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ジビエハンターズ  作者: ジビエハンターズ
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くまんバチ

 4月の第3日曜日、石田雅己は、小学校4年生になる息子の悠斗と、田園都市線桜新町駅のペットショップに行くために、家から徒歩1分のバス停にいた。

悠斗の誕生日プレゼントであるメダカを買いに行くためである。メダカと言っても、1匹500円以上する高級メダカだ。 雅己も知らなかったのだが、最近のメダカは品種改良が進み、金魚のような赤いメダカから、銀色に光るメダカ、体が透き通ったメダカまでいろいろな品種がいるらしく、珍しいものだと、1匹1万円する品種もいるらしい。

 今度9歳になる息子の悠斗は、幼稚園に通う頃から、昆虫・両生類に興味を持ち始め、現在はメダカが彼のブームらしい。

 雅己自身も小さい頃は、東京の調布市にある仙川という、自然が比較的残っているところに住んでいたので、カブトムシ、カエル、ザリガニなど捕まえては、飼育した記憶がある。

 しかし、子供というのは飽きっぽいもので、1週間か2週間もすると、餌やりや水替えなどサボるのが基本である。結果的に、プラスティックの飼育ケースの中では、餌をもらえなくなったカマキリやザリガニが共食いを始める凄惨な光景が繰り返され、そのたびに母親から、逃がしてきなさい、とよく怒鳴られたものだ。

 しかし、悠斗を見ていると、他の子どもの生き物好きとはちょっと違うようで、何と言ったらいいのだろうか、よく言えば学術的、悪く言えばオタクなのである。

 もちろん、見かけはフツーの小学生なのだが、例えば、カブトムシの飼育一つとっても、雅己がよくやったカブトムシVSクワガタのようなバトルにはあまり関心を示さないのだ。ただひたすら、観察し、調べ、ノートに記録していくのである。実際にノートに書き込まれた絵や図解を見ていると、子供ながら実によく書けている。父親としては、このオタクな性格に、若干不安を感じるのだが、妻の麻美に言わせると、「最近のベストセラーは、生物学者とかオタクな人が書いた本が多いから、将来は印税生活かもね」といたってのんきに構えている。

 そんなわけで、今朝、数か月前から予約していた楊貴妃メダカが入荷したと、ペットショップの店長から連絡を受けた雅己は、まぶしい新緑に眠い目をこすりながら、印税生活をもたらしてくれる息子と、バスを待っているである。

バス停には1~2分間隔で、バスに停まる。世田谷区のこの地域は、バス路線が網の目のように張り巡らされ、だいたいの行先にバスで行けるのだ。また、電車は、田園都市線と小田急線の間に位置しているので、渋谷や新宿に出るのにも1本で行ける。そのため、交通手段は、電車かバスで、あとはだいたい自転車である。

そのため、雅己の家には、今、車がない。というのも、駐車場も含め維持費が以上にバカ高い割には、週末しか使わないので、もうずいぶん前に売ってしまった。家族で旅行に行くときは、少し離れたトヨタレンタカーまでいっていたのだが、最近では、近くにできたカーシェアリングを利用している。

その日は、自転車だと、帰りにメダカが揺れるとかわいそうなので、バスを利用することにした。

ほどなく来た渋谷駅行のバスに乗り込む。社内は1/3ほど席が埋まっているだけで、雅己と悠斗は、一番奥の左側席に並んで座ることができた。窓から外を見ると、新緑のほかに、いろいろな店が見えるので、雅己も悠斗もバスが好きなのだ。

バスには、60歳の老夫婦、赤ん坊を抱いた若い母親、雅己と同じくらいのサラリーマン、テニスの部活らしい女子高生二人、シルバーシートには80歳くらいのお年寄り、そして雅己たちの前で、スマートフォンに真剣になっているOLが一人乗っていた。

日曜日によく見る、この路線バス定番の光景である。バスは、小田急線の千歳船橋駅を出発し、雅己たちが乗った「東京農大前」に停まってから、田園都市線の桜新町駅を経由して、渋谷駅までいく、約30分の路線である。

「次は馬事公苑、馬事公苑、お降りの方はブザーを押してください」とアナウンスが告げられると、シルバーシートにいた80歳のお年寄りが、ブザーボタンを押した。バスはゆっくりと停車し、降車ドアが開くと、おばあちゃんは、スローモーションさながらの動きで、手すりを使いながら降りてゆく。これまた、日曜日によくあるワンシーである。替わりに塾にでも行くのだろうか、悠斗と同じくらいの小学生が先頭の乗車口から入ってくる。


雅己は、バスも人や環境に優しくなったぁ、感心した。燃料は天然ガスだし、ステップは低くなり、急停車もほとんどしない。ストップ時間が長い時はエンジンも切る。乗降時には油圧式なのだろうか、乗客が乗り降りしやすいように車体が左に傾いている気がする。

そんな最近のバス情報をぼんやり考えていると、突然雅己の顔の前を、大きな黒い物体が横切った。ブーンという低音に、反射的に雅己は、「うっ」という声とともに頭を仰け反らせた。3cmあろうかなり大きな飛行体である。隣の悠斗を見ると、大きな羽音にも、全く動じる様子がない。

しかし、車内の乗客の反応は違った。

3cmはあろうかという黄色と黒の黄色の飛行物体が、ホバリングをしながら、車内の後方から真ん中に移動していくと、「ひっ」「わぁ」とか声が上がり始める。案の定、真ん中にいた女子高生の前を通りすぎたときは、甲高い「ぎゃ~」という絶叫がバス中に響き渡った。その蜂とも思える黄色と黒の昆虫は、さらに車内前方にゆっくりと、手摺の高を飛行している。

雅己は、日本人は本来ハプニングにもあまり動じない国民だと思っていたのだが、

「スズメバチだぁ!」と叫んだサラリーマンの声に、乗客全員がパニック状態に陥った。前方に飛んで行ったスズメバチ、「こっちに来るなよ!」という気持ちが伝わるのか、折り返して真ん中に来る。当然女子高生の大絶叫だ。若い母親は赤ん坊に覆いかぶさっている。サラリーマンが、果敢にも新聞を丸めて、振り回し始めた。

おいおいそれって逆効果だろ、と内心おもいながら、雅己もなす術がなかった。


前方では、「バスを停めてください!」と60歳くらいの奥さんが、若い運転手に詰め寄っているのが見えた。ようやく、若い運転手も事の重大性を理解したようだ。

しかし、「バスはこれから急停車します。お立の方はお近くの手摺におつかまりください」

とこの期に及んで、マニュアル通りになのである。

スズメバチは、どんどんと後方接近しているので、逃げようにも逃げ場がないのである。頭を低くして、やり過ごすより方法がないようだ。恐ろしい羽音が、接近してくるので、自分の頭を左手で抱えながら、右手で悠斗の頭を下げた。

やっとバスが停まる。

「ドアを開けますので、左右も安全を確認してから降りてください」と運転手は悠長なアナウンスをしている。

スズメバチは、相変わらず後方でホバリングしているのだが、他の乗客はすでに真ん中の降車口と前方に避難している。完全に雅己と悠斗が取り残された状況だ。

やっと降車ドアが開くと、2人の女子高生を先頭に、乗客が次々に降りていくのが見える。降車口が開いて、空気の流れが変わったからだろうか、スズメバチは、前方に急展開した。今がチャンスだと、おい、降りるぞ、と悠斗に声を掛けた。

うん、と言いながら悠斗は、運転席に向かったスズメバチを見つめている。

なかなか動かない息子を急き立てて、ようやく、雅己は降車口から脱出した。

その時、「ギャー」という若い運転手の声が、車内に響く。マイクを通しているので、大音響だ。無事に車外にでた乗客は、心配そうに運転席を見ている。若い運転手は、頭をハンドルに押し付けながら、片手を振り回している。その上を、スズメバチが、ホバリングしているのが見える。かなり危険な状況だ。

このハプニングを、先に降りたOLが、スマートフォンで撮っている。

左隣にいる50代の女性が、「運転手さん、早く入口のドア開けて、逃げればいいのにねぇ」と雅己に話しかけてくる。ごもっともな意見だ。


どうも運転手は、ハザードを出して、路肩にバスを停めたのはいいが、自分の脱出のことまでは、考えていなかったようだ。

「まじやばいよね」と女子高生がささやきあっているのを耳にしながら、雅己は、

「結構でかかったなぁ」と右隣にいる悠斗に話しかけた。

しかし、ほんの数秒前までそこにいたはずの悠斗がいないのだ。

びっくりしてうしろを振り返ると、若い母親が、「ボクはバスに戻っちゃいましたよ」と不思議な顔をしながら、雅己に応えた。

忘れ物でもしたのだろうか、と考えながら、雅己は、急いで降車口から車内に入っていく。

しかし、降車口からのぞいた限りでは、後部座席には、誰もいなかった。



前方に顔を向けると、ハンドルに突っ伏したまま、片手を振り回している若い運転手しか見えない。

焦った雅己は「悠斗!」と声張り上げてみる。と、前方の乗車口でヒョィと立ち上がる悠斗が目に飛び込んだ。

「パパ、捕まえたよ」と嬉しそうに、降車口に近づいてくる。スズメバチが入った両手をこちらに差し出す息子に、雅己は思わず身構えてしまった。

「おまえ、それって・・・・・・」恐ろしい羽音が、息子の掌の中でうなりを上げている。

「おまえ刺されないのか」と不安げに聞くと、

「違うよ、刺さないんだよ」と悠斗は笑って答える。

悠斗の後ろから信じられないという顔つきの運転手が、恐る恐るのぞき込んでいる。

3人が揃ってバスから降りると、まず、女子高生が興味本位によって来る。

OLは、いつでも逃げられるような態勢で、スマフォを悠斗の両手に向けている。

乗客全員が、悠斗を囲んだ状態になった時、全員を見回しながら、

「この子は、スズメバチではありません」と悠斗は話し始めた。

「クマバチです。クマンバチというとスズメバチのことだけど、この子はクマです。

メスは、脅かすと刺しますけど、オスは刺しません。オスには針がないんです。エサは花粉で、性格はとってもおとなしいハチです。馬事公苑からバスに入ってきちゃったんだね」とよく通る声で説明した。


「ほーうう」と乗客一同から感嘆の声を上げる。

「どうしてオスだってわかるんだい?」とスズメバチと間違えたサラリーマンが質問してくる。

「オスはメスを見つけるためにホバリングするんだよ。空中で止まっていたでしょう?

これはオスしできない飛び方なの。あと、近くで見ないとわかんないけど、顔もちがうんだ」と丁寧に答えている。

「写真撮っても平気?」とスマートフォンを構えたOLが恐る恐る聞いてくる。彼女は、多少の危険を冒してでも、写真が撮りたいらしい。

「平気だよ、今、休んでるから」といって、小さな両手をそっと、少しずつ開いていく。

悠斗を囲んでいた輪が半歩小さくなる。全員の視線が、悠斗の小さな手に集中する。

ゆっくりと開けた小さな掌には、ずんぐりした体形で、毛むくじゃら大きなハチが現れた。長さは確かにスズメバチほどではないが、胴回りが異様に太い。そして胸には、黄色の毛がたくさん生えていた。

「これじゃ、スズメバチと見分けがつかないね」とサラリーマンが言い訳するように言う。

「うん、誤解されることが多いから、かわいそう」と少し残念そうに説明する。

クマバチはシャッター音がすると、自分の役目をもう終わたのが、分かったように

羽をブーンと震わせ、悠斗の掌で動き始めた。

そして、悠斗が両手を高く上げると大人たちの目線で一度ホバリングしてから、もと来た馬事公苑の方角に去っていった。

60歳の夫婦が拍手をすると、他の乗客もつられるように呼応して、拍手した。

60歳の夫婦は、拍手しながら悠斗に向かって「ボクは、将来昆虫博士だね」と褒めてくれた。

悠斗は、特に恥じらうわけでもなく、「うん」と応えながら、クマバチの飛んだ方向をじっと見つめていた。

雅己は、悠斗の物おじしない性格と冷静な判断力が、小学生離れしていることに驚いた。

と同時に、どうしてこの子が、不登校になってしまったのか、ますますわからなくなった。


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