王家陰謀編1 死よりも賠償金を恐れる女
それからマルーシ地方には国王の命令で大規模な調査が入り、その不正の実態が明らかになった。
定められた三倍以上の不当な税率、マオ族の文化への抑圧、恣意的な刑罰や強制労働など、レスター伯爵の悪事が全て白日の下にさらされたのだ。
良くぞこれだけの悪行が長い間ばれなかったものだが、伯爵は税務官への賄賂や地位を利用した圧力などで巧みに王家の目を欺いていたらしい。
また伯爵の先代は先王に多大な貢献をした人物であったため、王家が伯爵家を厚く信頼していたのも発覚を遅らせる原因となったようだ。
結局伯爵は国王の信頼を裏切り、マオ族に困窮を強いたとして爵位を剥奪され、北の小さな貧しい領地に左遷。
マルーシ地方には国王から一時的に任命された人物が臨時の領主として赴任することとなった。
これで少しづつだがマオ族の生活も豊かになるだろう。
この間と同じレストランでミカエルから事の顛末を聞いたそうラーニャは思った。
「それからね、ラーニャ。マオ族の差別をなくすことついてもやり方を見直すことになったみたいだよ」
「そうか」
「君の言うとおり、ボクたちは法律だけ作って満足してたみたい。君のことを見て良く分かったよ」
「よろしくたのむな――ところで、だ」
ラーニャは大量の女性週刊誌とレディースコミックを抱えているミカエルを指差した。
「なんだその下世話な出版物たちは。そして何で一国の王子が中流のカフェレストランにいんだ」
「えー、だって今日はちょうど出版日だったんだもん。それにこのカフェ、ヒマな主婦たちが噂話してて面白いんだもん」
ミカエルはラーニャに顔を寄せると、斜め後ろのテーブルにいる女性たちを見ながら囁いた。
「なんかね、あそこにいる女の人の一人、ダンナが帰ってこないんだって」
「それがどーした」
「浮気かな?不倫かな?それとも蒸発?」
「やめろ。そーいう話を目を輝かせて聞くんじゃねぇ」
ミカエルを押し戻すと、ラーニャは彼の持っていた雑誌をすばやく取り上げた。
軽くページをめくって見ると、あまりに生臭い内容でため息が出る。
「こーいうのも読むのやめろよな。『ママ友からの僻み』『過干渉な姑』『ダンナの不倫』。くだらねぇ話ばっかじゃねーか」
「だって~、おもしろいんだもーん」
「だもーんじゃねーよ。王子がこんなもん読むな。政治に影響が出るわ。おいアーサーもなんか言ってやれ」
しかしアーサーはラーニャの目をまっすぐ見ながら言った。
「ミカエル様は庶民の生活に並々ならぬ関心を抱いておられます。そのためなら朝早くから主婦の井戸端会議を覗きに行く徹底ぶり。感服の至りでございます」
「テメェ……井戸端会議まで……」
ラーニャはバカらしくも厚い主従関係を築いている二人を見て、もう何も言えなくなった。
*
翌日、ラーニャはいつものように紡績工場で汗を流しながら働いていた。
汗で髪も服もべとべとになりながら、緩んだバルブを閉めたり、詰まった糸を取り除くために重たい部品を動かしたりする。
こうして蒸し暑い工場で働いていると、王宮まで直訴に行ったことがまるで夢のようだった。
正午を過ぎ、漸く休憩の番が回ってきた。
短い時間を有効に過ごせるよう、ラーニャは脇目もふらずに昼飯をかきこむ。
五分の四ほど平らげたころ、滅多に顔を合わせることもない工場長がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
彼が走り回るときは大抵、高価な魔機械が使用不能になったときだ。
直接ラーニャには関係ない。
しかし再び昼食を食べ始めると、なぜか工場長はラーニャの目の前にやってきた。
「お前がラーニャ・ベルガか」
「あ、そうですけど」
まさか自分が魔機械を壊してしまったのではないか。
ラーニャは全身から血の気が引いて行くのを感じた。
魔機械はたとえ小さな物でも個人では手が出せないような値段がするため、もし壊したとなれば、その身に多額の賠償責任が降りかかるのだ。
「ど、どうかしましたか?」
「いいからこっちにこい」
工場長に連れて行かれる間、ラーニャは人生で一番と言っていい程の恐怖を感じていた。
客観的に見てみれば、王宮に忍び込んだときより仕事の失敗でびびるなんておかしな話ではあるが。
しかし工場長はラーニャを壊した魔機械の前ではなく、工場の外に連れ出した。
「あ、クビっすか。そーいうことっすか」
「何を言ってるんだ。前を見ろ!」
言われたラーニャが前方を見ると、そこには丁寧な細工の施された馬車が止まっていた。
扉に記された翼の生えた杖の紋章で、この馬車が王家のものだと分かる。
ラーニャが驚いていると、手前に立っていた執事風の老人が深くこちらに頭を下げた。
「こちらがかの勇敢なラーニャ・ベルガ様でございますか」
「あの、おじいさん。もしかしてミカエルのお使いですか?」
「いいえ。私は第二王子マドイ殿下に仕えるものです」
(マドイって、あの兄貴か――?)
脳裏にあのたんこぶを作った銀髪の男の姿が蘇った。
彼が工場で働くラーニャに今更何の用だろうか。
「もしかして、慰謝料払えなんて言わないよね……」
「違いますとも。むしろ良いお話だと思いますが」
「ほんとか!?」
「詳しい話は王宮にてお話いたします。まずはこちらへ」
老人が馬車の扉を開けて入るように促す。
頭付きを食らわした張本人に呼ばれて不安なところだが、もし悪いことがあるならこんな立派な馬車はよこさないだろう。
ラーニャは戸惑いつつも、馬車に乗り込むことに決めた。