終わり編8 覆面だけは取らないで
(魔導庁に休暇届出しといてよかったぜ)
ラーニャは本日三度目となる、逃げて行くマオ族狩りの後姿を見ながらそう思った。
「マオ族狩り」が出没する頻度は、思っていたよりもずっと多く、ラーニャたちは一日中気を張っていなければならなかった。
一回追い返したかと思えば、すぐに別の集団が出てきて子供や老人を襲う。
覆面をしているせいで分からないが、マオ族狩りを構成している人間は悲しいことに大勢いるらしい。
貧民街が無くなるまであと二週間足らず。
もうすぐこの街に住んでいる人間は、新しく町が出来上がるまで、国が作った仮設住宅――と言っても貧民街の建物よりずっと安全で快適な――に引越しとなる。
貧民街は皆が好き勝手に建物を立てているため、見通しが悪い。
だが清潔で開けた仮設住宅に移れば、きっとマオ族狩りも簡単には襲って来れないに違いなかった。
「とはいえ、ちょっと数が多すぎるよな」
ラーニャがため息を吐きながら自警団の男たちに言うと、彼らは揃って頷いた。
リーダーのナツが口をへの字に曲げて呟く。
「ここが無くなるまで時間が無いから、最後の詰めとばかりにやって来てるんじゃないか?」
「襲えばオレたちがビビッて王都から出ていくとでも思ってんのかねぇ?」
「だろーな。……出て行く所があるなら、最初からこんな所に住まないのによぉ」
またもや皆無言で頷いた。
先ほどまでマオ族狩りと乱闘していたせいで、喋る元気もないらしい。
日に日に数を増していくマオ族狩り。
自警団のメンバーも疲れが溜まっているようだった。
「しっかしこのままだと、こっちが先にへばっちまうぜ? この際一人でも捕まえて、警備隊に付き出してやりゃいいんじゃねーか?」
「そうだな。見せしめにもなるだろうし……。いくら逃げ足速いとはいえ、一人位なら何とかなるだろ」
ナツが言い終わるとほぼ同時に、物影からマオ族の少年が飛び出して来た。
「マオ族狩りだー! 今度は西の方に!」
やれやれと、ラーニャを含む自警団一同は苦笑する。
「さっそくチャンスが来たみてーだな」
ラーニャは吐き捨てるように言うと、いの一番にマオ族狩りが出たという方向に走り出した。
少年の案内で、自警団は現場へと向かう。
目的地に着くと、そこでは小さな少年が、マオ族狩りの大人たちに囲まれて足蹴にされていた。
「テメェら! オレが来たからには覚悟しやがれ‼」
ラーニャの叫び声に、少年に暴行していたマオ族狩りが一斉に振り返った。
そして示し合わせたように同時に散らばって逃げ始める。
おそらくラーニャと戦うのは、得策ではないと分かっているのだろう。
普段なら逃げるにまかせて深追いはしないのだが、今回ばかりは事情が違う。
「そんなトロイ足で逃げられるわけねーだろ!」
ラーニャの言うとおり、マオ族狩りは素人集団なのか、身体を鍛えてい無い者が多かった。
ラーニャはその中でも、さらに鈍そうな相手に照準を合わせる。
その運が無い一人のマオ族狩りは、あっという間に彼女に追いつかれ、タックルを食らい、顎を打つ形で地面に崩れ落ちた。
形勢逆転とばかりに、今度はラーニャたちがそのマオ族狩りを取り囲む。
顎を押さえてのたうつマオ族狩りの胸倉をナツが掴み上げた。
「よう兄ちゃん。ご機嫌そうだな」
「まっ、マオ族がオレに触るな! 汚らわしい!」
絶体絶命の状況にもかかわらず、彼の声は意外にもしっかりしていた。
「殺すなら殺せ! 死んでオレは英雄になってやる!」
「殺してやっても別にいいが、その前にどうして俺達を襲うのか聞かせてくれないか」
「そんなの当たり前だろう! お前らが劣等種族だからさ!」
余りにも堂々と彼が侮蔑用語を吐くので、一同は思わず顔を見合わせた。
「劣等種族ねぇ……」
「ああそうさ! お前らが貧民街から出てきたら王都が乱れる。いや、もう既に乱れている! なんたってお前らの食うエサが流行っているんだからな!」
マオ族狩りは一人で頷くと、突然ラーニャを指差した。
「すべてお前のせいだ。このメス猫め! お前がマドイ殿下に取り入ってマオ族をのさばらせたんだ。貧民街のこともお前の差し金だろう。おかげでこの国は滅びるんだ!」
「……オレたちが街に出て行くくらいで、この国は滅びんだろ」
「いいや滅びる。マオ族の野蛮な文化がロキシエルを蝕むんだ。お前らは国を内側から腐らせていく毒物なんだ!」
放っておけば、いくらでも彼はマオ族を蔑む言葉を吐きそうであった。
いい加減うんざりしてきたラーニャは、口角に泡を飛ばして(見えないが)叫ぶ彼を睨む。
「しっかしよく喋る奴だよなー。どんな面してこんなこと言ってるのか、確かめさせてくれよ」
ラーニャがマオ族狩りの覆面に手をかけようとすると、彼は堂々としていた先程の様子とは一変、逃げようと身をよじり始めた。
「やっ。覆面だけはっ。覆面だけは取らないでくれ~」
思わず同情してしまいそうな哀れっぽい声色だったが、それで彼女が手を止めるはずが無い。
ラーニャは覆面のをむんずと掴むと、思い切り引き上げて見せた。
「ひやあぁぁ! 覆面がー!」
高々顔を晒されただけなのに、彼は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら泣き喚いていた。
マオ族狩りにとって覆面とは、そんなに重要なアイテムだったのだろうか。
やがて彼は通報を聞きつけてきた警備隊に連行されて行った。
尋問すれば、マオ族狩りの情報がたっぷり手に入るだろう。
しかしそんな期待とは裏腹に、彼から大した情報は引き出せなかったと、翌日ラーニャはナツから聞かされた。
それは彼が尋問に黙秘しているせいではなく、本当に何も知らないかららしい。
マオ族狩りは同志と会うときでも必ず覆面をつけているため、お互いの正体は全く分からないのだそうだ。
分かったのは大体百人前後の集団であること。
特に決まったリーダーはおらず、マオ族狩りを最初に提唱したのも誰だか分からないこと。
それぐらいだったという。
「つまり顔も分からない奴が何となく集まって、何となく狩りとやらをしてるってことか?」
「みたいだな」
「なんだよ。せっかく捕まえたのによお」
だが見せしめの効果は思ったよりあったらしく、その日からマオ族狩りはぱたりと姿を現さなくなった。
覆面をとられたくらいで泣き叫ぶ奴等である。
きっと恐れをなしたのだろう。
だが貧民街がとり壊される前日、ラーニャは自分の見通しが甘かったと思わざるを得ない事態に陥った。
マオ族の少女が、マオ族狩りの奴らに連れ去られたのである。
その知らせを聞いたラーニャは、自警団のたまり場である酒場へ急いだ。
扉を開け放つと、ナツがこちらに駆け寄ってくる。
「ラーニャ! 大変なことになった」
「警備隊には?」
「そのことなんだが……」
ナツは口ごもると、一枚の紙切れを手渡してきた。
ラーニャはそれを取ると、さっと目を通す。
『マオ族へ告ぐ。子供を返して欲しければ、四時に地図の場所へラーニャ・ベルガを連れてこい。もし来ない場合、複数で来た場合、警備隊を呼んだ場合には子供を殺す』
(何だコレ――)
紙切れは、マオ族狩りからの脅迫状であった。