宮の庭を扱えるんなら、今頃もっと羽振りのいい生活してらぁ」


 どうやらマドイ殿下はメルツの「プリットの木を刈る腕」のみを見込んで、仕事を頼んでいるらしい。

わざわざ「プリットの木」だけを刈るために、それ専用の職人を雇うなんて、王族とは酔狂なものだ。

ネックは正直落胆をしたが、仕事が「プリットの木」だけとはいえ、王宮の庭に入れるならそれだけで恩の字だと思い直した。

まだ半人前の植木職人であるネックにとって、何よりの勉強は、一流の庭仕事を見ることだからである。


(この数日間で、できるだけ一流の仕事を目に焼き付けておくぞ!)


 ネックはそう堅く決心すると、勇んで仕事にかかり始めた。

するすると脚立を登り、春の陽気で伸びたプリットの若枝を刈り込んでいく。

プリットは割と丈夫な品種なので、気をつけるべきこともなく、一本の木にかかる時間はそれほどでもなかったが、そこは王宮の庭、とにかく本数が多い。

一本終わればまた一本と、ネックは次々と仕事を終えていったが、なかなか終わりは遠かった。

正午の休憩までには、まだ時間がある。


 ネックは初夏の日差しに薄っすら汗をかきながら、次に刈るべきプリットの木を見つめた。

王宮沿いに立っているその木は、それなりの年を重ねているのだろう、堂々とした大木である。


(こりゃあ骨が折れそうだぞ)


 ネックは心の中で呟きながら、大木に梯子を立てかけた。

梯子の長さでは上部まで届かないため、途中から幹をよじ登り、丈夫そうな枝に腰掛けて剪定作業を行う。

パチンパチンと、小気味良い音が辺りに響いた。

だが相手は大木、なかなか作業は終わらない。

ネックはさすがに疲れてきて、汗ばんだ額を手のひらで拭った。

この木の上からは、庭園が隅々までとても良く見える。


「スゴイなぁ。さすが王宮だ」


 ネックがため息と共に一言漏らすと、不意に後ろから誰かの声がかかった。


「庭師でもそう思う? やっぱり」


 完全に一人切りだと思っていた所に声をかけられ、ネックは声を上げて驚いた。

辺りを見回してみれば、木のすぐそばに窓があり、そこから一人の少女が顔をのぞかせている。


「驚かして悪いね」


 少女は大きな金色の目を細め、若干やんちゃそうな笑顔を浮かべた。

キメの細かそうな褐色の肌が、初夏の日差しを浴びて健康的に光っている。


「あ、いや、その……すいません」


 ネックは思わず謝った。

なぜなら少女のドレスから覗いている胸の谷間を、いつの間にか凝視していたからだ。

彼女、いくつなのかは分からないが、割と幼い顔立ちをしていながら、かなり豊満な胸部をしている。

少女はそんなネックの失礼な視線に気付いているのかいないのか、彼に続けて話しかけた。


「見ない顔だな。庭師の新人?」


 興味深そうに輝く彼女の瞳に、ネックの心臓が何故か跳ね上がった。


「い、いえ。あのその。オレ、いやボクはただの植木屋の見習いです。あの、プリットの木を切るためだけに雇われてて」

「へぇ。そうなんだ。プリットの木のためだけにねぇ」


 彼女の頭部に生えた大きな猫耳が、ピクピクと動いた。

そこで初めて、ネックは彼女がマオ族であることに気付く。

今まで顔(と胸)ばかり見ていたので、さっぱり分からなかった。


「大変だなぁ。高い所怖くないの?」

「もう慣れてるんで……」


 そこまでネックが答えたところで、下から親父の怒鳴り声が響いた。


「コラ馬鹿息子! ボーっとしてないで仕事しろい!!」


 思わず首をすくめたネックを、少女が笑う。

ネックは途端に恥ずかしくなって、耳まで顔を真っ赤にした。


「見習いってのは辛いなぁ。お前も頑張れよ」

「は、はい」


 ネックはますます顔を真っ赤にしながら、再び作業に取り掛かった。

鼓動はなぜか乱れに乱れている。


(あの娘、可愛かったなぁ)


 ネックはハサミを振るいながら、ぼんやりと少女の顔を思い浮かべた。

若干釣り目気味の大きな目と、ツヤツヤした褐色の肌。

そして何より大きな乳。

服装からして貴族のご令嬢だろうが、それなのに植木屋風情にも気さくに話しかけてくれた。

きっと誰にでも分け隔てなく接する性格なのだろう。


 あの少女の名前は何なのだろうか。

活発そうに見えたから、乗馬とかが趣味なのだろうか。

好きな食べ物は一体何だろう。

ネックはその日一日中、彼女のことばかり気にしていた。

ずっと植木屋の後取り息子として、男ばかりの環境で暮らしてきたネックにとって、それは初めての経験だった。


 明日もまた、彼女に会えないだろうか。

そんな願いが天に通じたのか、翌日、ネックはプリットの木の下で本を読んでいる彼女を見つけた。

初夏の日差しが、生い茂った若葉越しに少女の頬へと降り注いでいる。

だが今日の彼女は昨日と打って変わって、どこか憂いげな表情をしていた。

大きな金色の目も悲しげに伏せられ、視線は読んでいる本に向かって上を向かない。


 余程悲しい本でも読んでいるのだろうかと、ネックが本の拍子に目を凝らしていると、ふと少女が顔を上げた。

目が合って、ネックは急いで顔をそらす。

少女にどう思われたのか不安でならなかったが、彼女はあっけらかんと言った。


「あ、この木切る? 邪魔ならどうこうか?」

「いっ、いえ! 後でもかまいません!!」


 完全に裏返った声でネックは答える。

彼の頬はそばかすが隠れるほど赤く染まった。


「後でって、いちいち戻ってくるの面倒だろ? どくからいいよ」

「そんな、めっそうもない!!」


 ネックがあたふたしているうちに、少女は本を持ってあっさり立ち上がった。

そのまま王宮の方へ戻るかと思いきや、彼女は小さな足をピタリと止めて振り返る。


「――さっきこの本気にしてたみたいだけど、ひょっとしてお前本好き?」


 予想外の彼女の問いに、ネックは慌てふためいた。

生まれてこの方、ネックは園芸関係の本以外まともに読んだことは無い。

挿絵が無い本など、三ページで頭から煙を噴くくらい苦手だ。

だがまたとない彼女との会話のチャンスを、むざむざ手放すことなどできない。


「はい! ボク本大好きです!」


 結果ネックは嘘を吐くことにした。

良心の呵責が無いわけではなかったが、見る見る輝いていく少女の瞳を見て、そんなもの雲の彼方へすっ飛んで行く。


「ホント? 良かった! この本誰かに読んで欲しかったんだ」

「ど、どんな本でも大歓迎です!!」

「じゃあ、この本貸してあげる。 まだ何回かここに来るよな?」


 ネックは凄まじい勢いで、首を縦に振る。

少女は先程の憂い顔はどこへやら、にっぱり笑うと、彼に向かって手にしていた本を差し出した。


「返すのは最後の日でいいから。感想聞かせて!」

「はいっ!」

「絶対に感想聞かせてくれよ? なるべく詳しく」


 少女は念を押すと、「借りパクすんなよー」と言いながら、王宮の方へ戻って行った。

彼女がいなくなってしばらくしても、ネックはまだその場に立ち尽くす。

気分が高揚して、まるで天にも登るような心地だった。

彼女の名前を聞きそびれたとか、自分の名前を言いそびれたとか、そんなことはどうでもいい。

ネックはその後、通常の三倍の早さで仕事を終え、鼻歌交じりに家路についた。

自室に戻ると、まず一番に埃だらけの本棚を掃除し、彼女から預かった本をしまっても大丈夫なようにしておく。


 彼のそばかすだらけの顔は、これ以上なく緩みきっていた。

まさかあって次の日に、本のやり取りができるなんて。

にやけながら穴が開くほど本を眺めていると、そのうち母から夕食だと声をかけられる。

にやけた顔を引き締めて部屋を出たつもりだったが、彼の顔を見るなり、母親は言った。


「なんだい。にやにやして気持ち悪い」


 ネックより先に食卓についていた姉も、「キモイ」と言った。

そんな容赦ない女性二人を、父親がたしなめる。


「よさねぇか、二人とも。今日はコイツいいことあったんだ。なー? ネックちゃん?」

「な、なんだよ親父」

「俺見てたんだからな。お前が猫耳の女の子と話してるの」


 ネックは咀嚼していたパンを噴き出しそうになった。

まさかあの会話を、父親に見られてたなんて。


「な、な、親父――」

「いやー、春だなぁ。開花宣言だ、うん」


 今すぐこの場から消え去りたい気分になった。

姉は今度は自分がニヤニヤして、矢継ぎ早に質問を繰り出してくる。


「ねぇねぇ、その子可愛いの? いくつ? 名前は?」

「な、名前なんて知らねーよ! か、可愛いけどさ……」

「へー。その子メイドさん?」

「知らねーけど、多分違うと思う。いいカッコしてたし」


 ネックはモゴモゴ言いながら下を向いた。

こんなに居たたまれない気分になったのは、生まれて始めてである。

父と姉はまるで酔っ払いのようにニヤニヤしながら「春だ」「春だ」と口々に嘯いていた。

だが母はこのような状況に至っても、割合冷静である。


「ふーん。王宮にマオ族の女の子がいるのね」

「なんだよ。いて悪いかよ」

「……そうじゃないけど。ひょっとしてその子、金色の目をしてなかった?」


 母の言葉に、ネックは目を丸くした。

確かに、少女は一風変わった金色の瞳をしている。


「どーして母ちゃんが知ってるんだよ?」

「だって有名人じゃないの。マオ族で、金色の目をした女の子なんて、ラーニャ様一人しかいないでしょ?」


 「ラーニャ様?」と呟いて、ネックは首をかしげた。

父も、同じように不思議そうな顔をしている。

姉は心当たりがあるようだったが、世情に疎い男二人の様子を見て、母はため息を吐いた。


「アンタたち、仕事以外の事はてんでさっぱりなのね。――ラーニャ様っていうのは、マドイ殿下の婚約者のことよ」

「……婚約者?」

「そうよ。貧乏な村から出稼ぎに来て、なんだかんだでマドイ殿下に見初められたって話。この間婚約発表があって、大騒ぎになったじゃない」


 初夏は書き入れ時なので、忙しくて世間の風向きなどちっとも知らなかった。

父もポカンと口を開けている。


「でもよう、マドイ殿下って、今年で二十六になられるんだろ? ちょっとあの子とは年が離れてないか?」

「そこが問題なのよ。なんでも、ラーニャ様は無理矢理婚約させられたとか」

「無理矢理?」

「ラーニャ様は精霊の守護を受けてらっしゃるからねぇ。子供も守護を受ける可能性が高いのよ。だから血が目当てで、結婚だとか」


 母の話を聞いているうちに、ネックの身体は段々冷え初めて始めていた。

血が目当てで、年の離れた少女に結婚を強要するなんて。

相手は自国の第二王子である。

権力を使われて迫られたら、どんなに嫌でも従うしかないだろう。


「そんな……。血が目当てで結婚だなんて」

「ラーニャ様もお可哀想よねぇ。血が目当ての結婚じゃ、すぐに愛人作られて、冷たくされるのが目に見えてるわ。王宮の奥に閉じ込められて、子供産んだら用済みなんて、まさしく籠の鳥ね」


 ――籠の鳥。

ネックは何故か自分がその少女ラーニャであるかのように、絶望的な気分になった。

まだ若いうちに好きでもない男と結婚させられて、愛されることもなく王宮の奥に一人きり。

そのうち子供を産まされて、後は用済みの道具として一生を過ごすのだ。

ラーニャがマドイ殿下の婚約者だったこともショックだったが、それ以上に、ネックは彼女が哀れでならなかった。

今日の昼間見た、彼女の憂いを秘めた顔が目に浮かぶ。

あれはきっと、自分の将来を嘆いていたのだろう。


 青ざめるネックに、父親が励ますように声をかける。


「おい、そんな死にそうな顔するなよ。ただの噂かもしれないじゃねーか」

「……」


 それからネックはほとんど食事に口をつけないまま、自室に戻った。

そのままベットの上に倒れこんで、うつ伏せになる。

もう風呂に入る気力さえ涌かなかったが、ふとラーニャから本を渡されたことを思い出し、重い体を起こして、本棚からその本を抜き出した。

薄紅色の表紙には「籠の中のナイチンゲール」という題名が印字されており、可愛らしい本の装丁から察するに、どうやら女性向きの小説らしい。


 彼女は一体、どんな思いでこの本を読んでいたのだろう。

ラーニャの気持ちが少しでも知りたくて、ネックはページをめくった。

活字慣れしていないため、なかなか読み進めることができず歯がゆい思いをする。


 「籠の中のナイチンゲール」の主人公は、金髪碧眼の美しい少女だった。

森に住むその少女はとても歌が上手く、その評判は森から村へ、村から町へ、やがて都にも届いていく。

そしてついには皇帝の耳にも入り、少女のことを気に入った皇帝は、無理矢理彼女を妻として召し上げて――。


 まるでラーニャとマドイ殿下を彷彿とさせる話だった。

ところどころに線が引いてあるのは、その文が気に入っているからなのか。

続きが気になったが、なにせまともに本を読むのが初めてのネックである。

主人公が皇帝に召し上げられたところで、日が登ってしまった。


 ネックは最悪な気分に寝不足まで引っさげて、三度目となる王宮の庭園に足を運んだ。

母親から聞いた話が、嘘八百のホラ話ならばいいのに――ネックはそう願いながら、今日もプリットの木に登る。

庭園を見下ろしながら枝を切っていると、庭を歩いているラーニャの姿が見えた。

その手にはどこで摘んだのだろうか、野の花々で作られた花束が握られている。

彼女の行く先には、背の高い、銀色の髪を真っ直ぐ垂らした男性が立っていた。


(――マドイ殿下だ)


 ネックは無意識に二人に向かって目を凝らした。

やがて殿下の元に辿り着いたラーニャは、持っていた花束を彼に向かって手渡す。

だが次の瞬間、信じられないことが起こった。

マドイ殿下が渡された花束を、彼女の手ごと払いのけたのだ。

当然、叩き落とされた花束は、無残にもその場に四散する。

マドイ殿下は散らばった花に目もくれず、何事かを怒鳴ると、足早に去って行った。

残されたラーニャは、しばらく散乱した花たちを見つめた後、一つ一つそれを拾って行く。


(噂は本当だったんだ……)


 ネックの目の前が真っ暗になった。

母の話だけなら、単なる噂だと否定できたが、現場を見てしまってはもう「血が目当ての強引な結婚」を信じるほかない。

いや、正式に結婚する前から殿下はあんな態度なのだ。

実情は噂よりも酷いのかもしれなかった。


 ラーニャは花束の残骸を拾い集めると、王宮の方へ駆けて行った。

こちらから顔は見えなかったが、一体どんな悲しげな表情をしていたのだろう。

ネックは彼女が去って行った方を眺めながら、唇を噛み締めた。

目の前で辛い思いをしている少女がいるのに、なにもできない自分が歯がゆい。


 己の無力さを噛み締めながら仕事を終えたネックは、家に帰ると、夕食も食べずに読みかけになっていた本を開いた。

ラーニャから借りた本を読むことが、自分が彼女にできる唯一のことだと思ったからだ。

続きは、ちょうど主人公が皇帝に召し上げられたところからである。

ネックはいつの間にか、「籠の中のナイチンゲール」の主人公をラーニャの姿で想像していた。

悪者の皇帝は、もちろんマドイ殿下だ。


 続きを読むと、強引に召し上げられた主人公は、城の一番奥に閉じ込められ、悲しみのあまり歌が唄えなくなってしまっていた。

唄えなくなった少女は、もう皇帝にとって価値は無い。

彼女は皇帝に捨て置かれて、城の奥で一人きりになった。

閉じ込められた主人公が呟いた、「私は籠の中のナイチンゲール。自由になって森へ飛んで帰りたい」という台詞の脇には、鉛筆で線が引いてある。


 それをみてネックはハッとした。

一体ラーニャは、どんな気持ちでこの台詞に線を引いたのだろう。

きっと彼女は、自分と小説の主人公を重ね合わせているのだ。


「……ちくしょう」


 ラーニャにとって今の生活は、どれだけ辛いことか。

できることならあの王宮という名の籠の中から、彼女を解き放ってやりたかったが、相手は第二王子である。

しがない植木屋見習いが、逆立ちしても適うはずなかった。


「……ちくしょう」


 ネックはもう一度呟くと、本に目線を戻した。

だが疲れていたのだろう、自分でも気付かぬうちに眠りの沼へと沈む。

気が付くと、辺りはすっかり朝になっていた。

マドイ殿下に頼まれた仕事はまだ後二日ある。

今日も王宮まで行かなければならない。


 あんなに楽しみにしていた王宮行きだというのに、ネックはすっかり嫌になってしまっていた。

辛い思いをするラーニャを、遠くから何もできずに見守るしかできないからだ。

どうせ何もできないのなら、せめて彼女が辛い目にあっているところを見たくない。

だがその願いは、無情にも叶わなかった。

ラーニャとマドイ殿下が言い争いをしているところを、バラの垣根越しに目撃してしまったのである。


 ラーニャは殿下に向かって、どうしてそんなヒドイことをするのかと、叫んでいた。

その金色の目は、若干潤んですらいる。

対してマドイ殿下は、彼女を馬鹿呼ばわりして、まとも相手をするそぶりすらなかった。

ラーニャがよりいっそう激しく抗議すると、彼はあろうことか、彼女の頭を叩く。


 まさか白昼堂々と、婚約者である少女に暴力まで振るうなんて。

ネックは強い怒りが涌いてくるのを、堪えることが出来なかった。

人目につく場所でさえ頭を叩くのだ。

二人きりの時には、どんなヒドイ暴行を加えているのか分かったものではない。


 暴力を振るわれたラーニャは、しばらく立ち尽くした後、王宮に向かって走り去っていった。

ネックは垣根から飛び出して、マドイ殿下に殴りかかりたい気持ちを必死に押さえる。

今自分が出て行っても、取り押さえられて終わるだけだ。

ラーニャの待遇は何も変わらない。

一瞬、このまま彼女を王宮から連れ出してしまえばいいのではないかとネックは思ったが、まず捕まるだろうし、万が一上手く行っても、家族に累が及ぶことは間違いなかった。


 ネックはとぼとぼと家に帰ると、自室で例の本を広げる。

ネックが王宮に行くのは明日まで。

それまでに本を読み終わらなければならない。


 続きを読んでも、主人公は相変わらず城の奥に捨て置かれたままだった。

いや、状況はもっと悪くなっていた。

抜け殻になってしまった少女が気に入らなくて、皇帝が彼女を手荒く扱うようになったのだ。

なじられ、暴力を振るわれても、逃げ出すことができない少女。

文章には彼女の悲しみが、延々とつづられている。

ネックにはもう、主人公がラーニャ以外の何者にも見えなかった。


 主人公と同じく、ネックは悲しみに沈んだまま先を読み進める。

物語はずっと悲惨な状況が続くかと思われたが、そのうち少女に、ある一筋の光が差し込んだ。

一人の少年が、彼女の存在に気付いたのである。

少年は城の庭師だった。

偶然彼が手入れのために登っていた木が、彼女が閉じ込められている部屋の窓に面していたのである。

少女に気付いた少年は、一目で恋に落ち、人目を盗んでは木に登って、彼女と言葉を交わすようになった。


 木に登ったことがきっかけで、籠に閉じ込められた少女と出会った庭師。

まるでネックとラーニャにそっくりだった。


 少女と庭師はやがて仲良くなり、そのうち彼女は彼にこう言う。

『どうか、私を森へ逃がしてください』

その台詞を見たとき、ネックは目を見張った。

なぜならその文の横に、太い赤線が引いてあったからだ。


 ――これはラーニャの自分に対するメッセージではないだろうか。

ネックは直感した。

皇帝に無理矢理召し上げられた少女とラーニャ。

少女をひどく扱う皇帝とマドイ殿下。

そして庭師とネック――登場人物の置かれている状況が、あまりにも現実と酷似していたからだ。


 きっとラーニャは、助けを求めて、自分にこの本を渡したに違いない。

ネックはそう思った。

台詞の横に引かれた赤線は、きっと彼女自身の言葉なのだ。


 ラーニャの真意に気が付いたネックは、もういても立ってもいられなかった。

なんとしてでも、彼女を助け出さなければならないという使命の炎が、メラメラと燃え上がる。

いつか父は「男には立ち上がらなければいけない時がある」と言っていた。

今がネックにとってのその時なのだろう。


 ネックは机の引き出しからメモ用紙を引っ張り出すと、家族に向かって書き置きを残した。

明日ネックはラーニャを連れて逃げる。

この家には戻らないつもりだった。


 翌日ネックは最後の王宮での仕事を終えると、父に先に家へ帰って欲しいと告げた。

理由を尋ねられたので「道具くらい一人で片付けるから」と言うと、途端に父の機嫌が良くなる。


(ごめんな。親父……)


 息子の内心など露知らず、父親はぼろい台車を残して帰って行った。

彼の後姿を見送ると、ネックは一つ頷いて、最初にラーニャと出会ったプリットの木を見つめる。

出会ったときとは違い、もう日もすっかり落ち、彼女がいた窓には明りがついていた。

同じ所にラーニャがいるとは限らないが、ここでグズグズしていても始まらない。


 ネックは前と同じようにして木の上に上ると、慎重に窓の中を覗きこんだ。

部屋の中に彼女の後姿を見て、思わず声を上げそうになる。

彼女の他に、部屋には誰もいないようだった。

これはまたとないチャンスである。


 ネックは覚悟を決めると、小さく窓ガラスをノックした。

振り向いたラーニャは驚いた顔をして、こちらに駆け寄ってくる。


「おい、一体どうしたんだ?」


 そう言いながら、彼女は部屋の窓を開けた。


「借りた本を、お返しに参りました」

「え? わざわざ窓から?」


 ラーニャは怪訝な顔をしたが、すぐに気を取り直したのか、ネックに尋ねる。


「で、感想はどうだった? おもしろかった?」


 にっこり笑う彼女の顔をネックはじっと見つめた。

そして大きく息を吸い込んで、力強く答える。


「ボクと一緒にここから逃げましょう。それがボクの感想です」


 このときのネックは、今までの人生の中で一番輝いていた。

後編はラーニャのターンです。



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