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ファイル8 『前鬼・後鬼』の怪 【⑫】

□◆□◆

12


 黄金色の炎のなか、役行者は絶叫を上げながら燃え尽きた。

 逃れようとしたのか、前鬼から役行者の魂が浮かび上がり、黄金色の炎と共に霧散したのである。

 その魂は生にしがみついた役行者の一部。弟子に裏切られ、母を見捨てられた悲しみと怨みと怒りは、役行者という人間が死しても魂の一部が分離して後鬼にしがみついた。この世の人々を護るために魑魅魍魎と戦っていただけに、その無念さはひとしおだったであろう。

 その邪魂ともいえる魂は何がしたかったのだろうか。自分が死ねば後鬼も死ぬのはわかっていたはずである。

 もしかすると、役行者の邪魂は後鬼の魂にしがみつくことで復活の機会が来ることを狙っていたのかもしれない。この世を護り続けてきたことに絶望した男が、今度はこの世を滅ぼすために……。

 今となっては永遠の謎である。


 黄金色の炎が消え、前鬼はその場で膝をつきゆっくりと横に倒れた。


<前鬼!>


 後鬼は滑り込むように前鬼へと駆け寄り、その手を握った。

 前鬼の体にはまだ黄金色の火がくすぶっており、胸には大穴が貫通している。

 そして、その身は少しずつ光の塵となって舞い上がっていた。


<ご、後鬼――>


 後鬼の声に目を開いた前鬼。

 後鬼は桜香の身体を借りている。だが、前鬼には愛しい妻の姿に見えているに違いない。


<後鬼よ、神のチカラとは凄まじいものよの。役行者の、借り物とはいえ孔雀明王のチカラと、鬼神といわれた我のチカラを合わせてもこの通りだ>


 苦しげな顔で仰向けになった前鬼は、大穴の開いた胸に触れて微笑む。

 そんな前鬼に後鬼も微笑みを返した。


<ええ、本当に。でも、それを感じ取っていたからこそ私たちでは成し遂げられないことを託そうと思ったのでしょう?>


 後鬼の言葉に、前鬼はさらに口元を弛ませた。

 千年ぶりの再会だが、何も言わなくても通じ合えていたことに喜びを感じているのだろう。

 しかしそんな時間も残り少ない。

 前鬼が咳き込むと吐き出した黄金色の血が飛び出して霧散していく。


<ご、後鬼に体を貸している崎守という娘に、我の声は聞こえているか?>


 前鬼が後鬼の瞳の奥にいる桜香を覗き込んだ。


「はい、聞こえています。なんですか前鬼さん」


 後鬼を通じ、桜香にもこれが前鬼の最後の言葉になると感じている。

 桜香は悲しみを堪えて答えたがそれは声にならず、代わりに後鬼が頷いた。


<天之尾羽張たちに伝えるのだ。この度の一件は、あの者に仕組まれたものであると>


「仕組まれたもの? あの者って……誰なんですか?」


 桜香の問いは声になっていない。

 前鬼もその疑問を感じ取っているようなのだが、それに答える時間はなく先を続ける。


<あの者は目的を果たすために実験をしたのだ。その目的とは――>


 前鬼がそれを言おうとした時、激しい衝撃波が桜香たちを襲った。


<前鬼っ!>


 後鬼の悲痛な声。

 後鬼はなんとか踏ん張れたものの、前鬼は衝撃波によって飛ばされてしまったのだ。

 慌てて前鬼へ駆け寄ろうとした後鬼だったが、桜香の言葉に足を止める。


「後鬼さん、川霧さんが!」


 見れば、ジンは自らの腕を抱いて苦しんでいる。

 黄金色の神気に混ざりこんでくる赤黒い気。その荒れ狂う暴気が衝撃波を撒き散らすなか、ジンは必死に自分を抑え込んでいた。


<いけないッ、このままでは暴走してしまうッ!>


 後鬼は前鬼へ向けていた足を翻してジンへと向かう。


<瓢箪よ、もう少し、もう少しだけ耐えて下さい>


 腰から手に取った瓢箪には無数のひび割れ。いつ砕けてもおかしくはない。

 後鬼が瓢箪を振ると霊水が散水し、青白い癒しの発光を伴いながらジンへと向かう。

 しかし霊水はジンに触れることも出来ず、暴気によって散らされてしまった。


<そんな!?>


 驚愕する後鬼。その声にはもう打つ手なしという絶望も含まれていた。

 力が抜ける後鬼。だが膝をつきかけた後鬼を支えた者がいた。


<後鬼、しっかりせい。ここが最後の正念場である>


 それは前鬼だった。

 身体を塵に変えながらも前鬼は後鬼の腕を掴み、鬼の形相で仁王立ちしている。


<後鬼よ、崎守の身体から離れて我に憑くのだ。鬼神と呼ばれた我らの意地を見せてやろうぞ>


 前鬼がそう言うと、桜香のなかから後鬼の魂が飛び出した。

 すると桜香を極度の疲労感が襲う。


「あぅ……」


 前鬼が手を離すと、桜香はその場に崩れた。


<崎守よ、体を返す時はちゃんと治癒するつもりだったのですが、事は急を要しますので許してくださいね。ですが、あなたのおかげで前鬼と共に逝くことができます。本当に、ありがとうございました>


 桜香に頭を下げた後鬼は、滅びかけている前鬼のなかへと入り込んでいく。

 すると前鬼の体が紫炎に包まれた。


「前鬼さん、後鬼さん、いったい何を……」


 桜香の問いに、前鬼後鬼は瓢箪を拾いながらその目を見据えた。


≪崎守、これより我らは天之尾羽張の助けに向かう――≫


 それは前鬼と後鬼の声が混ざったものだった。


≪天之尾羽張が己に抵抗できている今ならば、我らのチカラで引き戻すことが出来るやもしれん≫


 前鬼後鬼が立ち上がる。


≪我らが事を成すことが出来た時には、どうかあの方がこの世を滅ぼすのを阻止してほしい。……人間ではあるが、お前こそがその核になるであろうからな≫


「そ、それはどういう事なの?」


 呻く桜香に、前鬼後鬼は一瞬だけ哀しい笑みを見せた。

 そして二人で一人の鬼神となった前鬼後鬼は、さらに紫炎を大きくしてジンへと突進していく。

 それはまるで命そのものを燃やしているような、消えかけた火が一瞬だけ膨らんだかのような、強くて儚い炎であった。





 前鬼後鬼がジンへと向かったのを横目で見た土蜘蛛。


<も、もういいだろっ! ここまでやれば時間は稼げたはずだッ!>


 泣き言を言う声でタマモと住吉から離れようとする。

 巨大な体はボロボロ、八本あった脚は四本しか残っていない。


「逃がすかッ、このドデカ蜘蛛ッ!」


 そうはさせまいとタマモは尻尾を伸ばす。その先端は杭のように尖っており、土蜘蛛の脚を貫通して縫いとめる。

 だが土蜘蛛は貫通された脚を喰いちぎって大きく空へと跳び上がった。


「むむ! 往生際の悪いヤツ! いくよスンくんっ、止めを刺してきなさいッ!」


 タマモが住吉へ大槌を振りかぶる。

 それを見た住吉が青ざめた。


「ちょっと待った! 跳んだからには落ちて来るんだから、それを待てば――」


「そんなの待ってらんないっ!」


 タマモがゴルフのスイングで大槌を振ると、それは住吉の尻に命中。

 その反動で住吉は土蜘蛛へと飛ばされていく。


「こ、こうなったら、お前を滅ぼしてさっさと決着つけちゃうわけッ!」


 涙目の住吉が針の剣で突きの構えを取った。


<冗談じゃねえ! おいッ、見てるんだろ!? はやく道を開けやがれッ!>


 土蜘蛛が叫ぶと結界の一部が歪む。


<ちくしょう。今日喰えたのは、警察官とかいう男の魂だけかよ……>


 桜香と安那がタマモからの情報を受けて発見した男性警察官の遺体。それは土蜘蛛の犯行だった。

 まだ喰い足りないという舌打ちを残し、土蜘蛛は結界の歪んだ部分へと溶ける様に消えていった。


「なにおぅ!?」


 住吉が針の剣を突き出すもあと一歩届かず、そのまま大きな楕円を描いて落下していく。


「オッサンっ、鴉のオッサン! 助けてくれよ、尻が痛くて力が入らねえんだ!」


 住吉は空を飛べる山森に助けを求めるが、山森と安那は多くの一角鼠に囲まれている。


「悪いな、こっちも手が一杯なんだわ」


 山森は愛想笑いを浮かべ、「まあ死にゃぁしねえさ、がんばれよ」と片手をあげた。

 安那は回復しきっていないようで、傍を離れるわけにはいかないのであろう。


「そんならタマモッ! お前がふっ飛ばしたんだから責任もって……って、おい! どこへ行くんだよ!」


 タマモを見れば住吉の落下地点とは別の方向へと走っている。

 その先にいるのは桜香。動けない彼女へも一角鼠たちが迫っていた。


「あ~あ、タマモもダメか。ジンさんはそれどころじゃないし、俺は尻が痛いし空も飛べない……。仕方ないな……このまま……落ちよう」


 あがくだけ無駄と悟った住吉。

 そのまま身を任せて落ちていった。



□◆□◆

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