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激烈出稼ぎ娘  作者: 種子島やつき
番外編という名の続き
114/125

【番外編】出稼ぎ前夜


ラーニャが王都に来る前のお話になります

長文・地の文多めです(当社比)




 日暮れ前になり、ラーニャはようやく夜明け前から行っていた農作業から開放された。

周りの大人たちはコレから安酒でも飲みに行くのだろうが、彼女は子供だし、そもそも寄り道するような元気が残っていない。

いくら怪力に恵まれているとはいえ、ラーニャはまだ十二歳だ。

大人用の鋤鍬で畑を耕したり、重たい干草を一人で運んだりするのはさすがに辛い。

ラーニャがぐったりとしながら、赤い夕日に染まったあぜ道を歩いていると、同年代の男の子たちとすれ違った。

彼らは疲れ切ったラーニャとは違い、はしゃぎ声を上げながら家路についている。

彼らもまたラーニャと一緒で日中農作業に従事してはいるが、任されているそれは彼女とは全然違い、子供用の軽い仕事だった。

一方ラーニャは、大地の精霊の守護を受けているという理由で、大の男でも辛い重労働を割り振られている。


(ワタシもああやって楽しく帰りたいな……)


 ラーニャが羨ましげに男の子たちを眺めていると、そのうちの一人がラーニャの存在に気が付いた。


「おい、ラーニャがいるぞ! 汚ねぇ!」


 彼の叫び声で、残りの男子たちも一斉に彼女の方を振り向く。


「うわっ。ホントだ。ラーニャだ。」

「女のクセに汚ねぇの!」

「コイツ今日馬のウンコ片付けてたぜ。クセー!」


 男の子たちは散々罵声を浴びせかけると、笑いながら走り去っていった。

ラーニャは涙を滲ませ、唇を噛み締めながら、その後姿を見送る。

最初から彼らがあんな態度だったなら、まだ諦めも付いただろう。

だが、ラーニャとあの少年たちは、つい一年前まで仲良く遊ぶ間柄だった。


 彼らとの友情が壊れたきっかけ。

それは従姉妹のナータの存在だった。

従姉妹のナータとその仲間たちが、一年前、彼らに「ラーニャと遊ぶなら口を聞かない」と宣言したである。

ナータは村一番の可憐な美少女で、彼女に好意を寄せいている男の子も多かった。

加えて、ナータの仲間たちはそれなりに可愛らしい女の子ばかりである。

ちょうど異性が気になるお年頃、男の子たちはいつも泥まみれのラーニャより、可愛いナータとその仲間たちを選んだ。

彼らに突然「お前とはもう遊ばない」と告げられ、からかわれるようになった日には、ラーニャは家で声が枯れるまで泣いたものだった。

ちなみにナータがラーニャを仲間はずれにした理由は、ラーニャが精霊の守護を受けていること、それだけである。

彼女は、輝く金色の瞳を、ブサイクで汚いラーニャが持っていることが気にくわなかたったらしかった。


 自分がどうしようもできない理由で疎まれる日々は辛かったが、家族には心配をかけられない。

ラーニャは今日もいつもと同じように、家の前まで来ると、なるべく明るい声で「ただいま」と告げた。

扉を開けた途端流れ込んでくる夕食の匂いが、カラッポになった腹に染みる。

匂いに釣られ、ラーニャはふらふらと台所まで向かった。


「お母さん。今日のご飯何?」

「ジャガイモの煮込みよ」

「えー? また?」


 もう三日も同じ料理が続いている。

顔をしかめて鍋の中をのぞきこむと、申し訳程度のジャガイモが中でぐつぐつ煮えていた。


「こんなんじゃ全然足りないよ!」

「でも、これしか用意できなかったのよ」

「だけど……」


 ラーニャはまだ抗議しようとしたが、はっと口を噤んだ。

母ラニーニャの横顔が、余りも痩せこけ、疲れ切っていたからである。

最近さらに税の取立てが厳しくなり、余裕がなくなっていることは知っていた。

腹いっぱいの料理が作りたくても、僅かな量のジャガイモしか用意できなかったのだろう。


「……お母さん。ワタシ食卓の用意するね」


 マルーシ地方ではテーブルや椅子は用いず、床の上に直接ござを引いて座る習慣がある。

ラーニャが居間のござの上を片付け、素焼きの皿を並べていると、父が帰ってきた音がした。

やがてのっそりと居間に父ラーガが現れる。


 街道で荷馬車の護衛を勤めているラーガは、小柄な人間が多いマオ族の中で一際大きな体つきをしていた。

いつも丸太の素振りで鍛えている腕は、誰よりも太くてたくましい。

おまけに護衛をしているだけあって腕っ節も強く、この村では彼が一番喧嘩が強かった。

ラーガはラーニャにとって自慢の父だった。

多少乱暴な所はあるが、正義感が強く、曲がったことは許せない性格で、いつでも弱いものの味方である。


 いつだったか、近所の女性が頭から血を流して家に助けを求めに来たことがあった。

彼女がいつも亭主から一方的に殴られていることは有名だったが、今日は余りに暴力が酷かったため、思わず逃げ出してきたらしい。

しかし話を聞いているうちに、すぐに女性の亭主が家に殴り込みに来て、逃げようとする彼女は髪を掴まれて引き倒されてしまった。

その瞬間である。

ラーガの拳が亭主の顔に命中したのは。

ガツンとラーガの強烈な一発を食らった亭主は、以降女性に暴力を振るうことはなくなったという。

事件を知った村の人間は「よそ者のクセに生意気だ」と囁き合っていたが、ラーニャは父が間違ったことをしたとは思えなかった。

暴力亭主に向かって「テメェ歯ぁ食いしばれ!!」と叫んだときの父の勇ましさは、今でも脳裏に焼き付いている。


 しばらくしてジャガイモが煮込み終わると、すぐに夕食の時間となった。

家族揃っての食事は楽しいものだが、すぐに料理を食べ終わってしまう。

一日中肉体労働をしていたラーニャにとって、今日の夕食は腹の足しにもならなかった。


(おなか空いたなぁ……)


 よっぽどひもじそうに見えたのだろう。

ラーニャが空になった皿を眺めていると、隣にいたラニーニャが自分の皿をスッと差し出した。


「足りないんでしょう? お母さんのを食べなさい」


 ラーニャは驚いて彼女の顔を見た。

それを聞いた妹が「ずるーい」と声を出すが、ラニーニャはそれをたしなめる。


「お姉ちゃんは村のために一日中働いているのよ。しっかり食べてもらわないといけないの」

「でもー」

「じゃあニーニャも一日中畑を耕してみなさい。できないでしょう?」


 母親に言われて、ニーニャは押し黙った。

ラニーニャは再び自分の皿をラーニャに向ける。


「ほら、ラーニャ。食べなさい」

「でもかーちゃんもおなか空いてるでしょ」

「お母さんは平気よ。もう大人だもの」


 平気なはず無かった。

平気だったら、こんなに痩せてやつれているはずが無い。

ラーニャは首を横に振って、母の皿を押し戻した。


「いらないよ。かーちゃん食べてよ」


 だがラニーニャは皿を取ろうとしない。

ラーニャが困っていると、父が思わぬことを言った。


「ラーニャ。かーちゃんのをもらえ」

「えっ。でも」

「かーちゃんにはとーちゃんのをやる。だったら心配ないだろ?」


 「それじゃとーちゃんが……」ラーニャはそう言いかけたが、ラーガの笑顔を見て言葉を飲み込んだ。

父が何を思って笑っているのか。

おぼろげながらにもそれが分かったラーニャに、断れるはずが無かった。


「分かったよ。とーちゃん」


 段々涙が滲んでくるのを堪えながら、ラーニャは母の分の料理を食べる。

食事が終わると、ラーニャはラーガに誘われて夜の散歩に出かけた。

日中父子別々の所で働いているので、ゆっくり会話するために、二人は時々こうして散歩に出かける。

最初は妹のニーニャも一緒だったが、近頃彼女は早めの反抗期に突入してしまったので、今はもっぱら二人きりの散策であった。


 ラーニャとラーガは、かすかな明りが灯る家々の前を通り抜けて、村外れにある小高い丘の上に向かった。

何の変哲も無い丘だったが、ここに来れば村全体が一度に見渡たすことができるため、ラーニャはこの場所をとても気にいっていた。

いつものように丘の天辺に立つと、下の方で橙色の明りがポツンポツンと灯っているのが見える。


「とーちゃんキレイだね。あれワタシの家かな?」

「んー、ソッチは反対方向だぞ」


 満点の星空の下で、二人は取りとめの無い会話を繰り広げる。

そのうちにラーガがこぼすように呟いた。


「最近、ラーニャお前、辛くないか?」


 一体何を言うのかと、ラーニャは父の方を向いて首をかしげた。


「どうしてそんなこと聞くの?」

「だって農作業辛いだろ? いくら精霊の守護があるとはいえ、子供にあんな重労働させて。」

「でも、誰かがやらないといけないし……」

「それでも、お前に負担がかかりすぎだ。オレがよそ者だからって、ラーニャには関係ないだろうが」


 父の呟きは、最後は一人言のようになっていた。

ラーガは確かに天涯孤独で、流れるようにしてこの村にやって来たが、そのことと自分の労働に何の関係があるのか、幼いラーニャには分からなかった。

きょとんとした顔をしている娘に気付いたのか、ラーガはしかめ面を少し和らげる。


「お前には難しい話だったな。スマン」


 ラーガはまだ苦い顔をしていたが、星空をしばし見上げると、やがて静かに言った。


「ラーニャ、お前は大きくなったら、この村を出てけ」


 ラーニャは思わず「えっ」と声を上げた。

どうしてそんな冷たいことを言われたのか分からず、その金色の瞳から涙が溢れ出す。

おろおろと泣き出した自分の娘を見て、ラーガはさすがに取り乱したようだった。

慌てた様子で彼女の頭をなで、その精悍な顔に出来る限りの優しい笑みを浮かべる。


「悪いラーニャ。別にオレはお前が嫌だとかじゃないんだ」

「うぅ……。でも……」

「オレはただ、お前に広い世界を見て来いと言いたかっただけなんだ」

「……広い、世界?」


 ラーニャは泣くのをやめ、潤んだ瞳で父を見上げた。

ようやく泣きやんだ娘にホッとした様子を見せつつ、ラーガは大きく頷く。


「そうだ。広い世界だ。この村はお前には狭すぎる」

「でも、この村結構広いよ」

「そういう意味じゃない。何と言うかこう、心の問題だ」


 ラーガは一人で納得すると、びしりと丘の下にある村を指差した。


「この村の奴らはな、いつも他人を見下したりないがしろにしたりする理由を探してやがる。「よそ者だから」とか「後継ぎじゃないから」とか「女だから」とかな。母さんも女だからって、ジィちゃんバァちゃんから粗末に扱われてたの知ってるだろ?」

「……うん」


 ラニーニャが「女だから役ただずだ」と、両親や四つ年上の兄から暴言を吐かれたり、暴力を受けていたことは、ラーニャも少し知っている。


「かーちゃんはとーちゃんが助けてくれたって言ってたよ」

「アイツ子供にそんなこと――って、話がずれた。とにかくラーニャ、お前はこの村いたんじゃいつまでも自分の能力を評価されやしない」

「ワタシの能力?」

「そうさ。お前は大地の精霊の守護を受けている。それはとてもスゴイことなんだ。大勢の人の役に立てるかもしれないんだぞ」


 精霊の守護によって与えられたものといえば、怪力と金色の瞳くらいしかない。

そう思っていたラーニャにとって、父の言葉は意外なものであった。


「ワタシ、たくさんの人の役に立てるの?」

「ああ。この国の王都には魔導庁ってのがあって、人のために役立つ魔法の研究をしてる。お前の能力は、きっとその研究の手助けになるはずだ。――うん。ラーニャはいつか王都に出て行くべきだ」


 ――王都。

それはラーニャにとって幼い頃から憧れの場所だった。

街には数え切れない程の人と建物が溢れ、お城には立派な王様と美しい王子様が住んでいるという。

しかし簡単に行ける所ではないことを知っていたラーニャは、行けと言われても嬉しいより不安になってしまった。


「ワタシ、一人で王都なんか行けないよ」

「何も今すぐ行けとは行ってないさ。大人になってからで充分だ」

「大人になっても一人じゃ寂しいもん。皆で一緒に王都に行こうよ」


 ラーニャが涙声になりながら言うと、ラーガは笑いながら頷いた。


「そうだな。家族皆で王都に行こう」

「約束だよ」

「分かった。約束だ」


 だがその約束はついに果たされることは無かった。

ラーガが遠い鉱山に出稼ぎに行くことになってしまったからである。


「どうしてとーちゃんが出稼ぎに行くの!? ずっと護衛をしてればいいのに!」


 父が出稼ぎに行くと聞いた時、ラーニャは泣きながらラーガの足元にすがった。


「ごめんな、ラーニャ。護衛の仕事じゃ、もうみんな食べてはいけないんだ」

「もう帰って来ないの!?」

「まさか。一年経てば年季が終わって帰ってこれるさ」


 ラーガが馬車に乗って出稼ぎ先の鉱山に向かう朝、母も妹も、もちろんラーニャも泣いて見送った。

ただ事情が分からない二歳の弟だけが、きょとんとした顔で去っていく馬車を眺めていた。


(一年経てば、とーちゃんは帰ってくるんだ)


 それからラーニャは、父のいない生活を耐え忍ぶ日々を送った。

一ヶ月に一度届く手紙だけが、唯一の楽しみとしながら。

ラーガから手紙が来ると、三回は繰り返し読んで、三回は書き直した返事を出す。

しかし書き出しだけはいつも「とーちゃん、わたしはげんきです」だった。


 そんな返事を十一回出した頃、ついにラーガから「ようやく帰れます」と書かれた手紙が届いた。

やっと鉱山での仕事が終わるのだ。

その手紙が届いた日から、ラーニャは毎日村の門の前に立って父の帰りを待った。


(もうすぐとーちゃんが帰ってくる)


 ラーニャが門の前に立つことを始めてから、二十日経った頃だろうか。

ついに村に向かって馬車がやってきた。

はやる気持ちを抑えながらも、ラーニャは馬車の中からラーガが出てくるのを待つ。

だがいくら待っても父は馬車から降りてくることはなく、出てきたのは見知らぬマオ族の若者であった。

小さな壷を持った若者は全身傷だらけで、表情も暗く沈んでいる。

ラーニャがいることに気付いた若者は、彼女に向かって声をかけた。


「君、この村のベルガさんの家を知っているか?」

「ベルガなら、ウチのことだけど」

「……そうか」


 若者はますます暗い顔つきになると、ラーニャに家まで案内してくれるよう頼んだ。

最初は警戒したラーニャだったが、悪そうな人には見えなかったので、言われた通りに自宅まで連れて行く。

家について扉を開けると、若者はまず一番にラニーニャに向かって頭を下げた。


「このたびはご主人のことで――」


 彼の言葉を聞いた途端、ラニーニャの顔が真っ青になった。

しかし彼女はなるべく動揺を見せないように笑いながら、ラーニャとニーニャに言う。


「お母さん、これから大事なお話をするの。だがら少し外に出ていてくれないかしら?」


 母親の様子にただならぬ者を感じたラーニャは、渋る妹を連れて外に出た。

――なんだか、嫌な予感がする。

その予感が外れる事を祈ったが、願いが天に通じることはなかった。


 しばらくして家に戻ると、ラニーニャから父が落盤で死んだことを告げられたのである。

それは年季開けの数日前のことだったらしい。


「ウソだ……」


 絶句するラーニャに向けて、さらにラニーニャは話を続けた。

家に来た若者は、見舞金と骨壷を持ってきたのだということ。

遺体が回収出来なかったので、骨壷にはラーガが生き埋めになった場所の土が入っているということ。

若者は、生前のラーガに世話になっていたのだということ。


 しかし涙を流す母から全てを聞かされても、ラーニャはまだ信じられなかった。

あの強くて曲がったことが大嫌いだった父が死んだなんて。


「ウソだ……」


 ラーニャはもう一度呟くと、ふらふらと家を抜け出した。

さして意識していたわけではなかったが、足は自然といつもラーガと来ていた丘へ向かう。

今の話は全部ウソで、きっと丘の上にはいつものように父がいる。

何となくそんな気がしていたのだ。


 丘の上に付くと、ラーニャは辺りを盛んに見回した。

だが夕暮れの丘にラーガの姿はどこにもない。


「とーちゃーん! 隠れてないで出てきてよー!」


 それからラーニャは、ずっとラーガを探し、叫び続けた。

日が暮れ、声が枯れてもかまわず、父の姿を求めて呼ぶ。

だが完全に夜の闇が訪れ、星空が広がり、下にある村に灯がともり――丘がいつも父と散歩に来ていたときと同じ光景になると、ラーニャはふと悟った。

もう父はどこにもいないのだと。


 次の瞬間、ラーニャは自分でも気付かないうちに大粒の涙をこぼしていた。

余りの勢いで涙が出てきたため、驚いてしまうくらいだった。


 丘の景色はいつもと変わらず、ラーニャもそこにいるのに、ただラーガだけがいない。


 ラーニャの涙が尽きることはなく、いつまでも一人で泣き続けた。

泣いて泣いて泣いて、ラーニャはいつの間にか丘の上で眠っていた。


 目を覚ますと、丘の下の明りは全て消えていた。

夜も更けて、村人はみんな寝てしまったのだろうか。

ラーニャはぼんやりとした頭で考えたが、まだ一つだけ明りが消えていない家があった。

村の東側にある明りの付いた一軒の家。

それが自分の家だと思い当たるのに、時間はかからなかった。


(どうしたんだろう……)


 ひょっとして勝手にいなくなった自分を心配して、寝るに寝れないのかもしれない。

ラーニャは急いで家に向かって走った。

しかし家の目前まで来た所で、中から大勢の大人の声が聞こえてくることに気付く。

ラーガの死を皆が悼みに来てくれたのだろうか。

始めはそう思ったが、耳に届くのは喚き声ばかりで、故人を偲ぶそれとはかけ離れていた。

不穏に感じたラーニャが窓から様子を伺うと、村人たちがラニーニャを取り囲み、責め立てているのが見える。


「アンタ、亭主が死んでこれからどうするんだ? 他に稼ぐ当てはあるのかい!?」

「こっちによりかかられても困るんだからね。早く手立てを見つけてもらわないと」


 中でも一番激しく詰めよっているのが隣のおばさんだった。

皆にがなり立てられる中で、小さくなりながらラニーニャが言う。


「すみません。必ず何とかしますから……」

「だから、その何とかが何なのか聞いているんだよ。税が払えなくても、こっちは援助してやる気はないよ。子供売ってでも払ってもらうからね!」


 隣の中年女が、ラニーニャに侮蔑の視線を送る。

彼女の最後の台詞に、詰めよっていた周りの大人達が同意した。


「そりゃあいいな。息子がいるんだから、娘を売ったってどうってことないだろ」

「でも姉の方は貴重な働き手だからな。売るなら妹の方じゃないか」

「そうだな。妹を売るのがいい。街には娼館がたくさんあるんだろ? 買い手には困らないぞ」


 大人たちの残酷な台詞を耳にして、ラーニャは目を見開きながら全身を震わせた。

ラーニャも子供とはいえ、売られた人間が酷い目に遭うことくらい知っている。

村人も日々の生活と税の取り立てで、他人の面倒を見る余裕など少しもないのだろう。

しかしそれを差し引いたとしても、彼らの物言いはあまりにも無慈悲でいやらしかった。


 母は皆にニーニャを売れと言われ、顔を覆いながら泣いている。

そのうちそんなラニーニャの様子に痺れを切らしたのか、隣の中年女が吐き捨てるように言った。


「流れてきたよそ者と結婚した挙句先に死なれるなんて、だから言わんこっちゃない。ざまぁないね」


 彼女の言葉は、明らかにラーニャの父と母を馬鹿にしていた。

自分の食べる分を減らしてまで、子供に食事を与えようとする母。

強くて弱い者のために戦うことのできる、立派な父。

この世で一番尊敬していて、この世で一番大好きな両親をけなされて、ラーニャの中で何か大きな物が切れる音がした。


 心臓の裏側辺りからうねるように涌き上がってくる熱いマグマ。

ラーニャは今母親をいじめている、この場に居る大人たちを許しておけないと思った。

激情に命じられるまま、ラーニャは目の前の扉を蹴破って部屋の中に殴りこむ。


「テメェら全員、歯ァくいしばれ!!」


 叫んだのは、いつしかラーガが言った台詞だった。

ラーニャは金色の目をまるで狩をする肉食獣のように光らせ、その場に居た大人たちを次々殴り飛ばす。

生まれ持ったものに加え、過酷な農作業でさらに蓄えられた筋力。

護衛の父に遊びながら教わった体術。

歴戦の傭兵に匹敵する拳を受け、大人たちは血をほとばしらせながら床に転がった。

最後に残った隣のおばさんが甲高い悲鳴を上げる。


「なっ何するのよ!」

「うるさいくそばばぁ!」

「アタシたちは大人の話をしていたんだよ! 税が払えないなら仕方ないことじゃないか。子供を売るなんて良くある事なんだよ!!」


 だがラーニャはくそばばぁの頭を問答無用でぶん殴った。

そして腹のそこから出る力強い声を張り上げる。


「だったらワタシがとーちゃんの代わりに出稼ぎに行く! ニーニャを売らせたりなんか絶対させないから!」


 農作業で鍛えられた筋力と体力には自信があった。

どこか大きい街に出て行けば、肉体労働の仕事はいくらでもあるだろう。

きっと出稼ぎに行けばどこかで雇ってもらえる。


 ラーニャは娘の暴挙に唖然としているラニーニャの方を向き直った。


「かーちゃん、ワタシ出稼ぎに行くから」

「そんな。出稼ぎって言ったって、一体どこに?」

「どこって――」


 仕事がたくさんあるような、大きくて栄えている街。

この国について何も知らないラーニャでも思い当たる所は、王都しかなかった。

ロキシエルの王都は世界でも一二を争うほど栄えている都だという。

しかし遠い遠い場所にあり、おまけにマオ族が住みにくい所だ。

普段のラーニャなら始めから行けないと諦めただろうが、今は追い詰められた状況と、いつかの父の言葉が彼女の背中を後押しした。


 ――ラーニャはいつか王都へ出て行くべきだ。


 ラーニャの心は決まった。


「かーちゃん。ワタシ王都に行く」


 断言した娘の姿に、ラニーニャは一言も声が出ないようだった。

何度も口を開閉させ、やっとの様子でラーニャに言う。


「ラーニャ……。そんなの無理よ」

「じゃあかーちゃんは、ニーニャが売られてもいいの?」

「それは……」


 もちろんラーニャだって住みなれた村を出て行きたくないし、外の世界に行くことは怖い。

しかしニーニャを売りに出すことと比べたら、自分が出稼ぎに行く方が断然良かった。


「かーちゃん心配しないで。ワタシなら大丈夫だから。とーちゃんに剣術習ったし、ご飯も自分で作れるんだよ」


 少女らしからぬ怪力と体力があれば、一人でも王都で生きて行ける。

いや、生きていかなければならない。

ラーニャが外貨を稼がなければ、ニーニャは村人たちによってどこかに売られてしまうのだ。


 ラーニャは家族のために、王都へ出稼ぎに行くことにした。

不安の方が大きいが、立ち止まっていたら明日にでも妹を身売りに出されかねない。

この村には五日間に一度だけ、近くの町へ行くための馬車がでる。

ラーニャはまずその馬車に乗って町へ行き、そこから別の馬車に乗り換えて王都へ行くことにした。


 次の馬車が出るのは丸四日後。

その間に、ラーニャは肩まであった白い髪を耳まで切り落とした。

女の、しかも子供の一人旅は危険なので、男装することにしたのだ。

少々苦しかったが、胸にもさらしを巻くことにする。

服装は、普段から農作業のために少年同然の格好をしていたので、そのままで行くことに決めた。

持っていく物は、数着の洋服と馬車代を含めた僅かな金銭だけ。

ラニーニャは父の見舞金があると言って、もっと金を渡そうとしたが、ラーニャは頑として受け付けなかった。


 そして出発の朝、ほんの少しの荷物を持ったラーニャは、丘の上に作ったラーガの墓を訪れた。

大きめの石に名前を彫っただけの墓には、骨ではなく、父が死んだ場所の土が埋めてある。

墓の前まで来ると、ラーニャは墓石に向かって語りかけるように呟いた。


「とーちゃん。ワタシ、出稼ぎに行くことにしたんだ」


 ラーニャは出て来そうになった涙を無理矢理引っ込める。


「とーちゃん、ワタシ……じゃなくて、オレ、とーちゃんみたいに強くなるから。だからワタシ、いや、オレやかーちゃんたちのこと、見守っててくれよな」


 男言葉に慣れないため、何度か言い直す。

無事に旅をこなし、王都で少年として生活するためには、男言葉を自然に話せるようにならなければならない。

王都へ出稼ぎに行くと決めた日から、ラーニャは生前の父の口調を真似するよう努めていた。


 ラーニャは心の中で父に挨拶を済ませると、墓の前から立ち上がる。

もうすぐ馬車が来る時間だった。

丘の上から見える自分の村は、嫌なことがたくさんあったのに、なぜだかとても愛おしい。


「きっと、また帰ってくるからな」


 ラーニャは丘からの景色に微笑むと、馬車がいる村の入り口まで向かった。

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