血だらけの人
もうすぐ春休みが終わる。
のんびり過ごしていた日々が終わってしまう。
「別に学校に行くのが苦ってわけじゃないんだけど…」
黒髪に青いくるみボタンのようなピンをつけた女の子、山川 千咲都は、カチャカチャと食器を拭きながらため息をつく。
「何か忘れてる気がする…」
春休み課題はすべて終わらせてあるし、約束事も特にないはずだ。別に友達はいないわけじゃない。ただあまり外には遊びに行かないのだ。それなのにこのモヤモヤとした消化不良感は一体どうしたものか。
ピンポーン…
ふとインターホンが鳴り響く。
ピンポンピンポーン…
焦っているのか何度も鳴っている。兄の仕事先の人だろうか。時々ドアを叩いてまで兄を呼ぶ人がいる。
ちなみに兄、山川 名津陽は朝から部屋にこもったまま一度も部屋からでてきていない。
今日、朝ごはんを食べてから一度も。
「出たほうがいいのかな…」
ちょうど拭いていた兄のおかしな(魔法少女絶望ガール2にでてくる)クマのイラストが描かれたマグカップをそっと置いて、急いで玄関へと向かった。
ピンポンピンポーン…
玄関の前まで来たのはいいが、誰なのかを確認するのを忘れてしまっていた。戻って確認する暇を与えないとばかりに、インターホンの音は鳴り響き続ける。微かに、少年が誰かを呼ぶ声も合わせて聞こえる。
「はーい!今でまーす!!」
ちらっと玄関の覗き穴からみえたのは、同い年くらいの男子だった。あからさまに変な人ではなさそうだったので、ドアを開けた_____
「あ、やばい………。」
千咲都が呆然と立ち尽くす様子をみて、玄関の前に立っていた人物が思わず声を漏らした。その人物は誤魔化すように笑顔をつくって千咲都に話しかける。
「あの…名津陽さんいますか?」
彼は、名津陽さん、つまり千咲都の兄を呼んで欲しいのだろう。本当は、名津陽が出てくると思ったのだろう。
時すでに遅し。
「きゃあああああああああああああ!!!!」
いきなり叫んだ彼女が見てしまったもの。
「ああああ、また警察行きか……。」
上から茶髪、少し引きつった笑顔、そこまではいい。
問題はその下だった。そう、彼は今、心臓を貫くナイフでシャツが血だらけというとんでもない姿だった。
" ナイフと血だらけ"をみてからの千咲都は、固定電話の下やら引き出しやらをガサガサと探って、完全にパニックを起こしていた。
「救急車救急車救急車救急車救急車救急車…」
「救急車」を呪文のように繰り返しつぶやく。
千咲都、と後ろから兄、名津陽の声が聞こえた。
「何!?お兄ちゃん、今忙し……」
少しイラつきながら千咲都は振り返ったが名津陽の姿は見えない。「下だ下、」という声に少し視線を下にやると、かたまった。
「千咲都、救急車呼んじゃダーメッ!!」
クマのヌイグルミだった。兄の声がきこえると思ったら、魔法少女絶望ガールという物騒な昔のアニメにでてくるわけのわからないキャラクター、青いクマのヌイグルミだった。ちなみに青いクマは友情をテーマとした2期の魔法少女のサポート役としてでてくるらしい。1期はピンクのウサギで恋愛がテーマ、今やっている3期はイエローのキツネでテーマがお金。
(ぶっちゃけどうでもいい話なのだが。)
何事かと目を白黒させていると、先程の血だらけ男子と目が合った。
「えっと……はじめまして、水戸 理玖哉です。」
頭がまわらないし開いた口が塞がらない。
何故彼は血だらけだったというのにピンピンしているのだろうか。
今日はハロウィンでもエイプリルフールでも無いぞ。
それか彼は手品師なのか、いやでも何故そのまま家に来るのか。
「りっくんは僕の研究所兼探偵事務所の助手なんだ。」
謎のクマこと山川名津陽が流血騒ぎを無かった事のように喋り始める。
とりあえず落ち着こうかとソファに座り、水戸 理玖哉と名乗った彼は血だらけのシャツから名津陽の服に着替えてきた。
だがその服にはクマのマークがさりげなくプリントしてあり、かなり着心地が悪そうだった。
「お兄ちゃん、なんで部屋から出てこないの、そのまま話す気?」
未だに本人不在で、ぬいぐるみのくま相手に知らない人と居るのは流石に辛い。それと追い付かなさすぎて頭が痛い。
「もう四月ですよ?」
「だってそっちの部屋寒い。」
千咲都は水戸理玖哉がくま相手に話す光景に少し笑いそうになったが堪えた。ここはとりあえず合わせておこう。
「正直、分厚い長袖とかもうしまいたいし暖房も節約の為に切って欲しいのだけど。」
「えー……ガガピッ!!」
いきなり嫌な機械音がして、クマのヌイグルミは静かになった。
そしてちょっとだけ間があった後、ガチャリと隣の部屋のドアが開いた。
「電池切れちゃった」
ドアの間から顔を覗かせたのは、目が隠れるくらい長い前髪でボサボサ頭の若い男性。
彼が、山川 名津陽本人だった。
そこからは出でこないのね。
布団をかぶったまま部屋からは出ようとしない名津陽。少し開いているドアから生暖かい空気がでてきている。今ちょっと実験してるから外気を取り入れたくないんだ、と言いながらノートパソコンを取り出した。
すごい言い訳だわ。
「ところでりっくん」
ずるずると理玖哉が名津陽を引っ張り出し終わるとポンという音と共に名津陽は顔をあげた。一瞬で真面目な顔になった、これが彼の仕事モードなのだろう。そして彼はとんでもないことを口に出した。
「ここに来るまで何回ぐらい刺された?」
今言うんですか?それ、と理玖哉は笑った。
正しくは口だけが笑っているが目が笑っていない、だが。
千咲都もみちゃったわけだしさ、と名津陽はキーボードを軽く指でたたく。
「そうですね…5回くらいです。」
理玖哉は無意識に刺されたと思われる部位を触りながら、指を折って数えて言った。
「かすり傷も含めたら10いってると思います。」
わかったとばかりに名津陽は手馴れた手つきで入力していく。
理玖哉が指した部位の事まで事細やかに。
彼らは一体何を話しているのか。刺された、というのは何の事なのか。とても嫌な予感がしていた。
ざわざわと、頭のどこかで何かを拒否していた。それでも聞かずにはいられなかった。
「ちょっと待って!!どういう事?」
思わず強い口調で問いかける千咲都に、名津陽はこう答えた。
「りっくんは不死身なんだ。」
不死身…?どうもピンとこない。
不死身なんているわけが無いのだから。
「そう、不死身。さっき千咲都もみただろう?」
人は必ずいつかは息を引き取って 骨になる。
不死身なんてそんな現実離れした事ありえるわけがない。それでも彼女はみてしまったのだ。
水戸 理玖哉の心臓に刺さる ナイフ。
そこから流れ出る大量の血液。
見たけどわからない。
さっきのはただの手品だったかもしれない。
手品のナイフみたいに刺さってるふりで、血糊をつけて本物そっくりに仕立て上げていただけかもしれないのに。そんな簡単に『ああそうですか。』なんて言えるわけが無い。
そもそもどうして兄がそんな事を知っているのか、関わっているのか、ありとあらゆる疑問がふつふつと頭の中に浮かんでくる。
「あ、そうだ忘れてた。」
戸惑う千咲都をよそに、名津陽はまたとんでもない事を言い始めた。
「りっくん、今日からウチに住む事になったから。」
探偵事務所兼研究所が放火に遭っちゃってさ、りっくん住むとこなくなっちゃったんだ、とへらっと笑いながら喋る。
千咲都はまず兄が探偵事務所兼研究所に勤めている事が初耳で、そこが放火に遭ってしまった事も衝撃的でもはや完全についていけない状態だった。
しばらくずっと黙っていた理玖哉がその様子を見て言った。
「名津陽さんもしかしてまた言い忘れてたんですか?」
「うん、ごめん。」
前にもそんな事があったのだろうか。
千咲都はお兄ちゃんはそこまで忘れっぽい性格だったかと少し思ったりしたが、正直外での兄を知らないのでそこまで気にならなかった。
それよりも、理玖哉がここに住むなら部屋を空けないと、とか今日の夕飯増やさないと、とかそういった事を考え始めていた。完全なる私流現実逃避。
「あと、りっくんは…」
名津陽がそう言いかけたのを理玖哉が遮る。
「そこからはオレが説明するんで、仕事、して下さい名津陽さん。」
名津陽は少しカタコトな言い方の理玖哉を一瞥して布団を肩にかけたままゆっくりと立ち上がった。
「わかった、あとはよろしく。理玖哉くん。」
軽く手を振って部屋に引っ込んでいった。
「さてと、山川さん。」
千咲都でいいよ理玖哉くん、と返すとわかったと言って笑った。
どうやらこの家に来てからやっと少し緊張がほぐれたようだった。
正直さん付けされるのはなんだか嫌だった。
兄は理玖哉のことをりっくんと呼んでいたが初対面なのにさすがに馴れ馴れしい感じがするな、なんと呼ぼうかなと少し考えたが、普通に理玖哉くんでいいかと頭の中でひっそりと決めていた。
理玖哉はさっきの話の続きなんだけど、と目を伏せとても言いづらそうに話す。
「オレは不死身、だけじゃなくて殺意の対象を自分に集めてしまうんだ。」
「殺意の対象が…理玖哉くんにってどう言うこと?」
「殺意っていっても色々あるけど、人が人に対して持つ殺意。それが全部自分に向けられるんだ。」
誰かが誰かに向けた殺そうと考えた感情と行動。それらが全て理玖哉に向けられてしまう。
「それって、殺意を向けられて最悪の場合は殺されたりするけど、理玖哉くんは不死身だから平気って事?」
「そういうこと。こればかりはどうしようもないから、もし千咲都が危ない人だなって思ったらすぐに逃げて。巻き込みたくないから。…とはいえここに住む以上巻き込んでるようなもんだよな、ごめん。」
彼の茶色の瞳が少し揺らいだ。