第四話 『はがねのつるぎ』――或る模擬戦の幕引き
――精太のウォーキャリアは、近場で一際育った巨木の裏に、その身を隠していた。
高さ五十メートルに達するヒノキに張り付き、幹の向こう側の様子を窺う。
まるでかくれんぼだ。自身の弱気が招いた状況に、情けなさもなくはないが――
(心臓が、五月蝿い)
何度敗北しただろう。十から先で数えるのは止めた。
動きが早い、捉えきれない。違う、見えているのに、捕らえられないだけだ。
刀が不味い、丸腰相手に武器は反則だ。なら腰に手を伸ばせ、あの巧手を真似てみろ。
剣身が怖いんだ、あれで何度斬られたかも分からない。斬られた? 斬られたとしか思えない――本当は、斬られた確信さえ持てずに、暗転と点灯を繰り返しているけれど。
(倒されて、目の前が暗くなって、光が戻って、また倒されて……!)
自分に残された念波動はどれだけだろうか。そう考えながらも、精太の身体は勝算を求めて次の手を選ぶ。
生躰変、念力に続く、超感覚的知覚の行使。五感の埒外にある力を揮っての敵の捕捉である。
遠隔透視。彼の非凡な才は、あっさりと哲人を発見した。が、見えるのは剣を構える哲人機の姿だけ、違う、必要な情報は、自分との位置関係だ。
遠隔透視諸共に、自分の視界を閉じる。何も見たくないのではない、見えない情報だけで敵の場所を探る為に。
はたして天資の恩恵か土俵際での集中力か、この業も易々と成された。
晦冥を泳ぐ心の目が、か細くも光る何か、哲人を示すそれに届く。
瞼を貫いた光が見せる僅かな血の色を見間違えたのではない。事実見つけた光は、瞳の裏側――自分の後方に在ると、精太の拡張された感覚が答えを出したからだ。
自分で導きながらも意味の分からないその答えは、だからこそ解明された物理現象に起因しない未知の知覚、説明の難しい曖昧な何か故なのだと、精太は結論付ける。
正しくは、もう疑っていられる余裕もない。
この光こそ哲人だと信じ、先制攻撃にて不意の一撃を決める――そう勝ち筋を見定めた。
(やらなきゃ、やられる、生きていられる保証の無い、保証されても信じられない、初めてハガネマルに乗った時でも、こんなに怖くはなかったのに)
お互いの正確な距離は測れない。しかし念波動拳の一撃ならば届く場所だと分かる。届くイメージが湧くからだ。
ならば遂げれば、勝手に現実が追い付くだろう。
末恐ろしい事に少年は無意識で、念波動の性質と用途を理解していた。
その理解を礎に、この土壇場で彼の資質は花開く。
遠くの哲人、彼との間に巨木の幹を挟んだ場所で、木肌に背中をぴたりと付けて、右腕を前に突き出す。意識するのは、肘。
拳に乗せるばかりが能ではない、少年はここにきて新たな手の内を編み出した。
肘を脇下へ一気に、幹へ叩きつけると――接触箇所を起点に、引き絞られた念力が彗星を模して敵に奔る。
精太の背面に放たれた、起死回生の念を含む一条の光は、一瞬で幹ごと哲人の居場所を焼き払い――
精太の視界は、今回も闇に染まった。
「……本当はさ、口頭で指南する内容も考えてきていたんだぜ」
重なる敗北、その屈辱を噛み締める間もなく光が戻り復帰する。
シミュレーション上には二機のウォーキャリアが再び並ぶが、ここで拳を振り回しても相手に影響は与えられない。
修練にならない、無意味なリスポーンキルを防ぐ目的の相互不干渉時間に、哲人は浮ついた声で言い連ねていく。
「なのにお前ときたら、次から次へと念波動の用途をものにして、勝手に増やしていきやがる。身体に覚えさせる必要もなかった、筋肉だけでなく念波動までお利口とは嫉妬で舌を噛みそうだ」
「…………」
「今は戦っていないからな、フェイスプットを開くぞ」
三度目の敗北の時に、精太の申し出で閉じられたフェイスプットが再び開通した。
映る顔は変わらない、いや、より愉しんでいるという感情を強くしている。
哲人のそれは、しかし強者の傲慢さを感じない。そう、精太はこんな顔を知っていた。
強念奏者であると発覚してから時折絡まれる、念波動の可能性に憧れを抱く凡人を思わせるのだ。
この人は何ができるのだろう、自分には思いも寄らないものを見せてくれるのだろうと、まるでサーカスで新たな演目を心待ちにする童の様な。
「流石に疲れている顔だな。念波動の引っ剥がしなんて言ったが、復帰すれば即大技連発するもんだから、念波動の底なんぞ無いのかと不安になっていたぜ」
フェイスプットを閉じたのは、哲人の目に自分の内を見透かされるような、居心地の悪さを感じたからである。
この観察により戦術を、次の一手を暴かれるから太刀打ちできないのではないか。
負けを忌避する心が求めた寄る辺、なんら根拠のない言い掛かりであったが、ハガネマルに乗って半年、戦闘の玄人とは言えない精太には、哲人が実践する剣の理合こそ魔法の呪文と変わらない。
謎の法則に則った見知らぬ技を使う男、衛守哲人。
得体の知れない魔法使いが相手では、何もかもを疑っても致し方ない事だろう。
「相当追い詰めたし、お前の筋肉に付いた余計な念も使い切ってくれたとは思うが、念には念だ、いける所までいってみよう」
「……そのつもりだよ。念波動が空になるまでって、おっさんが言い出したんだろ」
「そうだったんだけど……死ぬまで諦めなさそうな気迫を感じてな、迷った」
悪いな。哲人がそう言った頃には、もう相互不干渉時間も終わっていた。
設定で変えられるこの時間を今回長めにしていたのは、戦闘後に精太に復習させる時間を哲人が欲したからであるが、精太自身にはなんとももどかしい間になっていた。
少年には、己の頭が身体ほど利口ではないという自覚がある。
考えてもしょうがない。頭を使う時間よりも、殴り合う時間の方が有意義だと。
とはいえそれも、終わりの刻を迎えつつあった。
精太の念波動は、次の戦いで尽きる――使い尽くすと、自分で決断したからだ。
「五年以上前に会わなくて良かったよ、勇敢が過ぎて、気付けば死んでいそうだ」
「そういうの、はっきり言うよな」
「気を遣って欲しいかい?」
「まさか」
同じ戦いをだらだらと続けて、惰性の様に負けるなど真っ平御免だ。
此処を瀬戸際と見た精太の、最後の賭けが始まる。
剣を正眼に構える哲人も、異質な様子に気付くと、目を細めて。
「――念波動を意図的に四肢に纏わせたのかよ。それができるのなら、引っ剥がす工程も要らなかったんじゃないか」
「射程距離に意味はない、おっさんに当たらないのは別の問題だろうから」
「放つ攻撃は止めたって訳か。ふうん、ハガネマルとは比ぶべくもないにしても、ウォーキャリアなら引き千切れるだろうな。窮余の一策がこれとは、主人公気質というかなんというか」
言葉の内容とは裏腹に、哲人は子供の様な未知への興味を隠さない。
そして、空気が変わった。
今更シミュレーションの模擬戦で感じる事かとも思うが、精太の錯覚ではない。
異変の原因は、相手にあった。
哲人のウォーキャリアが、その手の刀が、より美しく、禍々しさを湛える何かに。
「さっきお前の念波動をプール大の粘土に喩えたが、俺のは両手で掴むくらいでな。野球の球とバスケットボールの中間が妥当なところだ」
「……っ!?」
「更に言えば、十五年戦争で念波暴走も経験済み。つまりどれだけ逆立ちしても、これ以上の念波動とは縁がない」
「念波動……それは、念波動なのかよ?」
「ああ、戦友はふざけて球鋼と呼んでたよ」
透き通った、今すぐにでも大気に溶け込み立ち消えそうな刀身が在る。
門外漢の精太にも通じる、あれは尋常の代物ではない。
斥力の渦と化したこの全身も、子ども包丁と一笑に付される――本物の凶器であると。
「これが俺の自慢できる、念波動唯一の持ち芸だ。最初にこれをばしっと見せて、少年の心を鷲掴みって段取りだったんだがな」
そうそう計画通りにはいかないもんだと、笑顔を崩さず切っ先は精太に。
少年には分かる。哲人は背水に身を置いたこちらの心意気を察し、あの剣を披露したのだ。そして今から始まる手合いこそ、余計な思惑を含まない、本当の勝負になるのだと。
両者が最大の得物を構え、相手を打倒せしめんとする、真剣勝負が。
自然と、精太も笑った。胸に込み上げてくる熱さを、逃さず味わい楽しみながら。
「お前らのロボットの名前を聞いた時、少し運命感じたんだぜ」
「へぇ、なんでだよ」
「俺の剣と同じ名前をしてたからさ」
その言葉を最後に、二人は揃って押し黙る。
これで終わりと決めておきながら、精太は名残惜しさを感じていた。
漸く此処に到ったのに。この力を使い全力で挑める機会を得たのに。
でも、だから大切にしないと。
――開始の拍子に乗ったのは精太だった。
「ふ――っ!」
身体を弾の様に丸めた、ピーカブースタイルでの真っ向突進。
念波動の体外放出を選択から外したのは、哲人を捉える手段を考慮してである。
初手から見せた回避運動、あれを今日一日で見切るのは不可能と判断し、こちらの攻撃を如何に命中させるか、その答えがこれだったのだ。
敵の攻撃に合わせたカウンター。
体捌きでは敵わない。事実こちらから仕掛けた攻撃は全て避けられている。
しかし勝負である以上、相手には必ずこちらを仕留める瞬間が発生する。
それに対する自身の反射神経、反応速度の結果を機にした迎撃で、今まで空振りに終わった必殺を直撃させる腹積もりだ。
これは後の手、とも言えない。
なにせこれまで哲人の攻撃を視認できないままに撃墜と判断されるのを繰り返してきたのだ。寧ろ何故、分からない攻撃の瞬間を見切るのが前提のこの作戦を採ったのか。
その対抗策が全身に纏った念波動である。
これを見た哲人が最初に四肢と表現したが、その時から精太の仕込みは始まっていた。
彼の最後の念波動は、この瞬間に於いて身体の全てを余す所無く覆うに至り、ある場所は回転、またある場所は純粋な斥力を発揮した鎧の形を成している。
勿論ウォーキャリアが触れば破壊は必至、攻防一体を体現した精太の奥の手だ
これにて哲人の一刀を相殺し、致命の一撃を受ける前に反撃を加える。
精太なりの、ウォーキャリアにハガネマルの防御力を与える一つの回答だった。
(おっさん、その刀はやべぇよ、だけど――見た目通り、脆いんだろ)
慧眼、此処に極まれり。
精太が見抜いた刀の本質、大仰な見せ方こそしたが、その実は研がれに研がれた極薄の刃。万物の隙間にするりと入り込む反面、耐久力は紙と変わらない。
そこで傷が絶命を招く急所、意識を同調させている頭部と、コクピットのある胸部を守る直立した二つの腕である。
それぞれが右回りと左回りに回転する念波動を帯びており、急所を狙ってこの隙間に刀を差し込もうものなら、両側からの圧力に何も断てず硝子の様に砕け散るだろう。
哲人の仕掛けを遣り過せれば、または必殺に繋がるまでの間があれば、この嵐と化した身体の何処かで捕まえる。
お互いの手が届くその間合いこそ――命取りだ。
精太が走り出してから三歩目で、その速度は音速を超えた。
念波動の超常的特性が無ければ、発生した衝撃波で周囲諸共自壊しただろう。
五百メートルはあった二人の距離は一瞬で縮まり、しかし哲人は一歩も動かなかった。
迎撃か、回避か。
前者ならば急所狙いは前述の通り、腹や足を狙われても、この勢いのままに激突する。
哲人の選択する可能性が高いのは後者、それも回避後すれ違いざまの斬撃を与える姿が、精太の脳内に流麗に描かれる。
そこが千載一遇の機会だ。見逃すな。
後は斥力の鎧を信じるだけだ。死ななければ安いものと――
そう少年が待ち望んだ反撃の時間は、遂に訪れなかった。
哲人は最後まで足を動かさず、刃を横に寝かせると――精太の左腕、その外側に切っ先を、斬るのではなく添わせた。
前腕部を巻く様に反時計回りに念波動が回転する左腕は、元々右腕と合わせて両側から挟み締める力で侵入した刀身を破壊する目的の盾だったが――あ。
精太もその意図に気付いたが、もう遅い。
念波動の回転が刃を運び、同時に突進で近付き、片腕に刺さり、刹那の間にもより深く腕を貫き、腕はどうでもいい、足が止まらない、前に進むな、このままでは刃が――足に運ばれて――胸に――暗転。
最後の模擬戦が終わった。
念波動は使い切ったのか、それともまだ絞り出せるのか、精太にはもうどうでもいい事だった。
「お疲れさん。実戦だったら相打ちだったよ」
哲人の言葉は慰めではない。コクピットの破壊こそ叶ったが、精太が急停止できなかったからこその一撃であったように、一秒後には衝突していただろう。
特殊な設定でのシミュレーションだからこその決着だ。
二人は振り返る、最後の逢瀬を。
斥力も回転も有効だった。仮に哲人が断ち斬る手業を用いていたなら、それを食い止めんと反発する力に晒されて得物を壊されていただろう。
だからこその精太の力と動作を見込んだ置きの剣である。
激流に呑まれて流された刀は、導かれるがままに目の前の心臓を穿ったのだ。
「おっさん、理由がないならいいんだけど、どうして左腕だったんだ? 剣の構えの関係で、そっちの方がやりやすかったとか?」
「左腕を切った理由? よく見えるようにさ」
「よく、見える?」
「人間って視点は左から右に動くもんなんだとさ。最後まで奇襲で分からん死は嫌だと思って。今回はちゃんと見えただろ、剣筋」
あっけらかんと語るそれは、死因を詳らかに悟らせるためだという。
確かに、精太は初めて知る事ができた。自分がどうやって負けたのかを。うん。
「性格悪ぅ……そりゃ沢ねぇにも嫌がられるわ」
「えっ、司令に嫌われてるのって周知の事実なの?」
「そうだぞ。そういう事するのはオレだけにしとけよな」
そう言って精太はフェイスプットを切る。
同時にハガネマルのそれと同じ要領で人機間念・波動接合領域を閉じた。
本来なら安全面を十分に考慮した正式な手順が別にあるが、時間が掛かるので精太はそれを好まない。遊びたい盛りの少年の性だ。
背中の椅子が元の位置に戻るのを感じながら、思いを馳せる。
疲れた。とにかく疲れた。
服は汗で湿り、パイロットスーツに着替えておけば良かったと後悔する。
こんなに全力を出したのは、何時以来だっただろうか。
結果は伴わなかったが、悔しさもあるが、やり切った心地よさもある。
だから模擬戦――黒い玉遊びは今日はお終いにする。負けたけど、勝負はお預けだ。
なんだろう、今は早く、とにかく早く外に出て、新鮮な空気を吸って――
「何も言わずに終わらせるなよ。焦っただろ」
精太が外に出るより早く、哲人が外から扉を開いた。
コクピット代わりの黒い玉に外の部屋の光が差し込む。
哲人は精太の顔を確認すると、溜息を吐いて困ったやつだと愚痴をこぼした。
「おっさん早いな、オレだって手順省略して終わらせたのに」
「長く触ってる奴なりの裏技があるんだよ……教えねぇからな、真面目に危ない」
「まぁいいよ、心配させて悪かったな」
ん、と呟いて、精太は光の方に手を伸ばす。
最初は何をしているのか分からなかった哲人も、手の先をアピールする仕草に、怪訝そうな顔を寄越しつつもそれを掴んで引っ張った。
「いきなり甘えん坊かよ、分からんわ十二歳児」
「へへっ」
大男の腕力には遠慮がない。
あっという間に外に出た精太は、黒い玉を一瞥してから、哲人に向き直ると細い身体で男の腕に抱きついた。
その拍子に後ろ髪をまとめたゴムが外れたので、おっとと慌ててキャッチする。
髪の落ちた少年は、いよいよ少女との境界が曖昧だ。
少年の一連の奇行には、流石の哲人も真意を測りかねてしまう。
「……懐くにしたって、おっさんに抱きつくのはないわぁ……」
「今からおっさんじゃないからいいの!」
「どういう事よ……」
「これからよろしく、衛守教官!」
破顔一笑、哲人に向けて向日葵が咲いた。