終わり編1 母からの手紙
全速力で半日以上走り回るのは、さすがのラーニャにも辛かった。
マドイの所から飛び出して来たのが正午頃。
今王都は宵の闇に包まれていた。
(こっちの方は追っ手がいないか?)
ラーニャはなるべく人目が付かない所を狙いながら、夜の王都をひた走る。
「こっちだー! こっちに行ったぞー!」
「早く殿下の所へ連行するんだ」
遠くから兵士たちの声が聞こえてくる。
休んでいる暇はなかった。
今捕まれば、せっかく逃げ出した意味がなくなってしまう。
(なんでこんなことになったんだろ……)
ラーニャは物影に身を隠しながら、両手で顔を覆った。
今日の昼までは、マドイといつものように会話していたというのに。
(アイツが悪いんだよ――!)
ラーニャは両手を力強く握り占める。
兵士たちの足音は、すぐそこまで迫っていた。
*
ローズマリーとの騒動から半月が経ち、マドイの調子もやっと元に戻り始めていた。
最近では魔導庁での仕事に加え、貧民街を一掃するために、日夜官吏たちと対策を練っている。
貧民街は王都に住むマオ族の大部分が暮らしている所だ。
貧民街をなくし、適切な支援の手を差し伸べれば、彼らの地位もまた向上するかもしれない。
マドイは貧民街の跡地に救貧院を設立する予定らしく、ラーニャも期待していた。
だがマドイが充実した生活を送る一方で、ラーニャはまだ彼の所に居候していた。
もちろん新たな下宿先を探しているが、なかなか条件に合う所が見つからないのである。
いくら魔導庁職員でも、「マオ族」「子供」「保証人なし」となれば、受け入れてくれる先は皆無と言っていい。
それどころか、ラーニャが魔導庁職員であること自体も信じてくれないことがほとんどであった。
今日もラーニャは休日を利用して、下宿先を探しに町へ降りる。
四回目の下宿探しの旅であったが、今回も収穫のないまま一日が終わろうとしていた。
いくら王都に無数の貸間住宅があるとはいえ、魔導庁へ通える範囲になると、候補はおのずと限られてしまう。
マドイは焼けた下宿が再建されるまで居てもいいと言ってくれたが、さすがにそこまで甘えるわけにもいかない。
(今日も無駄足か……)
ラーニャはがっくり肩を落としながら王宮へ戻る。
すっかり馴染んできた部屋に戻ると、机の上に一通の手紙が置かれいているのに気付いた。
(誰からだろ)
下宿が焼けてからは、自分宛の郵便物は王宮に転送されるよう設定してある。
封筒を裏返してみれば、手紙の差出人にはラニーニャの名前が書いてあった。
春先に喧嘩別れしてから、こちらから手紙を出してもなしの礫であったのに、どういう風の吹き回しだろうか。
ラーニャはナイフで封筒を開けると、中の便箋に目を通す。
「ラーニャ、元気ですか」という当たり障りのない文で、手紙は始まっていた。
『ラーニャ、元気ですか。こちらは皆元気です。ところで、先日ナータちゃんの婚約が正式に決まりました』
それをわざわざ伝えるために手紙を書いたのだろうか。
ラーニャは少しイジワルな気持ちを抱きながら続きを読み進める。
『ラーニャも知っていると思いますが、ナータちゃんの婚約者は村長の後取り息子です。なので先方は、こちらが村長の身内になるのにふさわしい一族かどうか大変気にしています。そして、婚約の時の話し合いで、ラーニャの話が上がりました』
ラーニャは驚きながら、手紙の続きを目で追った。
『村長はいくらラーニャが魔導庁に勤めているとはいえ、結婚もせずに都会に一人で居る女と、身内になるのは困るとおっしゃっています。女一人で都会にいることは、世間様に遊んでいると思われても仕方ないからです。確かに私もそう思います』
一瞬、ラーニャは手紙を破り捨てそうになった。
だがその衝動を堪え、唇を噛み締めながら、最後まで手紙を読み通す。
『もう村も豊かになったし、ラーニャが出稼ぎに来ている意味はありません。ナータちゃんのためにも村に帰って来て下さい。このままではラーニャのせいでナータちゃんの結婚が上手くいかないと、私は毎日伯父さんたちから責められています。辛いです。お母さんのためにも早く村に帰ってきて下さい。そして早く村で誰かと結婚してください。そのことでもお母さんは近所から笑われています。一日でも早く、村に帰って結婚して、わたしに孫を見せてください』
手紙はそこで終わっていた。
読み終わると同時に、ラーニャは便箋を思い切り遠くに向かって投げ捨てる。
何から怒れば良いのか、怒ることがたくさんありすぎて検討もつかなかった。
ただ身体中の震えが収まらず、顔がマグマのように熱くなっている。
(何が遊んでいると思われても仕方ないだよ――!)
ラーニャは手元にあったクッションを床に叩きつけた。
売られそうな妹を救うために出稼ぎに来て、毎日ふらふらになるまで働いて。
運よく魔導庁に入ってからも勉強の連続で、とてもじゃないが遊んでいる暇なんてなかった。
赤の他人の村長に軽蔑されるならまだいい。
全ての事情を知っているはずの母親にもそんな風に思われていたなんて、今までの苦労は何だったのだろうか。
しかも帰って来いという理由が、ラーニャ自身のためではなくナータのためだなんて、ここまで来ると怒りを通り越して笑えて来る。
いや、正確にはナータのためでなくラニーニャのためか。
しかしラーニャにとっては、どちらのためでももはやどうでも良かった。
ラーニャのことなんて欠片も考えていないことに変わりはない。
「カーチャン。オレ、コレでも結構頑張ってたんだぜ」
もはや涙すら流れず、ラーニャは乾いた笑い声を上げた。
笑ったまま、そばにあるクッションを手当たり次第に投げつける。
「バカヤロー! バカヤロー!」
ラーニャは投げる物が無くなるまで、遠くにいる母親への罵倒を続けた。