終わり編12 答え
マドイと最初に出会ったのは、王宮の廊下でだった。
その時彼は黒い鞭を持ち、侵入者であるラーニャを冷たく見下ろしていた。
敵として鞭で打ち据えられ、負けずに頭突きをぶちかましたことは、まるで昨日のことのように覚えている。
二度目に出会った時には、金と引き換えにミカエルと縁を切るよう持ちかけられた。
三度目は、精神的にミカエルを追い込んで、容赦なく罵倒している最中だった。
今思っても、当時のマドイはどうしようもない奴である。
しかしその頃から母親を思うがゆえに暴走するなど、根っからの悪人ではないことは分かっていた。
敵同然だった彼の窮地を救い、それがきっかけで魔導庁に入庁して。
時に大きくぶつかり合いながらも、少しずつ距離を縮めて行った。
最初に彼への評価を改めるきっかけになったのは、聖夜の爆弾騒ぎの時だろうか。
あれ以来、マドイに対してマイナスだった感情が、段々とプラスになっていった気がする。
途中、英雄グスタフのことが原因で彼と意見が合わず、魔導庁を辞めたこともあった。
だが最終的に彼は傷ついたラーニャを助け、頭を下げてまでまた戻って来て欲しいと言ってくれた。
そして故郷に帰って母親や親族から酷く傷つけられた時、その傷を癒してくれたのはマドイだった。
彼はラーニャを慰めるために贈り物をし、それを台無しにされても怒るどころか、「貴女の味方だ」と笑ってくれたのだ。
ラーニャは無表情のまま、目の前でうつ伏せに倒れているマドイを見つめた。
彼の背中にナイフが刺さっているのは、きっとマオ族狩りから身を呈してラーニャを守ったせいだ。
「……バカヤロウ」
ラーニャは倒れたまま動かないマドイに向かって呟いた。
「バカヤロウ。何でオレのことかばうんだよ」
ラーニャの金色の瞳から、ボロリと大粒の涙が零れ落ちる。
思えばこんな風に涙をこぼしたのは、父が死んだとき以来始めてだった。
あの時から泣かないと決めていたのに、一旦涙がこぼれると、それは止まる術を忘れて、いつまでも流れ続ける。
ラーニャはまだ暖かい彼の肩にそっと触れた。
今なら自分がどんなにマドイのことが好きなのか、とてもよく分かる。
しかしもう遅かった。
ラーニャは涙を流しながら、小さく笑う。
「オレ、ホントはお前のこと好きだったんだぜ?」
ポタリと、苔むした地面に涙が撥ねた。
「なのにどうして、返事を渋っちまったんだろうなぁ。今までオレ、お前のことどうしようもない奴だと思ってたけど、オレのほうがもっとどうしようもねーわ」
数え切れない程のしずくが、地面の上で跳ね上がった。
ラーニャはこみ上げる感情を抑えきれずに叫ぶ。
「マドイ、オレが結婚でも何でもしてやる! だから目ぇ開けてくれ!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ラーニャはマドイの背中の上にうつ伏せになった。
まだ残る温もりが悲しすぎて、ラーニャは声を押し殺して泣く。
彼の規則的な鼓動が優しいかった。
――規則的な「鼓動」が。
「……」
ラーニャは無言のまま、マドイの背中から顔を上げた。
確かに今聞こえた彼の心拍音。
ひょっとしてまだマドイは生きているのだろうか。
しばらくラーニャが思考停止していると、やがてマドイがゆっくりと身体を起こした。
ラーニャは思わず座ったまま、腕だけで後ずさる。
「……なんです? その化け物を見たような反応は」
マドイは背中を押さえながら、紫色の瞳でおったまげる彼女を睨んだ。
少なくとも、彼は生きてはいるらしい。
「マドイ……。死んだんじゃなかったの?」
「私も死んだと思ったんですけどね。どうやら命拾いしたみたいです。」
マドイはそう言うと、背を向けて上着の裾をめくりあげた。
彼のベルトとズボンの間には、なぜか古びた雑誌のようなものが挟まっている。
「週刊女性告白創刊号」そう雑誌の裏表紙には書かれていた。
「ついさっき、ミカエルから取り上げたんだすけどね。急いでこちらに向かっている途中、手に握ったままなのを思い出して――」
物がものだけに部下に預けるのもはばかられ、仕方なくベルトの間に挟み、上着で隠したそうだ。
「……。で、なんでそれで助かるの?」
「頭悪いですねぇ。ほら、このナイフ。この雑誌越しに刺さっているんですよ」
だからナイフは内臓まで届かず、マドイは一命をとりとめたのだ。
しかし背筋にはバッチリ刺さっているらしく、彼は痛そうに顔をしかめている。
出血もしているだろうから、早く病院に運んだ方が良さそうだ。
だがラーニャがマドイを馬車に押し込もうとすると、彼は実に嬉しそうな顔で笑いだした。
ひょっとして痛さのあまりおかしくなってしまったのだろうか。
「なんだよ。頭大丈夫か?」
「だって、ラーニャが私と結婚してくれるんですもの」
「は?」
いきなりの彼の台詞に、ラーニャは思わず眉を八の字にした。
いつものクセで怪我人相手に拳を握り占める。
「てめっ。オレがいつそんなこと――」
「ホントは私のこと好きなんでしょう? もうごまかさなくても結構ですよ。――ぜーんぶ聞いてましたから!」
「――!」
ラーニャは先ほど自分が言った台詞を思い出し、一瞬で顔面が沸騰した。
そう、あの時マドイは、ラーニャの呟きと叫びを全てその耳で聞いていたのだ。
その事実に気付いたラーニャは、恥ずかしさのあまり死んでしまいそうになった。
反射的に身体中の毛が逆立ち、猫耳と尻尾が垂直になる。
(もう消えろ! オレ消えろ!)
真っ赤になりながら小刻みに震える彼女に、マドイが怪我人とは思えない口ぶりで言う。
「そんなに赤くならなくても。結婚するのは貴女が十八になるまで待ちますから」
「けっこっ」
「嫌ですか?」
満面の笑みを浮かべて、マドイが顔を近づけてくる。
背中にはバッチリナイフが刺さっているというのに、なんて元気な怪我人だろうか。
「早く乗れ! 話はそれからだ!」
ラーニャが叫ぶと、マドイは「はいはい」と言いながら、意外と素直に馬車に乗り込んだ。
次回最終回です