第五話 チームハガネ号と整備班、哲人の愛機を語らう
――衛守哲人の教官就任から五日目の月曜日。
教室の机に上半身を寝かせるのは赤城精太、その周りには二人の友人が集まっている。
休み時間、普段ならこの十分を遊び尽くす勢いの彼だが、今日はまるで動かない。
友人の一人、外村仁が恐る恐る突っ伏した顔を覗き込む。
むくれ顔だった。不機嫌な感情をこれでもかとアピールしていた。
「精太ぁ、具合悪いなら保健室行けって」
「そうそう、仁の言う通り。早退して家で寝ていろ」
心配する友人に続くのは大槻鳳雅、二人と精太の付き合いは小学校からのものであるが、こんなに調子がおかしいのを見るのは初めてだ。
体力無限大、性格明朗が取り柄の彼がこの様子に、仁も鳳雅もどうしたものかと肩を竦める。
「どうせ精太の事だ、昨日も遊び回ったんだろ。疲れているなら休めって」
「……遊んでねぇし」
二人は顔を見合わせた。
赤城精太がハガネマルのパイロットである事を、この学校で知らない者はいない。
だが前回の超機獣の襲来は五日前だ。昨日出現した話は聞いていない。
「なら軍隊の勉強とかやらされたん? そういう事はやらないって言ってたのに」
「おかしいと思っていたんだよ。ロボット動かすだけで仕事になるとか、世の中そんなに甘くないって」
どちらも付き合いが長いだけあり、精太への理解は浅くない。
テスト前もさながらの落ち込み様に、頭を使う課題でも課されたのだろうと勝手な当たりを付けていた。しかし。
「……昨日の水泳教室、ずる休みしたら兄ちゃん怒って……今日の予定も無くなった」
「水泳教室って、あれを?」
体育科目を自ら避けるなど、赤城精太にあるまじき判断である。
聞けば季節に限らず泳げるこれを嬉しそうに語ってきた少年の口をついて出た言葉とは思えない。
「その兄ちゃんと遊ぶ予定だったのが白紙になって拗ねてるのか」
「自業自得じゃん。でも精太って兄弟いないだろ。親戚の人?」
「先週末に話しただろ……教官になった人」
「ん……え、教官って、でかいおっさんの人?」
「そうだよ」
それっきりそっぽを向く精太は、まるで先週の彼からは想像がつかない。
仁と鳳雅に説明する時も、お前らの方が念波動はでかいとか、基地の偉い人から強いけれど嫌われ者だと紹介されたとか、度胸はありそうだけどどうなんだろうとか、今後に不安を滲ませている態度だった筈である。
呼び方もおっさんから兄ちゃんへだ。この変わり様には二人も混乱を避けられない。
「遊ぶつもりじゃなかったし、訓練時間を増やそうと思っただけなのに……強くならなくちゃいけないって分かってくれたんじゃなかったのかよ」
目を合わせないまま愚痴ばかりが重なっていく。
うじうじした物言いは益々精太らしくない。
友人の異常事態にどうしたものかと考えあぐねていると、精太の所有する通信デバイスが、特定の相手からの情報受信を知らせる音を鳴らした。
聞き慣れないそれにいち早く反応したのは精太だった。
ばっと起き上がった時にはもうデバイスを弄っており、使い慣れていないが故に悪戦苦闘しながらも触る指を休めない。
例の兄ちゃんか。察した友人は、展開したデータを睨んでいる精太に尋ねた。
「なんだって? お叱りかお許しか、うん?」
「……一昨日の、兄ちゃん視点の戦闘ログのパス。これ見て明日に備えとけってさ」
「戦闘ログ? 教官のって、誰を相手にしたやつ?」
「オレ」
仁と鳳雅は、お互いを押しのけるように身を乗り出す。
同い年で戦場に赴く精太に、羨望の眼差しを向けていないと言ったら嘘になる。
編集されたハガネマルでしか分からない友の勇姿を思うと、世情の裏側で日の目を見ない戦いを記した映像が手の届く場所にある、この状況に興味を持たない二人ではない。
「なー、部外者も見ていい映像か? 機密情報とかと違う? 精太よぉ」
「実戦なん? 軍用シミュレーション? それでもゲームと全然違うんだろ、なぁ」
「一緒に見てもいいぞ。全部オレが負けたやつだけど」
言葉を詰まらせる二人を尻目に、精太は不思議と笑ってしまった。
「兄ちゃん本当に性格が悪いや。でも明日の為に、やれる事はやっておかないとな」
その日の放課後、精太は大宮基地を訪れた。
模擬戦闘訓練が取り消された為、本来の目的は失われてしまったが、少年の目は既に次へと向けられていた。
即ち、明日勝つための下調べである。
哲人と鉢合わせないよう祈りつつ格納庫へ向かう――その道中で、声を掛けられた。
「精太くん、ここで会うのは珍しいね」
「教官の姿はないようだが、今日の訓練はどうしたんだ」
須崎碧と青海雄二、同じチームハガネ号の仲間である。
これまで土曜日以外、自主的に大宮基地へ足を運ぶ事がなかった精太は、当然の様に基地に居る二人に驚きながらも答えた。
「……一昨日、にい――教官と模擬戦やったんだけど勝てなくて、整備の人にウォーキャリアについて聞こうと思ったんだ」
「整備班の人と知り合いなのか。教官と仲が良いんだったな」
「ま、まだそんなに仲良くねぇよ」
「何を言っている、整備班と衛守教官の親交が深いのは有名だぞ」
「……それより二人こそ何をしてるんだよ。デートか?」
デート。そう聞いて大きく笑ったのは碧だ。
普段は何を気後れしているのかおどおどした態度を取る彼女だが、こんなに面白そうに笑ったのは初めて見た。
反対に雄二は素早く精太に詰め寄ると、恐ろしい形相で威圧する。
他人を小馬鹿する態度こそあるが荒事は避ける彼には、これもまた珍しい顔だった。
「いいか赤猿、僕たちも偶然会ったんだ、デートではない。その間違いは、碧さんにも僕にも大変失礼だ、理解したか、どうなんだ」
「……うきぃ! うきうきうき、うきぃーっ!」
「うるさっ、どうしてそんな高音が出せるんだ……!」
赤猿と呼ばれた少年は、望み通りに猿の物真似をして雄二の横を通り抜ける。
聞き慣れた蔑称に精太は怒りも沸かなかったが、碧は未だ押し殺せない笑みを隠しつつフォローを入れた。
「未唯さんに伝わったら大変だものね。精太くん、雄二くんも変な噂を流されると困るから必死なんだよ」
「碧さん!」
「なんだ、他に好きなやつがいるのか」
「もういいだろう、この話は終わりだ!」
精太を追い越して先を行く雄二。どうやら三人の目的地は同じらしい。
「精太くん、整備班の人たちと知り合いなら、私たちも紹介してくれない?」
「別にいいぜ。でも何の用があるんだよ?」
「教官の話を聞きたいの。精太くんに付いていけば教えて貰えそうだし……そういえばカナちゃんは一緒じゃないんだね」
「奏か、朝から見てないぞ」
雄二の後を追う精太。その背中を眺めながら、最後尾の少女は呟いた。
「……カナちゃんも苦労するね、これは」
「ん、んん、チームハガネ号の三人じゃんか! 日に日に増えるねぇ」
格納庫に入った三人を出迎えたのは宗玄だった。
精太の知る二人の内の金髪、態度こそ軽いがだからこそ付き合い易い人物である。
最初に紹介するにはうってつけだろう。
「雄二、碧、この人は小中宗玄。向こうはオレたちの事知っているぞ」
「それでも名乗るよ。はじめまして、僕は青海雄二と言います」
「須崎碧です。よろしくお願いします」
「丁寧だねぇ。おーい、こっちの声聞こえてんだろ、お前らも名乗れよな!」
「そんな大きな声出さなくてもですヨ……こんにちは、暮石大和っス」
身軽に近付きペコリと頭を下げる小柄な男。
その後ろからゆっくりとこちらに歩いてくる黒縁眼鏡の男。
精太が一昨日に顔を見れなかった、整備班の残り二人である。
「……はじめまして、田村一徹です」
「無愛想な感じするだろうけどそんな事無いから、って、おやっさんも来なって!」
「こっちは手が離せねぇから勝手にやっとけ!」
「おいおい、兄さんに構い過ぎだぜ、折角デートを楽しんでいるだろうに」
「デート? 教官、ウォーキャリアの中に居ないのか?」
「居るよ。あん中で今やってる電子模擬戦な、相手が特殊なんだよ」
兄さんより強いかもだな。その呟きに、精太はウォーキャリアを見上げる。
シミュレーションルームにあった疑似コクピットは、ウォーキャリア、もしかしたらハガネマルのコクピットも含めて同一規格、それこそ人型兵器に共通するコクピットをそのまま置いているのではという疑問があった。
考えてみれば、ハガネマルを初めて動かす前の起動シミュレーションも、ハガネマルのコクピットでやったのだ。ウォーキャリアでも同じ事ができるのだろう。
そこで、教官就任以前はウォーキャリアに籠もっていたという哲人である。
その中で筋トレをするという奇行が悪目立ちしていた彼であるが、一昨日の杉本始とのやり取りと模擬戦の手慣れたやり方から、精太にもおおよその察しはついた。
筋肉トレーニングは、あくまで外から見えた一部分に過ぎない。
教官は恐らく、あの中でずっと電子模擬戦をしてきたのだと。
それこそ、ウォーキャリアに住み着いているのではと噂される程の生活を賭して。
(そんな兄ちゃんよりも強い……? どんな相手なんだよ、兄ちゃん)
考え込む精太をよそに、宗玄は雄二と碧に、まるで動かない整備班主任、杉本始を紹介し終えたらしい。
精太の所まで戻って来ると、ところで今日は何の用件だと尋ねてきた。
「聞いたぜ、兄さんと喧嘩したんだろ。仲を取り持って欲しいのか?」
「そっちはもういいんだ。今日は教官の使っているウォーキャリアの事を教えてほしいんだよ」
「……あの、『ナイツライズ』についてか?」
宗玄も、哲人が乗るウォーキャリアを見た。
隣ではそれを聞いた一徹が、ノートPCに何かを打ち込んでいる。
そこに大和が首を突っ込み、お任せ下さイと一言、解説を始める。
「ナイツライズは、世界三大ウォーキャリアに挙げられる一機でス。これを語る上で避けられないのが――量産されている数。これは他の二機を大きく引き離しておりまして、ウォーキャリアの生産工場が年々失われつつある現在に於いて、おそらく最後に残るであろう二十メートル級の人型機動兵器だと言われていまス」
「特徴は数だけではありませんよね。兵器としての個性は何があるのでしょうか」
「おや、お嬢さんも興味がお有りデ。個性、先ず開発コンセプトは大雑把に言えば白兵戦用になりまス。操縦者の技量を最大限反映する為に余計な機構を持たない人体模倣の追求、逆に言えば他の二機にある特殊な機構を持っていない、言わば個性がないのが個性。前線維持の為の数合わせを目的とした低コスト機とも揶揄されていますが、叩き上げからのエースにも良く好まれる名量産機として名高いですネ」
「なるほど、やはり教科書だけでは分からないな……うん、精太……?」
「こいつ……話を振っておきながら、寝ていやがる!?」
赤城精太、志半ばで堕つ。
常日頃から勉学を疎かにしてきたツケが回ってきたのだ。
その無様に呆れて天を仰ぐ雄二と宗玄。
芸人のコントの様なやり取りであるが、碧は気にせず続きを促した。
「さて、白兵戦用とは言いましたが、内蔵武器も変形機構も無いので、作戦目標に合わせての装備の換装が非常に容易でス。強襲を仕掛けたいなら装甲取り付けますし、念波電子戦装備を着れば電子攻撃による敵の妨害や味方の支援もできまス。まぁ、その道の専用機には劣りますが……非常に自由の利く、器用な兵器だと言えますネ」
「……私としては、先程のエースが好む理由とやらを詳しく聞きたいですね」
「おいおい大和、そろそろ俺にも話をさせろよ」
宗玄が大和の肩を掴む。
見た目こそ派手な男であるが、その性根はロボットオタク、この一点でマニアの大和とは中身が非常に似通っていた、女の趣味も含めて。
「ナイツライズを選ぶのは、初陣から伝説を作る怪物、生まれながらのエースじゃない、一般兵が経験を積んでエースと呼ばれるに至った、叩き上げ経由が多いのさ。その理由は単純、圧倒的な量産数から環境的に破損箇所の交換が最もし易い点にある」
「破損、つまり攻撃を受けるのが前提の機体選択なんですか?」
「エースにしては弱気だと思うかい? もし戦争が一対一の決闘の様なものなら、相手の行動把握のみに集中できる状況なら、十分な技量差を以って無傷の完勝も難しくないかもしれねぇな」
――その言葉に精太は目覚めた。
一昨日の模擬戦が鮮明に思い浮かぶ。正に哲人は、宗玄が語る完勝を何度も成し遂げた。
それまでのセオリーも土壇場の閃きも通じず、手玉に取られたのだ。
しかし宗玄は、戦争はそういうものではないと言い放つ。
「四方に味方、八方に敵、侵略者も物量作戦を当たり前に用いてきた十五年戦争は、何時、何処から弾が飛んできてもおかしくなかった。一人間の処理能力の限界を超えた状況、蓋然的な危険因子の宝庫とも言えた。なんせそこかしこに敵が居るって事は、それを狙う味方も居て然るべき、悪魔の爪を避けた先が、悪意を持たない味方の射線である可能性も考慮せにゃならんからな」
そうして意地悪く、十分に勿体振ってから宗玄は語る。
「そんな戦場で、少しでも可能性の高い生存方法を算出するならまだしも、石でも泥でも投げ回って抗うならまだしも、一撃も貰わない、傷一つ負わないで立ち回るとか――そんなやつを俺は人間だと認めないね。敵性存在と変わらない得体の知れない化け物さ。もしくは――世界を自分の思うがままに、好き勝手に変えられる権利を持つ存在――神様か」
それは唾でも吐く様な台詞だった。
憎しみではない、ただ気持ち悪いものに対する嫌悪感、宗玄なりの拒絶を示していた。
……大和が肘で小突く。少しの間を置いて、はっと我に返ったように宗玄は笑う。
「勿論ハガネマルとかヤマト級の事を言っているんじゃないぜ! 技術的に実現した防御力で相手の攻撃を無効化できるのは、人間の科学力と探究心が実を結んだ結果だからな、お前たちだけじゃない、人類皆で鼻を高くしていい話だ!」
「……僕たちの戦いがプロレスに喩えられているのは知っています。巨体の所為なのか回避行動が難しいんです。過去の凄いパイロットを参考にするのは間違いかもしれませんね」
そう言ってぶつぶつと、自分の世界に入り込む雄二。
やらかしたかと心配そうな宗玄に、しかし精太は朗らかな笑顔を向けた。
「何にせよ、教官もその神様ってやつじゃないんだろ? オレにも勝てる可能性があるって訳だよな!」
「うん、おう、その通りだ、兄さんは強いだろうけれど、お前らも強くなって一泡吹かせてやろうぜ」
「あ、じゃあ、今教官が戦っている人は、もしかして神様だったりするのか?」
持ち直したと見せ掛けての追撃に、うぐっと喉から鳴る音。宗玄は言葉を詰まらせる。
それを見ていた大和は、やれやれといった風に精太の相手を交代した。
「分かりませン。ワタクシらにも哲人さんにも正体を明かさない謎の方なんですよ。ですが哲人さんの前で宗玄先輩の様な発言は止めてあげて下さい。とても慕っているみたいなのデ」
バツが悪そうな宗玄に、貸し一ですよと大和がにやける。
碧は――いつの間にか熱心にメモを取っていた。気を悪くした様子もない、
元は彼女の疑問に端を発した顛末であったが、当の本人はどこ吹く風である。
それとも宗玄の熱が入った一説こそ、彼女が聞きたかった話だったのだろうか。
「神様に選ばれなかった、騎士の為の鎧――騎動兵、ナイツライズのスペックだ」
これまでずっと黙っていた一徹が、チームハガネ号の三人に通信デバイスを指差してアピールする。
自分のそれを確認すると、彼の言うナイツライズの設計思想から始まる膨大なデータが送られてきていた。
「時間がある時にでも見てみるといい。哲人を、よろしく」
それだけを伝えると、背を向けて仕事に戻っていく。
独特な人に見えますけど、あれは奥さんの所に早く帰りたくて仕事をしているだけでス。
そう語る大和と宗玄の形相には、激しく羨む色がありありと浮かんでいた。