【番外編】アーサー結婚!?(前編)
アーサーにとって、それは約一年ぶりのデートであった。
相手は中流貴族の三女ルーシー。
十七歳の可愛くて、それでいて賢い女の子だ。
家柄的にはアーサーの家の方が上だったが、彼女の容姿と年齢に免じて、それくらいは大目に見てやる。
しかし彼女とデートにこぎつけるまでは、本当に大変だった。
容姿も性格も悪い年増女どもが、自分の悪い噂をいちいちルーシーに吹き込んで、邪魔をしてきたからである。
「マザコン」だの、「空気が読めない」だの「女を馬鹿にしている」だの、言いがかりもいい所だった。
その噂を否定するのに、こちらがどれだけ苦労したことか。
だが過去の苦労など、今のアーサーにはどうでもいいことだった。
これから始まるルーシーとの素晴らしい一日を考えれば、そんなもの気にするにも及ばない。
アーサーは待ち合わせ場所で、デートへの期待に胸を弾ませていた。
予定では、これから二人で芝居を見に行くことになっている。
芝居の題名は「ハツラツ! 美少女パニック☆」略して「ハツパニ☆」
冴えない少年が、ひょんなことから美少女に囲まれて生活するようになるストーリーだ。
読んでいる男性向き雑誌でも大評判だったし、ラブコメ物だから、芝居を見た後彼女といい雰囲気になるのは間違いなしだろう。
アーサーがよからぬ妄想で、その端整な顔立ちを台無しにしていると、愛しのルーシーがやってきた。
今日のルーシーは、こげ茶色の髪にあったクリーム色のドレスを着、赤い口紅だけをつけていた。
少々地味ではあったが、派手なドレスにケバイ化粧をした、他の貴族女よりはずっとマシである。
「お待たせしました。アーサー様」
滑らかな白い頬に出るえくぼが、初々しくて眩しかった。
やはり女は若い奴に限る。
「やあ、会えて嬉しいよルーシー。早速芝居を観に行こう」
「何を観るんですの?」
「着いてからのお楽しみだよ」
停めてあった馬車に乗り、二人は王都の中心街にある劇場へと向かった。
今日行く劇場は、一度にいくつもの芝居を上演できる、国一番の大劇場である。
庶民から貴族まで利用するそこは、今日も大勢の人でにぎわっており、芝居を宣伝する垂れ幕が、いくつも屋根から垂れ下がっていた。
もちろん美少女が大きく印刷された「ハツパニ☆」の、宣伝幕もかけてある。
「アーサー様、今日はもしかしてあれをご覧に?」
馬車を降りたルーシーが指差したのは、「ハツパニ☆」の垂れ幕ではなく、「愛と死のエチュード」と書いてある幕であった。
「愛と死のエチュード」が、不治の病に侵された女と、貴族の男性の純愛物語であることは、アーサーも雑誌で知っている。
アーサーは若い男女が描かれた垂れ幕を見ると、鼻で笑った。
「まさか。僕はあんな馬鹿らしいもの、わざわざ金払って見たりしないよ」
「馬鹿らしいもの……で、ございますか?」
「そうだよ。どーせ女が『死ぬ死ぬ』言って、観客のお涙頂戴するんでしょ? 茶番だよ。茶番」
アーサーはそう言いながら、「愛と死のエチュード」略して「愛エチュ」の劇場に入っていく女たちを一瞥した。
「ほら、『愛エチュ』観に行く女って、どれもこれもケバくて、頭悪そうなのばっかりだろう? あんな三文芝居観るような女なんて、たかが知れてるのさ」
「……」
「きっと雑誌に流されて、流行を追っかけまわしている奴らなんだろうね。流行と恋愛しか脳にない馬鹿なんだよ」
アーサーは散々道行く彼女達に好き放題言うと、ルーシーを劇場へと促した。
だがルーシーはその場から微動だにしない。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「アーサー様、私は貴方様にふさわしくないようでございますわ」
ルーシーは笑っていない目でアーサーに言った。
「だって私は『愛エチュ』を一度見に行った、ケバくて流行と恋愛しか脳にない馬鹿女なんですもの。そんな私のような女は、アーサー様のお傍に畏れ多くてとてもいられません」
「えっ。ルーシー?」
アーサーが目を白黒させている隙に、ルーシーは彼に背を向けて歩き出していた。
「あっ? ちょっとどこに行く気だい?」
「ごきげんよう、アーサー様。もう二度と話かけないで下さいまし」
振り返ったルーシーは慇懃に頭を下げると、スタスタとアーサーの元から離れていった。
*
「まったく、いきなり帰るなんて失礼極まりない女ですよ」
アーサーはそう言って、先日のデートについての話を締めくくった。
そんな彼を、ラーニャは不可解な物体を見る目で見つめる。
自分で墓穴を掘っておきながら、相手に非があると主張するとは、どうしようもない駄目男だ。
ミカエルから「相談がある」と言われて宮に来てみれば、こんな下らない話を聞かされるなんて。
ラーニャは額に手を当てて、ため息を吐いた。
「そりゃ、相手も怒って帰るだろうよ。つーか、デートに美少女物見に行くってどういうことだ」
「美少女物のどこがイケないんですか? 『ハツパニ☆』は原作の漫画も面白いんですよ!」
「いや、そういうことじゃなくて」
「そりゃ私も少しは悪かったかな、って思ってますけど。大して怒るような事じゃないでしょ。これだから『愛エチュ』を観るような馬鹿女は嫌なんですよ」
ラーニャは熱弁を振るうアーサーに、もう何も言う気が起きなかった。
「勝手にほざいてろ」と、いうのが率直な感想である。
ラーニャは呼びつけておいて、女性週刊誌を読みふけっているミカエルを睨んだ。
「おい、ミカエル。相談があるって言ったのにコレかよ。お前の用はアーサーの話を聞かせる事か?」
「あ、アーサーの話終わった?」
ミカエルはやっと雑誌から視線を上げる。
「で、ラーニャ。アーサーの話を踏まえて、相談したいことがあるんだ」
どうやらアーサーの下らない話は、ミカエルの相談と関係があることだったらしい。
ミカエルは雑誌を置くと、青い瞳でラーニャを見据えながら言う。
「アーサーって、何ゴミの日に出せばいいと思う?」
真っ直ぐな瞳をして問うミカエルに、ラーニャは一瞬真剣に答えを考え、そしてすぐ我に返った。
「おいお前! 何とんでもないこと言ってんだよ!!」
だがミカエルは怒鳴られても、なんら悪びれた様子を見せなかった。
「だって、今の話聞いて『ダメだコイツ』って、思ったんだもんっ。ラーニャもそう思ったでしょ?」
「まぁ、それもそうだけど……」
「だからもうゴミに出そうと思ってっ。やっぱり生ゴミの日かな? それとも粗大ゴミ?」
そして「面倒くさいけど、いちいち分別しないとイケないのかなっ?」と、続けた。
口先は冗談めかしているが、ミカエルの目は笑っていない。
アーサーのご主人様は、今回のことで彼にほとほと愛想を尽かしたらしかった。
なんせラーニャから見ても、そのマザコンぶりと無神経ぶりが目立つほどである。
つねに一緒にいるミカエルがうんざりしたとしても仕方なかった。
「ミカエル様! ひょっとして私を首にするおつもりですか?」
やっと自分の風向きが悪いことに気付いたアーサーが慌てる。
ミカエルは天使のような微笑を浮かべながら答えた。
「首にしたいっていうより、ゴミに出したいって感じかなっ」
「そっ、そんな!」
「っていうか、そんなんだったらいつまでも結婚できないと思うよっ」
アーサーは、もうすぐ二十八である。
二十歳が平均初婚年齢であるロキシエルの貴族にとって、彼の年齢まで独身でいることは珍しかった。
独身主義を貫いている者ももちろんいるが、アーサーは違う。
日夜結婚のために活動を続け、なおかつ家柄も容姿も優れているにも拘らず結婚出来ない彼は、ロキシエルの歴史から見ても稀な存在だった。
ミカエルのもっともな指摘に、ラーニャも頷く。
「そうだな。ミカエルの言うとおりだよ。このままじゃ一生どころか、来世になっても無理だな」
「そんなっ。ラーニャさんまで。私はちょっと母親が好きで、ちょっと空気が読めないだけじゃないですか!」
「お前は母親好きと空気読めないのを通り越して、マザコンで無神経なの!」
アーサーが黙ってしまったので、ラーニャは言いすぎたかと思ったが、そのくらいでへこたれる彼ではなかった。
あろうことか、ラーニャに向かって逆切れをかましたのである。
「そうやって言ってるラーニャさんだって、モテないじゃないですか」
「なっ、何だよ急に」
「男を立てることを知らなくて、乱暴で、下品で。取り柄と言ったらその巨乳と猫耳だけじゃないですか。運良く引き取り先が決まったからって偉そうに」
アーサーはラーニャの乳をじろじろ見ながら、口をへの字に曲げた。
確かにラーニャの胸は、最近特に膨らんで、巨乳と言っても差し支えない程の大きさである。
しかしだからといって、無遠慮に見ていいはずがないだろう。
ラーニャはとっさに胸を両手で押さえながら叫ぶ。
「何見てんだよ、コノヤロウ!」
「何ですかそのわざとらしい反応。純情ぶっちゃって。ホントはマドイ殿下と色々しちゃってるくせに」
「なんだと!?」
「あー、やだやだ。男がいるくせに、かわい子ぶっちゃって」
ラーニャは本気でアーサーを殴ろうとしたが、ミカエルが間に入った。
「アーサー! ラーニャと兄上はチューしかしてないよっ! ボクいつも見てるからホントだもんっ」
「ちょっ、ミカエルおまっ」
「アーサー、ラーニャに謝んなよ! 失礼すぎるよ!」
失礼とか、もはやそういう問題ではない気がするが。
しかしミカエルに詰め寄られてなお、アーサーは反省のそぶりを見せない。
「いくらミカエル様のご命令とはいえ、こんなアホ女に謝るのは嫌です!」
「アーサー!」
「お二人は私に結婚は無理だとおっしゃいますけどね、いつか私の前にも可愛い姫君が現れますよ。周りの女が低レベル過ぎるだけなんです! 私にふさわしい女性はきっとどこかにいます!」
(そんな女いるわけねーだろう)
誰が好き好んで、マザコンで無神経で、おまけにセクハラをかますような男の元へ嫁ぐというのだろうか。
だいたい周りの女が低レベルだと言うが、一体アーサーにとって、どんな女が「高レベル」なのかも不明である。
「オメーにふさわしい女性って、一体どんなだよ」
「そりゃ美人で優しくて、男を立ててくれて、応順で大人しくて、尽くしてくれて、私の母の言うことは何でも聞いてくれて、自分の食い扶持は全て自分で稼いでくれて、でも家事と子育ては完璧にして、髪は染めてなくて化粧もしなくて――あと、重要なのが、男性との交際経験がなくて、二十歳以下ってところですね」
「いるわけねーだろ。そんな女」
「自分が違うからって決め付けないで下さいよ。絶対そんな女を嫁にしてみせるから、見ていてください!」
アーサーは張り切った様子で、ミカエルの部屋から出て行った。
どうやら今日は半休を取ったらしい。
ラーニャはミカエルがアーサーをゴミに出したかった気持ちが分かった。
もしあんなのと四六時中一緒にいろと言われたら、半日も立たないうちに、ラーニャはアーサーをボコボコにしてしまうだろう。
「全く。どーしよもねーなアイツは」
「ホントだよ。名前だけで相手殺せるノートとかあれば便利なのに」
ミカエルは眉を八の字にして、「お手上げ」のポーズを作る。
「ラーニャにも言われれば、少し堪えると思ったのになっ。全然効果がなかったよ」
「だけどアイツ、昔はもうちょっとマシだっただろ。どうしてこうなったんだ?」
「うーん。なんかモテない男同士で傷をなめあってるうちに、ああなっちゃったみたいだねー」
モテない男同士で慰めあっているうちに、悪い方向へ転がってしまったらしい。
元々顔と家柄の良さを打ち消してしまうほどの、マザコンと無神経である。
それがさらに悪化したとなっては、アーサーの結婚は絶望的であると言って良かった。
「面白半分に観察するには、これ以上無い対象なんだけどねぇ」
ミカエルのため息が、春の日差しが差し込む王宮へ溶けた。
*
絶対理想の女を捕まえて、あの猫耳巨乳女に目に物見せてやる。
そう決意して王宮を飛び出したは良いものの、今のアーサーに「理想の女」の当てはなかった。
女の知り合いはいるにはいるが、侍女なんてもってのほかだし、貴族の女たちは二十歳以上の年増ばかりである。
出会いを目的にしたパーティーやら茶会やらで、若い女を探したことも多々あるが、彼女らはなぜかアーサーと、話どころか目も合わせてくれない。
きっと自分と上手くいかなかった年増女共が、腹いせによくない噂を流しているからだろう。
若い女性から無視される原因を、アーサーはこう分析していた。
自分が悪いかもしれないなんて、はなから考えてもみない。
アーサーは飛び出した手前、城に戻るわけにも行かず、ぶらぶらして時間を潰していた。
何もすることが無いので、昼間から開いている酒場に入って酒を飲む。
アーサーの見た目は、かなり良い。
飲んでいるうちに若い女が何人か話しかけてきたが、しばらく会話をすると、皆顔をしかめて遠くの席に行ってしまった。
きっと教養高い話についていけなくて、辛かったのだろう。
「ハツパニ☆」の話に乗ってこれないなんて、哀れな女たちである。
結局何の出会いもないまま、アーサーは日が暮れる頃酒場を後にした。
ほろ酔い気分のまま、停めてあった自分の馬車に乗って屋敷に帰る。
屋敷に着くと、門の前に一台の馬車が停まっていた。
誰か、来客でもあったのだろうか。
アーサーが家の中に入ると、侍女から客間に客が来ていると告げられた。
どうやら、母がアーサーの留守中に通したらしい。
「お前も来るように」との伝言があったので、アーサーが言われた通り客間に行くと、そこには若い男女が二人掛けのソファーに座っていた。
男性の方はどうでもよかったが、アーサーは若い女の方を見て目を見張った。
彼女が、あまりにも自分の好みに合った容姿をしていたからである。
服装・髪型・化粧どれを取っても控えめで、顔立ちも整っていながらきつい印象はなく、大人しそうな内面が滲み出ているようだった。
しかもアーサーが大好きな金髪碧眼である。
動揺を抑えながらアーサーは「当家にはどのような御用で」と、二人に尋ねた。
すると男性の方が席から立ち上がり、頭を下げながら言う。
「いきなりのことで申し訳ないのですが、どうか私の妹をそちら様の嫁にしていただきたいのです」
突然の申し出に、さすがのアーサーも驚いた。
「それは一体どうしてですか」
「お恥ずかしながら、私の妹はずっとアーサー様に懸想いたしておりまして」
「この私にですか?」
「はい。小さい頃、王宮でのパーティーでお見かけしてからずっと。身分もわきまえず、厚かましいお話ですが」
聞けば、たずねて着た男性、ロト・トレボスは、早くに亡くなった父の後を継ぎ、地方で小さな領地を治めて生活している下級貴族とのことだった。
そして横に座っている女性が彼の妹で、今アーサーに熱烈片思い中の、ジョセフィーヌであるという。
(こんな可愛い子が、僕に夢中だなんて)
アーサーはもう一度ジョセフィーヌの容姿を確認した。
きらめく金色の髪に、大きな青色の目。
十五歳だという彼女の肌は、白くてピチピチしている。
こんな理想的な外見をした娘が、ずっと自分に片思いをしていたなんて。
アーサーはいきなり天へ登ったような気分になった。
しかもずっとアーサーを思い続けて生きてきたため、今までに他の男と付き合ったこともないという。
まさしく、願ってもないような話だった。
まさか理想の女を探し始めたその日に、格好の相手が見つかるとは。
「そのお話、ぜひ考えさせてください!」
力強いアーサーの発言に、ジョセフィーヌの顔が明るくなった。
「本当ですか? アーサー様」
鈴の転がるような声が、耳に心地よい。
「本当ですとも。でもしばらく付き合ってからですよ。当家にふさわしいかどうか、判断しなければいけませんから」
さすがに外見だけで嫁を選ぶほど、アーサーも馬鹿ではない。
ルーシーのように、外見は大人しそうでも、こちらに反抗的な態度を取ってくることがあるからだ。
女は、何より応順なのが一番良い。
「それでもかまいませんわ。アーサー様。お傍にいられるだけで幸せです」
ジョセフィーヌが朗らかな笑みを顔いっぱいに浮かべる。
(ミカエル様、猫耳巨乳女、今に見てろよ――!)
ジョセフィーヌには人の良い笑顔を向けながら、アーサーは一人拳を握り締めるのだった。