ファイル8 『前鬼・後鬼』の怪 【⑭】 ――狙いは崎守桜香――
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お昼前の東都の街なか、桜香はタマモと並んで歩いていた。
桜香がさらわれたあの日以来、タマモは桜香の傍を離れない。今もこうしてちょっとした昼食の買い出しにもついてくる。
あの日以来、桜香に元気はない。ジンのチカラは失われたままなのだ。
誰が悪いということではないのだが、桜香はそのきっかけとなってしまった自分を責めていた。
「あ、ごめんなさい」
桜香は若い女性とぶつかり頭を下げた。
考え事をしていたせいか女性に気が付かなかったようである。
女性の方もそんな桜香に微笑み、ゆっくりと頭を下げ返した。
「いえ、私も不注意だったのです。申し訳ございません」
凛とした声に頭を上げた桜香。そしてその女性の美しさにはっと息を飲んだ。
女性の透き通るような白い肌に長い黒髪。赤い唇はルージュを塗っているわけではないのに艶めかしい。目鼻立ちははっきりしており、切れ長の瞳には怪しい光を携えているように見える。白を基調とした和服姿も似合っており、おそらく桜香と同年齢くらいなのだろうが、やけに大人っぽく見えた。
不思議なのは手荷物を持っていないこと。女性が出歩く時は小物を入れる何かを手の下げている事が多いが、この女性は何も持ってはいない。
両手を前で重ね、微笑みを浮かべて桜香を見つめている。
「私の顔に何かついていまして? そのようにじっと見つめられると照れてしまいますわ」
女性の言葉に我に返った桜香。顔を赤くし、慌ててまた頭を下げる。
「す、すみません。あまりにお綺麗だったので、つい」
桜香の正直さに女性は目を丸くし、小さな笑みをこぼした。
「ありがとうございます。私は五月と申します。以後、お見知りおきを」
黙礼する女性に、今度は桜香が目を丸くした。
「え、五月さん? 私は崎守桜香といいます。こちらこそ、その……どうも……」
東都の街での偶然の出会い。
おそらくは二度と会わないであろうという五月からの挨拶に、桜香は返答に困ってしまう。
そして気付いた。
「あれ? 人が……いない?」
周りから人々が消えていた。建物はそのままなのに、今いたはずの人々の姿がない。隣にいたはずのタマモの姿さえも見当たらなかった。
静まり返った街。
人工物に囲まれた静寂からは恐怖を感じるのだと初めて知った。
桜香はうろたえるが、五月は人懐っこい笑みを崩さない。そんな五月に桜香は寒気が走る。
そして五月は僅かに目を細めた。
「崎守桜香さん、必ずまたお会いすることになります。その時までに、良い器となっていてくださいね」
「良い器? あの、それはどういう意味で――」
言いかけた桜香の体が、突如硬直した。
この感じには覚えがある。蘆屋道満から金縛りを受けた時と同じだった。しかしそのチカラは道満よりも強い。道満の時はなんとか話をすることが出来たのだが、今は口も動かない。
五月の美しさの奥から滲み出てくる邪な気。桜香は彼女自身に恐怖した。
そんな桜香に五月は再び黙礼し、背を向けて歩き出す。すると、どこからか人々の声や姿が戻ってきた。
体が動かず、声も出せない桜香は目で五月の後ろ姿を追ったが、すでに雑踏の中へと消えてしまっていた。
「桜香ちゃんどうしたの? 急に立ち止まって」
幼い声に下を見れば、タマモがキョトンとした表情で桜香を見上げている。
「タマモちゃん、今の人って……あ、あれ?」
前方を指差した桜香は、いつの間にか金縛りが解けていることを知った。
しかし背中は冷や汗でシャツがくっついている。確かに感じた恐怖の余韻だ。
「今の人?」
タマモは首を傾げる。どうやら五月を見てもいないようだ。しかし――
「今、五月さんって人とぶつかっちゃって。それでその……」
どう説明すれば良いのかわからない桜香に対し、タマモの表情が急に険しくなった。
「五月!? あいつが現れたの!? どこ!? どこにいるの!?」
タマモは桜香を守るように前へ出て臨戦態勢を取る。今にも大槌を出しそうな雰囲気だ。
「どこって、もう行っちゃったみたい」
急変に驚く桜香だが、タマモは険しい表情を崩さない。
「わたしが気付かないなんて。てことは、桜香ちゃんの精神に直接……あいつ、そんな事も出来るのか」
口惜し気なタマモに桜香が話しかける。
「タマモちゃん、五月さんて人を知っているの?」
「知ってるもなにも、あいつががしゃどくろを操って土蜘蛛を世に出し、この前は蘆屋道満や前鬼を使って桜香ちゃんを誘拐して、ジンのチカラまで奪った張本人だよ!」
雑踏の中にタマモの怒号が高々と響いた。
◇
特殊事件広域捜査室。通称あやかし部屋が静まり返っている。
誰もいないわけではない。ただ桜香が出会った五月という女性の報告を受け、皆が難しそうな顔で黙っているのである。
「あ、あの――」
静けさを打ち破ったのは桜香の小さな声だった。
「五月さんて、何者なんですか? その、普通の人間じゃないのはわかったんですけど、人間だけど人間じゃないっていうか……」
桜香は口ごもる。どう説明すれば良いのかわからないのだ。
人間であるようで人間ではなく、妖怪のようで妖怪ともいえない。そんな異質な気を感じたのだが、それを表現する言葉が見つからない。
桜香の疑問に答えたのは鼻息荒いままのタマモだった。
「五月っていうのはね、滝夜叉姫のこと。あいつはね、魔女だよ、魔女!」
「ま、魔女?」
目を丸くする桜香の横で、安那が息を吐く。
「お姉さま、今風に言うなら召喚士が適当な言葉かと」
「しょうかんし……ですか」
「魔女だって似たようなものじゃん」
「いえ、がしゃどくろなどの魑魅魍魎を召喚して操っているのですから、やはり召喚士が適当だと思います」
タマモと安那のやりとりに、山森があきれた顔で頭を掻いた。
「あのな~。重要なのはそこじゃないだろ」
山森が息を吐いた時、代田がパンと手を打ち鳴らす。
それによって静まると、代田は皆を見回してから桜香へと向いた。
「崎守くん。なにから話せばよいのかと考えたのですが、まずはキミの質問に答えましょう――」
桜香を見据える代田にいつもの笑顔はない。
それだけ重要な事を話そうとしているのだと、桜香は喉を鳴らした。
「キミが出会ったという五月という女性。それは人間だった時の名で、今の彼女は滝夜叉姫という妖術師です」
「滝夜叉姫って、たしか平将門の娘……あ、だからがしゃどくろを――」
桜香はあやかし部屋に配属されてから妖怪のことを調べていた。
そして数多くいる妖怪のなかに、滝夜叉姫という名前があったことを思い出したのだ。
そして代田に確認をとる。
滝夜叉姫――人の時の名前は五月姫。
今から千年以上前の940年、天慶の乱にて父将門が討たれ一族郎党は滅ぼされるが、生き残った五月姫は怨念を募らせる。
荒御霊に願をかけ妖術を授けられた五月は滝夜叉姫と名乗り、手下たちや召喚したがしゃどくろなどの妖怪を集め、朝廷転覆の反乱を起こした。
だが妖術によって朝廷側を苦しめたものの、激闘の末に成敗された――。
桜香の言葉を聞いていた代田が頷く。
「しかし妖怪となっていた滝夜叉姫は滅ぼされてはいませんでした。そして怨念をさらに強め、今度はこの国そのものを壊そうと考えたようです。しかしながらそれを達成するには自分のチカラでは足りない。そこで利用しようとしたのがあの方のチカラ――。あの方を出すことが出来れば、この国を壊すことはそう難しくはないでしょうからね」
「その、あの方というのは――」
桜香の問いに代田は間を置いた。
そして数秒後、代田は重い口を開く。
「我々があの方と呼ぶのは、この世を生みだした神。伊邪那美のことです」
遠い昔、まだこの世が混沌としたなにかでしかなかった頃。
『伊邪那岐』と『伊邪那美』という男女の神によってこの国が生まれた。
男女2神は国生みをひと通り終えると、次に神生みをはじめた。この時に多くの神々、いわゆる八百万の神が誕生したのである。
そのなかに『火之迦具土神』という火の神がいたのだが、出産時に伊邪那美は大やけどを負ってしまった。それがもとで伊邪那美は病に伏せ、ついには死んでしまう――。
愛する妻を亡くした伊邪那岐は、あまりの悲しみから黄泉の国まで伊邪那美を迎えに行った。
しかし伊邪那美は答えを渋り、黄泉の国の神に相談して来るので待っていてほしいと伊邪那岐に告げる。決して私の姿を見てはいけないと。
だが一行に戻ってこないことに業を煮やした伊邪那岐は伊邪那美を探しに行く。
そこで目にしたのは血肉が腐り、醜く変わり果てた伊邪那美の姿だった。
あまりの姿に恐れをなした伊邪那岐はその場を逃げ出す。だがその行為は伊邪那美の怒りを買った。
伊邪那美は黄泉醜女という鬼女をけしかけて伊邪那岐を追いかける。
なんとか黄泉の国から逃げ出すことに成功した伊邪那岐はその境に大岩を置くいた。だがそこで伊邪那美の「これから毎日千人を殺す」という怨声を聞いたのだ――。
代田は難しい顔をしている。
「滝夜叉姫は崎守くんに接触したのに再び拘束しようとしなかった理由はわかりません。しかしあの者の狙いが崎守くんだと判明した以上、これからは那須野くんの傍を離れないようにしてください。川霧くんのチカラが封じられている今、戦力として一番頼りになるのは那須野くんですから」
それを聞いたタマモは「任せて。桜香ちゃんは絶対に守るんだから!」と鼻息荒く敬礼した。
あやかし部屋に再び静寂が訪れる。安那に山森が口を閉じ、住吉ですらいつもの軽口を言えずにいる。
皆が緊張の面持ちで桜香を見つめていた。ただひとり……
「ふ……あぁ……」
いつもの調子で椅子にもたれ、寝ぼけ眼で大きな欠伸をしたジンを除いて――。
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