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激烈出稼ぎ娘  作者: 種子島やつき
番外編という名の続き
116/125

【番外編】からっぽの皇太子妃(後編)

 贈られたドレスをボロボロにした犯人は、皇太子妃セリーヌに違いない。

ラーニャはそう確信に近いものを抱いていた。

本当は今すぐ彼女の所へ乗り込んで行きたいが、確たる証拠が無いので下手なことはできない。


 だからラーニャは、セリーヌがいつか尻尾を出すのを黙って待つことにした。

何もしないでいるのは辛いが、セリーヌの行動が次第にエスカレートしていることから考えるに、そのうち彼女は調子に乗って決定的なボロを出すだろう。

復讐の機会をじっと窺うことに決めたラーニャは、マドイから犯人の心当たりについて聞かれても、知らぬぞんぜぬを突き通した。

下手に疑っていることを悟られて、向こうが行動を自粛するようになったら意味が無いからである。


 一方セリーヌは持ち物に手を出しても黙ったままのラーニャを甘く見たのか、以前にもまして過激な嫌がらせをするようになってきた。

人の前でラーニャを侮辱したり、悪い噂を流すようになったのである。

「ラーニャ・ベルガは金と地位が目当てで、マドイ殿下に近付いている」「実は他に愛人がいて、マドイ殿下を騙している」「実はラーニャは男」……等など、流された噂には腹が立つものから、笑ってしまうようなものまで色々あったが、ラーニャは一貫して無視を決め込んだ。

そのすました態度が余計にセリーヌの癇に触ったのだろう、彼女はますます滅茶苦茶な噂を流し始め、そしてついに、彼女の尻尾を掴む絶好の機会が訪れた。

マドイが、切り裂かれたドレスと全く同じ物を、もう一度作るというのである。


 きっとセリーヌはまた隙を見計らって、ドレスを台無しにするつもりだろう。

ラーニャは自分の推測を疑わなかった。

普通、一度した嫌がらせをもう一度成功されるのは難しい。

相手も二度目を警戒して、より慎重になっているからだ。

賢い人間はそれを踏まえいて、同じ手を使わないものなのだが、いかんせん今セリーヌは調子に乗っている。

相手はラーニャだと見くびって、もう一度ドレスを切り裂きにくる可能性は高かった。


 ドレスが仕上がってマドイの宮に来るというその日、ラーニャは朝早くから、ドレスが保管される予定の衣裳部屋に張りこんていた。

セリーヌが犯人なら、必ず保管されているラーニャのドレスを切り裂きに来る。

そう確固たる自信があったからこそ、ラーニャは無理を言って今日のレッスンを休み、マドイの侍女にはマドイに内緒にしてくれと頼みこんでまで、ここに来たのだった。


 ドレスが衣裳部屋に届き、ラーニャが執念で張り込みを始めてから、だいたい三四時間経った頃だろうか。

部屋の扉が開く音がしたかと思うと、侍女風の格好した女が、辺りをしきりに見回しながら入ってきた。

王宮の侍女の格好をしてはいるが、マドイの所の侍女ではない。

ラーニャが衣装の影で息を殺していると、女はラーニャのドレスが入った箱の前で足を止めた。

彼女はもう一度周囲を窺うと、エプロンから裁ちばさみを取り出してドレスに向ける。


「そこまでだ!」


 ラーニャが叫んで飛び出すと、女は悲鳴を上げてその場に腰を抜かした。

愕然とする女を、ラーニャは瞬く間に取り押さえる。

女をあらかじめ用意していた縄でふん縛ったところで、ラーニャは彼女がセリーヌの侍女であることに気付いた。

やはりという気持ちが起こると同時に、言い知れぬ怒りがラーニャの中で涌き上がる。


「テメェ。こんなことしてただで済むと思うなよ」

「わっ、私はセリーヌ様に命令されて仕方なく……」

「おーし。今の台詞、皆の前で言ってもらうからな」


 ラーニャは女の尻を蹴りあげる勢いで立たせ、縄を引っ張り、部屋の外へ連れ出そうとする。

だが外へ出る前に、部屋の扉が開いたかと思うと、騎士たちが数名部屋の中に飛び込んできた。


「ラーニャ! 貴女一体何をしてるんですか!?」


 聞き覚えのある声がしたかと思うと、何と騎士たちの間を割って、奥からマドイが出てきた。


「マドイ! お前何でこんな所にいるんだよ!!」

「それはこっちの台詞です。私は貴女のドレスを台無しにした犯人を、探し出そうとしてたんですよ!」

「ええっ? マドイもそのつもりだったの?」


 驚いたことに、マドイはマドイで、ドレスを切り裂いた犯人を捕まえる罠を仕掛けていたらしい。

ラーニャはしばらくあっけに取られたが、気を取り直して捕まえた女をマドイの前に突き出した。


「ドレスをメチャクチャにした犯人はコイツだよ。オレも犯人を捕まえるつもりで、朝からこの部屋にいたもんでね」

「またムチャクチャなことを――って、この女、セリーヌ様の侍女ではありませんか!」


 マドイに正体を指摘され、女の身体がびくりと震えた。


「そうさ。コイツは皇太子妃の侍女。どうもご主人様に命令されたらしくてね」

「……そうですか」


 意外なことに、マドイは余り驚かなかった。

もっとびっくりして取り乱すのかと予想していたが。


「お前随分冷静だなー。驚かねぇのかよ」

「薄々予想はしていましたからね」

「え? マジで!?」

「まさか私が今まで犯人探しをせずに、ボーっとしてたとでも? そんなわけないでしょう?」


 話を聞くに、どうもマドイはドレスが切られたその日から、犯人探しを始めていたらしい。


「調べているうちに、私たちが外にいる時間にセリーヌ様の侍女が来ていたと分かりましてね。それから、ラーニャが日頃セリーヌ様に目の敵にされていたことも」

「お前……知ってたのか」


 ラーニャが呟くと、マドイは悲しげに頷いた。


「ラーニャ、私はドレスを切られた時、貴女に犯人の心当たりはないか尋ねましたよね? どうしてその時、セリーヌ様のことを話してくれなかったんですか?」

「それは……お前に心配かけたくなかったから……。それに、セリーヌ様のことで、お前がオール殿下とギクシャクしたら嫌だったし」

「――何を言ってるんですか」


 マドイは少し怒ったような声を出した。


「私に心配をかけたくない? 私は心配かけられるより、貴女が一人で悩みを抱えてる方がずっと嫌です。それに、私と兄上はそんなこと位で仲違いしたりしませんよ。お互い大人ですから」

「だ、だけどよ……」

「いいですか? 私は貴女に求婚した時点で、今回のような問題が起こるのは予想済みなんです。だからとっくに、貴女を王宮のイザコザから守る覚悟はできてるんですよ。もちろん、兄上やセリーヌ様が相手でもね」


 ラーニャは彼の言葉を聞いて下を向いた。

マドイがせっかく覚悟を決めてくれているのに、ラーニャはそれに気付かず、全て一人で抱え込もうとしてしまった。

もう少し彼を信頼し、甘えるべきだったのかもしれない。


「……ごめん。オレ、お前の気も知らないで」

「まぁ、無理もないでしょう。貴女は一人きりで王都に来て、自分だけを頼りに生活してきたのですから」

「……」

「でも、今は違うんですよ。貴女の周りには、私を始めとする多くの味方がいる。だから、一人きりで頑張ろうとするのは、もうやめて下さいね」


 マドイに頭を撫でられて、ラーニャの金色の瞳に涙が滲んだ。

思えばラーニャは僅か十三歳で王都に来て、それからずっと一人で生活してきた。

頼れる人がいないどころか、マオ族と言う理由で見知らぬ人に差別され、ミカエルと出会うまで、友人の一人すらいなかったのだ。

おまけに故郷の母親は、ろくでもない親族たちに洗脳され、今ではラーニャを邪魔者のように扱っている。

そんな状態の彼女が、不意に優しい言葉をかけられて、涙腺を緩ませないはずが無かった。


「バカヤロウ。急に優しいこと言ってんじゃねーよ。――とっととセリーヌ様のとこ行ってとっちめてやろうぜ!」


 妙な雰囲気に耐え切れなくなったラーニャは声を荒げると、強引に話題を戻した。

照れているラーニャの真っ赤な顔を見て、マドイはにやりと妖しい笑みを浮かべる。


「そうですね。どうせならもう二度とラーニャに嫌がらせができないよう、徹底的にやってやりましょう」


 二人は捕まえた侍女を引っ立てると、勇んでセリーヌのいる宮へ向かった。

彼女が住んでいるという宮は、皇太子用の物だけあって、他の二人の宮よりもさらに造りが豪華である。

いたるところに施してある天井画や彫刻は、王宮に慣れてきたラーニャでもため息が出るほどだ。

ちょうどセリーヌは自室にいたらしく、ラーニャとマドイはすぐに彼女の所へ通された。

彼女の部屋をマドイが訪ねると、セリーヌは機嫌よく応対したが、ラーニャの姿を見ると途端に顔を曇らせる。


「マドイ殿下、ラーニャ様もご一緒とは、一体どのような御用でございましょう」


 セリーヌは不審がったが、、それにマドイは眉一つ動かさず答えた。


「こちらの用なら既にお分かりでしょう。ラーニャと、彼女に贈ったドレスについてちょっと」


 マドイが合図をすると、彼の部下が捕まえた侍女を部屋の中に連れてきた。

セリーヌは顔面蒼白になって、両手で口元を覆う。


「マドイ殿下! これは一体どういうことでございますか」

「とぼけるのもいい加減にして欲しいものですね。貴女様がラーニャに嫌がらせをされたことも、彼女のドレスを切り裂くよう指示されたことも、私は全て存じております」

「――!」


 セリーヌは元々大きい目をこれでもかと見開き、その場に崩れ落ちた。

だがマドイは、へたり込んだ彼女へ容赦なく詰め寄る。


「貴婦人として完璧だと言われた貴女様が、実に情けないですねぇ。一体何のつもりでこのようなバカな真似をなされたのだか。――貴女様の弟君が魔導庁におられるのを、お忘れになりましたか?」


 マドイがこの上なく怒っていることは、そばで見ているラーニャの目にも明らかだった。

顔には凄みのある笑みを不自然なほど浮かべ、身体からは凍て付くような冷気を立ち昇らせている。

セリーヌは、そんなマドイの様子におののくばかりであった。


「とにかく、今回のことは私の兄上にご報告します。あと貴女の弟君は、たっぷりと可愛がって差し上げますよ。貴女様がラーニャにされたようにね」


 どうやらマドイは怒り狂うばかりに、無関係なセリーヌの身内にも復讐の刃を向けようとしているらしい。

自分のために怒ってくれるのは嬉しかったが、これにはラーニャも異を唱えざるを得なかった。


「マドイ、怒ってくれるのは嬉しいけど、無関係の人を巻き込んじゃダメだろ?」

「じゃあ貴女は、兄上に報告するだけで彼女を許すと言うのですか? 今までさんざっぱらいじめられたというのに?」

「あのなー、許せないからって、他人を巻き込む理由にはなんねーだろうが。第一オレは、そんな復讐とかより、嫌がらせされた理由の方が知りてぇよ」


 セリーヌが自分に嫌がらせをしてくる理由――最初に暴言を吐かれたその日から、ラーニャはずっとそれが気になっていた。

セリーヌには貴族社会では評判の「完璧な皇太子妃」だ。

身分の低さを補って余りある、気品・教養・容姿・人柄。

誰もが皇太子妃として認める彼女が、なぜ初対面だったラーニャを嫌悪するまでに至ったのか。


 ラーニャは青ざめたセリーヌの方を向き直ると、静かに聞いた。


「セリーヌ様。貴方はどうしてオレのことをこんなに嫌って――いや、憎むんですか?」


 ラーニャの澄んだ金色の瞳に見据えられ、セリーヌはたじろぐ。


「特に、これといった理由など……。」

「じゃあ貴女は、これといった理由もないのに、人を罵倒したり、持ち物を壊したりすると?」

「そ、それは――」


 セリーヌは目線を泳がせて口ごもる。

痺れを切らしたマドイが、横から口を挟んだ。


「聞くだけ時間の無駄ですよ。どうせ庶民出のラーニャが気に食わなかっただけでしょう」

「でも……」

「しかし、このような下らない女性が皇太子妃とは、この国の未来心配ですね」


 マドイは下を向いたセリーヌに向かって鼻で笑う。

その次の瞬間であった。

セリーヌが、気品ある貴婦人とは思えない大声で叫んだのは。


「うるさい!! アンタなんかに皇太子妃の何が分かるって言うのよ!!」


 セリーヌは顔を真っ赤にして仁王立ちしていた。

食いしばった歯に釣りあがった眉のおかげで、元の凛とした美貌は遥かかなたにすっ飛んでしまっている。

いきなりの変貌に二人があっけに取られていると、セリーヌはマドイを指差して、さらに大声を上げた。


「アンタ、アタシのこと下らない女だって言ったけど、アタシが皇太子妃になるのにどれだけ苦労したのか分かってるの?」

「あの……セリーヌ様?」

「アタシの家はねぇ、それほど身分も高くなくて、パッとした仕事してる男もなくて、先が細くなる一方だったの。だからアタシは、家のために何としてでも身分の高いお方に嫁ぐ必要があったの。分かる?」

「は、はぁ……」

「でもねぇ、それほどでもない家の女が身分の高い男に拾ってもらうには、物凄い女になるしかないの。キレーで性格良くて、お上品で、頭よくてダンスが上手くて――とにかく完璧な貴婦人にならなきゃいけないのよ。アタシは母上や周りの大人たちから、そんな『完璧な貴婦人』になるよう言われてきた。ずっとね!」


 いきなり砕けた言葉遣いで饒舌に語り出した彼女に、マドイもラーニャも何も言えなくなった。

セリーヌは、一旦語り出して止まらなくなったのだろう。

余計に身振り手振りを加えて激しく話を続ける。


「そりゃぁアタシは元々頭いいし、顔もいいし、教えられたことはほとんどなんでも出来たわよ。でも一つできたら次を期待される。そりゃ、完璧にならなきゃイケないんだから当たり前よね。だけどいくら何でもできるアタシだって、完璧になるのはスゴク大変だったわ。だから物心付いたときからオール殿下との結婚が決まるまで、アタシは年がら年中朝から晩までお稽古勉強の繰り返し。やりたいことなんて一つもできやしなかった。身分の高い男と結婚するために!」


 セリーヌの瞳は、何故か怒りに燃えていた。

一体彼女は何に怒っているのだろうか。

言葉を失うラーニャとマドイに、彼女は腰に手を当ててつかつかと歩み寄る。


「毎日毎日『完璧な貴婦人』になるために、辛いお稽古の繰り返し。そりゃあ辛かったわよ。でも、何でアタシが、それに耐えられたか分かる?それはね、『いい結婚をすれば幸せになれる』。そう母上に言われて信じてたからよ。高い身分の男に見初められて結婚すれば、もう辛い稽古をする必要はないし、自分の好きなことが何でもできるって!」


 だが彼女はぐっと顔をしかめると、苦々しい声で「――なのに」と言った。


「なのに、オール殿下はアタシに『皇太子妃としてふさわしい事をしろ』って言うばかりで、何も許しちゃくれないの。それどころか、もっともっと立派な皇太子妃になれるように、今も毎日勉強勉強勉強。――おかしいじゃない。アタシ、皇太子と結婚したのに。生まれた時から頑張ったのに。全然幸せになってない……」


 セリーヌはここで話を終わらせるかと思ったが、彼女は青い瞳でキッとラーニャを睨み付けた。

いきなり彼女にねめつけられ、ラーニャは驚いて言う。


「そこでどうしてオレを睨むんだよ。今の話にオレは関係ないじゃねーか」

「どうして、アンタなんかが王子と結婚できるの?」

「は?」

「アンタは庶民の生まれでずっと自由に暮らしてたんでしょ? なのにどうして王子様と結婚できるのよ! アタシはずっと我慢して頑張って、やっとオール殿下と結婚したのに!!」


 セリーヌはわっと泣き出したかと思うと、床に座りこんで、地面を拳で叩き始めた。


「ずるいずるいずるい! アンタばっかり!」

「ちょっ、ちょっと」

「どうしてアンタは優しくしてもらえるのよー!!」


 もはやセリーヌを止める術はすでになかった。

駄々っ子のように顔を真っ赤にして地面を叩く彼女を、ラーニャとマドイは呆然と見守る。


「アタシは結婚してから一度も、あんな風に贈り物なんてもらったことなかった。誕生日も、侍女が選んだものが、ベットに置いてあるだけで――」


 もう彼女が気の済むまで叫ばせるしかない。

ラーニャはそう悟った。


「なのにどうしてアンタは、あんな風に気遣ってもらえるのよ。どうして自分のしたいようにさせてもらえるのよ。アタシは、何かしたくても、全部ダメって言われちゃうのに――」

「……セリーヌ様」

「アタシずっとやりたいこと我慢して生きてきたのよ。結婚してもダメなら、一体いつアタシは自由になれるの? したいようにできるの?」

「……」

「このままじゃアタシ、一生からっぽのままじゃない……」


 セリーヌは完全に床に突っ伏すと、おんおんと声を上げて泣き始めた。

乱れた髪をしてむせび泣く彼女の姿に、もはや「完璧な皇太子妃」の面影はみじんも残っていない。

家といつか訪れるであろう幸せのために、生まれた時から全てを押し殺して、やっと皇太子妃となったセリーヌ。

片や好きなように生きてきて、いきなりマドイから求婚されたラーニャ。

皇太子妃になっても幸せになれなかったセリーヌは、ラーニャのことが妬ましかったのだろう。

だからあんなわけの分からない嫌がらせをしてきたのだ。


「何かこの人、可哀想だな」

「どこが可哀想なものですか。確かに抑圧されて生きてきた点は同情しますがね、ラーニャは全く無関係じゃありませんか。それをネチネチといじめるなんて、最悪ですよ」

「まぁ、そうかもしれんけどよ」

「だいたい兄上が何も許してくれないのが不満なら、本人に直接言えばいい話じゃないですか。だって夫でしょう? それをしないでラーニャに八つ当たりとは、全くいい根性してますよ!」


 マドイは口角に泡を飛ばす勢いで熱弁していたが、ラーニャは熱くなっている彼に冷やかな視線を送った。


「あのなぁ、マドイ。お前がそれを言うかぁ?」


 呆れ顔のラーニャに、マドイは何のことかと首をかしげる。


「それは、どういう意味でしょうか?」

「だってお前も、ミカエルに八つ当たりしまくってた時期があるじゃねーか」

「そっ、それとこれとは――」

「似たようなもんだっつーの」


 恥ずかしさで目を白黒させるマドイをよそに、ラーニャはまだ泣いているセリーヌへと顔をやる。

酷い嫌がらせをしてきた相手に向けるその瞳には、怒りではなくただ哀れみがあった。


「コイツも、昔のお前と一緒だよ。不満の原因には、とても文句が言えなくて、だけど我慢し切れずに、近くにいる人間相手に暴発してんのさ」


 かつてマドイも、家族に見捨てられた悲しみを国王である父親に訴えることができず、その代わりように、弟のミカエルを忌み嫌っていた。

セリーヌも同じである。

自分を出せない苦しみを、その原因である夫に伝えることができず、目に付いたラーニャ相手に、晴らされない不満を暴発させているのだ。


 ラーニャは泣いているセリーヌへ、わざと投げやりな口調で言う。


「テメーもいつまでもイジイジ泣いてんじゃねーよ。泣いてたってオレをイジメてたって、いつまでもアンタは幸せになれないまんまだ。自由になりたきゃ、自分テメェの口でダンナに言いな。『もう少し好きにさせてくれ』ってなぁ」

「――皇太子殿下にそんなことできるわけないじゃない。分かってないくせに言わないでよ」

「じゃあ、アンタは一生『完璧な皇太子妃様』でいるこった。でも、それが嫌だからって、またオレにちょっかいかけてくんなよ」


 吐き捨てるように言うと、ラーニャはさっさと部屋から出て行こうとする。

だがラーニャが完全に立ち去る前に、セリーヌが言った。


「言ったって、どうせ無駄よ。あの方は仕事が忙しいし、アタシの話なんていつも右から左だわ」

「……そうかい」


 ラーニャは腕をくむとしばらく考え込んだが、やがてにかっと笑って、マドイの腕を引っ張った。


「なら、訴えるときにマドイも一緒に連れてけばいいんだ。アンタの話は右から左でも、自分の弟の話はちゃんと聞くだろ」

「ちょっ……ラーニャ!」

「頼むよマドイ。この国の未来の王様とお妃様が、上手くいってないんじゃ困るじゃねーか。これはセリーヌ様のためじゃねぇ。この国の未来のためだ」


 マドイはしばらくしかめっ面だったが、やがて「分かりました」と言って頷いた。

そうと決まれば善は急げである。


「よーし、じゃあさっそく皇太子様の所に行くぞ!」

「ちょっとアンタ! 何勝手に決めてんのよ!」

「こういうのは勢いが大事なんだよ! 黙って付いてきやがれ!!」


 しぶるセリーヌを馬鹿力で引きずり、ラーニャはマドイの案内で、皇太子かつセリーヌの夫、オールのいる執務室へと赴いた。

まずは肝心要であるセリーヌを先部屋へ入るよう促す。

部屋まん前まで来て後に引けないと思ったのか、セリーヌは意外と素直に扉を開けた。


「オール殿下、お忙しいところすみません」

「何だ。私は仕事中だぞ。後にしてくれ」


 オールは尋ねてきた妻に対し、向かっている書類から目線すら上げなかった。

いつも彼ら夫婦がこんな感じで生活しているのかと思うと、頭が痛い。

セリーヌはぶっきらぼうなオールの態度に怯んだようだったが、なんとか会話を続けようとする。


「申し訳ありません殿下。しかし今日は私、お願いがあって参りましたのです」

「お願い? ドレスでも欲しいのか? こないだ買ったろう」

「違います。そういうことではございません!」


 セリーヌが声を荒げ、ようやくオールは顔を上げた。

だがそのきりりとした眉の間には、ハッキリと皺がよっている。


「何だ今のは。みっともない。それがロキシエルの皇太子妃の取る態度か」


 夫の冷ややかな視線に、セリーヌは声を詰まらせる。


「……殿下。いつもそのようにおっしゃられると、私は辛うございます」

「辛い? 何がだ」

「私は、いつも良き皇太子妃であろうと努めております。しかし、私とて人間。たまには声を上げたり、大声で笑いたい時もございます。常にいかなる時も、微笑んでいるのは辛くてたまらないのです」

「何を言っているんだ。意味が分からん」

「殿下、ほんの少しでかまわないのです。私に、ほんの少しだけ自由を――私が私になれる時間をくださいませんか?」


 オールは答えなかった。

しかしその沈黙は、彼女の願いへの答えを探してのものではない。

あろうことかオールは、セリーヌの必死の訴えを聞き流し、再び書類に向かっていたのである。


(――この馬鹿皇太子!)


 こんな夫を相手にしていたのでは、セリーヌの心のバランスが狂うのも無理はなかった。

だからといって今までにされた仕打ちを、全て水に流そうとは思わなかったが、彼女にされたことよりも、今はオールの態度に腹が立つ。

ラーニャは半分閉まっていた執務室のドアを開けると、勢いよく中へ飛び込んだ。


「オール殿下! アンタ自分の奥さんにあんまりじゃねーか!!」


 いきなり躍り出たラーニャに、オールは机にあったインク瓶を倒すほど驚いていた。

オールはいつも冷静沈着で、王族らしく堂々とした男である。

武道にも優れている彼だったが、過去にやり込められたせいかどうもラーニャに苦手意識があるようだった。


「ラ、ラーニャではないか。近くにいたのか?」

「そんなことはどうでもいいっスよ。それよりアンタ、どうしてセリーヌ様の話をちゃんと聞いてやらないんスか?」

「そ、それは……。どうせ大した話ではないし」

「大した話じゃないぃ!? アンタほんっとにセリーヌ様の話聞いてないんだな。さっき、セリーヌ様がどんな気持ちでアンタに話したのか、分かってんのか!?」


 怒髪天を衝いたラーニャにずいずいと寄って来られ、オールは自然と部屋の隅に追い詰められる。

その様子を、セリーヌとマドイがポカンと見ていた。


「セリーヌ様はなぁ、ずっと辛かったんだ。理想の貴婦人として、自分を押し殺して生きてきたんだよ。結婚してもテメェにアレもコレも禁止されて、好きなことなんか何もできなくて――夫として可哀想だとは思わねぇのか?」

「しかし、セリーヌは皇太子妃だぞ。自分や自由などあってないようなものだ」


 得意げに反論するオールを見て、ラーニャは怒るより呆れてしまった。

やれやれと額に手を当てながら、ラーニャはふんぞり返ったオールを諭す。


「あのなぁ、確かに皇太子妃は全国民の手本だよ。だけどな、いくら手本ったって風呂入るときや寝るときまで、国民意識する必要ないだろ。ましてや夫婦の時間なんてな」

「だが……」

「じゃあ何か? 二人きりでもあくび一つ許さないってか? そりゃあんまりだよ皇太子様。人間完全無欠じゃいられないもんだ。このままじゃセリーヌ様、壊れちまうぜ?」


 オールは、ラーニャの物騒な言葉に目を見開いた。


「セリーヌが壊れる……?」

「ああそうさ。実際もう壊れかけてんよ。オレに嫉妬して訳の分からない噂流してみたり、もう嫌だって、ガキみたいに泣き喚いたり。――とてもマトモな大人の行動じゃねぇ。心が壊れかけて判断付かなくなってるんだ」


 驚いたオールはセリーヌの方を振り返り、「本当か?」と尋ねる。

セリーヌはゆっくりと頷いた。


「全て彼女の言うとおりです。殿下」

「セリーヌ。そこまで思い詰めていたのか……」


 悲しいことに、オールはセリーヌの具体的な壊れぶりを聞いて始めて、事の深刻さに気が付いたようだった。

二人の仲の冷め切り具合に、ラーニャは思わずため息を付く。


「しっかしまぁ、一番傍にいるはずの夫が気が付かないとわねぇ。話も聞き流してたみたいだし、オール殿下、アンタほとんどセリーヌ様のことかまってなかっただろ」

「しかし仕事が忙しくて……」

「もし、その隙を狙ってセリーヌ様が奸物にそそのかされてたらどうしたんだ? またマドイの時みたいになるぞ」


 かつてマドイも孤独につけ入れられ、陰謀の片棒を担ぐ羽目になったことがあった。

そんなことをもう一度繰り返すつもりなのだろうか。


「なぁ、アンタら夫婦なんだろ? 話し合えないでどうすんだよ。未来の王様とお妃様がこれじゃあ、国民はたまったもんじゃないぜ?」

「……」

「皇太子妃だって人間なんだ。ちゃんと心があるんだよ。一生懸命仕事するのもいいけどよ、たまには話を聞いてやっても、罰は当たらないと思うぜ?」


 ラーニャはそこまで言うと、執務室の扉に手をかけた。


「つーことで、お邪魔虫二匹はとっとと退散するわ。後は夫婦水入らず、二人で話し合ってくれ」


 にやりと意味ありげにラーニャは笑うと、マドイを促して外に出た。

さっさと歩き出すラーニャとは対照的に、マドイは不安そうに扉の方を見ている。


「あの二人、残してきて大丈夫だったんでしょうか」

「さぁな」

「『さぁな』って、なんて無責任な」

「でも、二人で解決しなきゃ意味ねーだろ。オレたちがお膳立てできるのはここまでだ」


 これはセリーヌとオールという、夫婦二人が解消すべき問題だ。

ラーニャやマドイが口を挟んで解決させても、何の意味も無いのである。

冷たいかもしれないが、これで駄目なら、セリーヌとオールの夫婦関係は終わりなのだろう。


「そんな暗い顔するなって、大丈夫だよ」

「本当にそうでしょうか」

「こーゆー問題は、駄目なら駄目なんだよ。そん時は潔よく諦めるこった」


 そう言われて、ますますマドイは絶望的な顔になった。

だが当のラーニャは気にするそぶりも見せず、元気よく前を歩いている。


「せっかく休みもらったんだ。庭で茶でも飲もうぜ」


 まるで普段と変わらないようすのラーニャに、マドイは苦笑に近い微笑を浮かべていた。









 セリーヌとオールの元に連れて行ったその日から、彼女はぱったりとラーニャへの嫌がらせをやめた。

あの後、二人の話し合いは上手くいったのだろう。

良い結果が出て良かったと、ラーニャはホッと胸をなでおろした。

どうやらマドイの心配は、杞憂に終わってくれたらしい。

すぐに冷め切った夫婦仲が良くなるとは思えないが、少しずつ二人の関係は良い方向に向かっているに違いなかった。


 ともあれ、セリーヌが嫌がらせをやめてくれたおかげで、ラーニャはまた安心して王宮に通えるようになった。

ドレスはオールが弁償してくれたし、セリーヌはちゃんと謝罪してくれたし、コレにて一件落着である。


 最後に王宮を訪れてから一ヵ月後、ラーニャは贈られたドレスを着てマドイの元を尋ねた。

本当はもっと早く来たかったのだが、先の一件でレッスンをサボったため、なかなか休暇をもらえなかったのである。

季節はもう夏。

恒例のお茶会は気温が高いため、室内ですることになった。

だがマドイは久々に会ったにもかかわらず、どこか浮かない顔をしている。


「今回の一件で、王宮が嫌になりませんでしたか?」


 マドイの口をついて出た言葉に、ラーニャは金色の目を丸くした。


「一体何言ってんだ、お前は? 嫌になってなんかねーよ」

「でも、あんなに酷い目に遭ったんですよ? 今回は無事解決したから良かったものの……。また誰かに目を付けられるかもしれません」


 ラーニャは平民出の上に、今まで散々注目を集める事をしてきている。

またセリーヌのように突っかかってくる人間が出てくる可能性は高かった。


「まぁ、そうかもな。オレ、割と目立つし」

「『まぁ、そうかもな』って、貴女。怖くないんですか?」


 マドイは怪訝そうな顔をしたが、ラーニャは自信を持って縦に頷いた。


「ああ。怖くなんかないさ。だって考えてみ? オレ、妹を助けるためにたった一人で王都に来たんだぞ。王宮に直訴したときもそう。味方なんて一人もいなくて、周りは敵ばっかりだった」

「……」

「でも、今は違う。 オレにはマドイも、ミカエルもいる。一体何を怖がる必要があるってんだ」


 断言するラーニャに、マドイは感極まったらしい。

いきなり席を立ったかと思うと、涙目でラーニャにすがりついた。


「ラーニャ! そんなこと言ってくれるなんて、私は世界一幸せ者です!!」

「わっ馬鹿! 何すんだよ。離せコラ!!」

「離しません! 一生離しません!!」


 興奮したマドイはその端整な顔を彼女の頬に押し付ける。

気恥ずかしさやら何やらでラーニャは逃げ出そうとするが、マドイの拘束は思ったより強い。

これはもうぶん殴るしかないと思ったその時、部屋のクロゼットの辺りから、何かが動く音がした。


「おいマドイ! 何かいるぞ」

「どうせネズミでしょう。そんなことより早く続きを――」

「続きも何もねぇよ。アホンダラ!!」


 ラーニャはマドイを強引に突き飛ばすと、例のクロゼットの戸を開けた。

中を探るまでもなく、潜んでいた物と目線があう。


「ミカエル……。アーサー……。こんな所で何やってんだ?」


 驚いたことに、クロゼットに潜んでいたのは、ミカエルとアーサーだった。

見つかった二人は、顔面を真っ青にして震えている。

最初に口を開いたのは、護衛のアーサーだった。


「すみません、ラーニャさん! これはミカエル様の命令で、仕方なく」

「ちょっとアーサー、何言ってんのっ? 護衛失格だよっ」

「だってミカエル様がいけないんでしょうが!」


 二人はラーニャをほったらかして、言い争いを始める。

察するに、ミカエルはラーニャたちのお茶会を覗き見するため、アーサーとクロゼットに潜んでいたのだろう。

相変わらずな奴だと、ラーニャは怒る気にもなれなかったが、マドイは違ったらしい。

争う二人の首根っこを捕まえると、天地を揺るがすような声で叫んだ。


「このお馬鹿共!! 人の逢瀬を覗き見とは、いやらしい真似も大概にしなさい!!」


 マドイの怒りの形相はすさまじいものがあったが、ミカエルはそれにケロリとした様子で答えた。


「ボク、覗き見なんてしてないよ?」

「じゃあそれ以外のなんだというのですか!?」

「ボクはただ、嫁入り前のラーニャに、兄上が変なことしないかどうか見守ってただけだもんっ」


 ミカエルは兄の手から巧みに逃げ出すと、「ローズマリーのことで前科があるしねっ」っと、嘯いた。

マドイの薄い唇が、小刻みに震え出す。


「でも危なかったな。ボクたちが出てくるのが一歩遅ければ、大変なことになってたよねっ」

「な、なってません!!――っていうか、貴方たちは見つかっただけでしょう」

「兄上、いい機会だから言っとくけど、ここは『ムーンライト』でも『ノクターン』でもないんだよ? わきまえてくれないと困るんだからっ」


 マドイが「何を訳の分からないことを」と、呟いているうちに、ミカエルはアーサーを置いて、スタコラさっさと逃げ出した。

反省の色が見えない弟を、マドイは鞭を持って追っかけ出す。


「ミカエル! お待ち! 今日こそブッ叩いてやりますからね!!」


 広い部屋の中をぐるぐる回り出す二人を見て、ラーニャは久々に大爆笑した。

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