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オレと女史の夏祭り 上

 麗らかな日差しが教室を照らす。

 アルミ製のロッカーに全身を貼り付けて「あああ──────────」と変な声を零していると後ろから聞きなれた声がした。

「お前……熱中症じゃねぇのか、大丈夫か?」

西邑(にしむら)か………オレはもうダメだ……もう……」

 西邑はオレのクラスメイトで、同じバスケ部のチームメイトでもある。オレが顧問に頭を下げて部活復帰した時に真っ先に肩を組んでくれたのがこいつだった。

 高校からの付き合いだが、オレの一番の友人である。

 そんなメガネを掛けた茶髪気味の憎らしい高身長がオレの目の前で溜息を吐いた。それから困ったように頬を掻いて訊く。

「なんだ(こう)、そんなにテストやばかったのか」

「いいや……」オレは頭の位置だけを変えて応えた。

「テストはもう恐ろしいくらい上々だぜ。日本史なんか満点取れちまう」

 まあ、どれもこれも女史(せんせい)のおかげだが。

 ああ、冷てえ……。頬に溜まったオレの熱がロッカーに吸い込まれていく………。

 西邑はそんなオレを小突いてロッカーから引き剥がした。

「ンな蝉みてぇに張り付いてなくても冷房効いてるだろ。つか、お前がいつまでもグダグダしてる間にみんな帰っちまっただろうがいい加減にしろ。それに……今日は『せんせい』とかと夏祭り行くんだろ?」

「……ああ……夏祭りね……せんせいと……女史……」

 日本人形のように整った綺麗な黒髪をふと思い出す。

 想像の中の女史が振り返って微笑む。ほろほろと涙を零していた女史は儚く美しい水蓮のようで、簡単に折れそうなその腕で『新選組(しんせんぐみ)顛末記(てんまつき)』を抱えていた。明治維新後に永倉新八が語った新選組の物語らしい。表紙には後年の永倉新八本人が写った写真がカバーになっている。


 その女史と、夏祭り。


 女史と。


 夏祭り。


 テストの参考書やら教科書やらノートやらを鞄にまとめ、最後に女史から借りた『新選組顛末記』を持ち上げた途端、オレの情緒は限界に達した。

「に~し~む~らあああああ~」

 ボスッと音を立てて鞄に頭を突っ込む。ロッカーから離されたことによってオレの体温は上限を知らない所まで上がっていったらしい。心臓がうるさい。

 本当に喉から飛び出しそうだ。

「お前ほんっっとめんどくせぇな! そんなに好きならさっさと告っちまえよ」

 無神経な西邑の声がオレの心に直接刺さる。

「ぉぉおおおお前そんな簡単に言うけどなぁ!!」


 ちげ────────んだよ!!


 勢いで顔を上げた衝撃で、諸々を詰め込んだ鞄が床に落ちた。

 本気で引いた顔をしている西邑の目と合う。

「女史はそんな軽いもんじゃねぇんだ」

 付き合うとか、付き合わないとか、そんなもんじゃなくて。

 ぶっちゃけるとオレは女史のことがたぶん、好きだ。

 他のヤツと話してるとすっげぇムカムカするし、人当たり良くオレ以外のヤツに綺麗に笑う女史を見ると、フツフツとどうしようもない黒い感情が溢れてくる。

 だからと言って四六時中一緒に居たい……のは本音だが、そんな訳じゃない。そんな訳が、あっちゃいけない。

 見るからに真面目で優等生で、古風で美麗な女史と、この間まで部活サボって成績なんか中の下で、制服も気崩してるし、髪も染めているようなオレじゃあ到底、ダメだ。仮に全部直したってたぶんダメだ。

 何よりも知識が足りない。

 きっと女史と一緒になる男は会話の所々にシェイクスピアや夏目漱石の言葉だったり新選組に通じる冗談とかを散らばすのだろう。女史も笑いながらそれに応えるのだ。



 フラフラと足取りが覚束無いまま廊下を歩く。

 テストの日は全学年全クラスが昼前に帰ることになっている。家に帰ってテスト勉強に専念しろということらしい。

 しかしテストだった三日間、オレは家に帰ることもなくそのまま下校時間まで図書室に籠っていた。

「で、お前はそうやって毎日毎日涙ぐましく『せんせい』に会いに行ってたわけだが」

 オレの隣を歩く西邑が気味の悪い笑顔で言う。

「進展は?」

「う、うるせーな! ねーよそんなもん、オレは普通に勉強しに行ってただけだっての!」

「…………本当に? ひとつも?」

「……………………日本史の疑似テストで満点取った」

「知るかよそんなもん! オレはいい加減『せんせい』の名前くらい聞けって言ってんだよ。お前そこまでコミュ障だったのか」

 西邑の言葉に思わず怯む。完全に逃れられようのない図星だ。

 そもそもこいつに言われずとも少し変だとは思っている。

 名前も知らない奴と普通何回も会うか?

 結論、会わない。

 少なくとも再会二度目辺りに「そういえば名前なんて言うんだ? オレは太郎」「ふふ、私は花子だよ」みたいな会話くらい済ませていて良いはずだ。

 だがしかし、オレたちは完全にタイミングというものを失ってる。

 そもそもオレたち、なのだろうか。

 女史はもうオレの名前を知ってたりするんじゃなかろうか。クラスだけを知っているというのもちゃんちゃらおかしい話である。

 しかし、オレは一度も名前を呼ばれたことはない。




「『せんせい』は五組の可能性がある」

 別れ際の目印になっている電信柱の下で、西邑が唐突に呟いた。

「お前は『せんせい』の顔を今まで見たことなかったんだよな?」

「今までっつーか、図書室以外でだな」

「思い出せよ、オレら一年の教室は廊下の手前から一組、二組……って並んでる。当然オレらが用があるのは自分のクラスの三組までで、ぶっちゃけその奥──つまり四組と五組まで行く理由が無い。一組二組は通り道だから嫌でも知った顔は増えるだろうが、四組五組は現状無理だ。オレだって知らねぇ奴ばっかだし」

「じゃあ女史はオレたちの三組も通り道だったから、顔だけは知られてたってことか。……どうでもいいけどなんで五組なんだよ、四組の可能性は?」

「隣はかろうじて見えるだろ。知らねぇけど。……じゃーな洸。吉報を待ってるぜ」

 オレの親友はそう言って後ろ手に去って行った。


 カッコつけて歩くのは結構だがリュックサック全開で教科書が飛び出ているのは如何なものかと、オレは慌てて親友の後を追ったのだった。



 



 この間新調したばかりの某ブランドのスニーカーを玄関で履いていると後ろから母さんに声を掛けられた。

「あら、もう行くの? 夜道には気をつけるのよ」

「……ああ」

「ところであんたの部屋にあった大量の雑誌、アレどうしたの? またファッション誌買って~って思ってたけど、アレ、歴史物でしょう? どうしたの?」

「…………………………………………別に」

 靴紐を結び、立ち上がる。

 棚に設置してある全身鏡でチェックしてから壁に掛けられている帽子(キャップ)を深く被った。

 大手衣服メーカーで一目惚れして買った側面にベルトのようなものが縫い付けられている半袖のパーカーと、無難なジーンズ。目立ちもせず劣りもしない完璧なコーディネートだ。

「じゃ、行ってくるから」

 オレには訳の分からない言語で一人言を呟いている母さんに向き合ってから、ドアノブに手を掛ける。

「はい行ってらっしゃい」

 笑って応える母さんは何処か楽しそうに手を振っていた。




 見慣れた道をとぼとぼ歩く。

 女史とは現地集合、現地解散の予定にしている。

 名前すらも聞き出せないオレが女史の住所を知っているはずなどなく、会場へ向かう道中で小さな不安が芽を出してきた。

 地元ではかなり大きめの夏祭りだ。オレの家からは徒歩圏内で、子どもの頃はよく遊び場にしていた。

 海の隣にある大きい公園ということもあって昔から漁業組合とか港とか、そこらへんが絡んでいるらしい。地元の人間であるオレからすればこの港の夏祭りこそが当たり前だが、女史は一体どう思っているんだろう。

 もしかしたら遠方に住んでるのかもしれない。

 そうしたらわざわざ女史が御足労を掛けることになる。

 めんどくさいとか、遠いとか、もしかしたら帰──……


「うぉあ?!」


 突然袖を引かれた。

 この夜道で且つあまりの急なことに「幽霊」の二文字が咄嗟に頭に浮かんで無理矢理消した。幽霊なんか信じちゃいない。

 …………まさか西邑か? オレのひと夏の思い出に茶々を入れに来たのか?

 その可能性は充分に有り得る。


 ……が、そんなオレの詮索と裏腹に聞こえてきたのは耳に心地良い可愛らしい声だった。


「……ごめんなさい、驚かせるつもりじゃなかったんだけど」

 オレが勝手に随分と親しんだ気でいる声に胸が高まった。間違いない。ここまできて聞き間違えるほど馬鹿じゃない。

 内心布団に頭から突っ込んで叫びたい気持ちに駆られたがなんとか抑え、あくまでも余裕感を漂わせながら袖が引かれた方に振り向いた。


「おう、女史か。公園に着く前に会っ──」


 息を飲む。

 取って付けたように余裕を醸したことが仇になったのか、ただ単に驚いただけなのか定かではないがオレが絶句したことだけは確かな事実だ。

 一瞬呼吸の仕方を忘れた。


 浴衣だ。


 浅縹(あさはなだ)色の生地に淡い紫陽花の絵がプリントされている。帯は浴衣に合わせて薄い青緑色をしていて、よく見ると白の糸で朝顔の刺繍が施されていた。

「へ、変かな……ちょっと張り切っちゃった」

 えへへと女史が笑う。同時に鈴のような声が聴こえた。

 どうやら女史が差している(かんざし)の飾りの音らしい。風が吹く度に飾りと飾りが触れ合ってチリチリと綺麗な音を奏でている。


 気の利いた事を言いたいのに、今度は勉強のし過ぎで芹沢鴨とお梅の話しか浮かんで来なかった。

 お梅は借金の取り立てで芹沢を訪ねてきた女性だったが、芹沢が強引に妾のような存在にしてしまったらしい。結局二人で共に冥界に向かうほどの仲になっていたらしいが。

 ちなみに見解は諸説ある。


 何はともあれ、残念ながら今のオレには芹沢ほどの度胸は無い。

 無いものは無いがそれで終わらす訳にはいかず、やっとの思いでぼそぼそと言葉を零した。

「……良いんじゃねぇの?」


 馬鹿か貴様と、芹沢愛用の鉄扇が飛んできた気がした。



(続)

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