第5話 彼らの命に執行猶予が生まれました
「おはよう、よく眠れたかい?」
いつまで経っても朝起きてこなかったので、朝ご飯を作り始めていると彼女がぱたぱたと台所に入ってくる。
きちんと着替えていて、ポニーテールも整っている。
「おはようございます、昨日はすみませんでした」
少し顔を赤らめながら恥ずかしそうにぺこりとお辞儀してくる。
僕は君のせいで一睡もできなかったんだよ、とも言えず笑って聞き流す。
「これから朝ごはんを作ろうと思ってたんだけど、昨日言ってた練習でもする?」
「是非お願いします!」
食い気味に反応してくるところを見るとやる気は十分だ。
「セリカちゃんって包丁を握ったことはある?」
「……あ、ありますよ?」
うん、視線をずらしたことで色々把握できた。昨日から学んだこととして、セリカちゃんは非常にわかりやすい。表情にもかなり出るので嘘とかつけないタイプなのだろう。
「やはり、魔術師でも武器には慣れていた方がよいでしょうか?」
後衛職であるため、基本的には武器をメインにすることはないだろうし仕方ないことだろう。特に少女である以上筋力的にもやや難しいし、もうちょっと大人になってからでもいいとは思っている。
僕は完全に前衛しかこなせないからナイフを得物にはしてる。
「不意打ちとか魔力切れとかそういう事態のためにもできるに越したことはないよ。ただ、セリカちゃんに必要かは別だと思う」
「そうですよね。私のレベルではまず魔法面の強化ですよね! 師匠位魔力面に成熟してからの方がいいんだと思います!」
さらっと言われたことについてはスルーしておこう。
まずは包丁の持ち方を教える。そしてまな板の上にポテトをお手本として切る。
うん、ただそれだけ。
うん、それだけなんだけど……
「わあっ!?」
なんでどうしてどうやって切ったらポテトがすり身みたいにぐちゃぐちゃになるの? 鈍器で真上から殴ったみたいだけど。
そもそも受け取った時点でかなり手が震えていたし、見ている方が怖い。
「……え、セリカちゃん。君普通に魔法使えるん……だよね?」
恐らく包丁から魔力が伝わって何かよくわからない効果が出たみたいだ。
あわあわとしているセリカちゃんを見ていると意図していない何かが起こっているようなのだが勿論僕にもわからない。
「ちょ、ちょっと緊張しちゃいまして……」
「……よし、もう一回やってみようか」
うん、今日はポテトサラダにしようかな。このペースだとたくさんのマッシュポテトができてしまう。
流石に何個も繰り返すとは思っていなかったが、3つ目あたりから僕は達観した面持ちで待つようになった。
恐らく緊張すればするほど起こりやすいみたいで、途中からは冷静さを欠いているのが目に見える。
昨日世界樹の葉を描いた時には魔法を普通に発動していたことを考えると、そういうわけではないはずだ。
「セリカちゃん、ちょっとストップ。すべてマッシュポテトにするつもりかい?」
まだまだ頑張りそうだったので流石に止める。
彼女が一生懸命やる気をもって頑張ることについては否定しないが、できるまでやり続けることを許可するほど僕に余裕はない。
正確に言うと僕ではなくて、ポテトの量だが。
彼女はその言葉にびっくりしたみたいでパッと両手を離して、包丁が地面に転がる。
「えっと、その、今日はその……調子が悪いんです」
しどろもどろになりながら視線を下に落としつつ呟く。身長差が20cmほどあるからより目線が合わないが、明らかに動揺しているようだ。
「一応僕は君の師匠なわけで、本当のことを話してほしいんだけど」
「…………私、刃物がダメなんです」
セリカちゃんは小さな声で吐露する。
彼女の話を聞くに、昔ままごとで遊んでいたときに誤って玩具の包丁ではなく本物の包丁を持ってしまい、手を切ってから怖くなってしまったと。
それから久しく料理から離れていたが、多分大丈夫だろうと思った結果今回のようになっていると。
「べ、別に包丁が持てないわけではないんです。でも」
「そしたらとりあえず料理の練習は今度にしようか。これ以上は流石に」
「もっと練習させてください!」
まだ出会って二日だけど彼女は珍しく声を荒げた。
包丁をまた手に持ってめらめらと碧眼の瞳には炎が宿っているが、僕は揺らがない。
ここで許してしまえば多分朝ごはんが全てマッシュポテトになるし、そもそも朝ごはんが食べられないかもしれない。
「セリカちゃん」
熱くなっている彼女にまず包丁をテーブルに置くように指示する。万が一にも興奮して刃先を向けられるのは怖い。
「今冷静さを欠いている君に練習させてもいいことはないから少し時間をおこう」
なるべく優しく諭すようにやめてもらう。
はっきり言って、練習をする上では根本的に数をこなせばできるようになるものとならないものがある。
反復練習により技術の向上は得られるが、それ以前に原因がある場合には意味はない。
……というようなことをわかりやすく話すが、正直これ以上ポテトを浪費させるのは耐えられないからだ。
僕にそんなに料理のレパートリーがないんだよ。
「練習だから本番だから、ということじゃなくて、何事も無制限に繰り返すことに意味はないよ。数少ない機会で集中して努力する。それも大事なんじゃないかな」
「……おっしゃる通りです。師匠、すみません」
「いや、わかってくれて嬉しいよ。」
うん、すごく素直な子で助かった。
よくわからない論理で言いくるめることに成功した僕は、ポテトたちの命を救ったのだ。
ただし、その日からマッシュポテトの回数が増えたことは言うまでもない。