ゲテモノ料理は以外に美味だ
「ふざけるな!」
ドンッ! と俺は気色の悪い料理が置いてあるテーブルを力の限り殴打し怒鳴り声を上げる。
「なんなんだ、この料理は!」
「な、なにかご不満がおありでしょうか?」
「ご不満がおありでしょうか? だと……おありに決まってるだろうが!」
「ひぃぃっ!」
怯えた声を上げるウエイトレスでは話にならない。
「店長を呼べ店長を!」
この激情をそのままぶつけてやる。
ウエイトレスは俺の怒声を浴びて急いで店の奥へ引き返して行く。
まさかここまでクソな飯屋だとは思わなかった。
会社の同僚にこの店のとある料理を教えてもらったのは昨日のことだ。
すんげーうまいんだ。とか
お袋の味ここに極まれだ。とか
一度食べたら止まんねえんだ。とか
訛り混じりの言葉で絶賛していた。
そこまでうまいうまいと言われれば行ってみたいと思うのが人の性。
俺はその同僚に店の場所を尋ね、そして今日意気揚々と同僚絶賛の飯屋に訪れたのだ。
市街地の外れにポツンとひっそり建てられたその飯屋は、クラシック音楽が流れてるような喫茶店風の店構え。
外観的にも清潔感が感じられ、木目調を際立たせた店の造りは見るものを立ち止まらせるレトロな魅力に溢れていた。
目線を上げれば屋根にかけられた看板がデン! と存在感を放っておりそこには『皇の稲穂』という料理屋にしては少し仰々しい名前が綴られていた。
店名通りの稲穂の彫刻が施された扉を開けると、内装も外装にそぐう形で木材の年月が感じられ、店内に流れているモダンなジャズと相まって異国情緒な雰囲気を醸し出す。
長方形型の店内にはテーブルが五つ、横一列で置いてあり中央に大きめのサイズ、左右に二つずつ小さめのサイズが等間隔で並べられていた。
扉から直線上、突き当たりに設けられたカウンターは小窓のような感じで、配膳トレー1つ分くらいの大きさしかない。その小さなカウンターの奥、厨房からは食欲をそそる油が跳ねる音がリズミカルに聞こえてくる。
その厨房から聞こえる音色に耳を傾けていると、年若いウエイトレスがやって来て左奥の席へ案内された。
そして俺は舌舐めずりをしながら同僚絶賛の料理を頼み、鼻唄を歌いながらまだかまだかと待っていたのだが、数分後、香ばしい香りを発っしながら運ばれて来たモノは――なんと! おびただしい量の、虫! 虫! 虫!!! 眼前に置かれた言い知れない料理に驚愕を禁じえない俺は眼を凝らしてその虫をよく見てみると、六本ある脚の中で後ろの二脚が異様に長い。そのことからバッタだと思われる茶色に炒められた虫達。
皿の上に大量に折り重なるように敷き詰められ、その光景はまるで地獄そのもの。耐えきれない責め苦の果てに悶死したバッタ達を見ている気持ちになってしまう。正直に言ってしまえばグロテスクで吐き気を催すほどである。
そんな料理を出された俺はウエイトレスを呼びつけ店長を呼び出している最中と言うわけだ。
さすがに客を舐めすぎている。
ここはガツンと一発ぶちかますしかないだろう。
そうこうしているうちに店の奥から長い髪を後頭部でまとめ上げたエプロンを纏った女性が出てきた。年の頃は二十代半ばと思われるその若い女は俺の目の前までやってくると頭を下げ、
「私がこの店の店主ですが、何か料理に問題でもありましたか?」
と、チラリとテーブルの料理に目を向けると、はきはきとした話し方で話しかけてくる。自分が出した料理を目にしているにも関わらずこの物言い。罪の意識が無さすぎる!
「なんなんだこの料理は、俺にバッタを食べろと言うのか!」
再度テーブルを殴りつけると皿に盛られた足が踊る……気持ち悪いものを見てしまった。
「……失礼ですが、お客様が注文した品はこちらの料理で?」
店主は俺の怒鳴り声に憎たらしくも怯むことなくテーブルの隅に置いてあるメニューを手に取るとその中から俺が注文した料理を指し示す。
「ああそうだ」
と堂々と胸を張って認め注文した料理名を口に出す。
「俺が頼んだのは――イナゴの佃煮だ!」
ドーンという効果音が付くかのような俺の言葉に店主は眼を丸くして、少しの時間考え込んでいたかと思うと、困惑した表情で口を開く。
「……成る程、イナゴとは何かご存じで?」
「知りはしない。が、バッタな訳がないだろう」
「成る程……」
俺の正論に今度はうつむき黙りこんでしまう。
まぁ、謝罪とちゃんとしたイナゴの佃煮をタダで食べさせてもらえれば、許してやってもいいとは思っているが。
「何か言うことはあるか?」
「……少し時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「……別にいいが」
俺が気をきかせて話しかけてやると、弁明する機会が欲しいのかうつむいていた小さく整った顔を上げ俺を見つめて懇願してくる。俺も男だ、少しくらいの余裕を見せるため許可を出す。
店主はありがとうございます、と言うと、平然とした表情でポケットに手を突っ込み、当たり前のように携帯を取り出すと、慣れた手つきで弄り始めた。
……おいおい、おいおいおい、ちょっと待てよ、マジかよ、ありえないだろ。今見ている光景がありえないだろ。
客の前で携帯を出すことも、ましてや操作しだすこともありえないだろ。礼儀のれの字も知らないクソアマは今もなお、ひたすらに携帯をいじくっている。
溜まりに溜まったマグマが堪えきれず噴火するかの如く。俺の頭は噴煙を撒き散らし、激情で埋め尽くされた脳髄が爆発した。
俺は口を戦慄かせ、目ん玉をひんむき、椅子を蹴飛ばし立ち上がると、俺より身長が遥かに低い礼儀知らずのクソ女を見下ろしながらありったけの怒気を込めて言い放つ。
「てめぇ!! 客の前で携帯いじ……」
「お客様、イナゴとはこのバッタの名前です」
俺の怒りを無視してズイッと携帯の画面を突きつけてくるクソ女。
ふざけるなっ! と言葉を続けようとしたが、ディスプレイに映るバッタらしきものが目に入り興奮冷めやらぬまま、一応そこに書かれた写真付きの説明文に目を通す。
どうせ詭弁だ――
「………………ん?」
……んん?
「…………………は?」
……これ、は?
「理解していただけましたか?」
「…そんな………まさか……いや……マジ、か」
嘘だろ……
いや、嘘じゃない
これは――現実だ! なんてやってる場合じゃないことは確かだ。
記載されている記述を食い入るように隅から隅まで読み返し、俺は愕然とした。
イナゴいや蝗とはバッタであったのだ。wikiに写真付きでこれは蝗です的なことが書かれてあったのだ。
今、俺の置かれている状況は非常にまずい、訳のわからないことを叫び散らす変人だ。
でも、こんな状況に置かれても、未だに信じられない。人が好んでバッタを食べるのか? 晴れることのない疑問に俺は頭を悩ませる。
もし、だ。本当に蝗を食べる文化があるとしても普通料理屋で出すか? 虫だぞ、ゴキブリと同種だぞ。頼む人の気が知れない……いや、俺も頼んだがこれは違う。
なんだかんだ考えていると俺はあることを思い付いた。
「あの~、少しお時間をいただいてもいいですかね?」
ここは少しばかり下手にでる。
俺の言葉に店主は100万ドルスマイルを浮かべ何も語ることなく手でどうぞ、と促してくる。俺はその美しい笑顔に気をされながらも、すぐさま携帯を取り出しこの店を教えてくれた同僚に電話をかける。このままでは俺がとんだクレーマーになってしまう。一類の望みを同僚に託す。頼むから虫を食べていないでくれと、同僚が食したイナゴの佃煮は虫の佃煮ではないのだと、認めて欲しい。
三度コールが鳴った後に訛り混じりの言葉が聞こえてきた。俺は単刀直入に聞くことにした、お前が食べたイナゴの佃煮は何の佃煮だ、と。
同僚は何を言ってるんだ、とケタケタ笑い声を上げながらポツリと語った。
バッタに決まってっぺ、と。
手からスルリと携帯が滑り落ち、ガンッとかなり大きな音を立てて床に突撃した。携帯からはギャーッと悲鳴らしきものが聞こえてきたが、いまそんなことを気にしている余裕はない。
錆び付いたネジを回すようにギッギッと軋む音を立てながら首を動かし、店主を見ると、いまだ100万ドルスマイルを浮かべていた。何故か隣には俺が怒鳴り散らしたウエイトレスが、ニコニコとこれまたいい笑で立っていた。
……二人の可愛らしい笑顔が怖いのは俺だけなのだろうか、薄く開いた瞼から鋭い眼光を感じるのは俺だけなのだろうか、二人の顔が、般若に見えるのは俺だけなのだろうか……落とした携帯を取りたいが、彼女達から目を離したらイナゴのように炒められそうで動けない。
俺の視線が一瞬床に落ちている携帯にいったのがわかったのか、店主は隣に立っているウエイトレスに目配せをすると、長いストレートヘアーの彼女は屈みこみ、足元に落ちていた携帯を拾い上げ、笑顔を崩すことなく両手で丁寧に差し出してくる。何も言葉をしゃべることなく。
おずおずと俺は手を伸ばしありがとうございますと言って受け取ろうとすると、彼女は携帯を手渡す直後両手でギュと俺の手を包み込み今まで以上の笑みを見せてくる……ゾッと背筋に悪寒が走った。
この笑顔はヤベーやつだ。
直感で感じとった。
怒りが心のうちに満ちている。
俺は携帯を受け取りサッと手を引っ込め、二人に対して愛想笑いを浮かべると、この店を出るための準備を始める。
さっさとここを出てしまおう。
身支度を終えた俺は会計をお願いしようとした瞬間、今まで微笑みを湛えた眼差しで俺を射ぬいていた店主は閉ざしていた口をおもむろに開いた。
「お客様、私が作った料理がまだ残っていますよ?」
「……へ?」
「料理がまだ、残っていますよ。お客様?」
「……」
有言の圧力っっっ!
……こ、これを食えと言うのかっ!
テーブルに置いてあるイナゴに目を向ける。
……無理! 無理! 無理! だって今目が合ったもの、僕を食べるの? て訴えかけてきたもの。食べられる訳がないっ。
「あ、あの、お会計……」
「料理が、まだ、残っていますよ。お客様」
「……」
……よくよく考えてみると、俺は客だ。お客様は神様だ。神様に対してこの物言い生意気にも程がある!
「お前っ、俺はきゃ……」
「料理、食べてください」
「……はい」
……ダメだ、今まで通りのオラオラ状態になれない。
……もう、食べるしかない。食べないと帰してくれそうにないものこの女。
震える右手を左手で押さえながら、箸を掴む。
少しでも緊張を解きほぐすため深呼吸をすると、香ばしい良い香りが鼻をくすぐる。
匂いは一級品。しかし……っ!
見た目が原形そのままのバッタ……
匂いが良くって見た目がダメ……
……そうか! 目を瞑って食べればいいのかっ。
俺は早速実行する。一匹箸で掴み取ると………………なかなか口に運べない。
虫を挟んで右往左往していると、頭上からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
俺は顔を振り上げ声の方向、店主とウエイトレスがいる方向を見る。すると二人は、俺を見ながらこそこそ微妙に聞き取れない声量で話をしていた……間違いなく俺を馬鹿にしているっ。
俺を、舐めるなよっ! 覚悟は決まった彼女達から視線を切って集中する。
まず目を瞑る、ふー。
次は虫を掴んでいる箸を口に近寄せる。
そして最後は、口に…………放り込むっっ
もぐっ、もぐ? もぐもぐ、もぐもぐもぐ。
「……うめぇ」
甘辛く炒められたイナゴはクセが全くない。パリッとした歯応えは桜エビを彷彿とさせ、香ばしい香りが鼻から抜ける感じも似ている。柿ピーにもどことなく似ており酒のつまみに持ってこい。
これは、もぐもぐ。
なかなか、もぐもぐ。
いやはや、もぐもぐ。
止まらねえんだ、もぐもぐ――
そして俺はハッと気づく。もう、食べるイナゴがないことに……
「店主さん、一つお願いがあります」
「何ですか?」
可愛らしく小首を傾げる店主さん。それに対し俺は――
「このイナゴ――テイクアウト出来ますかね?」
イナゴの味に恋してしまったのだった。