終わり編6 遠くまで
――つまり君は兄上のことが好きなんだよっ。
ミカエルにそう言われて、ラーニャは雷に打たれたような気分になった。
愕然とラーニャは何もない空間を見つめる。
衝撃は大きかったが、不思議と否定的な感情は起きなかった。
ただ「ああそうか」と心の中で静かに納得する。
「そっか。オレ、アイツのこと好きだったんだ」
誰に聞かせるでもなく、ラーニャは呟いた。
小麦騒動の時、マドイのために居ても立ってもいられず群衆を説得したこと。
彼を二度も陥れようとしたローズマリーに、激しい殺意を抱いたこと。
あの時どうしてそんな気持ちになったのか、今分かったような気がした。
だが分かった途端に涌き上がってくる不安のようなものを覚えて、ラーニャは情けなくも泣きそうになる。
「ミカエル……。オレ、これからどうすりゃいいんだろ」
「とりあえずは、自分の気持ちをちゃんと認識してみたら? それを踏まえて返事を考えてみればいいよ」
「……」
「頼むよ? なるべくいい返事を出すようにしてねっ」
ミカエルは泣きそうなラーニャとは対照的に、屈託のない笑顔を浮かべる。
「兄上がラーニャと結婚したら、もう二度とボクに嫌がらせすることはないもんねっ。と、いうことでヨロシク!」
だから彼は躍起になってラーニャの気持ちをマドイに向けようとしていたのだ。
ラーニャはミカエルの策略と、それを口に出してしまう彼自身に苦笑する。
(自分の気持ちを認識するか……)
確かに彼の言うとおり、まずは自分自身を見つめる必要がありそうだった。
今は相手の感情と自分の感情が入り乱れて混乱しているから、とりあえず冷静になるべきだろう。
そのためには一体どうすべきか。
ラーニャが出した答えは、マドイと一旦距離を置くことだった。
相手の隣に居候している状態では、冷静になれるわけがない。
「オレ、答えを出すためにちょっと出て行くから」
ラーニャはマドイにそう告げると、一ヶ月弱を過ごした豪奢な部屋を後にした。
だが荷物を持って町に下りた所で、どこにも行く所がないことに気付く。
(ヤベェ。どうすっかな)
しばし自分の考えなさ具合を後悔したが、意外とすぐに当てが思い浮かんだ。
王都へ出て来た時に、始めて住んだ下宿である。
思いつくとすぐに行動に移すラーニャは、直ちにその下宿に向かった。
下宿のある場所は、貧民街の中でも特に治安が悪い地区にある。
昼間でも薄暗くて、カビと湿気の漂う不快な場所だが、ラーニャの出稼ぎ生活は全てそこから始まったのだ。
自分の気持ちと向き合うにはひょっとしたら一番最適な場所かもしれない。
ラーニャは迷うことなくその場で下宿の契約を結んだ。
最初に契約したときには手持ちの金のほとんどだった家賃も、今ではなんてことない金額である。
思えばなんて遠くまで来てしまったんだろう。
ラーニャは下宿の窓からの景色を眺めながら思った。
父が死に、後がない状態で王都に出稼ぎに来て、何とか工場で雇ってもらって。
そんな極貧生活を送る出稼ぎ娘が魔導庁に入った挙句王子様に求婚されるなんて、一体誰が予想できただろうか。
「人生ってわかんねぇモンだよなぁ」
ラーニャは硬いベットに寝転がると軽やかに笑った。
王宮の天井画とは正反対の、染みだらけの天井が懐かしい。
一番辛い時を過ごしたここなら、自分の気持ちを見つめ、これからを考えられるような気がした。
ラーニャは大の字になって目を閉じ、とりあえず気持ちを落ち着けようと試みる。
だが気分こそ落ち着いたものの、昨日眠れなかったせいか強烈な睡魔が襲いかかってきた。
(まぁいいか。寝ちゃお)
寝不足では考えられるものも考えられないだろう。
そう思って気を抜くと、ラーニャは一気に深い眠りに落ちた。
どれくらい眠った頃だろうか。
この町ではありがちな、男たちの喚く声でラーニャは目を覚ました。
どうやらこの下で喧嘩でもおっぱじめているらしい。
(迷惑だな~)
貧民街では喧嘩が付き物なのだが、やはりすぐそばでやられると耳障りである。
ラーニャが窓の下を除きこむと、案の定男たちが集団で何やら騒いでいた。
一言「うるさい」とでも言ってやろうかと思ったが、良く見ると何だか様子が変である。
男たちは集団で、一人でいるマオ族の物乞いを袋叩きにしているようだった。
コレだけなら良くある事なのだが、おかしいのは男たちの格好である。
男たちは皆白い覆面をかぶり、顔が分からないようにしているのだ。
身なりも、貧民街には似つかわしくない、上等とも言えるような服を身につけている。
(なんなんだぁ?)
ラーニャが首をひねっていると、近くにある建物の影から、松明を掲げた集団が飛び出して来た。
「マオ族狩りだー!」
「マオ族狩りを叩き出せー!」
飛び出して来たのは、マオ族の男たちであった。
彼らは松明を掲げながら、物乞いを襲っていた男たちに立ち向かっていく。
信じられない光景であった。
貧民街ではたとえ隣で誰かが殺されかかっていようが、見て見ぬフリをするのが暗黙の了解だ。
なのに皆で力を合わせて一人を助けようとするなんて。
「コイツぁオレもうかうかしてらんねーや!」
ラーニャはにやりと笑うと、二階の窓からもみあっている集団めがけて飛び降りた。
目測どおり、ラーニャは騒ぎが起こっている場所のちょうど真ん中に着地する。
「お前ら楽しそうじゃねーか。オレも混ぜてくれよ」
いきなりのラーニャの登場に、覆面たちもマオ族たちも、皆唖然としていた。
しかしそのうち、覆面の一人が彼女を指差して叫ぶ。
「おい、ラーニャ・ベルガだ! この金の瞳、間違いない。重罪人だぞ!」
「は? 重罪人?」
「お前のせいでマオ公がいい気になるんだ。みんな討ち取れ! 討ち取ったら英雄だ!」
一人の掛け声で、他の覆面が一斉に襲いかかってきた。
中にはナイフを持っている奴もいる。
「お前ら、一体何なんだよ!」
覆面たちの勢いにラーニャは最初鼻白んだが、すぐに大したことない相手だと分かった。
ナイフを持つ手は不確かだし、身体の重心移動もまるでなっていない。
おまけに仲間の呼吸が分からないのか互いにぶつかり合っているので、ラーニャが全員ぶちのめすのは簡単だった。
覆面越しにラーニャの鉄の拳を浴びせられ、奴らはほうほうの体で逃げていく。
集団で一人を攻撃する奴なんてたかが知れているが、それでも余りにあっけなかった。
「何なんだぁ? アイツら」
ラーニャが呆れながら呟くと、周りにいたマオ族の一人が呟く。
「あいつらはマオ族狩りさ」
「マオ族狩りぃ?」
「ああ。あいつらは今みたいに集団で来ては、マオ族に襲いかかるのさ」
貧民街はラーニャのいたときとは違う意味で物騒になっているようである。
なんだか自分を見つめるどころではなくなってきたようだと、ラーニャは顔をしかめた。




