第3話 森に餌やりへ行きました
「あの、師匠? こんなに森の奥に進んでも、大丈夫……なんでしょうか?」
「定期的に来てるから迷わないよ。あ、一人だと危ないからはぐれないようにね」
制服から動きやすい格好に着替えてもらい、僕らは森の中を進む。
僕は両手で抱えるような大きさの果物をたくさん詰めた籠を背負いながら進むが、時折後ろを振り返りながら小柄な少女が離れすぎないように確認している。はじめは歩く速度を落として一緒に歩いていたが、彼女から拒否され今のスタンスになった。
「し、師匠は魔法を使わなくても身体能力向上に余念がないんですね!」
「いや、多分普通だよ」
少し息切れしながら小走りで近づいてきて隣に並ぶ。
街中で暮らしている彼女からしたらやや険しい道のりなのだろう、そこまで勾配もないけれども。
勝手に既に修行だと思っている節もあるのだが、これで2か月乗り切れるなら安いものだ。
森を歩くこと30分程、日が傾いてきた辺りでようやく目的地に到着する。
「ここに師匠のペットがいるんですか?」
「セリカちゃん」
既に彼女はここに僕らが来ていることを知っているんだ。あまり不用意な言葉を使わないでほしい。
「僕の友達だ、言葉には気を付けて」
僕はそれと同時に所持していたメモに文字を走らせる。
『彼女は既に聞いている』
はっと息をのむのだが、わかりやすくて心配になる。
「す、すみません」
僕はセリカちゃんにある程度離れるように指示をして、自分は籠を地面に置く。
さて、ここでダラダラしても時間がたつだけだからぱぱっと呼んでしまおう。
「ネーカ、おはよう!」
「……ぜろ、オハヨ」
隣でまた息をのむ音が聞こえた。正直声を出さずに身じろぎ一つしなかった新弟子を素直に褒めてあげたいと思った。
彼女は体をくねらせながら木々の間を縫って僕らの前に姿を現す。
地面を這い続けている割には全く音がないその動きにより、闇夜では彼女の存在に気が付くこともできないだろう。
妖しく煌びやかな光沢をもつ鱗を紫色に輝かせて、その一枚一枚が並の魔法では傷がつかないほどの強度がありそうだ。
切れ長な瞳だけで僕の掌と同じくらいの大きさの頭部を持ち、口からは先端が二又に分かれた真っ赤な舌をちろちろと伸ばして周囲を警戒している。
口を開けば人間程度軽く丸飲みが出来そうであり、たまに開く口からは僕が持っているナイフがおもちゃに見えてしまうような鋭さを誇っている。
身体の太さだけでも2m前後もあり、全長は最早僕の視界には収まりきらないのではないかと思わされるような巨大な大蛇ネーカが僕らの前に現れた。
「ごめんね、今日は遅くなっちゃったよ」
僕はネイカを見慣れているから最早いつも通りという感じだが、ここまで立派な巨大な大蛇はそうそういないはずだ。
「イイ、ぜろ忙シイ」
どうやって声を出しているのかはわからないが、威圧感のある見た目と不釣り合いなほどの可愛らしい片言の声が聞こえてくる。
ネーカは僕の体の周りに尾を巻き付けてすりすりと鱗を服に擦り合わせてくる。これが彼女なりの愛情表現なのだが、手加減してくれてなければ僕は既に圧死している。
当たり前だが、これをされると僕の視界は全て奪われる。
「ネーカ、くすぐったいよ」
「ぜろ、好キ」
彼女は僕がここにきてから拾った蛇で、出会った頃はまだ腕に巻き付くくらいの大きさだったのだが、気が付けば僕が見上げなければいけない存在になった。蛇ながら僕によく求愛行動をしてくれるので、仲が悪いわけでは絶対にないのだが彼女には非常に困った癖があった。
「ぜろ、コノめす、ねーかニクレル?」
とりあえず生物学上メスには非常に好戦的なのだ。どれくらいかというと、世界最強である師匠の力量をわかってもなお威嚇するほどで僕はいつも二人の対面にひやひやさせられる。
音から判断するに、涙目になっているセリカちゃんが無言で助けを求めているのだろうが、流石に彼女を餌にするために連れてきたわけではない。
「この子はセリカって言って、僕の弟子だから傷つけることは許さないよ」
「せりか? ウン」
蛇なので感情の動きを顔で判断することは難しいが、対レイナさんのように尾を地面にこすり合わせて威嚇音を出さないだけ今日はご機嫌なようだ。
「せ、セリカです。よろしくおね」
僕は尾を巻き付けられた状態で視界が全て紫色の鱗で覆われているのだが、恐らく彼女がセリカちゃんに接近したため固まったのだろう。
「ネーカ、そろそろこれ解いて」
残念そうにゆっくりと解かれていくと、ネーカはセリカちゃんに顔を近付けていた。蛇に睨まれた蛙のように全く身動きが取れなくなっている。うん、文字通りの情景だ。
品定めをするような視線を数秒送っていたが、僕らの近くに蜷局を巻いて離れていく。
「ぜろ、オヤツ」
「僕はおやつじゃないよ」
籠に入っていた両手で抱える大きさの果実をぽんぽんといくつも彼女に投げる。巨大な大蛇が口を開けて首を伸ばしてどんどん食べていく様子はある種圧巻だ。
「ここ最近は何かあったかい?」
首を傾げるように体をよくに振ったが、巨大さと俊敏性の影響で胴体を動かしただけで風を切る音が聞こえてくる。
「ナイ」
存分に遊んで満足したのか、果物を食べ終えたネーカはまた音もなくするすると森の奥に消えてしまった。かなり暗くなってきたから闇夜に溶けていくようだ。
ぺたんとセリカちゃんは座り込みんでしまった。
「大丈夫かい?」
ふるふると首を横に振る。どうやら腰が抜けてしまったらしく、僕は少し心苦しくなる。実はネイカに恐怖して弟子になるのを撤回してくれるかなとか適当に思っていたが、ここまで怯えるとは思っていなかった。僕が人間とあまり関わっていないから認識がずれていたみたいだ。
「立てそう? 立てないならこの籠に入れて帰るけど」
「……お、おぶってください」
「え?」
僕は聞き返すが、彼女が顔を伏せて恥ずかしそうにしているのを見ていると別に聞き間違いではないようだ。
なるほど、確かに籠は振動で体を痛めてしまうからか。しかし、年頃の女の子が今日会った男にそこまで密着を許していいのだろうか?
悩むこと一瞬、早く帰りたい僕は籠を放置して彼女を背負った。
小柄だからか、かなり軽い。正直来た時の荷物の方が重いんじゃないかな。
「ネーカ……様の餌やりは、私出来ますでしょうか?」
しばらく無言で僕に背負われていた彼女だったが、背後から声が聞こえてきたのは家が木々の隙間から見えてきたころだった。
多分ついてくるときに、自身で師匠の雑務は弟子がやると言ってしまったから後悔しているみたいだ。
「別にいいよ、あとネーカは呼び捨てでいいよ。気にする種族じゃないし」
涙声じゃなかったことに僕は安心していた。
そして、一応僕が言ったからセリカちゃんに危害が加えられることは絶対にないことを保証する。じゃないと館から一歩も出ないことになりそうだし。
「それにしても流石は師匠ですね、あんな大蛇を前にして平静にしていましたし」
恐らく強大な魔力を持っていたのだろう、流石の僕でもネーカがとんでもない強さを持っていることくらいは知っている。でも昔から寝食を共にした仲なので怖いという感情はない。
「そういえば、師匠は何故果物を収納魔法で運ばなかったのですか? 造作もないことだと思いますが」
ぴた、と僕の足が止まる。
「……ふ、普段からね、魔法ばかり使っていると人間楽をしてしまうだろ? 堕落しないように自分を戒めているんだよ、本当だよ?」
脇下に汗がたらりと流れているけれど、なるべく冷静に対応している……つもりだ。
「ほ、ほらそこはさっきから言ってるように流石は師匠って言ってくれてもいいんだぜ?」
「うふふ、そうですね。流石は師匠です!」
ちょっと声に元気が宿るようになってきた辺りで、僕らは館に戻るのだった。