終わり編4 マドイの気持ち
馬車はそのまま真っ直ぐミカエルの住む宮殿に到着した。
ラーニャはマドイにばれるのではないかと気が気ではなかったが、ミカエルに「まさかボクの所にラーニャがいるとは思わないよ」と言われて安心する。
ミカエルの部屋に入ると、ラーニャは彼のメイドから温かい紅茶を出された。
「いやぁ。ホント助かったぜ」
紅茶を飲み、ラーニャはホッと息を吐き出す。
「あそこで助けてもらわなかったら、警備兵にもみくちゃにされてるトコだったよ」
「ラーニャが兄上に追われてるって聞いて助けに来たけど、一体どうしてそんなことになったの?」
素朴なミカエルの疑問に、ラーニャは思わず紅茶を吐き出しそうになった。
「それは……」
「せっかく助けてあげたんだから教えてよっ」
そう言われると答えないわけにはいかない。
ラーニャは消え入りそうな小さな声で、今日あったマドイとの経緯を彼に話した。
話を聞き終わるなり、ミカエルは空色の目を輝かせながら叫ぶ。
「『私の子を産んでくれ』なんて、兄上ったら直球~!」
「ばっ、そこまで言われてねーよ!」
「でもそういうことでしょ? いいないいな。少女マンガでもないよっ。うひゃ~」
ミカエルは柔らかそうな頬に両手をあてて、ぶんぶん身体をひねる。
よっぽどマドイのプロポーズの仕方が気に入ったらしい。
だが散々騒ぐと、彼はふと視線を下に落として言った。
「でもプロポーズされて背負い投げしちゃうなんて、ラーニャも大概だよね」
急にしんみりとしたミカエルの様子に、ラーニャは戸惑った。
「え? なんだよ急に」
「確かに兄上も直球過ぎるけどさっ。可哀想だとは思わないの?」
「……何が?」
間抜けな顔でぽかんと口を開けるラーニャに、ミカエルはひどく呆れたようだった。
「マドイ兄上のことだよっ。兄上はやっと勇気を振り絞って、ラーニャに自分の気持ちを伝えたのにっ。 背負い投げした挙句逃げちゃうなんてあんまりだよ!」
「自分の気持ちって、どういうことだ?」
「ああん。もう、そんなことも分からないの?」
ミカエルが何か言おうと口を開く。
その瞬間、ラーニャは椅子から崩れ落ちた。
(……?)
自分でも何が起きたのか訳が分からず、起き上がろうとするが身体に力が入らない。
まるで全身の骨と言う骨が全て抜けてしまったような感じだった。
目線だけを上げてミカエルを見上げると、なぜか彼はニコニコしながら倒れたラーニャを眺めている。
「よかったー。やっと薬が効いたみたいだねっ」
その一言で、ラーニャは自分の身に何が起きたのか悟った。
「ミカエル……。てめっ」
「そんなに睨まないでよ。ボクはラーニャのためを思ってやったんだから」
ミカエルは笑ったまましゃがみこんで、床に寝そべるラーニャに視線を合わせた。
さらにラーニャが眼光鋭く睨むと、ミカエルは困ったような顔をする。
「もー、怖い顔だなぁ。ボクはラーニャと兄上の未来のために悪者になったんだよっ」
「未来だと……?」
「ラーニャ、いつまで兄上から逃げ回るつもり? 今は逃げ回ってられても、いつかは向き合わないといけないんだよ?」
背中の方で、部屋の扉が開く音が聞こえた。
足音がして、目の前に一番今会いたくない人間であるマドイその人が現れる。
きっとミカエルは最初からそのつもりだったのだろう。
いくらなんでもマドイが現れるのが早すぎた。
「有難うミカエル。協力感謝します」
「いいよっ。その代わり約束の『週間女性告白』の創刊号用意してねっ」
(コイツ……。ゼッテー後でぶっ飛ばす)
ラーニャはミカエルを睨み上げながら床で歯軋りした。
未来がどうとかいいながら、結局ラーニャは週刊誌の創刊号欲しさにマドイに売られたらしい。
ミカエルは睨むラーニャに気付くと、神経を逆なでするつもりなのか、バチンとウインクした。
「ボクは席を外すけど、まずは兄上の気持ちを聞いてあげてねっ」
ミカエルはマドイに「ラーニャが動けないからって変なことしちゃダメだよっ」と言いながら、部屋を出て行った。
当然ラーニャはマドイと二人きりの状態で部屋に取り残される。
「なんか、浜辺に打ち上げられたアザラシみたいですよ」
「昼間のナマコから随分出世したな」
マドイは鼻を鳴らすと、ラーニャの襟首を持ち上げ、彼女を元通り椅子に座らせた。
彼もミカエルが座っていた椅子に座り、ラーニャと真正面から向き合う形になる。
だがマドイがいつまでも黙っているので、気まずさに耐えかねたラーニャは仕方なく自分から口を開いた。
「オレに言いたいことあるんだろ? 言えよ」
マドイはしばらく間を置いてから、静かに答える。
「結婚してください」
「……それは昼間聞いたよ。つーか何でオレと結婚したいんだテメェは」
マドイはまた黙りこんでから答える。
「ラーニャとずっと一緒にいたいからです」
「……何で?」
「何でって、決まっているでしょう!――好きなんですよラーニャが!」
ラーニャは思わず金色の目をひん剥く。
あっけにとられた様子のラーニャを見て、マドイは音を立てて椅子から立ち上がった。
「なんですかその顔は。何か文句があるんですか!」
「いや……。だって……」
「ええ。驚くのは分かりますよ。だっていきなりですもの。それに私は八つも年上ですからね。驚くのも無理ないですよ。でも仕方ないじゃないですか。好きなんだから!」
「ちょっ、怒んなって」
ラーニャはなだめようとしたが、マドイは止まらなかった。
いや、ますますヒートアップしたように見える。
「いきなり貴女から、故郷に帰るなんて言われた私の気持ち分かりますか? 私はこんなにラーニャのこと想っているのに、貴女はいとも簡単に故郷へ帰るだなんて!」
「でっ、でも」
「でもじゃありません! 貴女がそんなこと言うから、私は焦る余り愛を囁く段階をすっ飛ばして、結婚だの子供だの言う羽目になってしまったんですよ! 謝りなさい」
(え~。逆ギレかよ~)
げんなりするラーニャの顔を見て、マドイは冷静さを取り戻したらしい。
彼は丁寧に床に膝を着くと、彼女の金色の瞳を見据えた。
「すみません。少し取り乱してしまいましたね。でも、私の気持ちは本物です。これだけは信じて欲しい」
マドイは静かに言うと、ラーニャの手を取り両手で握り締めた。
「ラーニャ、少しでもいいから私が言ったことへの答えを真剣に考えてみてやってください。それで貴女がどのような答えを出しても、私は満足です」
マドイはラーニャの手を離すと、床から立ち上がった。
そして恭しく彼女に向かってその麗しい面を下げる。
「ごきげんようラーニャ。色よい返事をお待ちしています」
マドイはそれだけ言うと、きらめく銀色の髪を翻して部屋から去って行ってしまった。