爽やかイケメン 〜春風をそえて〜
これまでどれだけの夢を見てきた事だろう。
夢と言っても、目を閉じてみる夢。
つまりは睡眠中の脳の活動により知覚する『夢』の方である。
寝たら寝る分だけ夢を見る機会は、増えるのが一般的ではあるが、それが『義務』であったり『強制的』であるのはいささか一般的ではないだろう。
自分は『夢を見るのが仕事』の大学生である。
※
初めてで着慣れないスーツ姿で出席し、並べられたパイプ椅子に座りながら、あくびを噛みころして学長挨拶が終わるのをただひたすら待っていた入学式という通過儀礼から、もう一月が経とうとしている。
桜の木は、一年で一番愛でられる盛りの時期を終え、新緑の季節に備えて新芽を芽吹かせようと準備中だ。
まだ麗らかな小春日和が続いてはいるものの、そのうちじっとりと空気が粘つく梅雨が近づいてくるのだと考えると少々気が重くなる、そんな微妙な季節の変わり目。
「今日はもう授業無いし、サークル室に行こうかな…」
山の中にある為に階段が多く、山の中にある為に敷地面積もそこそこ広いこの大学。
偏差値は高くも低すぎでもない、広い事と学食の豊富さがウリのこの大学。
入ってみて分かったのは
・階段が多いため女子は短いスカートを履かない
・無駄に広いため教室移動が億劫だ
・学食の豊富さ、安さ目当てで他大学の生徒や近隣住民が席を確保し、本大学の生徒は座れない
などの情報であり、現実は心が弾む様なウキウキするキャンパスライフとは程遠かった。
「よう、知古御。」
サークル室に向かってキャンパス内を歩いていると、不意に名前を呼ばれた。
声を掛けられた先を見やると、必須語学でクラスが一緒の中原ミキオが右手を軽く挙げている姿があった。
テニスサークルに所属し、イケメンな上にクラスでも明るく快活な彼は、漫画研究サークルに所属し、端正とは言えない顔立ちで、クラスでは極力発言を避ける自分とはまさに正反対の人気者キャラ。
やめてくれ、そんな爽やかな笑顔向けられると浄化されてしまう。
「な、なんでしょう?」
クラスメートと喋るだけなのに緊張してどもってしまい更には声が裏返るとは何たるノミの心臓だ、自分。
「おいおい、同期なんだから敬語とかやめてくれよ…」
「あっ、ごめん…なさい…」
余計ヨソヨソしい反応をしてしまったが、苦笑するだけでスルーしてくれる中原。爽やかイケメンは余裕が違う。
「そろそろクラスが決まって一月が経つじゃん。でさ、クラスのみんなで飲み会でも開こうかと思ってんだけど…来てくれるかな?」
出た、飲み会。
ウチのクラスメートは一浪が1人いるくらいで他は全員未成年な気がしますけども。そもそも一浪の人も未成年な気がしますけども。
こういう飲み会とか大人数で集まるの苦手なんだよなー…家でアニメ見てたいよ…
とも言えず。
「あっ、そ、そうなんだ。みんなが行くなら…行こうかな…」
なんて事でしょう、この日本人的返答。
みんなが右向きゃ右を向くこの精神、なんとかしないとダメですよね。
でも中原は
「本当?じゃあみんな来るように言っとくから!知古御も絶対来いよ!」
なんて、目を輝かせてるじゃありませんか。
自分、そんな期待を寄せていい人間じゃないですから…残念!
爽やかな春風をプラズマクラスター付きの空気清浄機で更に清らかにしたような笑顔を残して去っていく中原の背中には…
遠ざかっていく中原の背中には、黒い靄がかかって見えるのでした。
※
サークル室に入ると、先輩が1人だけ。
今日発売の週刊少年誌を読んでいた。
「よう、ゴキゲン。」
「あ、おはようございます、タマ先輩。」
未だ聞きなれないゴキゲンというワード。
自分のあだ名であるところの単語である。
ウチのサークルの伝統らしく、入るとすぐあだ名を付けられるのだ。
もちろんタマ先輩もあだ名。
タマ先輩は本名が児玉だから判るが、自分のゴキゲンだけはどうもよく分からない。
ちなみに児玉先輩は名前のように小ぶりではなく、身長は180㌢、体重100㌔はゆうに超えてそうな、どっちかというと大玉なのだが、それはまた別の話。
「それ、良かったら次読ませてください。」
「おー、ちょっとまっちょれ。」
あぁ、爽やかイケメンとは違って同好の徒だとこんなに気軽に話しかけられる。
などとタマ先輩に対して失礼な事を考えつつ、先ほどの中原の背中にはりついていた黒い靄を思い出す。
見つけちゃったなぁ…
突然だったからすぐに対応出来なかった。
というか、やはり都会は多いよね。
『闇を抱えている人』
まぁ中原に関しては闇っていうより儺闇、闇を追い払おうとして苦しんでいる、悩んでいる、という状態っぽいので、そんなに緊急ではないと思うけれど。
あんなパーフェクトヒューマンにも悩みってあるんだね。
ほい、と手渡された週刊少年誌を受け取り、目当ての連載をチェック。
その他の漫画を流し読みしつつ、どうやって中原に自分の『体の一部』を渡そうか思案する。
いっその事中原の家行っちゃうか?
いやでも彼女いるだろうしなぁ…気まずくなったらやだし。
いや、待てよ…
ふとした光明が眼前を横切ったので、実行に移す算段がついた。
パタン!と音を立てて週刊少年誌を閉じると、タマ先輩がビクッとした。
これ、ありがとうございますと言って本を返し、サークル室を後にした。