終わり編2 プロポーズと背負い投げ
手紙をもらった次の日、ラーニャは朝から何もする気が起きなかった。
昨日から侍女を部屋に入れていないため、投げたクッションがそのままの形で散らばっている。
ラーニャが乱れたベットの上でうつ伏せになっていると、久しぶりにマドイが尋ねて来た。
「おや、どうしてんですか。この部屋の有様は」
「……別に。何か用か?」
「時間が出来たからお茶に誘いに来たんですけど……。それどころじゃないようですねぇ」
「早く帰れ」とラーニャは心の中で毒づく。
だがそんな思いとは裏腹に、マドイはこちらへ近付いて来た。
「なんか、浜辺に打ち上げられたナマコみたいですよ」
「ウルセーな」
「何があったんですか? 私にお話しなさい」
ラーニャはしばらく考えると、うつ伏せになったまま言った。
「オレ、近いうちに故郷へ帰ろうと思う」
突然の彼女の帰郷宣言に、マドイは体を仰け反るようにして驚いた。
銀色の髪を振り乱し、艶やかな声を張り上げる。
「故郷に帰るって、魔導庁はどうするつもりですか!」
「……辞めるよ。悪いけど」
「どうして急に! 何か嫌な事でもあったんですか」
食い下がってくるマドイに、ラーニャは申し訳ない気分になった。
大地の精霊の守護を受ける者は魔導庁でラーニャしかいないから、いなくなったらさぞかし迷惑がかかるだろう。
「別に魔導庁が悪いわけじゃないんだ。ただ、カーチャンが帰って来いってさ」
「どうして急に? ひょっとしてご病気とか?」
「……いや。王都に女が一人でいると世間体が悪いから、早く故郷で結婚して子供産めって。近所からも色々言われてるんだってよ」
ラーニャの帰郷の理由に、マドイは絶句していた。
確かに彼にとったら馬鹿らしすぎる退職理由に違いない。
彼は柳眉をしかめると、ラーニャのそばにあったラニーニャの手紙に目を止めた。
何を思ったのか彼は勝手にそれを拾い上げ、許可も得ずに中に目を通し始める。
「こんなこと言われて、よく素直に帰る気になりますね」
全て中身を読み終わったのだろう。
マドイの声には、明らかに怒りが含まれていた。
彼が自分のために腹を立ててくれることを、ラーニャは少し嬉しく思う。
「失礼ですが、こんなことを書いてよこす母親の所に帰るおつもりですか?」
「……オレも最初はムカついたさ。でもカーチャンも色々周りに言われて参ってるんだと思う。今ウチ男手ないから、どうしても伯父さんたちに頼らなきゃなんねーし。近所のヤツラも娯楽なんてほとんどないから、人の噂や悪口が一番の楽しみなわけ」
あっけらかんと笑うラーニャを見て、マドイは呆れたようにため息を吐いた。
「ウチのミカエルを三倍悪質にしたような村ですね」
「田舎の中にはそういう場所もあるんだよ。勉強になっただろ?」
ラーニャはひっくり返ると、大の字になって天井を眺めた。
「オレさぁ、もともと家族のために出稼ぎに来たんだ。だから家族の反対を押し切ってまで帰らない理由はないんだよ」
「ミカエルや私が嫌がっても?」
「それは――」
ラーニャは元々家族を養うために王都へ出稼ぎにやって来た。
だがそこでミカエルと出会い、マドイと出会い、色々な人達と出会った。
王都にいる理由は、今や家族のためだけではない。
天井を眺めたまま、ラーニャは顔をくしゃりと歪める。
「……マドイ。オレ、どうすりゃいいんだろ」
「帰らなければ良いだけではありませんか」
「でも……」
「手紙をよくお読みなさい。何が何でも帰ってこいとは言っていないでしょう?」
手紙には何が何でも帰ってこいと書いてある気がするが。
ラーニャが半分起き上がって首をかしげていると、マドイはフンと鼻で笑う。
「頭悪いですねぇ。貴女の母親や村長は、独身の女が一人で王都にいるのが不味いと言っているのでしょう? それはつまり、結婚さえすれば王都にいても全く構わないということですよ」
(何言ってんだ? この馬鹿チンは)
その結婚ができないから故郷に帰らねばいけないのである。
そもそも相手がいるなら、このような問題は起きなかっただろう。
「それができないから、こーなってるんじゃねーか。それとも今から相手を探せって言うのか?」
「相手なんて探さなくても、私と結婚すればいいじゃないですか」
マドイが言い終わる前にラーニャはブッと吹き出した。
再びベットの上に転がって、思う存分大笑いをする。
「何笑ってるんですか」
「だって、おかしいだろ。そんな真面目な顔して冗談かますとは思わなかったよ。しかも前フリ長いし」
「私は別に、貴女を笑わせようとして言ったわけではないんですがね」
「じゃあ何なんだよ?」
ラーニャが半分笑った顔で尋ねても、マドイはまだ真剣な顔のままだった。
それどころかさらに真面目な顔になると、彼は押し殺したような声で言う。
「ちょうどいい機会だからこの際言ってしまいましょう。ラーニャ。貴女、私と結婚なさいな」
「あ?」
「私と結婚しろと言っているのです。言ったことは一度で理解しなさい」
ラーニャは二三度大きな目をぱちくりさせると、すっくと立ち上がった。
そのまま真っ直ぐ、彼女は部屋の扉に向かう。
「ちょっとラーニャ! 私をほったらかしてどこに行くつもりですか!?」
「別に。テメーの冗談に付き合ってられないだけだよ」
「冗談? 貴女あれを冗談だと?」
「そうだろ? 人が悩んでるときにおちょくりやがって」
ラーニャは怒りにまかせて扉を開けようとしたが、その前に強い力で両肩を掴まれた。
振り返れば、マドイが切れ長の目を吊り上げて後ろに立っている。
「離せよ。何怒ってんだよ」
「貴女、私の台詞が冗談ですって? それこそ冗談じゃありませんよ。私がどれだけ勇気を振り絞って言ったと思ってるんですか?」
「……え? ちょっお前」
「ハッキリ言っておきますが、私は冗談で結婚を申し込むほどバカな男ではありません!」
マドイの顔は真っ赤だった。
無駄に力を込めているのか。捕まえられた肩が段々痛くなってくる。
「マドイ……。テメェ……」
「ちょうどいい機会です。私と結婚してしまえばいいじゃないですか。そしたら全て解決です。もう誰にも馬鹿にされないし、貴女の母親にも、待望の孫の顔を見せてあげることが出来るんですよ?」
「えっ? 孫!?」
今度はラーニャの顔が真っ赤になる番だった。
彼の言う孫というのは、ラーニャとマドイの子供のことである。
つまり、そういうことである。
ラーニャが顔を赤くしながら口をパクパクさせていると、何を早まったか、マドイはそのまま抱え込むような形でラーニャを抱き締めた。
「ラーニャ」
「ちょっ。なっ――!」
「文句も言えないくらいたくさん、貴女の母親に孫を見せてやりましょう。だからラーニャ、私と――」
マドイが全てを言い終わる前に、ラーニャの中でブチブチと何かが切れる音がした。
「バカなこと言ってんじゃねえよおぉぉ!!」
ラーニャは大声で叫ぶと、自らを抱き締めているマドイの腕を一本掴む。
「あ? え? ラーニャ――?」
次の瞬間、マドイは背負い投げの形で宙を舞っていた。