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ファイル2  『幽霊』の怪 【後編】

□◆□◆



 リビングを出た桜香はタマモに電話する。


「はいは~い、タっマモで~す!」


 コール音が鳴る前に、携帯電話のスピーカーから溢れた元気な声。


「あの、崎守だけど……」


 いつもにましてテンションが高いタマモに戸惑う桜香。


「やだな~。わざわざ名乗らなくたって、桜香ちゃんからの着信なんだから桜香ちゃんだっていうのは知ってるよん!」


「よ、よん? タマモちゃん……妙に明るいけど、なにか良いことあったの?」


「良いことなんてな~んにもないぜ。どうせ幽霊がらみの話でしょ? シラフじゃやってらんないっスよ」


「こ、言葉使いがおかしいよ?」


 まだ短い付き合いだが、こんなタマモは初めてだ。


「そう? でもちゃ~んと調べておいたんだから!」


「何を? まだ何も言ってないよ?」


「ふふふ……お姉さんはなんでも知っているのだよ。憑りついている〝幽霊〟が誰なのかを調べろって、ジンが言ったんでござんしょ?」


「すごい。なんでわかったの?」


「ジンとは三百年以上の付き合いじゃ、あやつが言いそうなことはわかっておる」


 妙チクリンな顔で胸を張るタマモが目に浮かぶ。


<ズルっけ~! ジンさんが連絡してくるだろうから、先に調べてもらおうって言ったのは俺なわけ!>


 後ろから抗議する住吉の声がもれる。タマモは「スンくんは黙っててよ!」と声を張り上げた。


「うおっほん! それでは、桜香ちゃんが教えてくれた彼女たちの住所と大学で検索してもらったら、すぐにヒットしたよ」


 意気揚々と話し出すタマモ。


 検索……してもらったら? 誰に?


 桜香は疑問を飲み込んで話に集中した。


「まずは大学だけど、こちらは異常な~し! 教授が学生と不倫してるし、講堂の地下二十メートルくらいに戦時中の隠し財宝が眠ってる可能性があるけど――」


「ごめんタマモちゃん、要点をお願い」


 不倫はともかく、〝財宝〟に興味がないといえば嘘になるが、そんなのはどうでもいい事である。

 今はとにかく、どんなことでも美優紀を救うための情報が欲しい。


「あいよ。お次はそのマンションなんだけど――――」


 真剣な桜香にタマモが語った情報。

 それを聞いた桜香の胸は、潰れるのかと思うくらいに苦しくなった。





 エレベーターの横にある階段。コンビニ袋を手に提げた若い男が軽快な動きで上がってくる。3階に到着すると通路を右側に進み、ある部屋の前で止まった。


 コンビニ袋を左手に持ち替えて、男はドアを二回ノックする。家主の声が聞こえると、彼は中途半端に開いているパーカーのチャックを引き上げた。


「あ、どうも。お久しぶりです」


 現れた由紀恵に、男は礼儀正しく頭を下げる。


五樹いつきくん だったよね? ウチに来るのは初めてじゃない?」


「いえ、二回目なんです。前に来た時はお姉さんいらっしゃらなかったから……」


 招き入れた由紀恵に、五樹は人懐っこいさわやかな笑顔を見せた。


「美優紀さんに呼ばれたんですけど……居ますよね?」


「居るわよ。最近体調が悪くて全然外に出れてないの。彼氏に会えなくて、美優紀も寂しかったのかな? それか、彼氏のいない私へのあてつけだったりして」


「メールで連絡は取り合ってたんですけどね。会いたいって言われるのは、僕としても嬉しいです」


 笑顔がぎこちない由紀恵に、五樹は鼻を掻きながら「お姉さんも美人だし、彼氏くらいすぐできますよ」と付け加えた。


 廊下に面したドアが開き、美優紀が顔を出した。


「いっくん……」


「やあ。二週間ぶりだな……美優紀」


 顔色の悪い美優紀に、五樹は小さく手をあげた。


「美優紀、私バイトに行ってくるから。ちょっと遅くなるけど……平気だよね」


 由紀恵の言葉に頷く美優紀。


「お姉さん大丈夫ですよ、俺がついていますから。美優紀に無理はさせません」


 妹を心配する顔に気付いた五樹は胸を張る。


「そ そう? それじゃ……お願いね」


 ぎこちなく微笑んだ由紀恵は靴を履き、玄関のドアを開けた。


「美優紀、その……」


「私なら大丈夫。頼れる人がいてくれるから!」


 ふり返った由紀恵が見たのは妹の笑顔。


 壁に手をつかなければ立っていられないほど弱った身体に青白い顔。

 それでも美優紀は微笑んでいる。


 由紀恵はその顔に見覚えがあった。頼れる人を心から信じている笑顔だ。


「うん、わかった。それじゃ、行ってくるね!」


 由紀恵も笑顔を返し、手を振って玄関を出た。




 ドアが閉まるのを見届けた五樹は美優紀の肩を抱き寄せる。


「それじゃ、〝頼れる〟俺が部屋までお連れしましょうか」


「だ 大丈夫だよ。自分で歩けるから」


 顔を近づけたが、美優紀はそれをくぐり抜けて自室へと入っていく。

 二週間ぶりの再会だというのにつれないと、五樹は口をとがらせた。


「久しぶりなのに……。風邪じゃないんだろ? キスくらいいいじゃんか」


 後を追った五樹は、部屋に入ろうとして動きを止めた。

 そこは斜光カーテンが閉められた暗い部屋。


「うわ、暗いなあ。電気つけてもいいだろ」


 返事を待たず、彼は入り口横の壁を手探ってスイッチを入れた。


 明るくなった部屋で、美優紀は窓際のベッドに腰かけている。

 その姿は弱々しく、少しの力で簡単に倒れてしまいそうだ。


「そうだ、コンビニでお菓子とか栄養ドリンク買ってきたんだ」


 五樹は袋からお土産を出し、ガラスでできた丸い机に並べ始めた。


「ありがとう。やっぱり……いっくんはやさしいね」


 美優紀の顔が綻ぶ。


「大好きな彼女が心配だからね。……ドリンクって、これで良かったのかな?」


 買ってきた商品を並べる五樹は、栄養ドリンクの瓶を一本持ち上げて首をかしげる。

 自分のことを考えてくれている〝彼氏〟に、美優紀の胸は熱くなった。


「ごめんな。連絡くれる前に会いに来ようとは思っていたんだけどさ――」


 栄養ドリンクを差し出して、五樹は頭を下げる。


「美優紀に会いたいって連絡しようとするたびに、わけわかんない頭痛がしてきてさ……。あ、変な言い訳に聞こえるかもしれないけど……」


「ううん。その話、信じるよ」


 美優紀は栄養ドリンクを受け取りながら微笑む。

 五樹は“なんで?”という顔をしているが、彼女はその理由を知っている。というよりも、先程聞かされたのだ。


「そう? こんな話を信じてくれるなんて美優紀ぐらいだろうな」


 満面の笑みを見せる五樹に美優紀は動揺する――。



 美優紀にとって五樹は恩人といってもいい。

 大学に入っても、人見知りの激しい彼女にはなかなか友達ができなかった。話し相手といえば先に入学していた姉の由紀恵だけ。そんな時に話しかけてきてくれたのが彼だった。

 五樹からのアプローチは積極的で、美優紀は戸惑いを隠せなかった。迷惑というよりも、どう接していいのかわからなかったのだ。しかし何度も誘われて話をしているうちに、彼の人懐っこさと明るさに美優紀の心は惹かれていった……。

 しかし――


 いっくん。……大好きだよ


 美優紀はグッと胸を抱き、〝見知らぬ彼女〟が言ってほしいという言葉を口にする。


「いっくん、あのね。私たち……別れよ」


 予期していなかった言葉に五樹の動きが止まる。


「は? なんの冗談だよ?」


 キョトンとした五樹だったが、美優紀の哀しげな表情に眉をひそめる。


「本気なのか? なんでだよ……」


 うろたえる彼は、クローゼットの開き扉にかけられている洋服に目を止めた。

 それは白を基調とした上着とスカート。清楚な美優紀には良く似合うだろう。


「おい、なんだよアレ……。ずいぶんと可愛い服じゃないか」


 怒りの表情へと一変した五樹の低い声に、美優紀の身体がビクッと震えた。


「男か? 別に男が出来たんだろッ!」


 菓子袋を投げつけられ、美優紀は小さな悲鳴を上げた。


「ち、ちがうよ、そういうのじゃないの。これにはワケがあって……」


「男が出来たに決まってるッ! あんな服を着て、ソイツと会うつもりだったんだろ!――いや、この二週間……俺に隠れてソイツに会っていたんだなッ!」


 美優紀の言葉は興奮する五樹には届かない。


 立ち上がった彼は洋服を乱暴に掴む。


「いっくんやめてっ!」


 立ち上がった美優紀は止めようとするのだが、フラつく身体ではかなうはずもない。


「美優紀はなぁ、俺の彼女なんだぞ! 他の男に色目使いやがってッ!」


 そうまくしたてた五樹はスカートを一気に引き千切った。


「ごめんっ、ごめんねいっくん! 私はただ……」


「うるさいッ!」


 乾いた音。 五樹に平手打ちされた美優紀は「あっ」という声を出して床に倒れた。


「だいたいなあ……ッ!」


 美優紀の髪を掴んだ五樹だが、突如その顔が苦痛で歪む。


「痛ってッ! ああ゛ぁぁぁ……くっそ、またかよッ!」


 抱えるように頭を押さえて五樹は吠える。


「だ 大丈夫!?」


「俺に触るなッ!」


 寄り添う美優紀だったが、再び突き飛ばされてしまう。


「そうだ、お前だ……。美優紀のことになるとこの頭痛が来るんだ……」


 狂気に満ちた五樹の視線。


「い いっくん?」


 それを受けた美優紀の身体は、金縛りにあったかのように動かなくなる。


「なんなんだよお前……。俺を苦しめるのがそんなに楽しいのかよッ!」


 振りかぶった五樹の手に、美優紀は固く目をつむる。その時――


「そこまでよッ!」


 クローゼットの扉が開き、なかから桜香が現れた。


「紫藤五樹っ! 今すぐ美優紀から離れなさ……うわあ!?」


 勢いよく飛び出したのはよかったが、一緒に入っていた服に足を取られてしまい前のめりに手をついた。


「な なんだあ!?」


 五樹は突然の邪魔者に面食らう。


「まったく。なにやってんだか……」


 ベッドの下から這い出たジンは、呆れた声を出しながら美優紀と五樹の間に割って入る。


「お おまえ誰だよ!」


 自分より頭一つ大きなジンにうろたえる五樹だったが、その背中へと隠れるように動いた美優紀を見て目の色を変えた。


「そうか、お前だな? 美優紀にそそのかされた男っていうのはよッ! ちょっと来いよ美優紀ッ!」


 美優紀を捕まえようとする五樹の手を掴んだジンは、力任せにその腕をひねり上げた。


「いててて……なんなんだよお前、離せよッ!」


 抵抗する五樹だが、ジンがさらに腕をひねると「ギャッ」という声を出して膝をついた。


紫藤しどう五樹。暴行と傷害の現行犯で逮捕する」


 冷たくそう言い放ったジンは、五樹の手首に手錠をかけた。


「た 逮捕だぁ!?」


 肩を押さえて目を見開く五樹だったが、驚いたのは美優紀も同じらしい。


「ちょっと待ってください! なんでいっくんを逮捕するんですか!? 私こんなの聞いてません!」


 ジンに食ってかかる美優紀を桜香が引き離した。


「落ち着いて美優紀っ!」


「桜香先輩、どうなっているんですか!? 〝幽霊〟の頼みごとを聞いてあげただけなのに……なんで? 説明してくださいッ!」


 興奮する美優紀は桜香の腕を強く掴んだ。


「言わなければわからないのか?」


 桜香の言葉ではなく、それはジンの声だった。


 振り返った美優紀に、ジンは目を細める。


「もう一度聞く。この男を逮捕した理由……本当にわからないのか?」


 ジンの声は優しかったが、それでも美優紀は黙り込む。


「……美優紀。なんで黙っているんだよ? 殴ったりしてごめんな。ちゃんと謝るからさ、解放してくれって言ってくれよ」


 膝をついたままの五樹が懇願する。


「いっくん……」


 美優紀は再び桜香へと向いた。


「桜香先輩、いっくんを放してあげてください。彼、本当は優しい人なんです。今のは少し興奮しただけなんです。だから……」


「美優紀、袖をめくって見せて……」


「え?」


 桜香の哀しい声に、美優紀は沈黙した。そして袖を押さえてうつむく。


「前にここに住んでいた女性……。いま美優紀に憑りついている人もね、あなたと同じだったの……」


 桜香の言葉に美優紀は顔を上げた。


「私と……同じ?」


「そう。彼女も、恋人から日常的なドメスティックバイオレンス……つまり、DVを受けていたの」


 美優紀の手を取る桜香。彼女は抵抗しなかった。


「な、なにバカなこと言ってんスかッ! 俺がそんなことするわけ……」


「お前は黙っていろ」


 声を荒げる五樹の頭にジンが触れると、彼はぐったりとして動かなくなった。


「心配するな。うるさいから眠らせただけだ」


 ジンの言葉にホッとした美優紀は、自ら袖をまくりあげた。

 その腕には痛々しい青あざがいくつもある。きっと身体中にもあるに違いない。


「桜香先輩、誤解しないでくださいね。これは私が悪いんです。いっくんの言いつけを守れなかったから……彼、少し興奮しちゃって……その……」


「ばかっ! 美優紀がそんなだから、彼女はあなたに憑りついたのよ!」


 声を荒げた桜香は強く――――強く美優紀を抱きしめた。


「DV被害者の多くは、〝自分が悪いんだ〟って相手に思い込まされちゃうの。この部屋に住んでいた彼女もそうだった。日常的に暴力を受けていても、悪いのは相手ではなくて自分……。そんなふうに洗脳されていたの……」


 タマモからの伝えられた情報――。

 DVに苦しんでいる人達のなかには、自分が〝被害者〟であるという自覚がない人達も少なくない。この部屋に住んでいた彼女もそうだった。

 行き過ぎた暴力によって頭部を強打した彼女だったが、その日はなんともなかった。しかし、血管が切れており徐々に出血。溜まった血液が脳を圧迫て……。一人暮らしのこの部屋で発見された時には、もう手遅れだった。


 うかばれない彼女の前に現れたのが、自分と同じような気質を持つ美優紀だった。心配した通り、美優紀は〝悪い男〟に引っ掛かってDV被害者となってしまう。しかも、自分と同じで〝被害者〟だという自覚がない。

 そこで彼女は五樹に会わせないよう美優紀に憑りつき、外へ出る体力を奪った。と同時に、五樹の方にも美優紀と会わないように警告を出し続けたのだ。



「で でも私、いっくんがいなくなったら誰もいないんです。彼だけが私に話しかけてきてくれたんです。いっくんを失ったら……ひとりぼっちになっちゃう」


 美優紀は嗚咽を漏らし、桜香にしがみついた。


 由紀恵や自分がいると言いかけた桜香は、その口を閉じた。今の美優紀に――いや、これからの美優紀に必要なのは誰かの救いの手を〝待つ〟事ではない。


「だったら、自分から話しかけてみようよ」


 桜香は肩に手を置いて美優紀を離し、その顔を上げさせた。


「誰かが来てくれるんじゃなくて、美優紀から誰かに飛び込んでいくの。あの日の――私たちの引退試合の時の事って覚えてる?」


「引退試合……ですか?」


 桜香の微笑みに、美優紀は少し遠い目をした――。



 女子では珍しい硬式野球部に在籍していた桜香。部員は少なかったが、ぎりぎり紅白戦が出来る18人の選手がいたことは幸運だった。

 そんな桜香が引退する日に、恒例の紅白戦をすることになっていたのだが……。その二週間前に部員のひとりが家の事情で引っ越してしまっていた。

 今年は無理だと残念に思っていた桜香たちに、恥ずかしがって顔を真っ赤にした美優紀が手をあげた。マネージャーだった美優紀は試合に出た事は無く、軽いキャッチボールをしたことがあるだけ。そんな彼女が、自分が選手として試合に出るというのだ。それでも、引退試合が出来るとみんなが喜んだ。

 もちろん桜香も喜んだのだが、一番嬉しかったのは自分から何かを言い出したことのない消極的な美優紀が、自分たちのために勇気を出してくれたその気持ちであった。

 打球が来ても取れない、バットを振っても当たらなかったが、桜香たちは大切な思い出を美優紀に貰った。



「美優紀のおかげで、私の高校生活にはなんの悔いもないよ」


「桜香先輩……」


 美優紀の目に涙が溜まる。

 暴力を振るわれても、五樹の事が好きなんだと言い聞かせていた自分に気がついた。この時ようやく、美優紀は彼の〝洗脳〟から解き放たれたといってもいいのかもしれない。


「あなたには私を笑顔にしたっていう事績がある。今度は誰かを――新しく作る友達を笑顔に出来るって、美優紀はひとりにはならないって私が保証する! もう一度、あの時みたいに自分から動いてみようよ!」


 この言葉で、こらえきれなくなった美優紀が大声で泣き出した。


 そんな彼女を、桜香はもう一度強く優しく抱きしめる。


 美優紀の鳴き声が漏れるなか、この部屋の空気が軽くなったと感じた桜香。


「わかった、そう伝えておく。……達者でな」


 ジンの小声を背中で聞き、桜香は美優紀を守っていた女性の〝幽霊〟が逝ったのだと理解した。



「こんちゃ~っす! ジンさん、もういいんでしょ? お姉ちゃんももう我慢できないって聞かないし、こっち(管轄)の警官も連れて来たわけ。入りますよ~」


 玄関から聞こえてきたのは住吉の声。

 ばたばたとした足音は由紀恵に違いない。



 この後、五樹は制服警官二名によって連行された。

 彼がした行為は、美優紀の身体と心をボロボロにした。きっと重い罰が下されることだろう。

 出来るならば、与えられた『罰』で自分を哀れむのではなく、ちゃんと『罪』と向き合って自分を見つめ直してほしい。――そんなことを言った美優紀に桜香は驚いた。と同時に、尊敬の念を抱かずにはいられなかった――。





 数日後――。



 出勤した桜香は、自分のデスクを通り過ぎてジンのもとへと向かった。


「おはようございます。川霧さん、これ見てください」


 腕を組んで寝ているジンに、タブレット端末を向ける。


「朝から騒々しいヤツだ。寝ているのを邪魔するのが趣味なのか?」


 彼は嫌味たっぷりに言いながらも片目を開く。


 画面には、寄り添う数人の女性が映っている。そのなかに美優紀の姿があった。

 美優紀が自撮りをし、そんな彼女に抱きつくようにして数人の女性たちが笑っている。照れているのか、赤面する美優紀もはにかんだ笑顔を見せている。


「そうか。自分から友達を作りに行ったか……」


 ジンは少しだけ口もとを弛めた。


「そうなんです。やっぱり、あの〝幽霊さん〟の言葉が響いたんでしょうか?」


 嬉しそうな桜香は、〝彼女〟が残していった言葉を思い出す。



  『ありがとう』



 たった一言ではあるが、それをジンから伝えられた美優紀は大粒の涙を流した。


 この言葉にはたくさんの意味が含まれているのだろう。〝彼女〟に憑りつかれていた美優紀にしかわからない励ましの言葉であったに違いない。


 ジンは再び目を閉じる。


「そうであったとしても、キッカケは関係ない。お前の後輩は自分から行動するようになった……。大事なのはそこだ」


 ぶっきらぼうな言い方だが、なぜか心に沁みる。


「あの幽霊さん……ちゃんと成仏できたのでしょうか?」


 桜香の不安気な言い方に、ジンは再び目を開けた。


「基本的に、成仏というのは〝信仰心〟からくるものだ」


「信仰心……ですか?」


「念仏を唱えてもらえば、祈りを捧げてもらえば、人は安らかに逝くことができるという教えを信じることで作用する〝力〟を、俺たちは成仏と言っている」


 首をかしげる桜香にジンは続ける。


「お前たちが除霊や浄霊と呼ぶモノは、人間が行う以上〝信仰心〟を利用しなければ効果はない」


「あ だから宗教によってやり方が違うんですね」


 そう言った桜香に、ジンは沈黙で肯定したように見えた。

 〝幽霊〟への対処法は国や地域によって違いがある。それは、その場所によって独自の考え方や信仰があるからなのだろう。

 近年、この国では若者を中心に信仰が失われつつある。

 美優紀に憑りついた彼女に信仰心があったのかはわからない。だからあの時――


 「彼女に成仏してほしいなら〝坊さん〟を呼べ。ま、無駄かもしれないが気持ちくらいは伝わるだろう」


 ジンはこんな事を言ったのだろう。


「〝信じる者は救われる〟……間違いとは言い切れないな」


 言いながら寝に入ろうとするジンを、桜香は呼び止めた。


「もう一ついいですか?」


「なんだ?」


 不機嫌な目で睨まれたが、桜香はさらっと受け流す。

 こういう対応をしてくるのが川霧刃である。いちいち気にしていては身が持たないのだ。


「川霧さんに見えたのに、私には彼女の〝幽霊〟は見えませんでした。それはなぜですか?」


「お前が見ることが出来るのは〝妖怪〟であって〝幽霊〟……いや、〝人の魂〟ではないんだ――」


 桜香は〝姿を消そうとしている妖怪〟をも見分けられるだけ。

 妖怪というのは、姿を隠していなければ一般の人々にもちゃんと見える。ただ、それが妖怪だと気付く者が少ないだけ……。〝妖怪〟や〝幽霊〟と、〝人の魂〟の違いは具現化しているかどうかにあるという。

 誰が見たとしても同じように見える前者とは違い、〝人の魂〟には決まった形がない。見る人によって〝球体〟・〝霧状〟など見え方が違う。だから桜香には見ることが出来なかった。

 生前の姿を保ちながら現れる〝幽霊〟とは、決まった形がないはずである〝人の魂〟の異常状態のことであり、それは〝妖怪〟に分類されるらしい。


 桜香はなんとなく納得した。


「だから、川霧さんだけ〝幽霊〟って言葉を使わなかったんですね」


「俺には〝彼女〟の姿が見えたわけじゃないからな。あそこにいた魂から、性別や言いたい事を感じ取っただけ……。言葉で説明するのは難しい」


「わかる気がします……」


 子供のころから、うっすらと見える〝妖怪〟を見てきた桜香。他の人にはわからない事を説明する難しさは十分に理解している。


「もういいだろ……俺は眠いんだ」


「はい、ありがとうございました!」


 桜香は自分の机へと向かう途中、ジンへもう一言付け加えた。


「川霧さん。もう勤務時間ですよ」


 机に上体を倒しかけていたジンは動きを止めて、椅子へともたれかかった。

 目を閉じながら腕を組む彼は「ふん」と鼻を鳴らす。

 その仕草が妙に可愛く感じられた桜香はそっと微笑んだ。


「桜香ちゃ~ん、はやくおいでよ! 一緒におやつ食べよ!」


 タマモが両手にプリンを持って桜香を呼んだ。


「崎守。今は勤務時間だってわかっているよな?」


「え!?」


 ジンの声に、桜香は思わず振り向いた。

 彼は寝たふりをしているが、その口もとが弛んでいる。ちょっとした反撃が出来て嬉しそうだ。


「タマモ! それは俺が買ってきたプリンなわけ! 休憩の時に食べようと取って

おいたんだから、勝手に食べてほしくないわけ!」


「名前が書いてないんだからみんなのモノでしょ! 早い者勝ちだよ~!」


 抗議する住吉から逃げるタマモ。


 賑やかな声を聞きながら、桜香は自分の椅子に座った。

 自分の口が綻んでいるのには気付いている。


  「崎守。今は勤務時間だってわかっているよな?」


 ジンは何気なく言ったのだろうが、桜香は初めて名前を呼ばれたことが嬉しかった。『お前』や『おい』ではなく、『崎守』と名前を呼ばれたことで――


  仲間だって認めてくれたのかな


 そう思うとにやけた口が戻らない。


「桜香ちゃんパ~ス!」


 タマモの声で顔を上げた桜香は、投げられた二個のプリンを受け取った。


「スンくん見てなさい。桜香ちゃんがペロリと一瞬で平らげてくれようぞ!」


 高笑いするタマモと驚愕する住吉。


「わ わたしはそんな食いしん坊じゃな~い!」


 桜香は抗議の声を上げた。


 子供じみたバカ騒ぎではあるが、昨日よりも居心地の良いこの空間。

 『特殊事件広域捜査室』――ここに残ったのは間違いではなかったと、桜香はあらためてそう感じていた。



□◆□◆


 読んでくださり ありがとうございました。

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