ファイル3 『河童』の怪 【①】
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東都から二時間かけて新潟県の越後駅へ向かい、そこから電車を乗り継いで一時間。そしてさらに、山に向かって車で一時間半――。
「やっと着いたのね。つ 疲れた……」
さわやかな風が吹く里山の空の下、桜香はレンタカーから降りると深いため息をついた。
今は使われていない、木造の村役場の駐車場。代田に言われてやって来たのは、のどかな田舎の風景が見渡せる、そんな場所だった。
「うわぁ~、田舎だね~。どこを見ても田舎だね~。なんか懐かしい風景で嬉しくなっちゃうな~! スンくんもそう思わない?」
すでに車から降りていたタマモ。小さなピンク色のリュックを背負いながら、里山の風景に目を輝かせている。
「東都はコンクリートに覆われて、もうこんな風景は残ってないからな。自然を感じられる所に来れたってのは、俺も嬉しいと思ってるわけ」
住吉も同感のようだ。楽しかった遠い昔を思い出しているかのような目で、だらしなく緩めてあるネクタイを指に巻いて遊びながら、この風景を見つめている。
「桜香ちゃんも、田舎のおじいちゃんを思い出すんじゃない?」
「まあ……そうだね……」
笑顔のタマモに、桜香はあいまいな返事を返した。
桜香の祖父が住んでいるのは、里山というよりも山の深い森の中と言った方が正しい。それでも、行く途中にこんな風景の里山を通るので懐かしくはあるのだが、今の桜香はそんな気分になれないほど精神的に疲れていた――。
◇
約五時間前――。出勤早々、桜香は室長の代田に“越後へ行ってみないか?”と言われた。
「出張 ですか?」
捜査に行けと言われるならばどこへでも行くつもりではあるのだが、なぜ代田は『命令』ではなく『質問』をするような言い方なのかと、桜香は首を傾げた。
警視庁に新しく設置された『特殊事件広域捜査室』――――通称『妖部屋』と言われるこの部署は、警察の管轄に関係なく、全国を飛び回っての捜査を許されている部署である。
先日、崎守桜香はここに配属された。
特殊事件とは、いわゆる〝妖怪〟と言われているモノたちが関わっている事件の事である。桜香には、他の人間には見えないはずの〝姿を消そうとしている妖怪〟が見えるという特殊能力があった。それが、〝人間〟でありながら妖怪事件の捜査を任されることになった要因であろうと、彼女はそう思っている。
この『特殊事件広域捜査室』に所属している〝人間〟は桜香ひとり。他の捜査官たちは、全員が〝妖怪〟の類である。
「河童がね、村の人達にイタズラをしているそうなんだ……」
なにやら言いにくそうにしている代田に、桜香は首を逆に傾ける。
「カッパって……あの河童ですか?」
指で頭の上に円を描く。もちろん、天使の輪ではなく河童のお皿をイメージしたものだ。
「嫌なら断ってもいいんだよ。このテの事件は、あまり崎守くんには向いていないんじゃないかと思って……」
「いえ、行きます。ぜひ行かせてください!」
桜香は、代田の言葉を遮るように、意気揚々と言葉を重ねて敬礼した。
事件という事は、誰かが困っているという事である。それを喜んではいけないと判ってはいるのだが――
事件を任せてもらえる!
桜香はそんな興奮を隠しきれない。
「ダイさ~ん」
椅子に座っているタマモが手をあげた。
「なんで桜香ちゃんだけに声をかけるの? 私たちは行かなくてもいいの?」
捜査をする時は二人以上で組むというのが基本である。〝妖怪事件〟という特殊な捜査をするのならば、人間である桜香ひとりを行かせるのはおかしい。当然の疑問だった。
「向こうに行けば、山森くんたちが合流してくるそうだよ。他に目立った事件がないのなら、新顔の崎守くんと捜査をしてみたいとあのふたりに言われてね」
「オヤっさんはそんなこと言わないわけ。だから、きっと言い出したのは安那なんだろうな」
なにやらニヤニヤする住吉の言葉に、タマモの口もとがヒクついた。
「そ そっか、あの女もいるんだった。このままひとりで行かせたら、桜香ちゃんが危ない……」
タマモは慌てて椅子の上に立ち上がる。
「ダイさん、私も行く! いいでしょ!?」
「そうですね……ま、いいでしょう。ついでに、住吉くんか川霧くんも行ってきてはどうかな?」
「やったぁ! 桜香ちゃん、一緒に旅行に行けるよ!」
「いや、旅行じゃなくて捜査だからね……」
代田が苦笑いする。
「俺かジンさんも行くわけ?」
飛び跳ねて喜ぶタマモに対し、住吉はキョトンとしている。
「崎守くんと行動するという事で、人間社会のルールを覚える良い機会になるでしょう。東都での事件が起きた時の事を考えると、どちらかには残ってもらわないと困るがね」
「だったら俺が残ろう」
それに即答したのは、椅子にもたれて寝ていた川霧刃だった。
「ジンさん、起きてたわけ?」
「子狐がうるさくて目が覚めた」
振り向いた住吉に、ジンは軽く伸びをしながら首を鳴らす。
川霧刃は起きている時間より寝ている時間の方が長い。今までは机に突っ伏していたのだが、寝ていることを桜香にからかわれてからは、目を開けるだけで寝てないアピールが出来るよう、椅子にもたれかかって寝ている。
顔も性格もクールなジンに嫌われていると思っていた桜香。だから彼に苦手意識を持っていたが、時折見せる子供っぽさに、最近は親しみを持つようになっていた。
「ジンくん。お土産はなにがいい?」
桜香に抱きつくタマモは上機嫌だ。
「なんでもいい。何か適当に……いや、待てよ。越後といえば――」
お土産を考えるジン。頭の中ではご当地名物がまわっているのだろうか。
その姿をほほえましく見ていた桜香の肩を、代田がポンッと叩いた。
「崎守くん。そういう事だから、ふたりをよろしく頼むよ。これからのためにも、せめて公共交通くらいは乗りこなしてもらわないとね」
「は? それって、どういうことですか?」
桜香は、駅でその意味を知ることになった。彼らは誰一人、電車に乗ったことが
なかったのだ。
“姿を消そうと気を配っている妖怪”は、普通の人間に見ることは出来ない。だから、事件の捜査で地方に出向く時は、いつもタマモが巨大な鳥に変化して皆を運んでいたらしい――。
「俺が小さくなって隠れれば、1人分安くなるわけね」
切符を買う時、住吉はそんなことを言いだして〝打ち出の小づち〟を振ろうとした。
「経費削減になるわけでしょ?」
「あなたはそれでも警察官ですか!」
それを止めた桜香は、残念そうな住吉を叱った。
「おもしろ~い! もう一回やろっと!」
改札口では、自動改札を通り抜けたタマモが面白がって戻ってきてしまった。
「?――桜香ちゃ~ん。切符が出てこないよ~」
「そっちは出口なのっ!」
駅員さんに頭を下げることになった。
住吉とタマモは、東都駅から乗った新幹線のなかでも、
「桜香ちゃん、〝車内販売〟てのが来たら教えてほしいわけ。俺、カップ酒買いたいからさ」
「今は勤務中です!」
「油揚げはある?」
「そんなものありません!」
と桜香を困らせ、
「俺は、タマモが連れて行ってくれた方が速いんじゃないかと思うわけ」
「わたしはこっちの方がいいな。楽ちんだもん! あ、わたしの勝ちね! スンくん、帰ったら油揚げ三枚だよ!」
「なんてこったあ~! 俺のツキはどこへ行ったわけ!?」
花札で遊んでは大声で騒いだ。
「車内では静かにしているのがマナーです!」
見かねた桜香がふたりを叱りつけ、他の乗客に頭を下げた。
越後駅で借りたレンタカーのなかでも、桜香は「まだ着かないの?」とごねるふたりをなだめ続けた――。
◇
桜香は近くに流れる小川のせせらぎを聞きながら、ボンネットに手をついて深い溜息を吐く。
「まるで幼稚園の先生になった気分だわ……」
事件の捜査はこれからだというのに、精神疲労で肩が上がらない。
とりあえず日よけのために、古びた村役場の屋根の下に移動しようとした時、悲鳴に似たタマモの声を聞く。
「あ。桜香ちゃん危ない!」
振り向こうとした桜香は、後ろから誰かに抱きしめられた。
「こんにちは。あなたが新人さんね」
包まれるような甘い声。背筋が伸びてしまうほど背中を圧迫してくる柔らかい突起物は、まちがいなく女性のものだ。
「え? ちょ ちょっと、誰なんですか!?」
もがいた勢いを利用され、正面で相対させられた桜香の目の前には、優しい笑顔の女性がいた。
身長はこの女性の方が高い。年齢は桜香と同じくらいなのだろうが、スーツ姿の彼女からは、桜香にはない〝落ち着いた雰囲気〟と〝色気〟がある。
「なんて可愛いの! 崎守桜香さんだったわよね、これから仲良くしてね!」
そう言うと同時に、彼女は再び桜香を抱きしめた。
大きな胸に顔が埋まった桜香は抵抗するが、彼女を離すことが出来ない。
「うわ~、いいな~……」
ちっともよくない!
緊張感のない住吉に抗議する桜香の声は、フゴフゴというむなしい音にしかならなかった。
「やめなさい! 桜香ちゃんが窒息しちゃうでしょ!」
タマモが、最近のお気に入りであるピコピコハンマーを振るったのだろう。強めのピコンという音が鳴り響いた。
「あらお姉さま、嫉妬ですか? 心配なさらずとも、安那はお姉さま一筋ですわよ」
マシュマロを押し付けられたような柔らかい圧迫から解放された桜香は、代わりにタマモの悲鳴を聞く。今度は、タマモが彼女に抱きしめられていた。
「こら安那っ! は~な~せ~!」
持ち上げられて頬ずりされるタマモは、手足をバタつかせて抵抗している。
「久しぶりだから少しは大きくなっているのかと思っていたのですが……全然成長しないんですね、この胸は」
安那と呼ばれた女性は、感触で確かめるかのように、ブラウスのボタンを二つも外さないと収まりきらない大きな胸をタマモに押し付けている。
「大きければいいってものじゃないもん! それに、わたしの成長はまだ止まってないんだから!」
タマモの怒声を聞きながら、桜香は膝に手をついて咳込む。
「まったく、なんて挨拶してんだ……」
隣から聞こえた渋い声に、桜香は顔を上げた。
いつの間に来たのか。そこには茶系のスーツを着た五十代くらいの男性が、呆れ顔でタマモたちを見ている。
「山森だ。よろしく頼むぜ、お嬢ちゃん」
桜香と目が合った男性が柔らかく微笑んだ。
「え? あの…… はい?」
わけがわからず、対応に困る桜香。
「安那もオヤっさんも、まずはちゃんと自己紹介からしたほうがいいわけ。桜香ちゃんが困ってるでしょ」
「あ そういう事ですか」
カラカラと笑う住吉の言葉で、桜香は状況を察した。
『山森』というのは、室長の代田が言っていたまだ桜香が会っていない捜査官の名前だ。タマモを離して、こちらに向かってくる『安那』という女性も捜査官で間違いないだろう。
村役場入り口の屋根の下に皆が集まった。
桜香はピッと、男女に向かって敬礼する。
「はじめまして。先日『特殊事件広域捜査室』に配属されました崎守桜香です!」
真面目な桜香の挨拶に、男女は柔らかく微笑んだ。
「驚かせちゃってごめんね~。いきなりオジサンから“よろしく頼むぜ”なんて言われても困っちゃうわよね」
安那という女性が手を合わせた。
「おいおい。俺が空気読めないヤツみたいになってるじゃないか」
山森という中年の男性は苦笑いを返すが、彼女に気にする様子はない。
「お姉さま……じゃなくて、タマモや住吉たちがどんな妖怪なのかは聞いているんでしょ?」
安那に訊かれた桜香は“お姉さま?”と思いながら頷いた。
「はい。それは配属になった時に聞いています」
いつも穏やかな笑みの中年。室長の代田五郎は『ダイタラボッチ』。
その伝説が全国で語られる巨人の妖怪である。山や湖を作ったという豪快なエピソードが多いが、心優しい力持ちで人間と仲良く共存していた姿が語られている。
特徴的な語尾「~なわけ」が口癖の青年。住吉創志は『一寸法師』。
〝御伽草子〟という物語があることを知らない人はいるかもしれないが、そのなかに登場する小人の主人公のことは多くの人が知っているだろう。妖怪? と思われることもあるが、身長が約3cmしかない男の子は〝異形の者〟として扱われ、妖怪の一種とされた時期が長かったらしい。
小学生にしか見えない元気いっぱいの女の子。那須野玉藻は『九尾の狐』。
この国では〝大妖怪〟として有名である。古代ではいくつもの国を滅亡に導いてきたらしいが、くったくのない彼女の笑顔を見ていると、とてもそんなことが出来るとは思えないくらい可愛らしい女の子である。
「――それなら私たちも自己紹介するわね。私は葛葉安那。人間と夫婦になったこ
ともある『白狐』よ。あなたのことは〝桜香さん〟って呼んでもいいかしら? 私
のことは、気軽に“安那さん”って呼んでね」
これが大人の色気とでもいうのだろうか。同性から見ても魅力的な笑顔に、桜香はドキッとしてしまう。
「俺は山森鴉だ。お前たちからは『烏天狗』と呼ばれている。人間とまともに接するのは久しぶりでな。ま、仲良くしてやってくれ」
中年の容姿をしている山森だが、微笑む顔はまるで少年のようだ。
「こちらこそ、これからよろしくお願いします!――って、あれ……?」
疑問符が浮かんだ桜香は、椅子にもたれかかりながら腕を組んで寝ている川霧刃の姿を思い浮かべる。
本人の口から聞いたわけではないが、彼は妖怪『かまいたち』だと、代田から聞かされている。桜香が調べた限りでは、かまいたちは三匹で一組の妖怪である。縄張りに入ってきた人間を、一匹目が転ばせて二匹目が切りつける。そして三匹目が傷薬をつけて去っていくという……。
だから桜香は、まだ会っていないふたりの捜査官も『かまいたち』だと思っていたのだが……。
「あの~。すいません……」
「は はい!」
知らない男性の声に桜香が振り向けば、レンタカーの傍に、自転車にまたがる制服警官がいた。
もしかしたら、“不審者がいる”と通報されたのではないかと心配になる。
桜香たちは今着いたばかりだが、山森と安那が、待ち合わせ場所であるこの辺りをうろついていたのだとしたら――。都会ならいざしらず、田舎の風景のなかでは、ふたりのスーツ姿はあきらかに浮いている。山森はまだしも、胸の谷間を見せびらかしているような安那は、警察官だと言ってもなかなか信じてもらえないかもしれない。
「もしかして、東都からいらっしゃった警視庁の方々ですか?」
自転車を停めた彼が近づいて来る。おそらく桜香よりも年下であろうという若い警官だ。
「そうですけど、あなたは?」
不審者に間違われたわけではないと安心した桜香は、取り出した警察手帳を広げて見せる。
「人違いじゃなくて良かった――」
それを確認した警官はホッとした笑顔を見せた。
「自分は、この村の派出所に勤務している溝淵巡査であります。皆様を案内するように言われてきました」
まだ初々しい溝淵の敬礼に、桜香も敬礼を返した。
タマモがキョトンとした顔で自分を指差す。
「案内って……私たちを?」
「え? は はい。け 警視庁の代田警部という方から、県警経由で連絡がありまして……」
溝淵はどもりながら返答する。どう見ても小学生にしか見えないタマモに戸惑っているようだ。
「溝淵くんだったよね。安心して、私もお仲間だよ!」
タマモは愛嬌たっぷりの顔で警察手帳を広げて見せた。
溝淵は腰を曲げて確認するが、その目は訝しんでいる。
「い 言っとくけど、に 偽物なんかじゃないからね!」
「あ。ご ごめんなさい! そんなつもりじゃ……」
タマモに叱られ、溝淵はペコペコと頭を下げた。
その様子を見た住吉が笑う。
「そんな言い方じゃ、怪しまれてもしかたないわけ」
フウっと息を吐いた山森が溝淵の肩に触れた。。
「溝淵巡査、その子も警官なんだ。信じられないかもしれないがな」
親子ほども年の離れた(見た目は)山森に言われ、溝淵はもう一度頭を下げた。
桜香たちのなかでは、この山森が一番刑事っぽく見える。白髪まじりの髪の毛はぼさぼさでスーツもシワだらけではあるが、彼から感じる風格は、熟練されたベテランの捜査官に酷似していた。
頭を上げた溝淵。
「すみませんでした。それにしても、本庁の方々が五人も――」
そう言いながら、視線で桜香たちを見回す。
「――あんな事件に、なにかウラでもあるのですか?」
「ウラ? あんな事件って……どういうことですか?」
視線が合った桜香が聞き返す。
裏も何も、桜香はどんな事件を捜査するのかさえ聞いていない。代田には、この空き家となった村役場に行けばわかるようにしておくと言われただけである。
「いや。ですから……あれ? 『痴漢』の捜査に来るのって、みなさんのことですよね?」
やはり人違いではなかったのかと、溝淵は不安気な声を出した。
「ち、痴漢!? 私たち、痴漢の捜査に来たんですか!?」
思わず、山森と安那に確認してしまう。
「あら? 代田さんには言っておいたんだけど、桜香さん聞いてなかったの?」
安那が首を傾けた。
――河童がね、村の人達にイタズラをしているそうなんだ……――
――このテの事件は、あまり崎守くんには向いていないんじゃないかと思って……――
そう言っていた代田は、なにやら言いにくそうな顔をしていたことを思い出す。
河童のイタズラなんだから、キュウリを盗むとか人間と無理やり相撲をとりたがるとか……そんな事件かと思っていた。
「か 河童って、痴漢もするんだ……」
誰にも聞こえないくらいの囁き声を出し、呆れる桜香の肩が落ちた――。
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読んでくださり ありがとうございました。
久しぶりの投稿となりました。
ブックマークや評価をしてくださっている皆様には感謝・感謝です! 本当にありがとうございます!
おかげさまで、執筆する手が遅くても、執筆意欲だけは失っておりません! 時間はかかってしまいますが、【後編】もなるべく早く投稿したいと思っていますので、これからもよろしくお願いします!