王家陰謀編2 オレの心は非売品
ラーニャは馬車から降りると、王宮ではなく庭園の方に通された。
この前来た時は夜だったからよく分からなかったが、庭園には花が涌き出したように溢れかえり、まるで地上の楽園のような景色である。
当のマドイは庭園の東寄りにあるバラ園で、優雅に茶をたしなんでいた。
どこか気だるさのあるその姿は、下手な女性よりも艶めかしくて美しい。
しかしその額にはしっかりと「バッテン」印の白いバンソウコウが貼り付けてあった。
「お久しぶりですねぇ。相変わらず汚らしい格好ですこと」
「そりゃどーも。時間がなかったもんで」
「会う場所を庭にして正解でした。王宮を汚されたら困りますもの。あ、座るなら風下にして下さいません?」
「了解でございます。――っとおでこの調子はいかがでござんすか?」
マドイは薄めの唇を器用に引きつらせると、こちらにも聞こえるくらいの舌打ちをした。
「貴方、教養のないのは既にこちらも知ってますが、もう少しマシな言葉遣いをしてくれませんか?」
「承知致しましたマドイ殿下。その後額のお傷はいかがでございましょうか?私めとしても気にかかりまして、夜も眠れない有様でございます。あの夜の無礼な振舞いはなにとぞご容赦願いたく――」
望む通りの言葉遣いをしてやったにもかかわらず、マドイはがつんと音を立ててティーカップをテーブルに叩きつけた。
「うるさい!気持ち悪い!」
「じゃあどうすればいいんスか?」
「普段どうりに話せばよろしいっ!ああ鳥肌が立つ」
「分かったよたんこぶ王子」
マドイはまだ唇をひくひくさせていたが、かろうじて堪えたようだった。
「これ以上話していても時間の無駄です。本題に入りましょう」
マドイは手元にあった派手な扇を広げて口元を隠すと、意外なことを言った。
「貴方、魔導庁に来る気はございません?」
「――えっ?」
突然の彼の申し出にラーニャは驚いた。
「ええ。その瞳とこの間の身体能力……大地の精霊の守護を受けているのでしょう?今魔導庁に大地の精霊の守護を受ける者は残念ながらおりませんので、貴方に来ていただきたいのですか」
アーサーの話によると彼は魔導庁のトップ――魔導大臣とだというが、まさか大臣じきじきに入庁の誘いがあるとは思わなかった。
精霊の守護を受ける者として入庁するということは、彼の直接の部下になることを意味する。
場末の紡績工場で働いているラーニャにとっては、信じられないような話だった。
「もちろん報酬はそれなりに出します。月金貨二十枚でどうでしょう」
「きっ金貨二十枚!?」
金貨一枚の価値は銀貨十枚。
銀貨一枚の価値は銅貨十枚。
王都の平民の平均月収は多くて金貨三枚だから、平均の六倍以上の賃金がもらえることになる。
ちなみに今のラーニャの月収と比べれば三十七倍だ。
「やるやるっ。やらせてもらいます!」
先ほどの態度はどこへやら、ラーニャは這いつくばる勢いで首を縦に振った。
マドイが満足そうにうなずく。
「いい返事をもらえると信じていましたよ。ところで、今日はもう一つお話があるのですが」
マドイがそばにいた召し使いに目で合図すると、彼は重そうな皮袋をテーブルの上に置いた。
中で金属の触れ合う重たい音が聞こえる。
「この皮袋には金貨五十枚が入っています。もし貴方がミカエルと縁を切ってくれるなら、この金貨を全部差し上げます」
「……はっ!?」
思わずマドイの顔を見ると、彼は扇で顔を隠したまま妖しげな笑みを浮かべていた。
「もう私の弟と会うなと言っているのです。彼と関わっているとロクなことがないので」
「つまり絶交しろってか?」
「ええ。そうさっきから言っているでしょう?物分かりの悪い子供は嫌いですよ」
彼の発言の意図が掴めず、ラーニャは唖然とした。
ぽかんとしたラーニャの顔が面白いのか、マドイが扇越しにくすくすと笑っているのが分かる。
「どうしてそんなこと言うんだ。オレの存在が教育上良くないってか?」
「いいえ。あの小童、ずうずうしくて目障りなんです。貴方がいなくなれば彼も少しは堪えるでしょう」
ラーニャはミカエルとマドイの仲が悪いことを思い出した。
彼は弟を思ってラーニャを遠ざけたいのではない。
ただラーニャのそばにミカエルが、いや、ミカエルのそばにラーニャがいるのが気に食わないだけなのだ。
「だが断る!」
ラーニャは金貨が詰まった皮袋を掴むと、いとも簡単に遠くへ放り投げた。
思いもよらぬ彼女の行動に、マドイは扇を取り落として目を丸くする。
「やいテメェ。金があるからってなめたことしてんじゃねえ。オレにミカエルと絶交しろだぁ?冗談もたんこぶだけにしろや」
ラーニャは立ち上がると、爛々と光る金色の目で固まったままのマドイを睨め付けた。
「もしオレが汚らしいせいで弟に近寄って欲しくないっつーんなら、まだ考えてやったさ。でも違ぇ。お前は弟に嫌がらせしてぇだけだろーが!!」
「な……」
「どーしてお前がミカエルのこと嫌ってんのか知らねーが、オレはミカエルの友達だ。金もいらねーし、テメェのところで働きたくもねぇ。帰らしてもらう!!」
ラーニャが回れ右をすると、つられるようにマドイも立ち上がった。
全く予想していなかった事態にまだ戸惑っているようにも見える。
「貴方っ、ちょっ、待ちなさい!金はいらないのですか!?」
「オレの心は非売品じゃボケェ!」
ラーニャはマドイに向かって思い切り舌を出すと、一人でもと来た道を戻っていった。