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激烈出稼ぎ娘  作者: 種子島やつき
番外編という名の続き
120/125

【番外編】アーサー結婚!?(後編)

 ラーニャとマドイの結婚式は、ラーニャが十八になる今年の秋に予定されていた。

まだ半年以上あるが、結婚式というのは往々にして準備に時間がかかるものである。

しかも王族の結婚式だ。

やれしきたりだの、式後の舞踏会の進行だの、やらなければならないことは山ほどあり、最近のラーニャはてんてこ舞いであった。

しかも準備の必要があるのは、式のことだけではない。


 マドイの部屋の隣には、既に妻用の部屋が設けられていたが、まだ家具もろくに置かれていなかった。

早く部屋を整えなくては、結婚してもラーニャの住む場所が無い。

実際部屋を見ながら、内装の計画を立てよう――二人はそう事前に予定を組んでいたが、当日ラーニャが行ってみると、顔を合わせるなり、マドイから頭を下げられた。


「すみません。今日の予定は繰り越してもらえませんか?」


 今までマドイは約束を破ったことがなかったので、ラーニャは驚いた。


「一体どうしたんだよ急に? 風邪でも引いたのか?」

「……それが、急に魔導庁に行かなければならなくなって」

「仕事?」

「なんというかその……。副大臣の屋敷に、昨日強盗団が押し入りましてね」


 物騒な話に、ラーニャは眉をしかめた。

副大臣の顔は、魔導庁で働いていたラーニャも知っている。

もう五十過ぎるのになかなかの男前で、たしかプレイボーイと評判だったはずだ。


「で、無事だったのかよ。副大臣は」

「幸い怪我はありませんでしたが、金庫の中身が丸ごと奪われましてね。中に魔導庁の機密書類も入ってたんですよ」


 副大臣の持っている機密書類というのだから、その重要性は押して知るべきだろう。

そんな書類が紛失してしまったのだ。

一刻も早く対策を取る必要がある。


「分かった。行ってこいよ」


 このような状況で「私と仕事どっちが大事なの?」と言うほど、ラーニャは馬鹿ではなかった。

マドイの顔つきが少し軽くなる。


「すみません。この埋め合わせは必ず」

「いいって。それより頑張れよ」


 マドイは大量の荷物を持った従者を引き連れて、自室を出て行った。

彼がいなくなっては、ラーニャがここに残っている意味は無い。

すぐにラーニャも部屋を出て行こうとしたが、まるでマドイと入れ替わるように、ミカエルが息を切らしながら駆け込んできた。


「ラーニャ! 兄上! 大変だよ!!」

「おい、どうした? そんなに慌てて」

「アーサーが結婚するって!!」


 入ってくるなりの爆弾発言に、ラーニャは思わず「はぁ!?」と、口に出した。

アーサーはつい先日、年下の彼女に一回目のデートでフラれたばかりである。

それがいきなり結婚とは、なんかの間違いではなかろうか。


「おいおい。何の冗談だよそれ」

「冗談なんかじゃないよ。本当にアーサーが結婚するんだ!!」


 どうやらアーサーの結婚は本当らしい。

ミカエルは余程慌てていたのか、今更マドイの不在に気付いたようだった。

だがそうなるのも無理はないだろう。

彼から話を聞かされたラーニャも、驚愕のあまりしばらく声を出せないでいた。


 あのマザコン無神経で、さらに最近男尊女卑気味のアーサーが結婚。

果たしてどんな手段を使ったのか。


「ひょっとして、どっかから攫ってきたとか?」

「分かんないよ。アーサー、顔だけは良いし、ダメ男好きを上手く引っ掛けたのかも」

「相手は一体どんな人だぁ? いたいけな少女を騙したんじゃねーだろうな」

「ボクもまだ良く知らないけど、今日これから連れてくるって言ってるんだ。ラーニャだけでも一緒に来てよ」


 ラーニャは迷うことなく、首を縦に振った。

断る理由は無かったし、行けば哀れな女性を救うことができるかもしれないと思ったのもある。

二人はアーサーが相手を連れてくるという、ミカエルの宮まで急いだ。

約束の場所である応接間に行けば、既にアーサーがそこで待っている。

彼の顔はいわゆる「どや顔」であった。


「やぁ、遅かったですね。ミカエル様」


 先日とは打って変わって、彼の全身からは自信が満ち溢れていた。

これは本当に本当らしい。


「お二人して、先日は散々言ってくれましたよね。一生結婚できないだの、なんだの。私はちゃんと理想の女性を見つけましたよ?」

「お前の言う理想の女性って、確か、美人で優しくて、男を立ててくれて、応順で大人しくて、尽くしてくれて、世紀末覇者で、自分の母の言うことは何でも聞いてくれて、自分の食い扶持は全て自分で稼いでくれて、でも家事と子育ては完璧にして、髪は染めてなくて化粧もしなくて――あと、重要なのが、男性との交際経験がなくて、二十歳以下――な、人なんだろ。ホントかよ?」

「本当です。まぁ彼女に会ってから言ってください」


 アーサーは自信満々な様子のまま、扉の向こうにいるという「結婚相手」を呼び寄せた。

鈴の転がるような声と共に、戸が開けられて、可憐な女性が出てくる。

確かにアーサーの言うとおり、美人で、応順そうな女性であった。

だがラーニャは彼女の顔を見て、眉根を寄せる。

女性がどうみても二十歳より年上に見えたからだ。

アーサーが年齢を妥協するとは思えないし、大人びた顔立ちなんだろうか。


「彼女はジョセフィーヌ・トレボス。十五歳です」

「十五歳!?」


 ラーニャは言葉を失った。

アーサーの結婚相手、ジョセフィーヌは、どう頑張っても十七のラーニャより年上に見える。

それがまさか十五歳とは。

失礼だが、サバを読んでいるとしか思えなかった。


(二十五歳の間違いなんじゃねーのか?)


 ラーニャは心の中で叫んだが、すぐに年齢のことなど気にならなくなった。

ジョセフィーヌが部屋に入ってきた時点で前兆はあったのだが、彼女が凄まじくバニラの香水臭かったのである。

その匂いの強さと言ったら、バニラビーンズの束を鼻の置くまで突っ込まれている気さえするほどで、最初は耐えられたものの、しばらくするうちに胃のムカつきさえ覚えてきた。

隣にいるミカエルは、あろうことか白目を剥いている。


「彼女、十五歳なんですよ。若いでしょう?」

「ぶぶ」

「結婚したら一日中働いて、自分の生活費は全て自分で稼いでくれるんです」

「ふぎ」

「もちろん、妻としての仕事も育児も、一人で完璧にしてくれるそうです。まぁ、そうでもしてくれなきゃ、わざわざ結婚するメリットなどありませんからね」

「ぷぇっ」


(こいつ……。何でこの匂いの中で、平気でいられるんだ?)


 アーサーの言っていることなど、この匂いの前ではどうでも良かった。

今気になるのはただ一つ、この匂いの中で平気で呼吸ができる秘密である。

まさかジョセフィーヌ本人の前で鼻をつまむわけにもいかず、ラーニャの鼻はもう限界ギリギリだった。

鼻の奥は痛いし、そればかりか目が充血して涙が出てくる始末である。

ミカエルに至っては、もはや半分気絶していた。


 覚悟を決めたラーニャは、息を止めると、一気にまくし立てる。


「もういい分かったからそろそろ帰れよそのジョセフィーヌさんもいきなり王子の前に来たんじゃ気疲れするだろだからそろそろ帰らせてやれよ」

「それもそうですね」


 ラーニャは何とかアーサーとバニラの化身、ジョセフィーヌを部屋から追い出した。

部屋にはまだまだ匂いが残っているが、それでも先程よりはずっとマシである。

ラーニャは急いで窓を開け、中の空気を全て追い出した。

深呼吸をし、落ち着いたところで、ミカエルが床にひっくり返っているのに気付く。


「おいミカエル! しっかりしろ!!」

「――死ぬかと思った。本当に死ぬかと思ったよ」

「何なんだあの匂いは。何で本人とアーサーは平気で立っていられるんだ!?」


 まだ目がチカチカするので、片手で目蓋を押さえる。

ミカエルはひっくり返ったまま言った。


「香水って、付けてるうちに慣れちゃうらしいよ。それで匂いがどんどん濃くなっちゃうんだって」

「じゃあアーサーは?」

「アーサーは、剣の修行中に鼻強打してから、まともに匂いが分からないんだよ」


 どおりであの臭気の中でも、平気でいられる訳だ。

強烈なバニラの匂いに慣れ切った娘と、匂いの分からない男。

ある意味お似合いのカップルかもしれなかった。


 ラーニャはバニラの染み付いた部屋はゴメンだったので、すぐミカエルの宮を出た。

予定が変わってしまったので、帰宅までにはまだ時間がある。

鼻には未だにバニラの匂いが残っていた。


(なんか、気分転換できる所に行きてぇ……)


 甘い匂いにうんざりしていたラーニャは、久しぶりに下宿時代に良く通っていた、喫茶店に行くことにした。

マドイと結婚したら、もう気軽に下町の喫茶店など行けなくなってしまう。

時間も余っているし、ちょうどいい機会だった。


 馬車の中でドレスから目立たないワンピースに着替え、ラーニャは数年ぶりに馴染みだった喫茶店へと入った。

ほろ苦いコーヒーの匂いが、あの強烈な匂いを忘れさせてくれる。

しばらく見ていなかった王都の街中を、窓から眺めているうちに、いつの間にか日が暮れる時間になっていた。

しまったと思いつつも、ラーニャが馬車に乗り込もうとすると、ふと、またバニラの匂いが鼻を掠める。

気の所為と思いつつも周りを見回してみれば、人混みの中にジョセフィーヌらしき人影が見えた。


(ジョセフィーヌ!? こんなとこで、一体何を?)


 アーサーと結婚するくらいだから、貴族の娘であろうに、こんな町中に一人で一体何をやっているのだろうか。

追いかけようかと思ったが、思っているうちに、彼女の姿は人の並みの中に紛れる。

見間違いかもしれなかったが、バニラの匂いのこともあり、ラーニャには彼女本人がいたとしか思えなかった。


 年齢のことといい、たった今のことといい、ジョセフィーヌは何となく信用できない。

香水のこともあって、悪印象を抱いているのかもしれないが、ラーニャの勘は彼女が怪しいと告げていた。

そう感じたのは、ラーニャだけではなかったらしい。

翌日、ラーニャの元を尋ねてきたミカエルが、「ジョセフィーヌって、なんだか胡散臭いよねっ」と、彼女の印象を述べたからだ。


「なんか年齢もサバ読んでるみたいだし、香水臭いし、どう見ても怪しくない?」

「うーん。確かに十五には見えねぇよなぁ」

「だからボク、ジョセフィーヌについて調べてきたんだっ」


 何とミカエルは怪しいと思うや否や、ジョセフィーヌの調査を開始したらしい。


「お前、もう調べたのかよ」

「でね、調べてビックリ。彼女の家は下級貴族だって話だったんだけど、トレボスなんて貴族、存在しなかったんだよ」

「それ、本当にちゃんと調べたのか?」

「もちろん。ボクの調査網を甘く見ないでっ」


 王子とは言え十五歳の少年が、独自の調査網を持っていることは、この際気にすまい。

しかしミカエルの言っていることが本当だとなると、アーサーはジョセフィーヌに騙されているということになる。


「ひょっとして、結婚詐欺?」

「だろうねー。貴族なんて末端入れればたくさんいるから、バレないと思ったんじゃないっ?」


 まさか会ったその日に身辺調査をされようとは、彼女も思っていなかったに違いない。

それでも王子の前に堂々と顔を見せる度胸は、大した物だが。


「……結婚詐欺ねぇ」


 驚きよりも「やっぱりか」という思いの方が、先に来た。

アーサーの言う理想を満たす女性は、ほぼ百パーセントに近い確率で存在しない。

だが最初から騙すつもりで、一時的にその理想を演じることは可能だろう。


「ボロが出ないうちに、財産持っておさらばってとこか」

「出会って一週間足らずで結婚まで持ち込もうとしてるんだから、その通りなんだろうね」


 アーサーが縁に恵まれないことは、貴族社会以外でも有名である。

おそらくジョセフィーヌ――名前はおそらく偽名だろうが――は、その噂を聞きつけて、アーサーを標的に選んだのだろう。

確実に懐に入り込むため、服装や仕草、そして年齢までも好みに合わせて。


「いくらアーサー相手とはいえ、いきなり貴族を狙うとは思えないから、多分ベテランだね」

「そういえば昨日、街中でジョセフィーヌっぽい女を見かけたんだけど。もしかしてしてアジトが近くに……」

「それ本当!?」


 ミカエルはラーニャの言葉に意外なほど食いつくと、「早速そこに行って見ようっ」と言った。


「おいおい。行ってどうするんだよ」

「もちろん、捕まえるんだよ。ウソを吐いてることは確実なんだからねっ。そんでアーサーに現実を教えてやるんだっ」

「ちょ、まだアーサーにこのこと話してないのか?」

「当たり前じゃんっ。全部終わってから『アーサーざまぁ』しないとっ」


 しょうもないご主人様だとラーニャは思ったが、それだけアーサーに鬱憤が溜まっているのかもしれなかった。

ラーニャが「行く」と言う前に、ミカエルは部屋を飛び出す。

これはもう付き合うしかなさそうだ。


 結局二人は少数の護衛(もちろんアーサー除く)を連れて、昨日ジョセフィーヌを見かけた場所に向かった。

見かけた場所は、商店とアパートが立ち並ぶ雑多な地区である。

アジトがあるかもしれないとは言っても、建物全てを調べ尽くすのは骨が折れそうだった。

下手をすれば、別の場所を探しているうちに勘付かれて、逃げられてしまう恐れもある。


「どうする? 全部探すのは無理そうだぞ」

「うーん。じゃあとりあえず、昨日ジョセフィーヌを見かけた場所はドコ?」


 ラーニャは古びたパン屋の前を指差した。

ミカエルがそのパン屋に向かって走り出したので、ラーニャは慌てて追いかける。


「コラ! 急に走るな」

「平気だよっ」


 そう言った矢先に、ミカエルは道の脇にあったゴミ箱を引っかけた。

ブリキ製のゴミ箱は、中身を撒き散らしながら道中に転がる。


「ほら見ろ。言わんこっちゃねぇ」


 散らかったゴミなど、護衛に拾わせればいいのだが、そこはやっぱりラーニャである。

慌てて駆け寄ると、四散したゴミ箱の中身を拾い集めた。

幸いゴミは紙くずばかりで、手が汚れることはない。


「ミカエル。お前もこっち来て手伝え」


 いくら第二王子の婚約者とはいえ、不遜なラーニャの態度に護衛たちは慌てたが、ミカエルはしぶしぶながらもゴミを拾い始めた。

だがすぐに、驚いたように声を上げる。


「ラーニャ、ちょっと見てよコレ!」


 ミカエルが示した紙ゴミは、書類の一部のようだった。

周りが焼け焦げているが、中身を読むのに差し支えはなさそうである。


「このゴミがどうかしたのか?」

「良く見てよ! ほらココ!!」


 ミカエルが指差した所には、「魔導庁最重要機密書類」と、赤い判子が押されていた。

これには、さすがのラーニャも目を見張る。


「ひょっとしてこの書類、例の盗まれた書類じゃねーだろうな」

「散らばってるほかの紙も、全部書類みたいだよっ」


 調べて見た結果、周りに合ったほかの紙ごみも、すべて機密種類だということが判明した。

ゴミ箱のそこに黒い袋が残っていたから、おそらくミカエルがぶつかった拍子に、袋から飛び出てしまったのだろう。

書類を捨てたのは、先日副大臣の家に押し入った強盗団か。


「しっかし馬鹿だねぇ。捨てたら足が着きやすくなるだろうに、どうして燃やすなり何なりしなかったんだろう」

「この国の機密書類は災害があっても大丈夫なように、水や火に強くなる魔法円の透かしが入れてあるんだ。紙もちょっとじゃ破れないのを使ってるし。燃やした痕があるから、思ったように燃やしきれなくて、それで道端に捨てたんじゃないかなっ?」


 本当なら誰にも気付かれないまま、書類は回収されて処分場行きになっていたのだろう。

だが、ミカエルにぶつかられたのが運の尽きだ。


「ジョセフィーヌのことは後だ。早くマドイに報告しよう」


 二人はそのまま、急いでマドイのいる魔導庁へ向かった。

回収した書類の束を持って、彼の居場所である大臣室の扉を叩く。

中から返事があったので、扉を開けると、そこにはマドイと例の強盗に入られた副大臣が立っていた。

これはちょうどいいタイミングである。

ラーニャは二人に向かって、拾ってきた書類の束を見せた。


「マドイ! 無くなった書類が見つかったぞ」


 マドイは目を丸くしていたが、慌てて彼女の手から書類を取ると、ざっとその中身に目を通した。


「確かに無くなった書類です。しかし一体どこでこれを――」

「全然違うことで町を調べてたら、偶然ゴミ箱から見つかったんだ」


 まさかジョセフィーヌを追っていて、無くなった書類を見つけることになろうとは思わなかったが、これでマドイも副大臣も、一安心だろう。

だが喜ぶべき状況にもかかわらず、マドイはしかめっ面をして書類を眺めていた。

やがて、彼は書類から顔を上げて言う。


「この書類、何か臭くありませんか?」

「臭いって……。そりゃゴミ箱に入ってたんだから、しょうがないだろ?」

「いえ、そういった匂いではなくて……。なんかバニラの香りがするんですよ」


「バニラ」という単語に、ラーニャとミカエルは顔を見合わせた。

その香りといったら、思い浮かぶ人物は一人しかいない。


「ひょっとして、ラーニャ。ジョセフィーヌはこの書類を捨てに、あそこにいたんじゃないかな?」

「――まさか。アイツは結婚詐欺師で、強盗じゃないだろ」

「でも書類に移るほどのバニラ臭だよっ? 彼女以外いなくない?」


 ミカエルはマドイの手から書類をひったくると、副大臣の方に顔を向けた。

副大臣の顔色は、何故か青ざめて入るようにも見える。


「副大臣、強盗に入られたとき、バニラの香りとかしなかった?」

「そ、それは……」

「何隠してるの? 正直に言いなよ。調べれば、ボク何でも分かっちゃうんだよ?」


(改めて見ると、コエーなコイツ)


 ミカエルが怖かったのは、副大臣も一緒だったらしい。

彼は真っ青な顔をして膝を着くと、震える声で叫んだ。


「申し訳ありません。マドイ殿下! 私は実は、強盗団に押し入られたのではないのです!!」


 それから先は、彼の衝撃的な告白が待っていた。









 今日のディナーは、ジョセフィーヌと一緒だった。

彼女は今までの下らない女達とは違い、アーサーの話に反論することなく、黙って相槌を打ってくれる。


 アーサーにとってジョセフィーヌは、まさしく理想の女性であった。

結婚後は自分で自分の食い扶持は稼いでくれるし、もちろん嫁としての勤めも怠らないという。

屋敷の取り仕切りや、子育てなんて、どうせ大したことない仕事なのだ。

見合い相手の中には、「子育ては協力して欲しい」なんてほざく奴もいたが、甘えもいい所である。


「今日馬車の中で、子供を連れて歩く男を見かけたんだ。子育てなんて妻の仕事なのに、まったくいい迷惑だよ。そうやって妻を甘やかすから、男の威厳が損なわれるんだ」


 熱弁を振るうアーサーに、ジョセフィーヌが「そうですわね」と相槌を打った。

やはり彼女は物分りがいい。

アーサーとジョセフィーヌの会話――といってもアーサーが一方的に話しているだけだが――はその後も弾み、いつの間にか夜も更けていった。


 やがて夕食を食べ終わると、二人は屋敷の談話室で寛ぐ。

アーサーとジョセフィーヌは、向かい合う形でソファーに腰掛けていたのだが、そのうちに彼女が艶やかな声で言った。


「アーサー様。もっと近くにいらして下さいませ」


 アーサーはハッとして彼女の方を見る。

ジョセフィーヌの目は、誘惑の色を放っていた。


(ど、どうしよう。これは、ひょっとしてひょっとするとひょっとするぞ!)


 アーサーはいつも一回目のデートでフラれてしまうため、女性と手をつないだことすらない。

彼の心臓は今、期待と戸惑いで乱れ始めていた。

もう一度ジョセフィーヌが、囁くように言う。


「アーサー様。お傍にいらして下さいませ」


 意を決したアーサーは、思い切って彼女のいるソファーへ移った。

とはいっても、彼女とは最大限に距離を置いた所に座ったのだが。

緊張して顔を真っ赤にするアーサーに、ジョセフィーヌが流し目を向ける。


「アーサー様のいけず。もっと近くにおいでなすって」

「こ、こうですか?」


 拳一つ分だけそばに寄り、何故か敬語になるアーサー。

だがジョセフィーヌは首を横に振る。


「もっと近くに。そう、吐息がかかるくらい――」


 これはもう、寄らずにはいられなかった。

アーサーは鼻息を荒くしながら、愛しの彼女ににじり寄る。

文字通り息のかかる距離まで近付くと、ジョセフィーヌは片手をアーサーの頬にあてた。


「ジョ、ジョセフィーヌ」

「アーサー様……」


 うっとりとした顔つきで彼女が目を閉じ、アーサーも目を閉じて徐々に彼女へ顔を近づける。

だがその唇へ触れる前に、何か冷たい物が首筋に当たっていることに気が付いた。

薄っすら目を開けて、冷たいものの正体を確かめるようとするが、途端に物凄い力で顎を掴まれる。

そしてアーサーの耳を、低くてドスの聞いた声が貫いた。


「動くんじゃねーぞ。このマザコン野郎!」


 声の主は、あろうことかジョセフィーヌであった。

彼女は今目を吊り上げて、アーサーの首筋にナイフを当てている。


「ジョ、ジョセフィーヌ。コレは一体……?」

「黙ってろや、どぐされ野郎が。言うこときかねーとぶっ殺すぞ!!」


 ナイフを当てられたまま、アーサーは無理矢理立ち上がらされた。

そのうち部屋に茶を運んできたメイドが、状況に気付いて悲鳴を上げる。

何事かと家人が集まってきたところで、ジョセフィーヌが声を荒げた。


「テメェら、今からオレの言う事を聞きゃぁがれ。さもないとアーサーをぶち殺すぞ!!こんなクズでも、大事な後継ぎ様なんだろぉ?」


 アーサーの母親が、たまらず叫ぶ。

それをジョセフィーヌが「うるせぇババァ!」と、一喝した。


「ジョセフィーヌ、やめてくれ!」

「テメー、今オレに指図できる立場かコラァ。さっさと金庫の場所まで案内しろ」

「そ、それは……」

「嫌なら今すぐ、テメーの首掻っ切んぞオラァ!!」


 こうなったら仕方が無い。

アーサーは素直に、金庫の場所まで彼女を案内した。

もちろんその間も、ナイフは首に付きつけられたままである。


「一体どうしてしまったんだ、ジョセフィーヌ」

「まだ分かんねーのかよ。オレは元々そのつもりだったんだよ。好みの女のふりして近付いて、油断したところをいただくってな」

「う、嘘だ」

「嘘じゃねーよ。そんな寝ぼけた頭だから、オレに騙されるんだボケが」


 ジョセフィーヌにどやされている間に、いつの間にか黒尽くめの男たちが、金庫の周りを取り囲んでいた。

彼らが彼女の仲間なのは、間違いないだろう。

ジョセフィーヌはアーサーから金庫の番号を聞き出すと、男たちに鍵を開けるよう命じた。

そして中身の一切合財を、あらかじめ用意していた袋に詰め込ませる。

それが終わると、ジョセフィーヌは女とは思えないような力で、アーサーを縛り上げた。


「あばよ。ぼんくら野郎。一生ママのおっぱいちゅっちゅしてな」

「ジョセフィーヌ! 君って女は……」

「あ、そうそう。最後にいいこと教えてやるよ。オレはホントは――」


 ジョセフィーヌがそう言いかけた瞬間であった。

部屋の扉が開いて、騎士たちが大勢飛び込んできたのは。


「我々はロキシエル王国近衛騎士団である! 賊共、神妙にお縄に付け!」


 瞬く間に男たちが取り押さえられていくのを、アーサーは呆然と眺めていた。








 副大臣が「彼女」と最初に出会ったのは、お忍びで出かけた酒場だったそうだ。

そこで好みど真ん中の彼女に話しかけられ、意気投合。

何度かデートを重ね、晩餐会に招いたその日に「襲われた」らしい。

抱き付こうと近づいたところを、首にナイフを当てられ、いわれるがままに金庫の中身を差し出し――。

騙された恥ずかしさのあまり、本当のことを隠していたそうだが、おかげで危うく次の犠牲者が出るところであった。

ちなみに副大臣は、長年わずらっている蓄のう症せいで、匂いが分からないらしい。


 ラーニャとミカエルがアーサーの屋敷に駆けつけると、彼は捕まったジョセフィーヌたちを眺めながらうなだれていた。

相当ショックだったのだろう。

アーサーの顔は真っ青だった。


「おいお前、大丈夫かよ」

「……」


 さすがにラーニャも少しはアーサーに同情した。

せっかく現れた理想の女性が強盗だったなんて、さぞかし傷ついただろう。

しかし彼の次の発言で、ラーニャの僅かな同情心は吹っ飛んだ。


「まったく、平気で男心を玩ぶなんて。コレだから女は嫌なんですよ。最近の女は、こんなのばっかりだ」


 自分の非を棚に上げ、女性の所為にしようとする彼に、ラーニャのはらわたは瞬間的に煮えくりかえった。

哀れと思い、最後の情けをかけていたが、それももうやめにする。

ラーニャは真っ直ぐに捕まったジョセフィーヌの方へ向かうと、彼女のワンピースの胸元を引きちぎった。


「ちょっ、ラーニャさん何するんですか!」


 アーサーはラーニャを責めたが、すぐに言葉を失った。

ジョセフィーヌの胸元から、柔らかなふくらみではなく、硬そうな胸板が覗いていたからである。


 そう、ジョセフィーヌは、女装した男だったのだ。

副大臣が真実を隠した最大の理由もそこにある。

色掛けで男に騙されたなんて、面子を重んじる貴族が言えるはずもない。

バニラの香水をつけているのは、単純に男臭さを隠すためだろう。


「アーサー、お前は女じゃなくて、男に騙されたんだよ」

「そんな……」


 アーサーはひとしきり震えた後、泡を吹いてその場にひっくり返った。











 その後の調べで分かったことだが、ジョセフィーヌ一味は、他にも地方で似たようなことを何件もやっていたらしかった。

被害が表沙汰にならなかったのは、被害者が恥ずかしがって通報をためらったからだという。

通報しづらくするのも、ジョセフィーヌが女装していた理由の一つなのだろう。


 彼女が男だと知ったアーサーは、それからしばらく寝込んでしまったと、ラーニャはミカエルから聞いた。

ひょっとしたら、アーサーはこれをきっかけに結婚願望をなくしてしまうかもしれない。

ラーニャは少し心配になったが、ある日ミカエルが「アーサーの結婚相手を連れてきた」と言って、部屋を訪れた。

事件からまだいくらも経っていなかったので、ラーニャは驚く。


「ひょっとして、また騙されてるんじゃねーのか?」

「今回は絶対に大丈夫っ。ホラ見て!」


 ミカエルは断言すると、持っていた包みをといて、中から人形を取り出した。

人形と言っても、子供が遊ぶようなものではない。

何かのキャラクターだと思われる、美少女を模ったものだ。


「……コレ、何?」

「アーサーのお嫁さんだよ!」

「え? ……嫁?」


 ラーニャが口をあんぐり開けていると、部屋にアーサーが飛び込んできた。

ミカエルの手に抱かれた人形を見るなり、息を切らしながら彼は叫ぶ。


「ちょっ、ミカエル様! 私のシャルロンちゃんを返してください!」


(……シャルロンちゃん?)


 アーサーはミカエルの手からシャルロンを取り返すと、いとおしそうに頭を撫でた。


「アーサー、お前……。その人形と結婚するの?」

「人形じゃありません! 『ハツパニ☆』の、シャルロンちゃんです」

「『ハツパニ☆』って、漫画の――」

「彼女は文武両道、容姿端麗、おまけに料理も得意な女の子なんですよ! そこらへんの女なんて目じゃありません!!」


(現実の女と、架空のキャラを一緒にするな――!)


 ラーニャはよっぽど口に出して叫ぼうと思ったが、なんとなくそれをしたら、アーサーが壊れてしまう気がしてやめた。


「とにかく、シャルロンちゃんは私の嫁です! 誰がなんと言おうが嫁です!!」

「良かったね、アーサー。これで現実の女の子も安心だよっ」


 アーサーが幸せなら、これはこれでいいのだろう。

だがラーニャには、彼がとんでもない所へ向かっている気がしてならなかった。

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