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激烈出稼ぎ娘  作者: 種子島やつき
番外編という名の続き
118/125

【番外編】ラーニャの未来・故郷の未来(後編)

 ちょうど約束どおりの時間に、マドイはラーニャの実家を訪ねてきた。

ラーニャは家の戸を開けて、彼に中へ入るよう促す。

マドイは付き従おうとする従者を目で制すると、一人で家の扉をくぐった。

その顔は若干緊張しているようにも見えなくない。


 一方ラーニャの家族たちは、マドイの姿を見て絶句していた。

彼らは、王都から遥か遠くに住んでいるため、この国の王族たちの顔を知らない。

ただ彼の姿を見て純粋に驚いているのだった。


 訪ねて来たマドイは、レースだらけの白いシャツに、紫の刺繍を多用した黒の上着を着ていた。

貴族の正装としては極めて常識的な格好ではあったが、平民目線で見れば、暑そうな上に眩しいほど派手である。

そして腰まで伸ばした真っ直ぐな銀髪に、女性顔負けの妖しげな美貌。

そんな彼の姿を見て、母親たちが言葉を失うのも無理はなかった。


 ラーニャは静まり返った空気の中で「この人が、オレが結婚しようとしてるヒト」と、言った。

ラニーニャが我に返ったように答える。


「そ、そうなの。思っていたのと随分違って、驚いちゃったわ」


 ラニーニャは見てとれるほど動揺していた。

知識はなくとも、雰囲気でマドイが只者ではないと分かるのだろう。

彼女は冷や汗をかきながら、取り繕うように続ける。


「ねぇ、ラーニャもしかしてこの方――。ひょっとして貴族のご出身とか……?」


 ラーニャとマドイは顔を見合わせた。

マドイの紫の目は、「本当のことを言ってもいいか」と聞いている。

ラーニャが頷くと、マドイは胸に片手を当て、恭しく頭を下げた。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません、ラーニャのお母様。わたくしはこの国の第二王子、マドイ・ロキシエルと申します」


 ポカンと、ラニーニャとニーニャが揃って口を開けた。

だがマドイはかまわず続ける。


「今日はラーニャとの結婚を認めていただきたく、ここへ参りました。ラーニャのお母様、どうかラーニャを、この私にいただけないでしょうか」


 顔を上げたマドイに穴が開くほど見つめられ、ラニーニャは目をぐるぐるさせていた。

今彼女の中では、一体どんな思いが渦巻いているのだろう。

がくがくと全身を震わせながら、ラニーニャはラーニャに聞く。


「ラーニャ、このお方は本当に――?」

「本物のマドイ・ロキシエルだよ。ほら、マドイ。アレ見せてみろ」


 ラーニャに促されて、マドイは懐から懐中時計を取り出した。

純金でできた外蓋には、しっかりと王家の紋章が掘り込まれている。


 紋章を見た途端、顔色が真っ青になったかと思うと、ラニーニャは即座に地面の上に這いつくばった。

ニーニャも母親にならい、慌てて地面に額をつける。


「知らなかったとはいえ、数々のご無礼をお許しください!!」


 彼女の声は痙攣を起こしていた。


「そんな。頭を上げてください。私はお願いに参ったのですから」

「申し訳ありません。申し訳ありません」


 ラニーニャはマドイが何か声をかけても、必死で謝るばかりであった。

いきなり王子様が自宅を訪れ、なおかつ自分の娘を嫁に欲しいと言ってきたのだから、パニックを起こすのも無理はない。

だがこれでは一向に話が進まなかった。


 ラーニャとマドイが困り果てて顔を見合わせていると、何者かがマドイの背中を突っついた。

振り返れば、弟のラーマが目を輝かせながら立っている。


「おみやげ、持ってる?」


 ラーマの一言にラニーニャは悲鳴を上げたが、マドイは笑顔で彼の問いに応じた。


「ええ。持ってますよ。今持ってこさせます」


 マドイの合図で、召使が土産と言うには立派過ぎる箱を持ってきた。

並べられた箱を見て、マドイはにこやかに言う。


「これはほんのお近付きのしるしです。よろしければもらって下さい」


 目の前に置かれた箱に、ラニーニャとニーニャは戸惑っていたが、ラーマは躊躇せず包み紙を毟り取っていた。

ラーマの箱からは、馬の模型が現れる。

子供用ではあるものの、そこかしこに細工が施された、貴族の子弟が遊ぶような模型だった。


「スッゲー! ありがとう魔女さん!」


 眩しい笑顔で叫ぶラーマ。

どうやら彼は、マドイのことを魔女だと勘違いしているらしい。

たしかに今日のマドイは黒い格好をしているし、顔も女性に見えないことはないのだが。


「あのなー、ラーマ。コイツは魔女じゃねーよ」

「えー? ちがうのー?」

「ちげーよ。コイツは悪の魔法使い『ヒステリー・ムラサキ』だよ」


 発言と同時にラーニャは自分で爆笑したが、ラニーニャは「なんて失礼なことを!!」と怒鳴った。

顔を真っ赤にするラニーニャを、マドイは慌ててなだめる。


「そんなに怒らないで下さい。いつものことですから」

「いつもってことは、あの子は――!」

「それより、先程のお話、考えていただけたでしょうか」


 ラニーニャは自分の娘をくれと言われていることを、今思い出したようだった。

おぼつかない口調で、コクコクと首を縦に振る。


「上げます。差し上げます。いくらでも差し上げます!」


(いくらでもって、オレは一人だけなんだけど)


 ラニーニャの色よい返事を聞き、マドイはその整いきった顔に凄絶な笑みを浮かべた。

その様子を見て、なおさら母親と妹が引く。

予定ではもう少し雑談をしてから、ラーニャとマドイは引き上げるつもりであったが、これ以上長居しては、二人の身が持たない。


 なのでラーニャはマドイに先に帰ってもらい、自身はまだ家に残って憔悴した母と妹のフォローをすることにした。

二人はマドイが帰ってもまだ、呆然と虚空を見つめている。


ポツリとニーニャが呟いた。


「おねぇの結婚相手って、マドイ殿下だったんだね」

「うん。まぁ、そんなとこになるな」


 それきり、会話が途切れた。

何か話題を振りたいが、下手に話をすると、またパニックが起こりそうで怖い。

ラーニャが言葉を出そうとしては飲み込むのを何度か繰り返すうちに、ラニーニャが言った。


「アンタ、本気でマドイ殿下のお傍に上がるつもりなの?」


 もちろんだ、とラーニャは頷く。

するといきなりラニーニャは目を見開き、物凄い剣幕で叫んだ。


「アンタなんかが、殿下のお傍に行っても、上手くいくはずないでしょ!!」


 突然の豹変振りに、ラーニャは軽く仰け反る。


「な、何言うんだよ。かーちゃん」

「アンタみたいな可愛くもない女が、王宮へ行っても幸せになれるわけない! 現実を見なさい!」

「か、かーちゃん?」

「アタシはアンタを、そんな身の程知らずに育てた覚えはないわよ!?」


 あまりのラニーニャの形相に、とうとうラーマが泣き出した。

泣きじゃくる弟を庇いながら、ラーニャは切れた母親に反論する。


「どうしてそんなことが言えるんだよ。王都でのオレを見たこともないくせに」

「見なくても分かるわよ。いい? アンタはね、何の取り柄もない平凡な女なの。何の間違いで殿下に見初められたかは知らないけど、バカな夢を見るのもいい加減にしなさい」

「確かに、オレは平凡な女だけど――」

「やっぱり、魔導庁で働いたのが間違いだったのよ。そんな所にいるから、勘違いしちゃうんだわ」


 ラニーニャは娘に反論の隙を与えない程まくしたてると、彼女の肩を両手で掴んだ。


「ラーニャ、殿下の求婚は断って、仕事も辞めて村に帰ってきなさい。この村で結婚して子供を産むのが、アンタに一番釣り合った幸せなのよ」


 ラニーニャは今まで見たことがない程、怖い顔をしていた。

娘が王族に嫁ぐのを不安に思う気持ちは、確かに分かる。

しかし有無を言わさず「幸せになれるわけがない」と決め付け、「バカな夢を見るな」と怒鳴るのは、理解しがたかった。

その上求婚を断り、仕事も辞めろと迫るとは――ラーニャの中で、言い知れぬ怒りが涌きあがる。


 ラーニャは自分の肩を掴んだ手を引き剥がすと、低くうなり声をあげた。


「――こんな。こんな未来のない村に帰って、幸せになんかなれるかよ」


 ただならぬラーニャの気迫に、はっとラニーニャが後ずさった。


「意地の悪い身内共で固まって調子のってる、腐った村に帰って、一体ドコが幸せになれるんだよ?」

「く、腐った村って……」

「かーちゃんだって分かってるんだろ? この村はどうしようもないって」


 怯えの色を見せる母親を一睨みすると、ラーニャは玄関の扉を開け放った。


「悪いけど、オレはなんと言われてもマドイと結婚する。結婚を認めたくないなら、マドイに直接言ってくれ。結婚式は出なくてもいい。――オレは、幸せになるからな」


 大きな音を立てて扉を閉めると、ラーニャは振り返りもせず家から出て行った。


 驚かれても、少しくらいは祝福してもらえると思っていた。

なのにあんなことを言われるなんて、少々現実を甘く見ていたらしい。


「……ちくしょう」


 炎天下の中、ラーニャは汗と涙を拭いながら、マドイのいる宿屋へと歩いた。











「ええ!? 婚約披露パーティー?」


 「夕方村長の家で、村人全員を呼んで婚約披露パーティーをする」――宿屋に着くなりマドイからそれを聞かされ、ラーニャは叫んだ。

ラニーニャに暴言を吐かれ、落ち込んだ気分も、おかげで雲の彼方である。


「一体何でそんなことするんだよ? つーかいつ決めたんだよ」

「何でって、ラーニャと私の婚約を見せつけるために決まっているでしょう。あなたに言ってなかっただけで、ずーっと前からやろうと思ってました」


 ラーニャが花嫁修業を始めた頃から、マドイは計画を温めていたらしく、必要な物も全部持ってきているとのことだった。

昼間村長の家に行ったのは、そのパーティーとやらの打ち合わせのためにだったらしい。

どうして、婚約を見せびらかすという悪趣味な真似をしたがるのか。

ラーニャは甚だ疑問だったが、顔をしかめている間にも、マドイはパーティー用の衣装を準備し始めていた。


「おいやめろ。オレは絶対嫌だからな」

「そんなこと言われても。もう会場も料理も準備してしまいましたし。食事を全部ゴミに変えても良いと言うなら、話は別ですが」


 長い間貧乏暮らしをしてきたラーニャにとって、食べ物を無駄にするのは絶対にありえないことであった。

たとえ断れなくするための方便だとしても、食べ物を引き合いに出されては、素直に言う事を聞くほか無い。

しぶしぶながらラーニャが頷くと、マドイは満面の笑みを浮かべて、ドレスを取り出して見せた。

用意されたドレスは、胸元が大きく開いた華美すぎるものだったが、ラニーニャのことで気力をそがれていたラーニャは、抵抗することなくそのドレスに着替える。


 化粧をし、髪を結わえ、アクセサリーと靴を選び、そうこうするうちに、すぐにパーティーの時間はやってきた。

馬車に乗って村長の家まで行くと、二人は丁重に会場へと通される。

宴の舞台になる広間は、村人全員が充分入るほどの広さがあった。

タマタビ村の村長宅は、一体どうやって金を用意したのか、無駄に豪勢で広いのである。


 会場には既に村人たちが集まり、中には母も妹もいた。

マドイが自分たちが結婚する旨を簡潔に述べると、おそらく村始まって以来の盛大な宴が始まる。

しかし趣向を凝らした食事も、銘酒も用意されているにもかかわらず、パーティーは水を打ったように静まり返っていた。

皆じっとりとした目でラーニャを見ながら、黙ってひたすら料理を口に運んでいる。

こんな重苦しい空気の中では、ラーニャも黙りこくるほかなかったが、マドイはなぜかニンマリと笑っていた。

どう贔屓目に見ても、祝われていないのは明らかなのに、何がそんなに嬉しいのか、意味が分からない。


 宴はほぼ一度も会話が交わされないまま進み、一時間ほどしたところで、マドイが不意に席から立ち上がった。


「すみません。ちょっと席を外します」


 多分トイレか何かだろう。

ラーニャはそう思って彼を見送ったが、すぐにこの気まずい空気の中、一人で取り残されたことに気付いた。

見れば、村人たちがこちらを穴が開くほど睨んでいる。

そのうち、夫である村長の息子と座っていたナータが、立ち上がって叫んだ。


「どうして、アンタがマドイ殿下に見初められるのよ!!」


 凄まじい形相でラーニャを睨め付ける彼女の顔は、熟れた果実のように真っ赤だった。

ナータの迫力にラーニャは少したじろいだが、すぐに気を取り直して反論する。


「そんなこと言ったって、ただ縁があったとしか言えねーよ」

「縁!? どうしてラーニャなんかに殿下との縁があって、アタシにはないのよ!!」


 ナータは悔しいのか、真っ赤なままブルブル震えていた。

しかしいくら悔しがられようと、縁がなかったものはなかったのである。

仕方ないじゃないかとラーニャが呆れていると、無視されたと思ったのだろう、ナータは甲高い声を上げて、足を踏み鳴らした。


「おかしい! アンタみたいな行き遅れブスが、王子様に見初められるなんて絶対おかしい」

「……あのなー」

「断ってよ!! 断って村に帰って来なさいよぉ!!」


 ナータの言い分は、当たり前だがムチャクチャであった。

その場で足踏みしながらキーキー喚く彼女の醜態に、さすがのラーニャも言葉が出ない。


「ちょっと! さっきから無視しやがって!! お高くとまってんじゃないわよ!!」

「……」

「断れって言ってんでしょうが! 断らなかったら、アンタの家族を、村にいられなくしてやるんだからね!!」


 ナータは、「家族を村にいられなくしてやる」という脅しが、この場合ラーニャに通用するとでも思ったのだろうか。

脅しにならないことなど、少し考えれば分かるはずなのだが、村長の後取り息子と結婚し、すっかり『女王様』になったナータには、最低限の思考力も残っていないのかもしれなかった。


「いい? 村に帰って来なかったら、アンタの弟を学校に通えなくしてやる。日用品も売ってもらえないようにしてやる。アンタの母親と妹は、村人全員から無視されるようになるんだから!」

「……ひょっとしてそれは、新しく来たお嫁さんたちにしたことと同じなのか?」


 思いも寄らぬラーニャの切り返しに、ナータがひるんだ。


「……やっぱりか。どうも具体的過ぎると思ったんだよな」

「そ、それがどうしたって言うのよ」


 慌てるナータを無視して、ラーニャは広間に集まった村人たちを眺めた。

そしてため息を吐く。

いるのは中高年とばかりで、若者はナータの取り巻きしかいなかったからだ。

後は小さな子供が少しばかり。

行動力のある若い大人は、ナータの取り巻き以外全員村から出て行ってしまったのだろう。


「お前、気に入らないやつ全員いびり出して――これからどうするつもりだよ」


 村の大部分を占める中高年はこれから老人になり、労働力にはならなくなる。

たとえナータの取り巻きが、一人五人以上子供を産んでも、失われた労働力を補うに至らないことは明白だった。

他に産業がなく、農業で生計を立てているタマタビ村にとって、労働力の不足は致命的である。


「このままじゃ、村は潰れてなくなるぞ」


 真剣な警告のつもりだったが、ナータは馬鹿にしたように笑い声を上げた。


「アンタバカじゃないの? 村が潰れるはずないでしょ?」

「だって若い奴の数が……」

「そのうち子供が生まれるから、増えるに決まってんじゃん。そんなことも分かんないなんて、オワッテルね~」


 ナータに釣られて、今まで黙っていた村人たちも笑い出した。

笑う彼らは、危機的な状況に見えないフリをしているのか、それとも本当に見えないのか。

やがてこちらに罵詈雑言を浴びせかけ始めた彼らを見て、ラーニャは悟った。

村人たちは、本当に分かっていないのだと。


 このままでは、この村は長く続かない。

いくら腐った村人達だらけだとはいえ、父との思い出が詰まった村である。

ラーニャは幾度も村人たちに村の危機を訴えたが、それは結局伝わらなかった。

絶望感に打ちひしがれる彼女に、相変わらず酒に寄った伯父が絡む。


「さっきっから、不吉なことばっか言いやがって。王族に気にいられた位でチョーシ乗ってんじゃねーぞ!!」

「だけど伯父さん」

「テメェみたいなブスは、そのうち飽きられて捨てられるんだよ。ボロ雑巾みたいにな」

「マドイはそんなこと……」

「お前みたいな生意気な女は、本妻にイビリ殺されちまえ!!」


 罵倒が決まったと、伯父は赤黒い顔で耳障りな笑い声を上げた。

だがラーニャは彼の言葉に首をかしげる。


(コイツ今、本妻って言わなかったか?)


 なぜそんな単語が出るに至ったのだろう。

疑問に思うラーニャをよそに、伯父はまだ一人で喋っている。


「本妻のイビリってのは、そりゃあヒドイんだろ? 食べ物にゴミを混ぜられたり、ドレスをメチャクチャにされたりしてな」

「伯父さん、本妻のイビリって……」

「ヒドイときゃ、子供殺されたりしてよ。いやー大変だな。王族の愛人ってやつは」


 ――王族の愛人。

その言葉を聞いて、ラーニャはようやく分かった。

伯父は、ラーニャがマドイと正式に結婚するのではなく、愛人になると思いこんでいるのだ。

普通に考えたら、平民のラーニャが王族に嫁げるはずがないからだろう。


 ひょっとしたら、村人全員が伯父と同じ誤解をしているのかもしれない。

誤解を解こうとラーニャは叫ぼうとするが、その前に母のラニーニャが割って入る。


「ラーニャ。おじさんの言うとおりよ」

「かーちゃん?」

「アンタみたいな平凡な子は、王宮で愛人なんてやっていけないわ。いじめられて、村に帰ってくるのがオチよ」


 ラニーニャも、やはりラーニャがマドイの愛人になるのだと思い込んでいるらしい。


「かーちゃん、オレ愛人になんかならないって」

「じゃあ何になるって言うの?」


 説明しようとした矢先に、背後から聞きなれた声がした。


「あら皆さん、私がいない間に随分と盛り上がっているようですね」


 振り返れば、部屋の入り口にマドイが立っていた。

罵声などで騒がしかった広間が、ピタリと静かになる。

マドイは室内の様子を一瞥すると、王族らしい威厳に満ちた様子で、ラーニャの隣まで進み出た。

そしておもむろに彼女の肩を抱いて言う。


「皆さん、何を誤解しているのか知りませんが、私はラーニャを愛人にするつもりはございません」


 静かだった広間が、少しざわついた。


「ロキシエル王室は、ラーニャ・ベルガを正式に私の妻として、王室の一員として向かえるつもりです」


 どよめきが広間を支配した。

マドイの宣言を聞いた村人は、ある者は手で口を覆い、ある者は顔を真っ青にしている。

だが当のマドイは顔色一つ変えないまま、凛とした面持ちで言葉を続けた。


「――ですから、これからラーニャを罵ろうとする者は、王室を罵るのだと思いなさい。ラーニャを馬鹿にする者は、王室を馬鹿にするのだと思いなさい。そしてもし、ラーニャに害をなそうとする者は――」


 マドイは懐からいきなり鞭を取り出すと、思い切り床を打ち据えてみせた。

乾いた音が、静まり返った広間に鳴り響く。


「このマドイ・ロキシエルが全力で叩き潰します。それでも良ければかかってきなさい」


 マドイはぞっとするほど妖艶な笑みを、村人に向かって浮かべてみせる。

笑みを向けられた村人たちは、一斉に顔色をなくし、やがて誰からか床にひれ伏し始めた。

広間にいる全員にひれ伏され、マドイは満足げに何度も頷く。


「では、これで宴はお開きにしましょう。余った料理は、自由に持ち帰りなさい」


 一連の出来事に唖然としていたラーニャは、マドイに腕を引っ張られ、広間から連れ出された。

だが廊下に出たところで、誰かに呼び止められる。

見ればラニーニャが、暗い廊下にポツンと一人で立っていた。


「遠い所へ行っちゃうのね……」


 彼女の呟きは、ひどく寂しく聞こえた。

ラニーニャは一言だけ言った後、すぐに元の広間へと消える。


(……かーちゃん)


 彼女の言葉は、寝床に入る頃になっても、ラーニャの耳から離れなかった。

親戚たちの色に染まり、前回村に帰った時から、こちらに辛く当たってきたラニーニャ。

今日も「お前なんか幸せになれない」「村に帰ってこい」と散々罵られた。

正直顔も見たくない程の怒りが芽生えていたが、先程の母親のしんみりした姿を見て、ラーニャはふと冷静になる。


 前回の帰省や手紙はともかく、今日彼女がラーニャを罵ったのは、彼女なりに娘の幸せを考えた故ではないだろうか。

ラニーニャは改めて言われるまで、ラーニャがマドイの愛人になると思っていた。

彼女はマドイの傍に上がったら、ラーニャが本妻にいじめられると思い、娘の結婚を反対したのかもしれない。


 もしそうなら、このまま故郷を去るのはあんまりにも後味が悪かった。

ラーニャは明日、マドイの仕事の都合上、朝早くに村を立つ。

次に帰ってこられるのは、いつになるか分からなかった。

だが、ラニーニャと関係を修復する時間は、もうほとんど残されていない。


 ラーニャはしばらく考え込んだ後、寝床から起き上がり、自分の荷物から便箋を取り出した。

そしてカバンを机代わりに、母に対する思いをしたためる。


「――できた」


 にやりと笑うと、便箋を封筒にしまって脇に抱える。

部屋の窓をこっそり開け、辺りを見渡すと、ラーニャは警備の隙を突いて、寝巻きのまま宿屋から抜け出した。

行き先は、もちろん自分の家である。

死んだように静かな村を走りぬけ、ラーニャは実家まで急いだ。


 ラーニャの足は速い。

すぐに家の門まで辿り着く。

実家にはまだほのかに明りが灯っていたが、声一つかけないまま、ラーニャは封筒を扉の隙間に差し込んだ。


「これでよしっと」


 伝えたいことはあるものの、直接母に言う気にはなれなかった。

しばらく愛すべき我が家を眺めた後、ラーニャは名残惜しい気持ちを抱えながら踵を返す。

だが完全に立ち去る前に、後ろで扉が開く音がした。


「……おねぇ」


 振り返ると、ニーニャが寝巻き姿で立っている。

まさか見つかるとは思っていなかったので、ラーニャは少したじろいだ。


「お前……。まだ起きてたのかよ」

「なんか、眠れなくて」

「かーちゃんは?」

「もう寝ちゃった。ラーマも」


 ホッと胸をなでおろすと、ラーニャは落ちてしまった封筒を拾い上げ、妹に手渡した。


「……コレ、明日かーちゃんに手渡してくれ」

「何?」

「お前には関係ねーよ」


 それだけ言うとラーニャは手を上げて、その場を去ろうとする。

しかしニーニャは呼び止めるように言った。


「おねぇ。結婚おめでとう」


 「結婚おめでとう」

それはこの村で結婚を報告してから、初めて言われた言葉だった。

胸の中に、じんわりと暖かいものが広がる。

村に来て初めて結婚を祝福され、ラーニャは泣き笑いのような表情になった。


「ありがとう、ニーニャ。お前も困ったら、いつでも王都にこいよ。世話してやるから」


 熱い涙がこぼれる前に、ラーニャは妹の前を走り去った。

結婚を祝福してくれたのは、村で妹だけだったが、一人でも祝ってくれるのなら、それで充分であった。

本当は一番ラニーニャに祝って欲しかったのだが、関係が拗れきった今、それを望むほどラーニャも欲張りではない。


 翌日ラーニャとマドイはラーガの墓へ挨拶に行った後、すぐに帰りの馬車へ乗り込んだ。

村人たちは萎縮した様子で、帰って行く二人を見送る。

そこには伯父やナータはもちろん、ラニーニャの姿もなかった。

ラーニャは見送りに来たニーニャとラーマに別れを告げると、御者に出発の合図を送る。


「さよなら。かーちゃん」


 だが馬車が動き始めた頃、背後から女性の叫び声が聞こえた。

耳を澄ましてみれば、声はラーニャの名前を呼んでいる。

馬車の後ろに突いた窓から覗いてみると、見送りの人々にまぎれて、ラニーニャが立っているのが見えた。


「ラーニャごめんなさい! 結婚おめでとう!!」


 ラニーニャは、昨日ラーニャが妹に渡した手紙を持っていた。

ラーニャは、たまらなくなって馬車から身を乗り出す。


「かーちゃん! 今まで育ててくれてありがとう。オレはどこに嫁いでも、かーちゃんの娘だから!!」


 ラーニャが叫んだ台詞は、昨日書いた手紙の内容と、同じものであった。

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